もし西武鉄道が○○だったら
ナビゲーションに移動
検索に移動
独立項目[編集 | ソースを編集]
- もし埼玉西武ライオンズが○○だったら
- もし西武新宿線が○○だったら
- もし西武大宮線が○○だったら
- もし武蔵野鉄道が○○だったら
- もし西武多摩川線が延伸していたら
- もし多摩鉄道が西武に併合されなかったら
- 越生鉄道を買収していたら
- 武州鉄道を買収していたら
- 筑波高速度電気鉄道を買収していたら
- もし新京成線を西武が開通させていたら
- Fライナーが失敗に終わっていたら
- S-TRAINが○○だったら
- 特急が地下鉄に乗り入れたら
- 特急が秩父鉄道に乗り入れていたら
- 秩父線が開業していなかったら
- 西武秩父線の開業が別の年だったら
- 新宿線が東急の路線だったら
- 東上鉄道が西武の路線だったら
池袋線系統[編集 | ソースを編集]
秩父線が開業当初から秩父鉄道と直通運転していたら[編集 | ソースを編集]
- 4000系にあたる2扉セミクロス車が20年早く登場した。
- 車体は非冷房・赤電塗装で、東武6000系とよく比較される。
- レッドアローが長瀞や三峰口まで乗り入れたかもしれない。
- 国鉄や東武の秩父鉄道乗り入れは昭和のうちに廃止されていた。
- 秩父線が昭和初期に開業していたらありえた。
石神井公園~保谷間も複々線化したら[編集 | ソースを編集]
- 運輸政策審議会答申第7号で実際に取り上げられていました。
- 保谷行きの普通列車が増発された。
- 石神井公園行きの普通列車は激減した。
- 保谷~東久留米間も複々線化されていたかもしれない。
- その分、特急「ちちぶ」やS-TRAINが速達化されていた。
東京メトロ有楽町線との直通運転が史実よりも早まっていたら[編集 | ソースを編集]
- 史実では、1998年3月に練馬~新桜台間が複線化されたことにより、直通運転が開始されました。
- 6000系電車の登場が直通運転が開始されるのと同時であったか、史実よりも早く登場していた。
- 6000系電車の全ての編成が有楽町線対応車となっていた。それで6000系電車が新宿線で運用されることはなかったかもしれない。
- 場合によっては新2000系の導入数が減っていた。9000系は新宿線系統に集中配置。
- 逆に新2000系が地下直車になっていた。
- 351・401・601・701・801系の全廃が早まったかも。
- 6000系電車の全ての編成が有楽町線対応車となっていた。それで6000系電車が新宿線で運用されることはなかったかもしれない。
- 練馬駅の高架化工事が史実よりも早く完成していたら十分にあり得た。
- 西口開設や北口ロータリー整備など同駅周辺の整備も同時に早くなった。
- 練馬高野台駅の開業と西武有楽町線の開業(練馬~新桜台間)と練馬~石神井公園間の複々線化の完成が史実よりも早まっていたかもしれない。
新宿線系統[編集 | ソースを編集]
武蔵野鉄道と合併しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 戦後に村山線(現在の新宿線高田馬場~東村山間と西武園線)が箱根ケ崎まで延伸。実史の拝島線(上水線)は小平~萩山間が武蔵野鉄道線なので、小川~玉川上水間の盲腸線のまま。
- 多摩モノレールは西武箱根ヶ崎線の駅・西武球場まで延伸することになり、箱根ヶ崎延伸ルートはなかった。
- あるいは武蔵大和まで結んで終わりだったかも。
- 所沢駅では西武と武鉄の乱闘騒ぎが名物に
- さすがに2013年現在まで続いているとは思えないが。
- 所沢駅での改札が別々になるため不便になっていた。
- 本来の本線である川越線の東村山以南(現在の国分寺線)は複線になってた
- おそらく、東西線へは意地でも直通運転してたはず
- 西武軌道線のルートである青梅街道の地下に、田無からバイパス線を走らせて都営新宿線と直通してたかも。丸ノ内線は直通出来ないので。
- この場合、都営新宿線は狭軌で作られ、三田線との間で列車の融通を行っていた。
- 西武新宿延伸はなかった可能性大
- かつては根津系の企業だったので戦後早い時期に本川越と東上線の川越市が一体化していた。
- 根津系だったのは武蔵野鉄道であって、新宿線系統は関係ないのでは。
- 特急小江戸は存在せず、快速急行が現在も運転されている。
西武村山線が開業していたら[編集 | ソースを編集]
| むさしむらやま 武蔵村山 | ||||
| しんめい | ← | Musashimurayama | → | みつぎ |
| 神明 Shinmei |
三ヶ木 Mitsugi | |||
- 東村山~箱根ヶ崎間
- 武蔵村山市は、交通の利便性が良くなり、史実より人口が増えていた。
- 西武新宿と箱根ヶ崎を結ぶ急行が運行されていた。やがて、拝島ライナーのような村山ライナーが運行されていた。
- 西武園駅の位置が西武遊園地駅付近に移転していた。
- 西武園駅自体なかったかも
- 多摩都市モノレールの上北台以遠の延伸はなかった。
- 村山貯水池工事の資材運搬に利用されていたのかも
- 西武国分寺線と相互直通運転を行い、国分寺~東村山~箱根ヶ崎・武蔵村山間を結ぶ列車が運行されていた。
- もしくは、国分寺線は国分寺~新所沢・本川越間での運行となり、西武新宿・東村山~箱根ヶ崎・武蔵村山間を結ぶ列車が運行されていた。
- 年代によっては西武拝島線の開通が遅れていたか開通しなかったかもしれない。
山口線[編集 | ソースを編集]
軽便鉄道のままだったら[編集 | ソースを編集]
- 西武鉄道山口線が新交通システムに変更されずに、ナローゲージ規格のままだったら・・・
- 電化されている。
- 蓄電池電車(機関車)が燃料電池にバージョンアップする。
- 長編成の電車が運行されている。
- 蒸気機関車の保存運転が継続されている。
- 廃止となった下津井電鉄の展望車両を譲り受けていた。
普通鉄道に改修されていたら[編集 | ソースを編集]
- 改軌され、多摩湖線及び狭山線と直通運転を行う。
- 現在の運転系統は西所沢~西武球場前~狭山。
- 「萩山」では?
- スイッチバックになるから運転系統は西武球場前で分断されていたと思う。
- おそらく国分寺→西武遊園地前→西武球場前の運用になっていた。
- 西武ドームで試合が行われる場合、新宿線の臨時電車は所沢経由でなく西武遊園地経由で設定される。
- 西武球場前の線路とホームの数は史実よりも少し多くなっていた。
- 池袋行きの臨時列車と西武新宿行きの臨時列車が同時発車する光景が見られたかもしれない。
- 多分、多摩湖線の一部になっているかと。
- 萩山-西武球場前-西所沢間を直通する列車はイベント列車程度。
- 西武新宿-萩山-西武球場前間を直通する準急・急行が2020年現在も定期運用される。
- 現在の運転系統は西所沢~西武球場前~狭山。
- レオライナーと比べて車両が長いので、ほぼ全ての区間のルートを変更しなければならなかった。
- 史実通りのルートだと急カーブが酷い+狭山線とレールを繋げられないのでそういう事をやっていてもおかしくはないと思う。
- おそらく多摩湖を沿って走るのではなく、ゴルフ場の北側、住宅街沿いを通っており、そのまま地下に潜って西武遊園地に到着していた。
- 多摩湖線萩山~西武球場前間のホームの8両編成対応化は山口線の普通鉄道改修と同時期に。
- 遊園地西駅は設置すらされなかった。
- 当然「レオライナー」という愛称は存在しない。
- その代わりL-trainが多摩湖線でも多く走る。
- 9000系はワンマン化改造後もライオンズラッピングを維持していた。
- その代わりL-trainが多摩湖線でも多く走る。
- 蒸気機関車の代わりに全車両末期色。JR西日本から抗議が来る
- 多摩湖線の営業係数が史実より低かった。
- でもサーベラスから廃止を求められる。
多摩湖線の延伸扱いで建設されていたら[編集 | ソースを編集]
- 勿論当初から普通鉄道だった。
- 多摩湖線の営業係数が史実より低かった。
- でもサーベラスから廃止を求められる。
あの鉄道会社を買収していたら[編集 | ソースを編集]
京成電鉄[編集 | ソースを編集]
上にあるように鉄道連隊演習線跡地の買収を巡り二社が争いましたが、そのとき西武は京成の株を買い集めて乗っ取りを企てていました。もし京成を乗っ取っていたら?
- 改軌されていた。
- 浅草線は京急のみの直通になっていた。
- 押上線は4両編成の線内折り返し運転になっている。
- むしろ豊住線を開通させて押上~住吉~東陽町~高田馬場ルートで西武線と直通していた。
- スカイライナーは10000系使用の「なりた」になっていた。
- モーニングライナー、イブニングライナーもなりたに統一。
- 芝山鉄道、北総鉄道、千葉急行は初めから西武の路線で開業。
- 成田スカイアクセスは存在しない。
- 西武上野~西武千葉間に千葉快速を運行。停車駅は日暮里、西武高砂、本八幡、西武船橋、西武津田沼、西武幕張からの各駅。
- 現在の快速特急は快速急行、特急は急行、通勤特急は準急に改称されていた。
- 西武グループの影響力が千葉まで広がる。
- 東葉高速鉄道の建設に際して同社に出資して勝田台で両者の線路を連結した上で落合付近に新宿線と東西線の連絡線路を建設し、本川越・拝島・飯能から成田空港への直通特急を運転する。
- 上記のとおり東西線は東陽町から押上方面に向いているので、東陽町-西船橋間は90年代に東陽高速線として建設されていた。
- 「西武大久保」では西武新宿駅北方の地名と混同しやすくなるので、おそらく大久保駅は「下総大久保」になっていたと思われる。
- いくつかの駅が「○○市駅」に改名されていた。
- 例:京成船橋→船橋市駅、京成佐倉→佐倉市駅、京成成田→成田市駅
京王電鉄[編集 | ソースを編集]
- 都営新宿線といっしょに改軌されていた。
- 特急が有料になっていた。
- 井の頭線の田無駅または東久留米駅までの延伸が西武鉄道の手で成されて居た。
京阪電気鉄道[編集 | ソースを編集]
能勢電鉄[編集 | ソースを編集]
南海電気鉄道[編集 | ソースを編集]
- 流通部門では史実でもセゾングループと提携していたので、そのことが現実よりもよく知られていた。
- 南海沿線には高島屋ではなく西武百貨店が出店していたかもしれない。
- 但し難波の本店は高島屋のまま。
- あるいは中百舌鳥への出店が実現していた。
- 80年代の西武グループ全盛期に、自前でなにわ筋線(もしくは松屋町筋線)とびわこ京阪奈線を建設し、空港から近江鉄道(西武系列)の米原までの直通運転を実施していた。
- プロ野球は南海が早く球団を手放していた。
- 00年代にホークスと西武の二強が突出するのは史実通りだが、10年代も西武が強く、他の球団のつけいるすきがすくなくなっていた。
- あの選手が性加害事件を起こすこともなかったかもしれない。
あの鉄道会社に買収されていたら[編集 | ソースを編集]
東京急行電鉄[編集 | ソースを編集]
- 五島慶太によって買収され、”大東急”の一翼を担うも戦後再び分離独立。
- 小平、萩山、小川、東村山、西所沢と、路線が分岐・交差する所にことごとく存在する平面交差を、これまたことごとく立体交差に改良してくれていただろう… と妄想。
東武鉄道[編集 | ソースを編集]
- ”武蔵鉄道”と改称されていたかも。
- 東上線系統とセットで「西武事業部」が作られていた。
- 東武練馬駅は改名されていた。
西武軌道線が東京都交通局に買収されていなかったら[編集 | ソースを編集]
- 西武軌道線は1921年に新宿と荻窪を結ぶ路面電車として開業しましたが、その後東京都交通局(都電)に買収され、現在は廃止されています。もし西武軌道線が西武鉄道の路線として現在でも残っていたら?
- 田無まで線路を伸ばし、新宿線と接続していた。
- と言うか建設が遅れていなければこちらが新宿線になっていた。当初は荻窪まで併用軌道だったが、戦後に京王同様完全に鉄道路線として改修される。
- 史実の新宿線は早稲田まで延伸→東西線開業時に直通運転と言う流れになる。
- と言うか建設が遅れていなければこちらが新宿線になっていた。当初は荻窪まで併用軌道だったが、戦後に京王同様完全に鉄道路線として改修される。
- 丸ノ内線は方南町が終点になっている。
- 新宿-清水橋-中野新橋-(以下史実と同じ)と言うルートを辿り、後年史実の都庁前駅の位置に西新宿駅が開業する。
セゾングループとの関係が○○だったら[編集 | ソースを編集]
堤清二が鉄道側の経営権を握っていたら[編集 | ソースを編集]
- 西武鉄道グループは堤義明が堤康次郎の死去後に経営権を持ちましたが、もしこの時堤清二が経営権を握っていたら?
- 堤清二が小説家として史実ほどの実績を出せたか疑問。
- 史実同様詩は作っていただろうが経営にかかわるとともにフェードアウトしていた。
- 仮に小説を出版していたとしてもいわゆる「タレント本」のような扱いになっていた。
- 堤義明はインサイダー取引をしなかったかもしれない。
- 西武百貨店や西友などは西武グループに属していた。
- あるいは堤義明がセゾングループにあたるものを作っていた。
- プリンスホテルとインターコンチネンタルホテルを合併させて新しいホテルグループを作っていたかも。
- そもそもインターコンチネンタルホテルズを買収していなかった可能性もある。
分裂しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 西武百貨店の全国展開があったか疑問。
- それでも西武沿線、渋谷、滋賀県などには出店していた。
- 池袋西武のリブロが閉店することはなかった。(現在日本出版販売の傘下のリブロとトーハンと関係が深いセブン&アイ傘下の西武百貨店とのねじれがあった。)
- J-WAVE(セゾン)とエフエムナックファイブ(西武)との共同制作番組があったかもしれない。
- セゾングループはJ-WAVEの設立に関わらなかったかもしれない。
- 代わりにテレビ埼玉と親密になった。
- 吉野家のセゾングループ入りはなかったかもしれない。
- それでも証券取引法違反事件の関係でグループ解体は史実通りだったか。
- それ以前に第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)などから経営規模縮小を求められただろう。
サーベラスの要求を呑んでいたら[編集 | ソースを編集]
- 2012年、当時西武に出資していたサーベラスは、多摩川線・山口線・国分寺線・多摩湖線・秩父線の廃止と西武ライオンズの売却を求めていました。
- なし崩し的に西武園も廃園になっていた。
- 西武ドームも売却のうわさが漂っていた。
- 秩父線が廃止になってしまった以上、池袋線は通勤路線に徹さざるを得なくなっていた。
- 40000系が数年早く登場し、それと同時に完全失職した10000系は引退していた。
- 若しくは新宿線で風前の灯。
- 当然001系も存在せず。
- 4000系も秩父線廃止と同時に殆どが廃車解体されているはず。
- 52席の至福も出ない。
- 一方では小田急と東急からサステナ車両を入れずに済む。
- 40000系が数年早く登場し、それと同時に完全失職した10000系は引退していた。
- これを引き合いに出す事でJR北海道の不採算路線廃止がもっと迅速に…進みそうにもないなぁ。
- まず間違いなく秩父市や所沢市と西武鉄道の関係が非常に悪化していた。
- 秩父鉄道はあっさりと東武東上線に鞍替えしていた。
- 500系は東上線にも投入され、池袋~三峰口・上長瀞間に「リバティみつみね」「リバティながとろ」が設定されていた。
- ライオンズが所沢から移転していたかもしれない。
- 上記5路線の全廃はなかっただろうが、山口線と国分寺線・多摩湖線のどっちかは廃止、秩父線は県と飯能市・横瀬町・秩父市が出資する第三セクターに、多摩川線は京王に移管されていた(秩父線の保線ぐらいは西武が受託していたかも)。
- 後年の紀州鉄道廃止騒動の際に引き合いに出されていた。