近畿の神社
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分割済み[編集 | ソースを編集]
滋賀[編集 | ソースを編集]
沙沙貴神社[編集 | ソースを編集]
- 全国の佐々木さんの聖地。
日吉大社[編集 | ソースを編集]
- 比叡山の犬
- みたいなイメージ。
- 神社の入り口のすぐ横に延暦寺までの登山道がある。
- ぱっと見どっか探せば裏手から入れそうな気がするが……
都久夫須麻神社[編集 | ソースを編集]
- なぜか公式ホームページでは竹生島神社……
- 因みにURLはhttp://www.chikubusima.or.jp/ 。「or.」を抜けば、宝厳寺のホームページへ飛べる。
- 神域と寺域で島をほぼ二分しているが、正直どこまでが神社の土地でどっからが寺の土地なんかが分からへん。
- 元は神仏習合だからどうでも良さそうだがこういうのって固定資産税とかの査定に響いてくるので意外と大事なので……
- とりあえず、土器投げをやる龍神様がどうたらの所は神社領らしい。鳥居があった。
- 元は神仏習合だからどうでも良さそうだがこういうのって固定資産税とかの査定に響いてくるので意外と大事なので……
- 程々に長い廊下と本殿が売りだが、実は、元々宝厳寺の本殿だった。
- この本殿の中に、日本史の資料集に出てくるようなお宝が眠っているが、一般人には見せてくれない。
湯谷神社[編集 | ソースを編集]
- 湯谷というのは元々温泉があったかららしい。なんでもアホが枯らしてしまって、その代わりに有馬で湧くようになったらしい…… 書いてる本人もなんのこっちゃ分からん……
- 米原の曳山の神社というと知名度が若干上がるが、そうでも言わんとなんのこっちゃ分からん……
- 駅から徒歩10分と場所がよろしいので、列車の時間待ちには良いかもしれん。
- 但し特に見るもんはないので要注意。
多賀大社[編集 | ソースを編集]
- イザナギ・イザナミを祀っている。
- せやけど、その謂れが全く想像つかん。
- 糸切餅発祥の地。
- 多賀SAと並ぶ多賀町の名所。
兵主神社[編集 | ソースを編集]
- 平安時代のなかなか洒落た庭園がある。しかし神社の歴史全体で見るとこれの建設は遅いくらい。
- 神社の歴史自体はとても古く、卑弥呼がああだこうだ言ってた頃からあるという噂。
- 自称も含めて源氏のお気に入りらしく、頼朝、尊氏、家康の奉納した武具がある。
近江神宮[編集 | ソースを編集]
- 競技かるたの名人位・クイーン位決定戦開催地として知られる。
- それ以外にも境内に時計の博物館もある。
白髭神社[編集 | ソースを編集]
- 近江の厳島神社の異名を取る。
- 琵琶湖の湖水の中に鳥居がおかれているのが、大野瀬戸に鳥居のある厳島神社と似ているからというのがその理由。
- 琵琶湖に干潮も満潮もないため、鳥居の下を歩いてくぐれたりはしない。
- 鳥居は造ったときは陸上にあったものが、水位上昇であんな感じになったらしい。
- 琵琶湖の湖水の中に鳥居がおかれているのが、大野瀬戸に鳥居のある厳島神社と似ているからというのがその理由。
- 全国に点在する白髭神社の総本社。
- 実は東京浅草にある白髭神社も、この白髭神社の分社。以前は本家より分社のほうが有名だったかも。
- 今の本殿は豊臣秀頼が寄進して整備されたもの。国の重要文化財に指定されている。
- 夏場は湖水が熱されて水蒸気となり靄みたいになるのか、岸辺から長浜・伊吹山の方向にカメラを向けるとどこまでも広がる水と空だけの中に朱色の鳥居が立つような写真が撮れる。
- 知名度が徐々に上向いてきている。
- 2010年頃から滋賀県がポスターなどで積極的に白髭神社の写真を多用していたのが功を奏したのかもしれない。
田村神社[編集 | ソースを編集]
- 歌川広重が浮世絵にした。(「春の雨」(東海道五拾三次土山宿))
- 鈴鹿峠の悪鬼を退治した坂上田村麻呂を祀る。
- 嵯峨天皇の深い帰依を受けた。
- 後水尾天皇に正一位田村大明神の称号をもらった。
大野神社[編集 | ソースを編集]
- 全国の嵐ヲタの聖地。
- 社名もさることながら、在駐されている禰宜さんのお名前と誕生日が、偶然にもメンバーと関連していたおかげで聖地化。
- お守りやらの授与品も、嵐の5人をイメージしたものに特化している。
- さらには境内にカフェをオープンし、特製バウムクーヘンまで売っている。
- そんな嵐は2020年に活動休止予定だが、以後どうなることやら。
- 嵐ネタのインパクトが強すぎるが、実は近くにあるJRAの栗東トレーニングセンターの氏神様。
- 有名ジョッキー達が当社のお守りを付けていることは、競馬ヲタに知られている。
兵庫[編集 | ソースを編集]
生田神社[編集 | ソースを編集]
- 神様が松の木が嫌いなため境内に松は1本もなく、正月も門松ならぬ門杉が置かれる。
- 神功皇后の時代の創建。三韓征伐において功績があったらしく、その論功行賞で建てられた。
- 「とりあえず、芸人と大女優がここで結婚するのはやめたほうが良さそう。」
- 世の人々にそう思わせる大事件があった神社。
- 阪急のほうの神戸三宮駅にある広告見たら尚更乾いた笑いしか出なくなる。
- ご利益が、安産祈願や縁結びなので、女性受けは良さげ。
- 最近になって神戸タータンとコラボした御朱印帳を出した。
- 「神戸」の地名の由来となった神社。
- かつて、あの辺りの土地一帯が生田神社の領地(神戸)だったことから。
- 神戸市内の「三宮」をはじめとした「○宮」の地名も、生田神社の裔社に由来する。
- かつて、あの辺りの土地一帯が生田神社の領地(神戸)だったことから。
- 生田神社の裔社として、一宮神社から八宮神社の8社が神戸市内に点在する。
- 六宮神社は、八宮神社と合祀されているので、実質7ヶ所。
- 数字は神功皇后が巡礼した順番とされる。
- 二宮神社はその名前のせいで、嵐ヲタの聖地にされている。
- 誰が言ったか知らないが、一宮から八宮まで参拝して御朱印を貰うと、すんごいご利益があるそうな。
- いくら神戸市内とは言え、だいぶ距離があるので、徒歩で巡礼したら時間はかかるし、体力的にもキツイ。
- 特に五宮神社への往路は坂道が難関なので、なるべくバスを使うとよい。
- いくら神戸市内とは言え、だいぶ距離があるので、徒歩で巡礼したら時間はかかるし、体力的にもキツイ。
- 欧米系の観光客に何故か人気のある神社。
湊川神社[編集 | ソースを編集]
- 創建が建白されたのは、慶応3年。歴史無いやないか。
- 建白したのは尾張藩主。水戸でも薩摩でも、長州でも、会津でも無かった。
- そのためか、建物はやや洋風。
- 兵庫県神社本庁が置かれている。明治の創建の神社の分際で……
- 祭神は言わずと知れた大楠公、楠正成。
- 湊川の戦いで戦死。
- そのため、神社の紋章は楠木正成の旗印である菊水になっている。
- 正月3が日には社殿の内部を特別参拝できる。
- 最寄駅は湊川駅ではなく神戸駅または高速神戸駅。
- 湊川駅があるのは兵庫区だが湊川神社は中央区にある。
- 市営地下鉄の最寄り駅も湊川公園駅ではなく隣の大倉山駅だが、神社の本殿から見たら裏側にあたる。
長田神社[編集 | ソースを編集]
- なんだかんだで1800年ちょいの歴史がある。生田や廣田と同じ。
- 事代主神(ことしろぬし)という神様を祀っている。年賀状みたいな名前である。
- 参道たる神社前商店街にある「ういろや」のういろうが美味。
蛭子神社[編集 | ソースを編集]
- 通称「柳原のえべっさん」
- 毎月9日に淡路島から人形浄瑠璃を店に人が来はる。
- 中央卸売市場が近いため、そのあたりの信仰も厚い。
廣田神社[編集 | ソースを編集]
- 西宮の由来。でも西宮で神社言うたら普通は西宮えびすやろなあ。
- 戦の神だそうだが。
- そんなわけもあってか、タイガースの選手・首脳陣がシーズン前に総出で必勝祈願に来るのはこっち。
- 交通アクセスがちょっと不便。西宮北口駅や阪神・JRの西宮駅からバスに乗らなければ行けない。
- 裏山にコバノミツバツツジの群落がある。満開の時季になると、市外からも見に来る人がいる。
西宮神社[編集 | ソースを編集]
- 西宮市
- えべっさんの総本宮
- でも、そのゑべっさんが、上陸したのは和田岬だったりする。
- 阪神ファンがよく優勝祈願の御祈りをする。
- 阪神タイガースとは結構ご縁があるようで……
- 「福男=足の速い男」という公式を打ち立てた。
- 実は右前側が一番有利やねんて。今年の福男のお兄さんが言ってた。
- 2012年はベン・ジョンソンが参戦。しかし、福男にはなれず、クイズ☆タレント名鑑が打ち切られた。
貴布禰神社[編集 | ソースを編集]
- 尼崎市西本町六丁目
- 尼のきふねさんとして親しまれている。
- 実際、例祭には毎年だいたい8万人位が訪れるらしい。
- だんじりでも有名。
- 旧社格は尼崎市内で唯一の県社。
- 高龗神という漁業や雨乞いなど、水に関わる神様として信仰を集めている。
- 江戸時代には尼崎城主の祈願所を務める尼崎の守護神だったという。藩による主な祈祷内容は、雨乞いと黒船対策だったとか。
- 京都の貴船神社の社伝で「反正帝の頃、尊い神様が瀬戸内から尼崎(長洲)に上陸され、淀川を遡って貴船川の川上に住まわれた」的な話があるらしい。
- 長洲に同名の神社があるが、元々こっちは、そこの分社だった。気がつけば分社のほうが偉くなっていたというありがちなパターン。
- そんな歴史もあり、総本社は貴船神社。当然といえば当然だけど。
売布神社[編集 | ソースを編集]
- 「布を売る」と書いてはいるが、神様は「麻布の作り方を教えただけ」でそれを売って豊かになったのは地元民の努力である。
- 教えたのは物部氏の一族のお嬢さんだったそうで、推古天皇の時代に地元民が恩返しでこっそり神社を創建したらしい。蘇我氏の攻撃とか怖くなかったんですかね……
- それほど豪勢ではないが毎年10月にだんじり祭をやる。但し、近場の八坂神社と共催。
- 豊玉神社へ続く石段の2番目の踊り場は恋愛運上昇のパワースポットと一部で言われているらしいが、それは若くて稼ぎがある頭のいい美男美女だけの話で、普通の人には関係ない話と思う。
- もしそれがホンマやったら、あのへんで育った人間はとうにみんな結婚してるわ!
- 地元民以外の知らない人はまず読めない神社の一つ。しかし、鉄道を趣味にする人なら半数以上が読める(理由は言わずもがな)。
佐保神社[編集 | ソースを編集]
- 昔あった町名の由来。
- 合併で消えたので今となっては何の意味もない。
- それでもインター名その他ではまだ残ってはいるので、その点では全くの無意味というわけでもないかも。(たきのしゃインターと読まない理由ではある)
- 合併で消えたので今となっては何の意味もない。
- そこそこ大きな神社だが、それでもあの山門の立派さは異常だと思う。
- 他の建物もそれなりに風格あるものもあるのだがやはり山門がスゴイ。
- 秋祭りは播州らしく豪勢にやる。
廣峯神社[編集 | ソースを編集]
- 黒田官兵衛が御着辺りに城を構えていた頃、ここはたいへん大きな神社で、神宮寺だけ見てもえげつないほどの大きさだったそうな。
- 姫路一帯を締めており、姫路へ移るにあたって、許しを請おうとしたほどだそうな。
- 八坂神社のライバル。
- ここも牛頭天王を祀っているのだが、こっちも一応、大本宮を名乗っているため。
- 唐土から戻ってきた吉備真備が、「すっげえ神々しいエリアが在る」と聖武天皇に報告したのが始まり。
- もっと、色々言うべきことがあるやろが!
おのころ島神社[編集 | ソースを編集]
- 今でこそ淡路島の内陸の神社やけど、昔は湾内の小島の一島まるごとが神社という形式やったらしい。
- その小島こそおのころ島ちゃうかという説がある。
高砂神社[編集 | ソースを編集]
- 能とか謡曲とかの「高砂」がここ。相生いの松がある。
- 先代の松は松食い虫にやられた。今は保存の為に小屋に囲われている。
- あれ先代なの? 先々代と聞いたことがあるけど……
- 植えられた5代目の相生の松以外にも、それっぽい根元から二股に分かれた松が生えていたりする。
- そんなわけで松は結構多いが、中には風か何かで倒れたのか、寝そべって肘をついている松まである。
- 先代の松は松食い虫にやられた。今は保存の為に小屋に囲われている。
- 能舞台も設置されている。
鹿嶋神社[編集 | ソースを編集]
- 高砂市
- チタン製の鳥居がある。
- 戦後すぐ、ある事件が加古川周辺で起きた時にキーワードとなったことがあるらしい。この動画に詳しいので知りたければどうぞ。でも見た結果、万一何かが起こってもワイは知らんやで。
高御位神社[編集 | ソースを編集]
- 高砂市・加古川市
- 山全体が岩という感じの高御位山の山頂にある。
- だから見晴らしがものすごくいい。御来光なんて仰ごうものなら、卒倒するレベル。
- 一応神社の体をなしているが、なにやら岩石相手に参拝している気分になる。
- 成井側の麓に高御位神宮本殿、山頂に奥宮という配置となっております。
生石神社[編集 | ソースを編集]
- 高砂市
- 日本三奇の一つ、石の宝殿がある所。
- ここや高御位神社の縁起によれば、宝殿は天人がここに一晩で社を造ろうとしたけど、岩を間違ってヒックリ返した挙句、重すぎたのでそのまま放置した名残だとか。今でいうところの産廃物件かよww
- 神社は石段だらけ。それも普通の石段だけではなく、でっかい岩に階段を彫り込んだような代物迄ある始末。
- 割拝殿からの眺めが意外と絶景な件。地元の高校生はデートスポット扱いしとったり。
尾上神社[編集 | ソースを編集]
- 尾上菊之丞とかで有名な尾上流の由来、尾上の松がある。
- 川向かいの高砂神社が能や謡曲なのに対し、こっちは歌舞伎。でもその尾上の松自体が『高砂』に謳われたことで歌舞伎になったという……
- 神功皇后が勧請した住吉大明神が祭神。
- 尾上の鐘も有名である。
多井畑厄除八幡宮[編集 | ソースを編集]
- 兵庫県にある厄神。門戸厄神は寺であるが多井畑厄神は神社。
- 1月18日~20日の厄除祭が人の集まるピーク。
- 巫女さんが踊ってくれてお大尽気分になれるお神楽奉納がお勧め。他だと5000円が相場だが、ここだと高くても2000円。
松帆神社[編集 | ソースを編集]
- 淡路市
- 楠木正成の残党が建てた八幡宮。
- この残党は周辺に村を開拓して楠木村と名付け、のちに楠本村(今の淡路市楠本)となった。
- 楠木正成の愛刀とされる、菊一文字則宗が保管されている。
- 重要美術品の指定は受けてるものの、重要文化財ではない。
- 正成公の所有を離れて、神社へ奉納された経緯を証明する文献が存在しないため。
- 一般公開は年に1回、10月の例大祭だけ。
- 重要美術品の指定は受けてるものの、重要文化財ではない。
- 南へ徒歩20分ほどの距離にある伊勢久留麻神社は、ここが管理している。
伊弉諾神宮[編集 | ソースを編集]
- 淡路市
- 淡路国一宮
- イザナギの幽宮があったんだと。
- 神門に着くなり、某政治家のポスター看板が目に飛び込んできて驚く人多し。
- さらに拝殿の両脇には、憲法改正賛成を掲げるのぼりが立ってる。
- ここまで政治色が強い神社はここくらいじゃないか?ましてや皇族がお参りに来るほどの大きな神社の中だと。
- さらに拝殿の両脇には、憲法改正賛成を掲げるのぼりが立ってる。
- リー◯21が寄贈した、へんてこりんな石碑が建っている。
- というか、境内のあちこちに記念碑がある。
- 手水屋の水槽に使われている石は、大阪城建設で使われる予定だった築石。
- 瀬戸内海から運搬中に事故で郡家浦に落としてしまったものを、幕末に地元の漁師が引き揚げて奉納したんだとか。
- 公共交通機関でアクセスするには難がある。
- すぐ近くにバス停があるものの、1時間に1本、それも決まった時間帯にしかバスが来ない。
- とはいえ、神戸・三ノ宮から直通で行けるだけマシかと。
- すぐ近くにバス停があるものの、1時間に1本、それも決まった時間帯にしかバスが来ない。
和歌山[編集 | ソースを編集]
日前宮[編集 | ソースを編集]
- 和歌山市秋月
- そこそこでかい神社だし、由緒正しき所だが、悲しい哉和歌山県民の人口が少ないあまり参拝客数も少ない。
- だいたい、紀三井寺が結構な数を持って行きやがるのが……
- 元々は浜の宮の辺りにあったらしい。
- 紀貫之やら紀友則等でお馴染みの紀氏一族縁の神社。氏神なんだっけ?
- 正確に言うと日前神宮と國懸神宮の2つの神宮から成っている。
- 各神宮は左右に離れて鎮座しているのだが、社殿の建築様式から鳥居などの各レイアウトに至るまで全く同一。
- それゆえ、社殿前で記念撮影しても、どれがどれなのか一瞬では判別できない。
- 各神宮は左右に離れて鎮座しているのだが、社殿の建築様式から鳥居などの各レイアウトに至るまで全く同一。
淡嶋神社[編集 | ソースを編集]
- 加太にある人形が仰山祀られている神社。雛人形などの日本の人形以外も祀られている。
- 地下室があるらしく、そこでは、邪気が異様に強い人形を安置し地上との間に結界を張っているらしい。黄泉国の神話を思い出す。
- ひな人形をいっぱい木の船(模型サイズ)に乗せて雛流しをやる。近畿地方では3月の風物詩的にニュースになる。
- 参道を歩いて本殿のある右側に振り向くと数百体の人形と目があったりする。霊感はてんで持ってないけれどぞくっとした。
- 淡路島(の中に取り込まれた小島)で生まれた幻の神様第三号が流されてきて拾われたのがココ。
- つまり、おのころ島神社についで2番目の歴史を持つと言っても過言ではないということである。
- ご婦人方の病気にも御利益がある。境内には女性の下着もいっぱい奉納されている。だいたいのものビニール袋などにいれてあります。
- 午後9時以降は立ち入り禁止。人形の盗難防止か、もしや女性の下着の盗難防止か…?
- 女性の下着なんて、病気の方のものやねんから罰当たりな上に病によっては現実的にも感染とかの恐れがありそうに思うけれど。
伊太祁曽神社[編集 | ソースを編集]
- 日前宮を差し置いてまさかの紀伊国一宮。
- 差し置いてって、日前宮も一宮だけど…。
- 一宮が複数あるケースもある。
- 差し置いてって、日前宮も一宮だけど…。
- 林業の神様五十猛命を祀っている。流石は「木の国」と言われた紀州の神社だけのことはある。
- 神主が貴志川線に詳しく、昔の貴志川線の資料を持っている。
竈山神社[編集 | ソースを編集]
- 和歌山市和田
- 和歌山市内にある神社。イメージ的には免許を取りに行く途中に近くを通るなあという感じ。
- 和歌山県の免許の学科試験は昔から兵庫と並んで近畿では取りにくいと評判です。試験の前に是非お参りを。
- 出世魚みたいに社格が上がっているらしい。詳しいことはよく分からんけど。
- 神武天皇のお兄さんが河内で戦に敗れて負傷した後力尽きて埋葬された所。
- 近代社格制度発足時には村社だったが橿原神宮出来る前に官幣中社、のち官幣大社まで出世した。
- 村社から官幣大社まで大出世した神社はここだけ。
濱宮[編集 | ソースを編集]
- 日前宮は元々ここにあった。
- だから祀っている神様も一緒。
- 濱宮というに相応しく昔は美しい海岸だったのだろうなと思う。昔は……(懐古厨)
- 今や、目の前にポルトヨーロッパと住金の工場ではねえ。
和歌浦天満宮[編集 | ソースを編集]
- 林羅山が褒めたとか何とか。
- 道真が太宰府へ行く途中船待ちをやったとか…… 遠回りしてらっしゃりません?
- 石段がやけに危険な気がする。
- 急勾配なのに手すりは中央部にしかなく、しかも濡れると滑りやすそうな石でできている。
藤白神社[編集 | ソースを編集]
- 鈴木さん発祥の地。
- 境内に鈴木屋敷がある。
- その割に宮司は鈴木姓ではない。
- 鈴木姓の参拝者は、社務所で自分が鈴木であることを名乗り出るとイイコトがあるよ!
丹生都比売神社[編集 | ソースを編集]
- なんてったて世界遺産。
- 高野山さまさまである。
- 高野山の前の地主 。
- なので、高野山入りする前には、まずここへお参りして神様に挨拶することが慣わしだった。
- 「丹生」って地名は全国にあってこの神さんが祀られているけれど、おそらくその土地では朱色の塗料となる水銀が採れた、と思われる。
- 楼門がまず豪華。
- その楼門を通り過ぎ本殿へ行けばあら不思議、本殿が4つに分散しているという事実。
- その本殿は、春日造のものでは国内で一番大きいうえ、神仏習合の独特の装飾が細かく施されているので、見応えある。
- 第四殿の左には、行勝上人を祀った若宮も鎮座している。
- その楼門を通り過ぎ本殿へ行けばあら不思議、本殿が4つに分散しているという事実。
- 祭神の丹生都比売大神は農耕の神様。初め紀の川筋のどっかに降臨し、大和と紀伊に農耕技術を広め、今の場所に鎮座なさったとか。
- 神功皇后による三韓征伐の折に、武具を赤く(というか丹の色に)塗れと宣託し勝ちを収めさせたとか。
- 北条政子寄進の金剛琵琶がある。但し今は奈良国立博物館に寄託済み。
- 今でも高野山真言宗とはべったり。秋になると金剛峯寺の僧侶がやってきて神前で読経することになっている。
- 高野山で修行を終えた僧は、そのことを神様に伝えるためにお札を奉納する決まりがあり、本殿前にはそのお札をお供えするスペースが設置されている。
- コミュニティバスはあるが公共交通では存外行きにくい立地。
- 行楽シーズンになると、南海バスが橋本駅から臨時バスを走らせるけども、それでも本数は少ない。
- なおバスなどの大型車は、県道109号線(丹生酒殿神社方面)が狭くて通行不可なので、道幅の広い国道480号線(蟻通神社方面)を通らないと、神社へ行けない。
- 丹生酒殿神社から徒歩で参拝する猛者もいる。
- 行楽シーズンになると、南海バスが橋本駅から臨時バスを走らせるけども、それでも本数は少ない。
- 昔行われた渡御祭では、御輿を担いで山を降り、船で紀の川を下ったあとに玉津島神社(和歌山市)へ向かうという、大がかりなことをやっていた。
- その当時使われた2基の御輿は、収蔵庫に保管されている。
- 元寇の時、幕府から依頼されて祈祷しただけなのに、そのおかげで敵軍を撃退出来たとえらい崇拝され、紀伊国一宮にまでなった。
- 奉納された御神犬「すずひめ号」がいる。
- 毎月16日の決まった時間にしか境内にいない。
- なおこの16日に御朱印をお願いすると、すずひめ号の印も押してくれる。
- すずひめ号は白色の紀州犬なので、黒色の紀州犬もいればサマになるのだが、残念ながら紀州犬に黒い毛を持つ個体はいないのだそう。
- 毎月16日の決まった時間にしか境内にいない。
丹生酒殿神社[編集 | ソースを編集]
- かつらぎ町
- 境内社の鎌八幡宮の方が有名かと。
- 願い掛けの鎌が神木に刺さりまくってる光景は異様。
- そのせいで木が弱ってきてるので、最近では絵馬で願い掛けするようになった。
- 願い掛けの鎌が神木に刺さりまくってる光景は異様。
- 何気に境内に生えてるイチョウの木がデカい。
- まずここでお参りしてから、天野の丹生都比売神社まで徒歩で登山する猛者がいるらしい。
丹生官省符神社[編集 | ソースを編集]
- 慈尊院と繋がっている。
- どっちも同じ時期に弘法大師(空海)が創建したから。
- 明治の神仏分離で、社寺の間を塀で仕切られたりと、無理矢理引き離されることが多かったのに、手付かずでそのまま残っているのはかなり珍しい。
- 本殿は重要文化財であり、世界遺産の一部。
- 同じ神様を祀ってるからか、丹生都比売神社と造りが似ている。
- 境内のある場所に立つと高野山を拝める。
- 境内からは高野山に続く町石道が出ている。
隅田八幡神社[編集 | ソースを編集]
- 隅田八幡神社人物画像鏡とかいうのが在るというので有名らしいね。
闘鶏神社[編集 | ソースを編集]
- 湛増が源平いずれに就くかを鶏を闘わせて決めたことに由来する。
- それより前はなんて言うたんやろね?
- 位置的に熊野権現の門番的存在のイメージ。
- 門番と言うよりは別宮という感じ。湛増だって「熊野別当」の名を貰っていた。
- 南方熊楠の嫁さんがここの神社の娘さん。
- 弁慶の泣き所などのフレーズでよく知られた平安末期の僧兵、武蔵坊弁慶の実家。
- 1.の湛増は弁慶のパパ。
- 弁慶まつりと田辺祭という2つの祭りがある。
- 弁慶まつりは、神社のお祭りというよりイベント。弁慶ゲタ踊りや弁慶よさこい踊りに歴史や伝統はない。
- 田辺祭は戦国時代(16世紀)から続く闘鶏神社の例大祭。歴史を感じさせる。
- 実は、世界遺産。
- 「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産のひとつなんだけど、実は2016年に追加登録されたもので、元から登録されていたわけではない。
蟻通神社[編集 | ソースを編集]
- 田辺市
- 知恵の神様として地元では崇められている。
- 蟻通神社の由来は次のとおり。
- 外国から来た奴が、「オレの持っている法螺貝に穴を開けずに糸を通せなければ、日本はオレの国の領土にするアル」とか言う、無理難題を日本の神々にふっかけた。
- 神々が悩む中、一柱の若い神が、法螺貝に蜜を流し込み、更に糸をくくりつけた蟻にその蜜を辿らせたところ、その蟻は、蟻がかろうじて通れる程度の小さい穴を抜けてきた。
- これで、法螺貝に糸が通ったことから、それを先のガイジンに見せたところ、「日本は神の国だ。怖い怖い。」((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル とかヌカして逃げ帰ったそうな。
- この話を受けて、この知恵ある神をきちんと奉ろうではないかとして、神々が建てたのが蟻通神社らしい。
- 田辺市街にあるんだけど、街なかにある割には、境内の木々は立派。
- クスの大木があるが、安政時代の大火事に際しては、このクスが水を噴射しまくって街を守ったとか言われている。ホンマかいな……
珠簾神社[編集 | ソースを編集]
- 田辺市
- 田辺が産んだ狩野派絵師の真砂幽泉の絵画を所蔵している。
- 三栖王子に近い。
伊作田稲荷神社[編集 | ソースを編集]
- 田辺市
- すごいことに弘仁年間には、現在の地にあったらしい。
- 神社境内の林が、自然美豊か。南方熊楠も菌、粘菌の採集にちょくちょくやって来たそうな。
神倉神社[編集 | ソースを編集]
- 「新宮」の由来はこの神社がある時新築移転したからとかなんとか。
- 熊野本宮大社の出店的な存在と見られている熊野速玉大社を「本宮」との対比で「新宮」というのだと思っている人が意外といるという話題は、熊野地方ではあるあるネタの一つ。
- 松明持ってみんなで階段を駆け下りる。毎年2月の頭の話。
- 間近で見ると確かに迫力があるが、TVで見たほうが実はもっと迫力がある……
- 創建は西暦128年頃。「頃」ってなんやねん。
- 伝承ではもっと古く神武東征の時に遡るとか。どっちにしろ古い。