もし三陸が1つの県だったら

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  • 現実の宮城県気仙沼以北と、岩手県の三陸沿岸が融合して、一つの県になっていたら。

全般[編集 | ソースを編集]

閉伊県
  1. 宮古が県庁所在地で「閉伊県」か、釜石が県庁所在地で「釜石県」になっている。
    • 川井村は宮古市に編入されず、独立を保っていた。
    • 距離を考慮すると、宮古が県庁所在地になっていると思われる。この場合、「北の拠点の久慈、行政の宮古、工業の釜石、南の拠点で漁港の気仙沼」みたいな位置づけが為されている。
  2. 三陸が独立した行政区域になるため、現実と違って、内陸部の県庁から冷遇されることは起こらなかった。
    • 三陸沿岸と平泉が別の県になる為、平泉の社寺を世界遺産に登録しようという運動は起こらなかった。
    • 東日本大震災で被災した沿岸住民が北上盆地(盛岡、黒沢尻など)に移住する例は、現実よりもっと少なかった。その代わり、閉伊県庁が提案する復興支援策として、沿岸市町村の内陸部や、国道340号沿線の要衝(遠野、川井など)での宅地開発が進められていた。
  3. 「鴎の卵」が、閉伊県の名物菓子になっている。
  4. リアス式海岸なので、鹿嶋や小名浜のような大型コンビナートは建設されなかった。
    • 高度成長期の工業化は、史実の富山県のような方式で実施されていた。平たく言うと、1945年以前の伝統産業と、1945年以後の重工業が融和されているような方式。
  5. 第二次大戦前の国立高専として、釜石高等工業学校と宮古高等商業学校が存在した。これらは、第二次大戦後の学制改革により合併され、「閉伊大学」となっている。
    • 「閉伊大学」には、海洋工学に関する学部も設置されている。
      • 勿論、海洋科学部には、水産研究所も設置されている。(正式名が「三陸水産研究所」になっているかも。)
    • 宮古キャンパスには一県一医大構想で医学部も新設され、史実よりも医療過疎が改善されていた。
      • 法文系学部と医学部が宮古キャンパスに立地し、理工系学部が釜石キャンパスに立地している。
    • 平成に入って「閉伊県立大学」が設立され、看護学部のほか遠野キャンパスに全国的にも珍しい民俗学部が立地していた。
    • あまちゃんで有名になった『南部ダイバー』が、閉伊大学の寮歌として歌われている。
    • 高度成長期に設立された国立工業高専の所在地は、久慈など県北部(九戸郡)のどこか、或いは大船渡や気仙沼など県南部(気仙郡)のどこかになっていた。
    • 「三陸復興推進機構」は閉伊大学に設置され、岩手大学には設置されない。
      • 本部は宮古キャンパスに置かれているが、活動部隊は宮古と釜石の両キャンパスに配置されている。
  6. 「北東北広域連携推進協議会」には、言うまでもなく閉伊県も加入していた。
    • 閉伊県・岩手県・秋田県の当局は、「国道46号の改良を!」「宮秋自動車道の早期全通を!」という利害で一致し、日本政府に働き掛けを実行していた。
    • 太平洋沿岸の動きとして、閉伊県庁と青森県庁は、国道6号(三陸沿岸も含まれて八戸まで延ばされている)の改良予算の拡充や、三陸自動車道の延伸または早期全通を、日本政府に要望していた。
  7. 岩手県は東北地方では唯一の内陸県となっていた。
    • 閉伊県の分がないので最も広い「県」は福島になっていて、三陸や遠野の観光地がない分影が薄くなっている。
  8. 県域地方銀行として、「三陸銀行」と「閉伊銀行」が存在する。
    • 「閉伊銀行」が第二次大戦前から存在する閉伊県下最大の地銀で、「三陸銀行」は第二次大戦後に設立された地銀。
    • 閉伊県外に立地する「閉伊銀行」の支店所在地は、石巻仙台、八戸、青森盛岡の計5都市。
  9. 高校スポーツ界では、釜石高校、宮古高校、宮古工業高校の3校が、花園の常連校になっていた。
    • 京都府(山城地方)と列んで、日本有数の「ラグビー王国」と呼ばれている可能性が高い。
      • 新日鉄釜石(後身の釜石シーウェーブスRFC)の躍進は勿論だが、気仙沼の鹿折少年ラグビースクールも、史実以上に注目されていただろう。
      • プロ・アマ・学生(高校など)を問わず、閉伊県を舞台にしたラグビー漫画が制作されたかも。
        • 閉伊県の高校を舞台にしたラグビー漫画の場合、近隣県(主に岩手県秋田県宮城県)への遠征がストーリーで描かれているだろう。
    • 甲子園では、大船渡高校か閉伊県立高田高校が常連になっていた。
      • 私立では気仙沼の東陵高校が常連に。
    • 当然、花園の常連校には、釜石工業高校も加わっている。
    • 宮古や釜石に作られた私立高校が県外からの留学生を集めてスポーツ強豪校になっていた。
      • 「石巻専修大学」や「専修大学北上高校」はなく、「閉伊専修大学」と「専修大学釜石高校」が存在した。
        • 1980年代後半に、大学の無い宮城県三陸側で私立大学誘致運動が起こった経緯を見たら、専修大学の分校が石巻に建てられるのは史実通りでは?その代わり、別の私立大学が閉伊県に進出した可能性が高いと思う。
    • 国立の常連校は、遠野高校の外に釜石工業高校も加わっているだろう。
      • 大船渡高校も。
        • そうだった。遠野高校と大船渡高校が、国立の常連となる二強だね。
    • 閉伊県庁が設立する水産高校の所在地は、大船渡陸前高田、気仙沼など県南部のどこかになっているだろう。
  10. 昭和初期の大地震では閉伊県庁も津波被害を受けた。
    • それを教訓に、県庁はかなり内陸部に移転していた。
      • 閉伊県庁の移転先は、花原市駅が最寄り駅になっているだろう。
        • 否、千徳駅(宮古駅から5km山側)が最寄り駅になっているだろう。花原市駅だと中心部からやたら遠い。
  11. 観光では、海の幸をテーマにしたグルメバトルが名物イベントになっている。
    • 山側の観光地としては、遠野や龍泉洞が定番。
    • 全国規模で展開するご当地グッズ(ご当地ハローキティ、ご当地ショボーンなど)の閉伊県版は、座敷わらし(遠野)、干しアワビ(大船渡)、フカヒレ(気仙沼)が常連になっている。
    • 観光キャッチフレーズとして、「Hey!いいとこだぜ!」など。
  12. 県の出先機関などの地域区分は北から「九戸」「宮古(下閉伊)」「釜石遠野(上閉伊)」「県南(気仙・気仙沼)」の4つ。
  13. 右上の地図だと、旧本吉町は閉伊県に含まれていない…そして旧気仙沼市・旧唐桑町は気仙郡ではなく本吉郡なので、本吉郡が分断されていることになる。
    • 旧本吉町は平成の大合併で生活圏が近い気仙沼市に越県合併か、志津川町・歌津町とともに合併して本吉市になっていた(この世界では三陸=閉伊県のイメージが定着しすぎて南三陸という名称は付けにくいと思われるため)。
    • 史実では、同じ気仙郡だった気仙沼と大船渡が明治政府によって別の県にされた為に、気仙沼が宮城県本吉郡に入れられたんじゃなかったっけ?
  14. 平地が極端に少ないため、県庁所在地で人口集中する宮古市or釜石市には人口の割に高層マンションやオフィスビルが林立していた。
  15. 2012年の東北魂祭は閉伊県で開催され、宮古の船山車&手踊りか、釜石の虎舞が参戦していた。
    • 岩手県の開催は2014年以降になっていた。
    • 閉伊県に加えて磐前県も存続していたら、2012年が閉伊県、2013年が磐前県、2014年が宮城県という順番になっていた。
      • 閉伊県と磐前県の両方が存続していたら、「東北」じゃなくて「三陸常磐」か「日本東海岸」という名称になっていたかもしれない。この場合には、茨城県千葉県が含まれ、岩手県・福島県・青森県・秋田県・山形県は外されていた。
        • 「日本東海岸」であれば、青森県も含まれている。「三陸常磐」だと、青森県が含まれるか外されるかは未知数。
        • この場合、2013年の選抜高校野球における特別枠は、「東北絆枠」ではなく、「東海岸絆枠」が設置された。
        • 「東北」ではなく「東海岸」と称される事や、太平洋沿岸が全て独立した県になる事による好影響も大きいだろう。この場合の「東海岸」は青森県・閉伊県・宮城県・磐前県・茨城県・千葉県の6県になるが、娯楽でも行政でも、同じ「東海岸」「太平洋沿岸県」同士としての結束は強くなっていただろうし;何より茨城県と千葉県が3/11巨大地震で放置され、本来盆地である岩手県と福島県が沿岸(閉伊県と磐前県)に下るべき恩恵を横取りするということは起こらなかった。
    • 2012年7月23日のプロ野球オールスターゲームは、盛岡ではなく宮古のスタジアム(閉伊県営)が会場になっていた。
      • 2011年のプロ野球オールスターゲームの会場に、3/11巨大地震を食らった宮城県(仙台・楽天の本拠地)と千葉県(幕張・ロッテの本拠地)が選ばれたことを考えると、2012年は閉伊県(宮古)と茨城県(水戸)のスタジアムが会場になって、2013年は磐前県()のスタジアムと松山坊ちゃんスタジアム(愛媛県松山は史実では2012年に開催)が会場になっていた。
        • 各球団の本拠地開催分はそのまま残るので、12年は京セラドーム大阪・松山・閉伊県営野球場、13年は札幌ドーム・神宮球場・いわ「さ」きグリーンスタジアム(史実通り湯本にある)だと思う。
  16. 関東以北では唯一人口100万人を超えたことがない県になっていたかもしれない。
    • 意外と史実より人口が増えていたかもしれない。
    • 閉伊県の人口は、131326年=2000A年前後で概ね2×67人(六進表記で20,000,000人、十進表記で559,872人)程度になっていた(史実の4/3に増える)。
  17. 三陸県と誤解されていた。
  18. 「閉伊県は岩手県に編入すれば良い」という意見が多く出ていた。
    • それは無い。「盆地連中に冷遇されてたまるか」「沿岸は沿岸単独で自治を貫け」という意見の方が多数だろうし、そもそも三陸沿岸は、山越えしなきゃ行けない北上盆地に背を向けているだろう?沿岸である茨城県や浜通り(旧磐前県)が、内陸盆地である栃木県や中通り(福島県1876年以前)に背を向けてるのと同じく。
  19. 岩手県と良いライバル県になっていたかもしれない。
  20. 関東と例えると茨城県か?
    • 鉱山町→企業城下町の例として、三陸沿岸の釜石(鉄山→新日鉄)と常磐沿岸の助川(銅山→日立)が対比される可能性は有るかもしれない。
  21. 宮古空襲は史実よりも被害が大きかった。
    • 久慈や気仙沼も空襲されていた。
      • 寧ろ艦砲射撃を被ったのでは?史実では軍需工場が多かった釜石が艦砲射撃を被ったし。
  22. 最近までは「何もない県」の一つとしてバカにされていた。
    • そうかな?逆に「海の幸が豊富な県」の一つとして慕われていたのでは?
  23. 1871年の時点であった場合は、岩手県や一関県はかなり狭い県だった。
  24. 宮城県海沿いも県として一つの県として成立していた可能性がある。
    • まあ、多分合併されているだろうけど。
  25. chakurikiで閉伊県の噂が盛り上がっていた。
  26. 閉伊県のシンボルとして、海猫が閉伊県の県鳥となり、松が閉伊県の県樹になっていた。
  27. 国政選挙における閉伊県の区割りは、中選挙区制では計2区、小選挙区制では計3区に分かれていた。
    • 中選挙区制での区割り:閉伊1区…山田以北。閉伊2区…大槌以南。
    • 小選挙区制での区割り:閉伊1区…宮古~大槌。閉伊2区…岩泉以北。閉伊3区…釜石以南。
      • 2017年の区割り変更で、中選挙区制と同じ計2区に復されているかも。
    • 勿論、国政選挙では、各党首は閉伊県でも街頭演説を実施していた。
      • 東日本大震災後に実施された街頭演説では、与野党を問わず「閉伊の復興」というフレーズが飛び交っていた。
  28. バブル景気の時期には、閉伊県庁主催の海洋博覧会が開催された。
    • この海洋博覧会の用地は、改修されて海浜公園になっていた。
  29. 久慈市民の休日の買い物スポットは八戸派と宮古派に二分される。
  30. 閉伊県選出の有力国会議員としては、冷戦時代が鈴木善幸、冷戦後が小野寺五典。
  31. もし数が六進法だったら、十八(18)は「三六」(30)という命数法になるので、閉伊県の住民・行政・観光関係者にとって、十八すなわち三六は重要な数になっていただろう。
    • この場合、長崎の地銀が「三六銀行」(Thrixth Bank)、閉伊県の地銀が「三陸銀行」(Sanriku Bank)という名称になる。

交通[編集 | ソースを編集]

  1. 宮古が県庁所在地の場合、国道46号は宮古~盛岡秋田のルートになっていた。
    • この場合、東西連絡高速道路が開通した場合も、宮古~盛岡~秋田のルートで開通している。
      • 宮古~秋田の東西連絡高速道路は、「宮秋自動車道」という名称になっていただろう。
        • きゅうしゅう自動車道?
          • 「宮秋」の読みは「ぐうしゅう」になると思う。
      • 秋田以北の日本海沿岸を走る高速道路は、日本海東北自動車道(or出羽自動車道)鶴岡新潟方面からそのまま延伸されていた。
      • 中越下越が同じ県なら、宮秋自動車道の盛岡~秋田が1997年に開通した。逆に、中越と下越が別の県なら、宮秋自動車道の盛岡~秋田の開通は2000年代で、日本海沿岸も秋田以北ではなく秋田以南(新潟~鶴岡~秋田)が先に開通した。
      • 宮秋自動車道の宮古~盛岡の区間は、2002年に区界峠~盛岡が開通し、2007年に宮古~茂市が開通した。
        • 宮秋自動車道の全線開通は2019年6月22日。このうち、盛岡~秋田が2015年9月12日の開通で、宮古~盛岡が2019年6月22日の開通。
      • 同じく、宮秋自動車道の秋田~盛岡の開通が優先し、湯沢横手道路は建設されないか開通が劣後していた。
      • 釜石~花巻、黒沢尻~横手、登米~栗原の高速道路は建設されない。もし建設されるとしても気仙沼~一関、久慈~二戸、石巻~古川のどれかで、開通も三陸自動車道より劣後していた。
    • この外の山越え連絡国道のルートも、史実とかなり異なっていた。
      • 国道104号は久慈二戸大館のルートになり、国道107号は釜石~黒沢尻~横手~本荘のルートになっていた。気仙沼~一関~羽後湯沢~象潟のルートも一本の国道になり、こちらが国道108号になっていた。これら3本が、閉伊県内における1952年~1965年の二級国道。
  2. 三陸沿岸の鉄道路線の錯綜が起こらなかった。
    • 国鉄時代に、仙台~石巻~気仙沼~宮古~八戸のルートで、「三陸本線」が開通していた。
      • 三陸本線の特急列車として、「うみねこ号」「とど号」が走っている。
      • 東北新幹線開業後は宮古が県庁所在地の場合は山田線が、釜石が県庁所在地の場合は釜石線が改良され、新幹線に接続する特急列車が運行されていた。
        • そもそも山田線ではなく「宮古線」になっていた。
        • 電化されてのちにミニ新幹線が走っていたかもしれない。
          • もしミニ新幹線の「宮古新幹線」が導入されるなら、2000年代前半。(秋田新幹線の開業が1997年3月22日で、その動向を見ると思われるので。)
      • 東北新幹線開業前には、常磐線と三陸本線を経由して上野(東京)と八戸を結ぶ「日本東海岸縦断特急」が運行されていた。
        • 湘南新宿ラインみたいに、三陸本線から常磐線に直接乗り入れする普通列車が運行されているかも。
          • 三陸本線と常磐線が相互乗り入れしたら、宮城県の三陸側常磐側が、現実ほど疎遠にならなかったかもしれない。
        • 「はつかり」が、常磐線と三陸本線を経由するルートになっていたかも。この場合、三陸本線に当たる仙台~八戸の区間では、気仙沼・宮古・久慈が停車駅になっていた。
          • 石巻も停車駅に入ってるだろう(仙台が宮城県常磐側の代表で、石巻が宮城県三陸側の代表)。
      • 同じリアス式海岸の紀勢本線の全通が戦後なのを考えると国鉄時代に入らないと無理か…それでも史実よりは数十年早まっていただろうけど。
        • 閉伊県庁が日本政府と有力国会議員(閉伊県選出だと鈴木善幸など)に早期全通を要望しただろうから、三陸本線の全通は1970年代後半で、史実より若干早かった。
      • 閉伊県民の生命線であるため、東日本大震災の際も、BRTなどと中途半端なことはせず、県の強い要望で翌年までには全線鉄軌道で復旧していた。
      • 「本線」を名乗るなら、山陰本線に代わって「偉大なるローカル線」の異名を持っていたかも。
      • 三陸本線の運転指令所は、仙台~宮古が仙台総合指令室、宮古~八戸が八戸総合指令室になっている。
    • 史実の仙石線と気仙沼線が「三陸本線」に組み込まれ、小牛田と女川を結ぶ路線はそのまま「石巻線」になっていた。
      • 史実の大船渡線(気仙沼~一関)が「気仙沼線」を称していた。
      • 三陸本線の石巻~気仙沼は、前谷地を経由せず、飯野川を経由するルートになっている。
      • 岩泉線は小本方から先に建設されていたかもしれない。
  3. 徳島と同じく「電車」が走っていない都道府県となっている。
    • 上記のように宮古線か釜石線が新幹線接続路線として電化されていたかも。
    • 三陸本線のうち、仙台~宮古は特急運行路線として電化されているだろう。日本海沿岸でも、新潟~秋田(羽越本線)は電化されているし。
  4. 国道13号国道45号の経路が、史実と逆転していた。即ち、三陸沿岸が国道13号になり、山形県内陸と秋田県内陸が国道45号になっている。
    • むしろ45号の代わりに6号線を三陸海岸沿いに八戸(青森)まで延伸していそう(あとで復帰した沖縄以外の全都道府県庁所在地に30番台以下の直轄国道が必ず通っているから)。
      • または史実のR45→R14として以下の国道番号が1ずつずれるとか。
      • となれば、常磐沿岸が国道6号で、三陸沿岸が国道14号か。
      • もし国道6号が宮古経由で八戸まで伸ばされるなら、仙台市街地の4号・6号の分岐点は「北行きと東行き」の90度開きにならず、岩沼の藤浪交差点と同じく「北行きと北東行き」の45度開きになっていた。この場合、仙台~松島の国道6号は、多賀城ではなく利府を経由するルートになっていた。
      • 国道4号は三本木を経由せずに八戸を経由し、総距離は国道4号よりも国道6号の方が長くなっていた(※東京~宇都宮~仙台~盛岡~八戸~青森の国道4号が755kmで、東京~水戸~仙台~宮古~八戸の国道6号が766kmになる為)。
        • 八戸~青森は95kmだから、この分を加えると国道6号は861kmとなる。ひょっとしたら、青東駅伝などの青森~東京縦断イベントが、755kmの国道4号(経由)じゃなくて、861kmの国道6号(経由)で開催されたかもしれない。
  5. 三陸自動車道が、2000年代後半には仙台から宮古まで開通していたかもしれない。
    • この場合、三陸自動車道が開通した地域に、工業団地が建設されていた可能性も有る。
    • 山陰縦貫道や東九州道が21世紀になっても全通していないのを考えると二戸~久慈、盛岡~宮古、花巻~釜石、一関~気仙沼などの横断高速道路の方が優先されていそう。
    • 1987年9月1日の四全総(法律の全称:国土開発幹線自動車道建設法)で三陸自動車道が外されるなんてあり得ないし、宮古~久慈が建設計画から外される事もあり得ない。
    • 三陸自動車道の閉伊県内区間は、1988年に着工して、宮古から南へ順に開通という工程になっていた。このうち、宮古~越喜来は、1990年代後半に開通した。(※1999年12月1日までに、全県に高速道路が必ず1本は開通してるから)。
      • 寧ろ閉伊県内区間の整備計画が1980年代前半に発表され、着工も四全総より早く、1985年頃。
      • 三陸自動車道の気仙沼宮古の開通は、2002年3月16日になっていた。
      • 仙台から八戸までの全通は、史実通り2021年12月18日。
    • 県域が南北に250km以上もあるので、閉伊県内の日本道路公団(分割民営化後はネクスコ東日本)の管理事務所は、宮古(閉伊県北部)と気仙沼(閉伊県南部)の計2ヶ所。
    • 三陸自動車道の終点も、八戸JCTになっていた。
      • 八戸JCTはY字型で、三陸自動車道が八戸自動車道に分岐・合流する構造になっていた。
      • 八戸自動車道は、当初から青森が終点という前提で建設された。従って、八戸ICは行き止まり型ではなく、一般のICと同じく延長が前提の構造。
    • 三陸自動車道の仙台~気仙沼は、浜通りが福島県でなければ最短で2015年3月1日で、最長でもラグビーWC(2019年9月)に間に合うように2019年3月までに開通していた(2019年2月16日が有力か)。2000年代後半は、幾ら何でも難しいだろう。
  6. 宮古に本社を置くバス会社として、「三陸交通」が存在する。
    • 山田以北に岩手県北バスの路線バスは運行されておらず、山田以南に岩手県交通の路線バスは運行されていない。
  7. 高波災害を考慮して、空港は建設されず、ヘリポートが幾つか建設されていただろう。
    • 確かに平地が極端に少ない県土だから、列島改造以降の空港建設ラッシュでも空港を諦め、三沢・花巻・仙台空港へのアクセス強化を重視していたかもしれない(史実でも南紀白浜空港みたいな事例はあるけどさ)。
  8. 南北の幹線道路が、史実より多く建設・改良されていた。
    • 山側幹線国道である国道340号が、史実よりも改良されていた。
      • 住田から峠越え路線が開通して千廐を経由し、津山(宮城県)が国道340号の南側ターミナルになっていたかも。
      • 国道340号は、南から順に津山~千廐~住田~遠野~川井~龍泉洞~安家洞~久慈渓流~軽米~八戸のルートになっていた。
        • 国道340号は1974年に制定されたが、それ以前の国道改正(244号までの1952年、251号までの1955年、271号までの1963年、ここまでは二級国道。そして328号までの1969年。ちなみに1972年改正は沖縄のみなため対象外)で制定されていた可能性も。
    • 海側幹線国道(史実での国道45号)が3/11巨大地震で水没したことを考えれば、3/11巨大地震が起こる前に、国道340号と海側幹線国道の間に、もう一つの幹線「県道」が建設されていただろう。
      • 昭和三陸地震やチリ地震津波を教訓として県を挙げての一大事業と位置付けられバブル崩壊前までに完成していた。
    • 史実では国道45号のボトルネックのバイパスとして自動車専用道路(将来の三陸道)が少しずつ建設されているのに対して、この世界では国道45号の現道、45号のバイパス、更に三陸縦貫道と別々に整備され、良い意味で二重投資になっていた。
      • 三陸自動車道も、史実よりも山側に建設されていた。
        • 気仙沼ICも、国道108号(史実での国道284号)に接続していた。
        • 同じく、三陸自動車道の気仙沼市内の経路は、湾横断ではなく、国道6号(史実での国道45号)より山側になっていた。気仙沼~陸前高田も、鹿折川沿いを経由していた。
  9. 釜石が県庁所在地であるか否かに関わらず、釜石線は当初から省線か、軌間1067mmの花釜鉄道として建設された。越県連絡路線として整備が急がれ、難工事の末に昭和初期に鉄軌道での全通を果たしていた。
    • この世界では宮沢賢治はどこの軽便鉄道をモデルに「銀河鉄道の夜」を書いたのだろうか…??
  10. 仙台から三陸方面を結ぶ三陸新幹線が構想されていたかも。
    • 言うまでも無くなく実現は相当遠い。
    • 構想する者がいるとしたら国会議員だろうけど、地元の住民や市町村長からは「新幹線より高速道路を!」という要望の方が強いと思う。
  11. 三陸鉄道は自力で鉄道を開業していた。
    • 基本的に岩手県から閉伊県を結ぶ路線として開業していた。
      • 史実通り国鉄から分離独立して三陸鉄道が設立された場合、沿岸軸の三陸本線に加えて、山越え軸の宮古線(宮古~盛岡)、釜石線(釜石~花巻)、気仙沼線(気仙沼~一関)も三陸鉄道に委譲されたかも。
    • 前述の通り国鉄時代に三陸本線が全通してるだろうから、三陸鉄道は設立されず、三陸本線は1987年の国鉄分割民営化でJR東日本に移管されていただろう。
      • どうだろう?史実と同じく国鉄との葛藤が起こって、国鉄から分離独立して三陸鉄道が設立された可能性が否定できないだろう。
  12. 三陸道はとっくに全開通していたかもしれない。
  13. 宮古に空港が出来ていただろうが…?

メディア[編集 | ソースを編集]

  1. 当然、閉伊県には岩手日報の支局が存在しない。
    • 一応宮古市にだけ閉伊総局がある。閉伊県のトップシェアは下記の「閉伊日報」か?
      • 否、岩手日報は宮古に総局を設置しないだろう(茨城県水戸に下野新聞(栃木)の総局が設置されてないのと同じ)。
    • 県外の新聞だと、河北新報(宮城県仙台の地元紙)が宮古総局を設置している(河北新報は、東北の各県庁所在地に総局を設置している為)。
  2. 3/11巨大地震が発生した場合、新聞やテレビにおける県名は「閉伊」と表記され、「岩手」は表記されなかった。
    • 岩手県は地味な県のままかも。
  3. 県域テレビ局として「三陸テレビ」や「閉伊放送」が存在する。
    • NHKの県域放送局として、NHK宮古放送局が存在する。
      • 勿論、連続テレビ小説「あまちゃん」は、NHK宮古放送局が制作に関与し、NHK盛岡放送局は関与しなかった。
        • 「あまちゃん」の舞台となる架空の都市は、モデルである久慈を捩って「十字」になっていたかもしれない。
    • 宮古の民放テレビ局か、NHK宮古放送局のどれかが、「三陸・北上高原の昔話」というローカル番組を制作していただろう。
    • フジテレビの番組「HEY!HEY!HEY!」の公開ロケが、閉伊県内で実施されていたかも。
  4. 県域新聞として、「閉伊日報」(本社:宮古)が存在する。
    • 「三陸タイムス」とか「デイリーリアス」とかも頑張っていそう。
  5. 天気予報は、閉伊県北部として宮古(宮古地方気象台)、閉伊県南部として気仙沼(気仙沼測候所)の予報が報じられている。
    • 県域新聞や県域テレビの天気予報において、近隣県は八戸石巻宮城県三陸側)が掲載され、盛岡(岩手県)は掲載されない。
    • NHKの事を考えると久慈市(測候所)、宮古市(宮古地方気象台)、気仙沼市(測候所)かもよ。
    • NHKで放送される、日本地図が丸ごと出される全国の天気予報では、北東北は秋田(日本海沿岸)・盛岡(盆地)・宮古(太平洋沿岸)の計3都市が表示されているかもしれない。(史実では、秋田・盛岡・青森の計3都市が表示されている。)
  6. 史実の宮古エフエム放送は、「閉伊エフエム」か「エフエム宮古」という名称で、1980年代に設立された。設立に際しては、宮古の民放テレビ局のどれかが関与した。
    • 前者の場合1980年代後半辺りから「Hey!FM」という愛称を採用、紛らわしいので千葉の独立FM局は別の名称になっていた。
  7. ズームイン朝!!お天気リレーで三陸の旨い物ばかり紹介していたかも。
    • 閉伊県に立地する民放テレビ局は、3局に留まっている(史実の秋田県と青森県が、いずれも民放テレビ局が3局のみなので、閉伊県も同様だろう)。この為、日本テレビ系列のテレビ局が閉伊県に設立されるかどうかは未知数。
  8. 「あまちゃん」以外にも、閉伊県を舞台にしたドラマ・漫画・アニメが制作されているだろう。
    • 全国規模で展開するアニメショップ(アニメイトなど)も、宮古に店を出している。