もし国鉄時代○○に鉄道管理局が置かれていたら

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函館鉄道管理局【函】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄路線は函館線函館~蕨岱間・砂原支線・藤城支線、室蘭線長万部~静狩間、松前線、江差線、瀬棚線。
  2. JR化後に支社移行していた。

青森鉄道管理局【青】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄エリアは東北本線目時以北、奥羽本線津軽湯の沢以北、五能線の大間越以北及び八戸線全線になっていた。
    • 大湊線も忘れないであげて下さい。
    • 津軽線もね。
  2. 701系青森色はりんごにちなみ、赤になっていた。
  3. 盛岡局→盛岡支社が存在しない可能性も。
  4. 青森駅を介して東北本線と奥羽本線を直通運転する列車が現実より多かった。
  5. 青函船舶管理局の略称は当初から「函」となっていた。

弘前鉄道管理局【弘】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄区間は奥羽本線津軽湯の沢~青森間、東北本線狩場沢~青森間、五能線川部~大間越間、黒石・津軽両線全区間。

八戸鉄道管理局【八】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄路線は東北本線奥中山~野辺地間、八戸線、久慈線、大湊線、大畑線。
  2. 局がJR化後支社となった場合八王子支社の略称は「王」になっていた。
  3. 大間線が全通青函トンネルが東ルートで開通していたかも。

山形鉄道管理局【形】[編集 | ソースを編集]

  1. 奥羽本線板谷~及位間、陸羽東・西線境田~新庄~高屋間、仙山線面白山~羽前千歳間、米坂線米沢~玉川口間、左沢・長井両線を管轄していた。

福島鉄道管理局【島】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄区間は東北本線白坂~貝田間、奥羽本線福島~赤岩間、磐越東・西線舞木~郡山~徳沢間、只見線会津若松~田子倉間、水郡線矢祭山~安積永盛間、川俣・日中・会津各線。
  2. 福知山局の略称は「知」だった。

郡山鉄道管理局【郡】[編集 | ソースを編集]

  1. 東北新幹線に「あさかの」(東京-郡山間)が設定されていた。
    • 栃木県内終着の列車まで「あさかの」を名乗ることに。
  2. 山形新幹線は仙山線を改軌して、東京-仙台-山形-新庄となっていた。
  3. 管轄区間は史実の仙台局→仙台支社管轄区間のうち福島県内と奥羽本線の米沢まで、それに史実で水戸の管轄になっている常磐線の平以北と磐越東線
    • 米坂線の仙台支社区間もこっちかな。
    • 水郡線常陸大子以北も(現実は安積永盛駅以外の全線が水戸支社管轄)。
    • 常磐線の全線復旧後、E531系が原ノ町まで進出することはなかった。
      • 701系・E721系のいわき乗り入れが復活していた。
  4. 仙台車両センターの受け持ち範囲南限は東北本線だと福島辺りまでで、黒磯~福島や磐越西線は郡山支社の車両基地に所属する電車が走っていた。

平鉄道管理局【平】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄は常磐線勿来~逢隈間、磐越東線平~三春間になっていた。

土浦鉄道管理局【土】[編集 | ソースを編集]

  1. 確実に参宮鉄道が国有化され1949年より前鹿島線が全通していた。
    • その場合水戸~鉾田間が「大洗線」となっていた。
    • 自局は常磐線佐貫~石岡間、成田線滑河~松岸間、総武本線飯倉~松岸間、上記の大洗線涸沼~鉾田間、鹿島線を管轄していた。

宇都宮鉄道管理局【宇】[編集 | ソースを編集]

  1. 東北本線のデッドセクションは(黒磯ではなく)白河だった。
    • 上野-白河間直通の普通電車列車が設定されていた。
      • 湘南新宿ラインにも熱海発白河行きがあった。
      • 東北新幹線開業後は同区間に185系特急も運行される。
        • もちろん新白河には停車しない(史実の「とちぎ」が那須塩原通過だったのと同様)。
      • 白河どころか、上野郡山の普通列車が運行されていた。
    • 宇都宮線の愛称は生まれなかったかも。
    • 東北新幹線の短距離区間に、東京⇔那須塩原はさほど設定されず、代わりに東京⇔郡山が多数設定されていた。
  2. 野岩鉄道は、今市-会津滝ノ原間を「国鉄野岩線」として建設されていた。
    • ところが結局3セク化され、現実の会津鉄道のように元JR線の癖にどこか東武臭のする会社になっていた。
      • それでも週末パスは利用できる。
  3. 両毛線が桐生あたりまでここの管轄になっていた。
  4. 足尾線の管轄を巡って、ここと高崎鉄道管理局との間でもめた。
    • 真岡線についても水戸鉄道管理局と揉める。ただし延長して烏山線とつながれば宇都宮の管轄で落着。
  5. 管轄する鉄道路線は、大まかに栃木県・福島県中通り南部会津地方
    • 福島県内の路線のうち、東北本線の郡山以南、磐越西線の野沢or会津若松~郡山、只見線の只見~会津若松が、宇都宮鉄道管理局のエリアになっていた。
      • 宇都宮と新潟の鉄道管理局が、合同で会津地方の観光キャンペーンを実施していた。
    • 水郡線磐越東線は、全線が水戸鉄道管理局のエリアになっていた。
  6. 烏山線は国鉄時代に電化される。
  7. 21世紀に茨城の「ときわ路パス」や群馬の「ぐんまワンデー(世界遺産)パス」に倣い、栃木県内の鉄道路線がほぼ乗り放題になるトクトクきっぷが発売される。

大宮鉄道管理局【宮】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄区間は現在のJR大宮支社の管轄区間+高崎線大宮-神保原、両毛線小山-桐生。
  2. 1969年の東京鉄道管理局分割以前にこの管理局があった場合、管理局の分離は中央線関連を東京西局に分離するのみとなる。
    • 東海道本線関係の南局分離も史実どおりにされたはず。
      • となると、常磐線の直流区間は?
        • 東京局直轄のままか、"東京東局"が設立されてそこに分離。
  3. JR化の際、一度東京圏運行本部に飲み込まれて支社格が完全に消滅していた。
  4. 小山電車区は建設されず,2020年現在も宇都宮運転所に電車が配置される。2004年頃に「宇都宮車両センター」に名称変更した。115系宇都宮車は東北本線上野-黒磯,高崎線,両毛線,日光線,烏山線で2010年代後半まで運用された。両毛線全線,日光線,烏山線に早くから211系,E231系,E233系,E235系が運用される。E231系・E233系・E235系付属編成はワンマン運転対応となる。
    • 115系は東北本線上野口で2004年までに消えるだろう(以降ローカル運用のみ)
    • 小金井で増解結が行われる以上、籠原や土浦のような留置線はできている。
      • 意外に両毛線への直通や小山での増解結が史実より多く行われていたかも。
  5. 烏山線の電化が国鉄時代に実現。

平塚鉄道管理局【塚】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄は東海道本線東戸塚~三島間、横浜線小淵~橋本間、根岸線港南台~大船間、御殿場線国府津~谷峨間、相模線、横須賀線、伊東線になっていた。

甲府鉄道管理局【甲】[編集 | ソースを編集]

  1. 中央本線高尾-小淵沢間はこの局の管轄になっていた。
  2. 身延線はJR東日本に所属していた。
    • 身延線との兼ね合いで民営化直前に東海道本線函南-富士間と御殿場線が静岡局から東京南局に移管されてJR東日本に承継される。
    • 横浜支社成立時に身延線の静岡県内が横浜支社に移管される。
      • 横浜から遠すぎるので「JR東日本沼津支社」とかが出来ていたかもしれない。この場合伊東線も沼津支社の管轄に。
    • 小海線も山梨県内は甲府局→甲府支社の管轄。
  3. 甲府運輸区は甲府電車区(甲コフ)になっていた。
    • 中央東線や身延線の電車はここに配置。
    • 特急「あずさ」「かいじ」に使用される車両もここに配置される。
    • 身延線車両は中央線甲府地区と共通運用になり、115系3両編成で運転される。123系は身延線には運用されない。
  4. 新宿直通の中距離電車が残っている。
    • 逆に通勤電車は全て高尾までで折り返し、甲府局→甲府支社管内には入らない。
    • 近郊タイプでスカ色帯のE231系orE233系が甲府に配備される。
      • ただ、八王子以東の混雑を考慮してロングシート車多めの構成になる。
    • 現実の中央特快の半数~1/3程度がトイレ付の近郊タイプ車で運転され、高尾以西に入る。
    • グリーン車は甲府所属の中電車両に史実より早く、2010年頃までには組み込まれたものの、豊田所属・オレンジ帯の通勤電車にグリーン車を組み込む計画は2018年時点でも出ていない。 
  5. 山梨県は関東地方に含まれていた。
  6. 民営化後に甲府局がそのまま支社になった場合、八王子支社は成立せず、多摩地域の大部分は現在も東京支社の管轄。
  7. Suica導入まで、中央線の東京近郊区間は高尾止まりだった可能性がある。
  8. 中央線のATOSは当初高尾までの導入、2000年代に入ってから甲府まで導入される。

直江津鉄道管理局【直】[編集 | ソースを編集]

  1. 北陸本線の内、富山-直江津間及び、大糸線全線はJR東日本管轄だった。
    • 大糸線は全線が直流電化。デッドセクションは富山駅手前に設けられる。
  2. 北陸新幹線は、東京-富山間がJR東日本の管轄になる。
  3. 新潟県内に本拠地を置く鉄道管理局が2つ存在していたことになる。
    • 直江津鉄道管理局のエリアは、旧柏崎県(中越上越)と長野県北部・東部。従って、長野には鉄道管理局が設置されない。
    • 新潟鉄道管理局のエリアは、新潟県1873年以前(下越)、山形県庄内、磐越西線会津若松以西。
    • 山梨県と長野県中部・南部は、塩尻鉄道管理局(或いは松本鉄道管理局かも)のエリアになっている。
  4. 現在の名称は「JR東日本上越支社」。
    • 上越新幹線がこの支社の管轄と勘違いされる。
    • 「直江津支社」になっていたか、民営化の時北陸本線を新潟、大糸線を長野(or松本)支社に分割していた。

松本鉄道管理局【松】[編集 | ソースを編集]

JR東日本に承継されていたら[編集 | ソースを編集]

いなし
伊那市
Inashi
しもじま
Shimojima
いなきた
Inakita
  1. 中央西線の内、塩尻-中津川間及び、飯田線の内、辰野-飯田間はJR東日本だった。
    • 名古屋発着の特急「しなの」の車両も松本局→JR東日本が用意。
    • 381系が東日本に承継されることになるが、なかなか代替の新型車が製造されない。
      • 現実の「あずさ」の車両じゃ駄目か?
      • 「あずさ」系と共通運用になるならともかく、そうでなければ東京に来ないため冷遇される。2010年代後半になってE257系かE351系が転用されてくる。
    • 普通列車は中津川で完全分離。
    • JR東日本はわずかに岐阜県内に路線を持っていたことになるのだろうか。
    • 新宿~名古屋の直通特急も運転されている。
    • 381系の置き換え車両は恐らくE257系となっている。
    • 史実の長野局も中央西線を持っていたのだが現在東海なのでこれはない。因みに飯田線は静岡局。
  2. 長野局が存在しない可能性がある。
  3. 小淵沢駅構内は東京西局→八王子ではなくここが管轄し、小海線も小諸駅構内を除く全線松本管内に。

JR東海に承継されていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 松本周辺がJR東海に所属した可能性もある。
    • 松本局がJR東海に承継された場合、中央線の普通列車の殆どが小淵沢駅で分断される。特急も「かいじ」の大部分が小淵沢まで行く代わりに、「あずさ」の本数が現実より少なくなっていそうだ。この場合小淵沢構内は東日本(八王子)管轄か。
    • むしろ小淵沢〜塩尻間は民営化直前に東京西局に移管されJR東日本に承継。
      • 当然小海線もJR東日本。
  2. 大糸線も電化区間はJR東海だった。
  3. 篠ノ井線は全線JR東海に。
  4. 「長野と松本の仲の悪さの象徴」として語られる。

浜松鉄道管理局【浜】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄路線は東海道本線島田以西〜岡崎以東、飯田線全線、二俣線。
  2. JR東海に承継されたのは変わらないが、代わりに静岡局がJR東日本に承継された可能性がある。
    • この場合境界駅は島田になる。
    • 島田〜富士間が民営化直前にこの局に移管されJR東海になった可能性もなくはない。

大垣鉄道管理局【垣】[編集 | ソースを編集]

  1. 高山本線は全線JR東海に。
  2. 東海道本線は米原で完全分離。
  3. 高山本線の岐阜~美濃太田、太多線は電化していた。
    • 岐阜~美濃太田は複線になっていた。
  4. 名古屋から近いため、おそらく民営化後に支社格が消滅している。

亀山鉄道管理局【亀】[編集 | ソースを編集]

JR東海に承継されていたら[編集 | ソースを編集]

くさつ
草津
Kusatsu

(滋賀県草津市) てはら
Tehara
  1. 関西本線全線・紀勢東線・参宮線は電化されていた。
    • 伊勢線も国鉄時代に電化され、第三セクター伊勢鉄道への転換もなかった。
    • 急行「かすが」は311系で運行されている。
  2. 関西本線は木津手前までここの管轄となり、亀山-木津間もJR東海に承継される。
    • 草津線も同様。2011年現在313系が運用されている。
      • 南びわ湖駅の計画にも影響していた。
      • 313系が京都駅に乗り入れている。
      • 流石に草津線のみ民営化直前に大阪局に移されている。
  3. 関西本線木津~柘植、草津線は大阪近郊区間に入らなかった。あるいは民営化時に除外される。
  4. 天王寺局は設置されなかった。

JR西日本に承継されていたら[編集 | ソースを編集]

  1. この管理局もJR東海ではなくJR西日本に承継された可能性もある。
    • この場合関西本線系は全てJR西日本だったかもしれない。
      • 名古屋〜桑名あたりは国鉄時代名古屋局(→JR東海)だが、民営化直前になって亀山局に移管。
      • 大都市の中心駅にJR在来線の境界駅が置かれたケースはないから、さすがにこの場合でも桑名手前あたりまではJR東海が所管していたと思われる。

津鉄道管理局【津】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄路線は関西本線長島~加太間、紀勢本線亀山~大内山間、伊勢線、名松線、参宮線に。
  2. 伊勢線はJRに継承されていた。

富山鉄道管理局【富】[編集 | ソースを編集]

  1. 北陸本線石動~越中宮崎間、高山本線飛騨金山以北、富山港・神岡・新湊・氷見・城端各線を管轄していた。

福井鉄道管理局【井】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄は北陸線新疋田~牛ノ谷・敦賀~敦賀港間、小浜線敦賀~青郷間、柳ヶ瀬線刀根~敦賀間、三国線、越美北線。

京都鉄道管理局【京】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄区間は東海道本線米原~山崎、山陰本線京都~綾部、奈良線、関西本線木津~亀山、草津線、湖西線、北陸本線米原~近江塩津。
    • 民営化直前まで東海道本線柏原~米原もここの管轄だったが、米原駅手前まで名古屋局に移管されてJR東海に承継。この名残で柏原~米原は大阪近郊区間に残る。
  2. 北陸本線の滋賀県内は早い段階で直流電化に転換されていたか、当初から直流で電化されていた。
  3. 湖西線は当初から全線直流電化で建設されている。
  4. 米原駅は元々京都局管轄で、国鉄時代にも大阪圏の列車が彦根駅で折り返すようなことはなかった。
    • その代わり北陸本線の近江塩津まで行く列車が多く,2000年代まで柏原まで行く列車も多かった。名古屋方面から関ヶ原まで行く列車も少なくない。
  5. おそらく「JR西日本近畿統括本部」は存在していない。
    • あるいは民営化時に一度近畿圏運行本部→本社直轄となっていた。
  6. 山陰本線京都-嵯峨,奈良線,関西本線奈良-亀山,草津線は1978年までに電化。円町駅は京都市電全廃の翌日に開業。山陰本線嵯峨-城崎間,片町線木津-長尾間も1986年までに電化。山陰本線京都-福知山間,奈良線全線,関西本線湊町-木津間は全線複線化された。京都駅の山陰本線の配線は複線化時に改良済み。その代わり福知山線の電化・複線化が後回しされた。
    • 福知山線は'90年代に全線電化だろう。
  7. 113系700代・2700代は存在せず,115系300代・1000代が向日町運転所に配置された。京都局内の路線に急勾配・寒地区間が存在するため。多くが2000年代に山陽地方に転属する。
  8. 草津線に一部の新快速が直通。
  9. 天王寺鉄道管理局は設置されなかった。
    • その場合は片町線の木津~長尾間も管轄。

姫路鉄道管理局【姫】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄エリアは山陽本線西明石~上郡間・姫新線姫路~上月間・赤穂線の相生~備前福河間・播但線・加古川線・北条線・三木線・高砂線・鍛冶屋線全線となっていた。
  2. 姫新線の姫路~佐用(あるいは上月)と播但線の姫路~寺前間は国鉄時代に全線電化されていた。
  3. 新快速は国鉄時代は西明石折り返しで姫路延長は民営化後になっていた。
    • 神戸~姫路間の輸送では山陽電鉄が有利になっていた。
  4. 智頭急行線は国鉄の路線として開通していた。
    • 智頭線が↑で開通した場合,のちに電化が検討される。播但線の寺前-和田山間も追うように。
  5. 網干総合車両所は発足せず、鷹取工場が今も存続しているか明石・宮原・高槻・京都・野洲・米原の何れかが総合車両所化していた。
  6. 民営化後も支社格が残っていた場合、大久保以西のICOCA導入が若干遅れていた。

和歌山鉄道管理局【和】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄路線は阪和線浅香~和歌山・鳳~東羽衣間、紀勢本線和歌山~紀伊長島間、関西本線三郷~奈良間、和歌山線、桜井線となっていた。
    • 紀勢本線和歌山市~和歌山間を忘れずに。
  2. 天王寺鉄道管理局は設置されなかった。
  3. 五新線は1970年代に全通していた。
  4. 紀勢本線の和歌山~紀伊田辺間は1971年の黒潮国体に合わせ電化、同時に天王寺~和歌山~紀伊田辺間に1時間1本の新快速が登場した(和歌山以南は各駅に停車)。
    • 続いて、紀勢本線紀伊田辺~新宮間と和歌山線(全線)と桜井線は、遅くても1979年までに電化された。
  5. 阪和線は遅くとも関西空港線開業までに日根野以北は大阪支社に移管されていたと思われる。

鳥取鉄道管理局【取】[編集 | ソースを編集]

  1. 智頭線は国鉄時代に完成して、しかも山陰本線とともに電化されていた。
    • 勿論現在でもJR。
  2. ブルートレイン「出雲」は智頭線経由で運行されていた。
    • そのルートを経由すれば大阪に停められるから、その分そっちの方が便利だろうな。今でも2往復走ってたかも?
  3. 米子局→米子支社はおそらく存在しない。
    • 山陰本線は松江or出雲市以西が広島の管轄になっていた?

江津鉄道管理局【江】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄区間は山陰本線安来~飯浦間、木次線宍道~出雲坂根間、三江線江津~作木口間、山口線津和野~益田間、大社線全線。

福山鉄道管理局【山】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄路線は山陽本線庭瀬~糸崎間、吉備線備前一宮~総社間、姫新線刑部~新見間、伯備線倉敷~新郷間、芸備線塩町~備中神代間、木次線三井野原~備後落合間、福塩線。

小郡鉄道管理局【小】[編集 | ソースを編集]

  1. 山陽本線岩国~下関間、山口線小郡~船平山間、山陰線江崎~幡生・長門市~仙崎間、岩日・岩徳・宇部・小野田・美祢各線を管轄していた。

下関鉄道管理局【関】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄エリアは徳山以西の山陽本線と山口線・宇部線・小野田線・美祢線・山陰本線益田以西となっていた。
  2. 山陽本線は徳山以西が交流電化になっていたかもしれない。
    • この場合宇部・小野田線が直流電化で残る。
    • 関門トンネルの交流化が難しいらしいから山陽本線は直流のままでは。
  3. 民営化に際しては本州にも関わらずJR九州管轄になっていた。
    • しかし、その場合でも電車は415系鋼製車が集められ、現実通りJR西日本が管轄していた場合とたいして変わらない。
    • JR西日本管轄になっていた場合、支社が山口辺りに移転していた。
  4. 山口県西部から九州への直通電車が現実より多く運転されていた。
    • 気動車や客車も忘れずに。
  5. 広島局→広島支社の管轄範囲がもう少し東寄りまで延びる。山陽本線は広島県内全域が広島支社管轄(現実には糸崎以東が岡山管轄)。
  6. KATOの車両に「関スイ」という所属標記が書かれなかった。
    • KATO本社の辺りは東京西局の管轄エリアになっていたため、「西セキ」か「西カト」になっていた。

鳥栖鉄道管理局【栖】[編集 | ソースを編集]

  1. ブルートレイン「あさかぜ」及び、山陽新幹線の終着駅は鳥栖になっていた。
  2. 久大本線は電化されていた。
  3. 熊本局が存在したかどうか微妙。
  4. 鳥栖スタジアムは建設されず、PJMフューチャーズは別の場所でJリーグ参入を目指した。
    • 本ミフ本チク本カラは間違いなく「栖ミフ」・「栖チク」・「栖カラ」と呼ばれているだろう。

久留米鉄道管理局【久】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄は鹿児島本線基山~大牟田間、長崎本線鳥栖~肥前大浦間、佐世保線肥前山口~有田間、久大本線久留米~筑後大石間、松浦線浦ノ崎~有田間、筑肥線浜崎~唐津・山本~伊万里間、甘木・佐賀・唐津各線。
  2. 久大本線の久留米~筑後大石間は電化されていた可能性も。

行橋鉄道管理局【行】[編集 | ソースを編集]

  1. 管轄路線は鹿児島線西小倉以東、日豊本線西屋敷以北、日田彦山線宝珠山以北、伊田線赤池以南、後藤寺線船尾以東、上山田線東川崎以東、田川線、糸田線、添田線。
  2. 少なくとも田川線はJRのままだったかも。

長崎鉄道管理局【崎】[編集 | ソースを編集]

  1. 長崎本線、佐世保線、大村線、松浦線(のちの松浦鉄道)、唐津線を管轄していた。
  2. 喜々津~浦上間の浦上新線の開通が史実よりも早まっていた。
    • 長崎本線・佐世保線の電化が1975年3月に実現していた。
  3. 九州旅客鉄道長崎支社に引き継がれるのは史実通りか。