平群町

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平群町の噂[編集 | ソースを編集]

関連項目
  1. 平群(へぐり)町は凶悪事件に加え、某おばさんがいたことで妙な悪名が全国的に広まった。
    • 実際は犯罪がものすごく少ない町である。
    • 1993年にゴルフ場の建設をめぐって住民と何かの団体が抗争していた。
      • そのゴルフ場も一族の事情によって売却を余儀なくされ、今はツーバイ・フォー住宅の立ち並ぶ、団地と変貌している。
  2. 平群町の吉新(よししん)は、吉田と新家の合成地名だが、志賀直哉(だった筈)に「安直すぎる」と嗤われた。
    • ってか合成地名そのものが基本的には嫌われる。
      • てか、昭和の大合併で全国的に合成地名が乱発されている。
        • 平成の大合併時にも、「西和市」という名前になる予定だった。しかし合併の話そのものがお流れになり、「西和市」なんて雑な名前にならなくて、斑鳩市の住民も含めてホッとしているようないないような。
      • 奈良県内の合成地名は他に「山添村」(山辺+添上)・「篠楽(宇陀市)」(篠野+極楽寺)・「宗桧(五條西吉野)」(宗川野+桧川迫)・「野迫川村」(野川+迫+川並)など。
    • 訂正、幸田露伴でした。「馬鹿げたる名を呼べる」と散々。
  3. 平群町民は周りの住民にヘグラーと呼ばれる。
  4. 椣原は読めない。
    • シデハラと読みます。
      • ついでにいうと「椹原」も「櫟原」も読みにくい。
      • 「平群」そのものが難読地名である。
  5. 付近一帯は「ちはやぶる神代も聞かず龍田川唐紅に水くくるとは---在原業平」の一首で有名な竜田川流域である。
    • 「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる大和しうるはし 命の全けむ人は たたみこも 平群の山の熊樫が葉を うずに挿せ その子」日本武尊の国偲びの歌にも平群の名が出る。くまがしは町のマラソン大会の名前にも。
  6. 日本最高品質の種無し葡萄が産直価格で入手できる。
    • 地元民は竜田川駅前の坂を上りきったところの葡萄農園でも買う。
  7. 「道の駅」の野菜の品質は特筆もの。
  8. 地元で有名な豪族が最近急激に勢力を弱めた。
  9. 山を隔てて法隆寺の真裏。
  10. 王寺町に抜ける秘密の山道がある。
    • 八尾市に抜ける秘密の山道もある。
  11. 浦和の都築龍太は平群出身。
  12. 天気がよいと明日香村の橘あたりの丘が見える。Googleの地図で分かった。
    • 空気が澄んでいるときには、大台ケ原の冠雪もよくみえる。
  13. 生駒や王寺を向いているが、王寺に西和署が出来る前は郡山署管内だった。
  14. 最近、デカくて安い平群駅と「道の駅」の間のバイパス沿いに出来たせいで、万代がつぶれて町内の商業地図に変化が出てきて、Aコープも多少ピンチらしい。
  15. 鳴川峠の手前、生駒山地の深いところに、千光寺という古刹がある。元山上の異名を取る。
    • 役行者が開山したと伝わる修行の地だったとか。
      • 役行者は大峰山で大峯山寺を開くまで、ここを拠点に修験者として研鑽に励んでいたんだとか。そんなわけで「元・(大峰)山上」→「元山上」と呼ばれるようになった。
    • 元山上口から瓢箪山or枚岡までのハイキングコース途中の観光スポットとして、そこそこ親しまれている。因みに元山上口の駅名は元山上千光寺の最寄りだということによる。
  16. 武烈天皇の彼女(物部麁鹿火の娘)を寝取ったマグロ男が居た。
    • 死後、武烈なんて諱号を贈られるくらいの帝相手に、そんなことをしたがために、このマグロ男は一族郎党とともに殺される。
      • 因みに討伐軍を率いたのは、後に任那四県割譲で売国奴と避難されたあの大伴金村。
    • マグロのパパはマグロではなく鳥だったらしい。どんな家系やねん。
  17. ここがなんらかの形で市になった場合、大阪市の隣の隣からも郡部が消滅することになる。
  18. 引っ越し-!!引っ越し-!!さ-っさ-と-引っ越し-!!(しばくぞ-!!)
    • (↑)こいつで有名になった。
  19. 1971年1月31日までは生駒郡平群村だった。

信貴山エリア[編集 | ソースを編集]

信貴山と言えば張り子の虎
  1. 戦国時代、「この茶釜は良い茶釜だぁぁ〜!!」と言って茶釜もろとも爆死した松永久秀の居城・信貴山城跡がある。(一部某アニメのセリフを流用)
  2. 巨大な張り子の寅と信貴山縁起で有名な朝護孫子寺がある。
    • しかし殆どの人は大阪のお寺だと思い込んでいる。
    • 境内がめちゃめちゃ広い。特に空鉢護法堂は信貴山の山頂にある為、行って帰って来るだけでも一苦労。
      • 奥の院は本堂のある辺りからさらに2km位離れているらしい…。
      • 観光客は大抵張り子の寅と本堂だけを見て帰る。
    • 某同人ゲームの影響で、このお寺でも最近痛絵馬が目につくようになってきた。
      • 「三寅の福・胎内くぐり」の中に星ちゃんの絵馬なんか吊ったのは誰ですか;。
  3. 朝護孫子寺には善光寺と同じようなお戒壇巡りがある。真っ暗な地下の回廊を廻るやつ。
    • これのことを「胎内くぐり」って言うのだと思っていました。
    • 同じようなものは京都の清水寺にもあります。
    • 朝護孫子寺って平群町だっけ?隣の三郷町だと思っていたが。
      • 信貴山朝護孫子寺は平群町大字信貴山だが、信貴山の山上に広がる門前町は三郷町にもまたがる。
      • 因みに信貴山バス停・信貴山門バス停(かつてはともに鉄道駅だった)はどちらも三郷町にある。
  4. 仁王門を出て王寺方面に向かう信貴山バス停までの間の参道に「アベノ日本一」というラーメン店がある。
    • 信貴山なのにアベノ?と思うが元々はその名の通り大阪市阿倍野区にあったらしい。
    • 信貴山バス停の待合所は実は廃止された近鉄東信貴鋼索線の信貴山駅の駅舎をそのまま使ったものである。
      • そのためか建物内部には古びた近鉄沿線の案内図がある。

古墳の街・平群[編集 | ソースを編集]

  1. 聖徳太子の孫と言い伝えられている古墳がある。
    • 実はただの(失敬)平群氏の古墳。
      • 石室は巨石を組み合わせて出来ている。
        • 山岸凉子『日出処の天子』で扱いがショボイ豪族の地。
          • というか時すでに彼らの時代ではなかった。
    • 墳墓頂上部は展望台になっていて平群谷一帯を見渡せる。
    • 町内には計64基の古墳が散在している。
  2. そごうを呪いで経営不振に追い込んだと言い伝えられる長屋王の墓がある。