三重の交通
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三重の道路交通[編集 | ソースを編集]
三重の鉄道[編集 | ソースを編集]
- 近鉄利用者はJR利用者を見下している(近鉄沿線のほうが発展しているので)。JR利用者は「ジェイアーラー」という蔑称で呼ばれる。
- 近鉄四日市駅からJR四日市駅へ行くと、タイムスリップが体験できる。
- そんな言葉聞いたことないなぁ。
- 桑名駅、津駅、松阪駅、伊勢市駅、鳥羽駅では近鉄とJRの駅が隣接している。駅そのものはJRの方が大きいが、客は近鉄の方が多い。以前はJRの方が高く本数も少なかったが、最近は料金差が小さいので、時刻表を見て先に来た方の列車に乗る人も増えた。
- 何故利用者が少ないJRの方が駅が大きいか。理由は簡単、JRの方が先に開通したからである。
- あとJRはもともと国鉄で、かつては客車列車主体&貨物取扱があった関係から用地を多く要したのも大きい。
- 鳥羽駅と松阪駅は駅の規模でもJRより近鉄のほうが大きい気がする。
- この中でもっとも近鉄がしょぼく見えるのは伊勢市駅だが、駅構内の大きさ(伊勢車両区があるため)だけであってホームに居る客の数ではやはりJR<<近鉄。
- しかも近鉄はすぐ近くに宇治山田駅という独自ターミナルまで持っている。
- 津も特急こそ停車しないがより市街地に近いところに津新町駅がサブターミナルとして存在する。
- 四日市の場合は線形改良で国鉄駅との同居を解消した。諏訪駅改め近鉄四日市駅が規模でも利用客数でも国鉄~JRを圧倒している。
- 利用客数の差、9倍あまり(JRが2300人程度なのに近鉄は20000人を超えている)
- しかも近鉄はすぐ近くに宇治山田駅という独自ターミナルまで持っている。
- 隣接どころか駅構内を共有している。不正乗車の温床となりそうだが……(そのためか近鉄も伊勢鉄道・JRも車内改札が結構ある)
- 何故利用者が少ないJRの方が駅が大きいか。理由は簡単、JRの方が先に開通したからである。
- 松阪以南に近鉄という選択肢はない。
- これは一部誤り。松阪以南ではなく紀伊方面が正解。伊勢志摩方面はJRより近鉄のほうがダントツに便利。
- 紀伊方面はJRすら走って無いに等しい。みんな車に乗るので。
- もっとも高速道路との整備が遅れているので高速バスへの流出はあんまない。
- 名古屋に行く時は安い、速い、涼しい近鉄を使うのが当たり前である。
- JRを汽車と呼ぶ。
- 国鉄と云うならまだしても…。
- 三重のJRは電車ではないので問題はない。(車体の上に電線があるのが電車、無いのが汽車)。
- 関西線の亀山-名古屋間は電化されて電車が走ってますよ。
- 昭和50年代半ばまでは非電化でしたから…、
- 草津線…
- 草津線はほら、半分滋賀だから・・・
- 関西線の亀山-名古屋間は電化されて電車が走ってますよ。
- ディーゼル車の存在も忘れてはいけません。
- ディーゼル車を汽車と呼んでいる。
- 東海道新幹線が岐阜を通ったことを未だに根に持っており、リニア新幹線は三重県を通そうと躍起になっている。(たとえ駅ができなくても)
- 亀山に駅ができるね。
- いやいや四日市に。
- その頃には首都が上野に移転されているので上野にできるはず。
- いやいや四日市に。
- 亀山に駅ができるね。
- JR関西本線を介して京都府と隣接しているが、「本線」とは名ばかりで、実際はとんでもないローカル線である(亀山と京都府の加茂の間は電化されてない)。よって、そんな物誰も使わないのであまり知られていない。
- 急行「かすが」が廃止になると聞いて、初めてその存在を知った。もしくは関係ないので未だに知られていない
- ところがJR関西本線は歴史のある鉄道線路のひとつで、極めて重要な鉄道遺産が多数埋もれていることを、地元民は知らない。
- 1ヶ月に1回、丸1日運休になる路線というのは沿線住民としてはどうなのか。
- 運休になるのはJR西日本の非電化区間。ただし一日中ではなく昼間。JR西のローカル線は、保線人件費をけちるため昼間に列車を運休して保線工事を行う。
- 急行「かすが」は運休の対象外だった。
- もし電化されていたら大和路快速が亀山まで延伸され、亀山市や伊賀市などから奈良や大阪に行くのが便利になっていた。
- 上記のどれもこれも「三重の国鉄といったら関西本線!」という環境だった俺にはほとんどが悲しい話…
- スルッとKANSAIの3DAYS(全国発売版)や2DAYSチケットが、関西2府4県と同様に販売されない。(伊賀を除く)
- 2009年、ついに名松線の家城~伊勢奥津間が廃止になるらしい。
- 台風で被害を受けたが、復旧を断念してバス転換するとか。
- JR東海が半永久的に代行バスを運行するというもの。運賃も通しで使えるようにするらしい。国鉄時代や私鉄の廃止、3セク転換に比べたらかなりの特別措置だと思う。
- かつての士幌線と同じことを平成の現代にやるつもりなのか……
- しかしめでたく復旧が決定。
- 昔は三重交通も鉄道をやっていた。
- 多くは今の近鉄支線群である。
- 18きっぱーの中には、永らく三重を「鉄道未開の地」扱いしているものも少なくない。
- まともに移動しようとすると、「なぜ近鉄で使えないんだ…」と嘆く機会多し。
- お隣りも似たような事情を抱えているが、あちらはまだ都市間輸送が機能しているため、どうしてもこちらのJR輸送の脆弱さが際立つ。
- それでも伊勢や紀勢線方面から京都や大阪に出かけるのに重宝(逆も然り)。柘植~加茂は大阪近郊区間大回りをするオバチャン連中が乗っていることも・・・
- まともに移動しようとすると、「なぜ近鉄で使えないんだ…」と嘆く機会多し。
伊勢鉄道[編集 | ソースを編集]
- 関西本線と紀勢本線を跨ぐ非常に便利な鉄道だが、国鉄時代の影響で三セクにされてしまった。
- これは本当に迷惑。名古屋から伊勢・南紀方面の優等列車はすべて伊勢鉄道を通過するので、強制的に三セクの運賃を払わされる。
- しかも、通過連絡社線の数が制限されてるので、北海道から「北斗星」・新幹線・「南紀」と乗り継いで行こうとすると、乗車券は経路通りに買えない。
- JR東海が再合併した方が絶対利用者増えると思うんだが…
- JR東海が伊勢鉄道の株主になり、県や沿線自治体が所有する株をJR東海に売却し、JR東海の子会社にするという方法で事実上の再合併という方向に持っていけばいいと思うが・・・。
- 東京臨海高速鉄道、土佐くろしお鉄道中村線と共に、JRへの編入が望まれる。
- 国鉄時代に「伊勢線」という独立した路線名を与えたのが失敗の元。お陰で特定地方交通線に指定されて三セクに転換された。もし最初から紀勢本線の支線という扱いにしていたら三セク転換もなかったと思う。
- 名古屋~津間ではJRが現実よりも有利になっていた。電化もされていただろう。
- 事実上紀勢本線の亀山~津の方が支線だと思う。
- もしそうなっていたら代わりに名松線が廃止されていたかもしれない。
- 国鉄時代の無為無策がそもそもの原因。国鉄時代にもっとやる気のあるダイヤで運行してたら三セクにならなかったはず。
- 北越・智頭と並ぶ通過型3セク。
- おかげで四日市以南はいつまでたってもJRにICカードが導入されない。
- 愛知環状鉄道もそうだが、ほとんどその場の思い付き同然で三セク転換してしまったせいで利用者には弊害(高い&JRと別体系の運賃、ICカード導入の障壁、18きっぷ使用不可)しかない典型例。
- その愛知環状鉄道は片側しか直通しないのでIC導入は決まったが、伊勢鉄道は両方直通だから未だに導入に至らず(どこを通ったか特定できないからで、JRは亀山までが限界)。
- 愛知環状鉄道もそうだが、ほとんどその場の思い付き同然で三セク転換してしまったせいで利用者には弊害(高い&JRと別体系の運賃、ICカード導入の障壁、18きっぷ使用不可)しかない典型例。
- 似たような短絡線で、ここと同じ転換レベルも将来的に償却できると読んで転換しなかった内子線とは大違い。近鉄があったという側面があったとはいえ、行政と何かの思惑があったかは定かではない。
- これは本当に迷惑。名古屋から伊勢・南紀方面の優等列車はすべて伊勢鉄道を通過するので、強制的に三セクの運賃を払わされる。
- 特急南紀・快速みえが走る。
- 乗客はそのどちらかに集中し、線内各駅停車は基本的に利用者が少ない。
- 実は貨物列車もこの路線を通過する。
- が、国鉄時代は伊勢線ではなく亀山経由で運転され続けた。それも三セク転換の遠因となった。
- 伊勢線が開業した頃は国鉄貨物は暗黒期で、当時既に整備されていた国道23号を行くトラックに奪われていたことも伊勢線に貨物列車が移らなかった原因。
- 短絡線を生かせず無用な3セク化を招いてしまった国鉄は本当に×××××である。
- が、国鉄時代は伊勢線ではなく亀山経由で運転され続けた。それも三セク転換の遠因となった。
- 公式サイトがかなりしょぼい。
- 鈴鹿駅は日中有人だが、発売している切符が何と硬券。JR線連絡用もあるらしい。
- JR東海側の主要駅が自動改札化されているのに、硬券を自動改札に突っ込む奴の心配はしなくていいのだろうか?
- 実は伊勢市駅方面まで延伸する計画があった。その名も「南伊勢線」
- 県内の私鉄・三セクで最も早く全駅接近放送導入。(津駅は1番線以外)
- 運転士と話すとJRの愚直しか出てこない。
- 「すぐあいつら遅れる」「津駅は放送も入れてくれない」など
- 快速みえが伊勢鉄道線に入るとスピードがでるような気がする。(高規格路線)
- 全線複線用地で高架が多く踏切はほぼない。電化用支柱台もある。しかし、複線区間は関西本線から分かれる川原田駅から中瀬古までの半分強。それでも対抗待ち停車はほぼない。
- 自社車両「イセIII型」は、単行で時速100Kmを出す。(JR は、110Km出す)
- もし、伊勢鉄道がJR化され、三重県のJRが多気駅以北が複線以上で電化されていたら名古屋口でJRの方が優位になって近鉄は今の様な殿様商売はなくなっていただろう。
- JR西日本の奈良線も立場は違うが京奈間のアクセス向上で近鉄の独占的な運行は無くなっていたかと。
- なくなっていた上で津駅以南から四日市駅以北への利用者は大幅に増えて名伊間の定期利用者は大きく増えた事は確か。
- 近鉄は通勤定期が高く、本数が多いから近鉄を選ぶ傾向があるのでJRの本数が揃えていれば確実にJRに移行する客も増えていた。
- 更に23年4月の近鉄の運賃値上げもあり、JR編入して近鉄値上げ対策として望まれる声も大きい。
- 近鉄は通勤定期が高く、本数が多いから近鉄を選ぶ傾向があるのでJRの本数が揃えていれば確実にJRに移行する客も増えていた。
- 現時点では鈴鹿市以北が概ね複線で津市エリアが概ね単線。
- 駅
伊賀鉄道[編集 | ソースを編集]
- 元近鉄伊賀線
- 伊賀鉄道の社章は近鉄ベース。
- トイレのある駅は上野市駅を除き全て汲み取り式(ボットン便所)。
- 忍者列車
- 痛電。
- ちなみにこいつのデザインは松本零士氏なんだけど、なぜこの人なんだろう?
- 数日間、忍者のコスプレをした人はただになるらしい。
- かつて伊賀線を運営した会社も伊賀鉄道。その後近鉄線になるが、回り回って同じ名前で近鉄から切り離された。
- 上野市内の急カーブが解消されていたら、広軌大型化され、経営分離は起きなかった処か、全列車名張〜伊賀上野直通となり、朝夕は大阪方面の直通列車も設定されていたかも知れなかった。
- 近く車両が更新されるが、近鉄ではなく東急の中古車。
- 近鉄色がだんだん薄れていく…
- まあ確かにここは近鉄に対して独自色を出す傾向にはある。駅名標もフルモデルチェンジしてるし。
- とは言うものの、施設・車両は近鉄の所有。 近鉄本体に回せる車両がないゆえの苦肉の策。
- もし近鉄本体から分社されなかったら元東急の車両を購入するという選択肢はなかっただろう。
- 駅名標は、全体的にはまだ近鉄のイメージを基にしている感はある。
- まあ確かにここは近鉄に対して独自色を出す傾向にはある。駅名標もフルモデルチェンジしてるし。
- オールステンレス車両に忍者(くのいち)ラッピング。東急時代の車番はクハ1010・デハ1311。デハ連結面側が普通の菱形パンタ・運転台側が下枠交差パンタ。クーラーが中央に寄ってるからこそこういう増設テクができるんだが、正直どうよ?と思う。
- 伊賀鉄道向けの新型車両を投入できるほど伊賀鉄道が儲かってるとでも?それに、建築限界や路線設備の都合上車体長18mまでしか無理。21mを入れることが出来たら、車両は大阪線などからの転用車両になっていた。
- もし21m車を入れることができたら軌間を1435mmに改軌して大阪線と直通していたと思う。大阪上本町~上野市に直通特急・急行が運転されていた。
- というか市駅での乗り換えが解消される日はいつになるのか。
- もし21m車を入れることができたら軌間を1435mmに改軌して大阪線と直通していたと思う。大阪上本町~上野市に直通特急・急行が運転されていた。
- 伊賀鉄道向けの新型車両を投入できるほど伊賀鉄道が儲かってるとでも?それに、建築限界や路線設備の都合上車体長18mまでしか無理。21mを入れることが出来たら、車両は大阪線などからの転用車両になっていた。
- 元東急の車両だが、警笛は近鉄タイプの「ビーッ!」と鳴るタイプのものがついている。
- 近鉄色がだんだん薄れていく…
- 上野市駅の隣にある車庫の門には「近畿日本鉄道高安検車区 上野市車庫」という表札がかかっている。そこに元東急の車両が入庫するのは何とも不思議な感じがする。
- 伊賀上野~西大手で200円。それ以外の区間も全体的に割高。
- 伊賀上野~上野市は短距離ながら260円もかかる。
- この区間は三重交通のバスの方が安い(ただし1時間に1本で、土休は2時間空く時間帯がある)。
- 伊賀上野~上野市は短距離ながら260円もかかる。
- 分社化で券売機は食券用に変わった。
- 近鉄時代はもっとまともなもので、言うまでもなく大阪や京都・名古屋まで買えた。今は伊賀神戸まで。
- 今でも上野市駅で近鉄の特急券は買えるらしい。
- 現状、連絡運輸関係があるのは定期券だけ。
- 近鉄時代はもっとまともなもので、言うまでもなく大阪や京都・名古屋まで買えた。今は伊賀神戸まで。
- 基本的に上野市で系統が分離されている。伊賀神戸で近鉄大阪線、伊賀上野でJR関西本線との接続を重視しているため。
- バカ停はあれど、直通列車が出来ました。
- 分社化で伊賀神戸駅には近鉄との間に改札が新設されたが、反対側の伊賀上野駅は未だにJRとの間に改札がない。
- このため上野市側から来てJRに乗り継ぐ場合、伊賀鉄道の切符を降車時に運転手に渡し、無札でJR駅改札内に居る状態になる。
- ホーム上の簡易販売機でJRの切符を買えるが、その範囲からはみ出たところに行く場合、伊賀上野駅のJR駅員に申し出て発券してもらうか、時間が無ければ乗車地証明書だけもらって下車駅で精算する。
- かつては伊賀神戸から先名張まで路線があった。
- 但し名張駅は近鉄大阪線の名張駅とは違う場所にあった。近鉄大阪線開通後に西名張に改称。
- 名松線の「名」は西名張の事だったらしい。
- 伊賀神戸~西名張は近鉄大阪線と完全に並行していたが、貨物輸送があったので戦後もしばらく残っていた。貨物輸送がなくなった1964年に廃止。
- 伊賀神戸駅西側の急カーブや、桔梗が丘駅西側(旧:蔵持駅周囲)などは廃線跡が判りやすいので、こちらの趣味の方は是非ご覧を。
- 但し名張駅は近鉄大阪線の名張駅とは違う場所にあった。近鉄大阪線開通後に西名張に改称。
- 何気に近鉄大阪線より古いので、近鉄系列だがキロポストはJR伊賀上野駅から。
- 平日朝8時前後になると通学客でごった返す。
- 車内チャイムがスシ○ーで注文した商品が来た時の音。
- 駅
伊賀神戸-比土-上林-丸山-依那古(いなこ)-市部-猪田道-四十九(しじゅく)-桑町-茅町-広小路-上野市-西大手-新居(にい)-伊賀上野
養老鉄道[編集 | ソースを編集]
- 岐阜の交通#養老鉄道も参照。
- 元近鉄養老線(三重県は桑名~多度間、多度~養老~揖斐は岐阜県内)
- 駅すぱあとで桑名~大垣間を検索しても、養老線はまず出てこない。
- 車両はすべて他路線のお下がり。
- 一応は3セクの伊賀鉄道と違って近鉄の完全な手下もあるのか、車両を見ているとまだ近鉄養老線じゃないか?と思えるほど、あまり変わっていない。
- 近鉄時代の車両になんとシングルアームパンタが搭載され、ちょいと前の東の山梨県内のような様相に。
三岐鉄道[編集 | ソースを編集]
- 近鉄の放り出した路線を受け取って、バス撃退とか。
- 内部・八王子線をどうぞ再建したげてください…(by沿線民)
- 地元の三セクになりました。
- 内部・八王子線をどうぞ再建したげてください…(by沿線民)
- 公式には「さんぎてつどう」かもしれないが、地元では「サンキ」と濁らず発音。「サンキで行ってくるわー」的な。
- 1時間に一本しか来ない、幻の青いバス。
- 三岐線より北勢線ばかり投資している印象がある。
- どう見ても北勢線の車両の方がきれい。
- 外観は綺麗ですが、車両そのものは50年代から70年代製なんですが
- 正直いって三岐線と大差ない。
- 北勢線の車両はたまに「雨漏りしているので座らないでください」札が座席に置いてあることがある。
- 外観は綺麗ですが、車両そのものは50年代から70年代製なんですが
- 北勢線には自動改札&券売機がある駅もある。ヘタな名鉄や近鉄の駅より充実している。
- 名鉄は広見線と蒲郡線以外、全駅自動改札設置になりました。
- どう見ても北勢線の車両の方がきれい。
- この手のローカル線にはベタなサイクリング列車が走っている。
- 270系は何故かここの人達に人気で、奴と呼ばれている。
- 北勢線では自動券売機 自動改札機が導入されたが、三岐線では硬券が現役。
- そしてなぜか三岐線でのみ近鉄と連絡運輸を実施。この連絡乗車券も(ry
- 三岐線の場合近鉄富田駅が近鉄と改札を通らずに乗り換えられるのに対し北勢線の西桑名駅は近鉄・JRの桑名駅とは全く別の駅ということもあるのではないだろうか?
- そしてなぜか三岐線でのみ近鉄と連絡運輸を実施。この連絡乗車券も(ry
- あまり知られていないが、実は御在所SA(下り)も経営している。そのため、SA内は鉄道会社らしい光景がちらほらとか。
- 社名は三岐鉄道だが、路線は三重県内に留まっている。
- JRと三セクを除くと三重県内では珍しい近鉄と無関係の交通事業者。
- セメントの貨物輸送を行っており、筆頭株主もセメント会社である。もし貨物輸送がなかったら間違いなく近鉄の1路線になっていただろう。
- 秩父鉄道とは兄弟の関係。
- でも北勢線は旧近鉄線なので全く「無関係」というわけではない。
- セメントの貨物輸送を行っており、筆頭株主もセメント会社である。もし貨物輸送がなかったら間違いなく近鉄の1路線になっていただろう。
- 扇風機は近鉄ロゴのまま。
三岐線の噂[編集 | ソースを編集]
- 何故か保々駅で強制乗換される列車がある。
- だいじょぶだァ~。JRや大手私鉄でも同様事例は多々あるから。
- 阪急の正雀駅とか。
- だいじょぶだァ~。JRや大手私鉄でも同様事例は多々あるから。
- 丹生川駅の近くには貨物鉄道博物館がある。
- 月1でしか開館していないので行くときには注意。
- 基本は毎月第1日曜日。1月だけは第2日曜日。
- 開館しているときは、元名古屋市バスの車両を使った丹生川駅~阿下喜駅の無料シャトルバスが走る。
- 博物館職員と思わしき人が車掌を務め、ちょっとしたクイズを出しくれることも。なかなか乗りのいい。
- 北勢線の終点阿下喜駅にも軽便鉄道の博物館があるらしい。
- 2004年には、調子に乗って三里駅2階に鉄道博物館を設置。しかし、わずか2年で閉館し地元住民の失笑を買うことに。
現在でも、プラットホームから見える駐輪場には博物館を宣伝するペイントが残っており、哀愁を誘っている。
- 月1でしか開館していないので行くときには注意。
- 三岐線の車両は全て西武鉄道のお古である。
- 昔は旅客列車もJR富田駅発着だった。
- しかし近鉄まで伸ばしてくれと住民が頼み込む→近鉄連絡線を建設して近鉄富田駅に乗り入れる→完成当初は富田駅への旅客列車乗り入れも継続する→しかし、客は近鉄に流れる→旅客列車の国鉄乗り入れは廃止になったとさ。
- 近鉄連絡線の開設前の5年間だけは、富田西口という駅を開設してここを近鉄との乗換地点に指定しお茶を濁していた
- 連絡線開業後も1985年の国鉄富田乗り入れ廃止まで、富田西口が近鉄富田と同一駅として定期券でも扱われた(国鉄駅乗り入れ列車の客への便宜)
- いかに三重県が近鉄優位かがわかる現象。
- 近鉄連絡線の開設前の5年間だけは、富田西口という駅を開設してここを近鉄との乗換地点に指定しお茶を濁していた
- 「三岐鉄道」なのに「近鉄富田駅」が起点なのはこれが理由。
- なんと、今でも方向幕には「JR富田」が入っている。
- そのためか近鉄富田を出るとJR線を2回交差する。
- しかし近鉄まで伸ばしてくれと住民が頼み込む→近鉄連絡線を建設して近鉄富田駅に乗り入れる→完成当初は富田駅への旅客列車乗り入れも継続する→しかし、客は近鉄に流れる→旅客列車の国鉄乗り入れは廃止になったとさ。
- 貨物輸送、西武のお古、同一県内のみ走る、硬券が現役、終点駅に鉄道公園を設けているなど、SLが走っていない以外は秩父鉄道とほぼ一緒。
- バス事業の影が薄い、太平洋セメントと関わりが深いという点も。
- 太平洋セメントとの関わりからいえば、秩父鉄道と三岐鉄道は兄弟会社にあたる。
- あと山を越えた向こう側の私鉄とも共通点が多い。向こうも元西武の車両を使い、かつては貨物輸送もやっていた。
- 違うのは向こうは西武の子会社だという点。
- バス事業の影が薄い、太平洋セメントと関わりが深いという点も。
- 駅
近鉄富田 - 大矢知 - 平津 - 暁学園前 - 山城 - 保々 - 北勢中央公園口 - 梅戸井 - 大安 - 三里 - 丹生川 - 伊勢治田 - 東藤原 - 西野尻 - 西藤原
北勢線の噂[編集 | ソースを編集]
- 元近鉄北勢線
- 軽便鉄道だけあって車両の上ではなく横にクーラーが積まれている。
- 経年劣化でクーラーが壊れました(2013夏)。
- 同じナローゲージの近鉄内部・八王子線は未だに非冷房だが、これを見たらやろうと思えば冷房化できるのでは?と言いたい。近鉄が放置していただけか?
- 北勢線の終点阿下喜駅と三岐線の伊勢治田駅は意外と近く(直線距離で約1.6km)、北勢線が近鉄だった時代から掛け持ちで訪れる鉄道ファンもいた。
- 児童文学「電車で行こう!」シリーズ33巻(近鉄特急乗りまくり! しまかぜ&ひのとりで豪華列車旅)においても、この乗り継ぎネタが用いられていた。
- 三岐線の車庫のある北大社は近鉄時代には駅があり、折り返し電車も運転されるなど主要駅だったが三岐鉄道に転換されてからは廃止された。
- 北大社は三岐線ではなく北勢線の信号場です。
- 駅舎は新しかったり古かったりとまちまち。
- 駅
西桑名 - 馬道 - 西別所 - 蓮花寺 - 在良 - 星川 - 七和 - 穴太 - 東員 - 大泉 - 楚原 - 麻生田 - 阿下喜
四日市あすなろう鉄道[編集 | ソースを編集]
- 元近鉄内部・八王子線
- 四日市市内に、新幹線軌道の半分の幅しかない電車が走る。足の長い人なら、向かいのいすに届きそうだが、届きそうで届かない。やってみて、自分の短足振りに自己嫌悪。(経験者)
- 新幹線どころか新幹線と同じ軌間を採用してる近鉄の本線と比べても半分。
- 南大阪線は、JRの在来線と同じ軌間。
- 少し前、踏切内に進入してきた軽自動車に轢かれて脱線。
- いや、届く(相当の頻度で利用する者)
- 中間車はロングシートなのでこちらの方が足を伸ばしやすい。
- 新幹線どころか新幹線と同じ軌間を採用してる近鉄の本線と比べても半分。
- 八王子まで行かない八王子線がある。
- 電車がやけにカラフル。
- 中間車と先頭車の車高があっていないせいで見ていてかなり凸凹しているように見える。
- 三重県四日市市に出来る鉄道会社。
- 軌間は全国でも少ない特殊狭軌線。
- これで近鉄から762mmゲージの路線が無くなることに。
- 軌間は全国でも少ない特殊狭軌線。
- 社名のあすなろうは「明日」と「ナロー」にかけている。
- 四日市軽便鉄道でよかったのでは。
- 維持コストと競争力の面から1067mm狭軌等への改軌も検討されているのに……
- 木の翌檜(アスナロ)ともかけているのかと思っていたが、四日市と関係がある訳ではないし、市街地しか通らないのに山中の植物に由来するのは変な考えだった。
- 四日市軽便鉄道でよかったのでは。
- 近鉄も出資する。
- 養老鉄道や伊賀鉄道と違うのは、線路と車両の保有者が近鉄ではなく四日市市になること。
- 分社化により、大手私鉄から釣り掛け車が完全消滅したと同時に近鉄の完全冷房化が達成された。
- あすなろう四日市-日永間は、内部線2+八王子線2で日中毎時4本運行されている。各停タイプに限ると、県内では最も日中の運転本数が多い区間である。
- 分岐駅近くにあった鉄道模型店が閉店してしまったのは残念。2階にあったオーナーさんの自作レイアウトを含めて訪問してみたかった。レイアウトはオーナーさんに頼めば見せてもらえたし、運転もさせてもらえることもあったらしい。ヘンに流行ってる?レンタルレイアウトとは違う、個人レイアウトの良さがあっただろうに。今はどうなっているのやら…
- 近鉄時代の噂
- 四日市駅のホーム番号は9・10番線だが、7・8番線は欠番である。
- おまけに改札外連絡である。高架下にあるためほとんど目立たない。
- 同様に改札外連絡である新王寺・西田原本は駅名が違うのに四日市は同じ駅名。これは名古屋線が高架になるまで改札内連絡をしていた名残。
- 今現在7・8番線は留置線になっているらしい。
- 昔は湯の山線と直通運転していた。
- ついに廃線の話がちらほら出始めた。
- 平成25年度存廃が決定。三岐さんお願いします…
- 困ったときの三岐鉄道。
- バスに転換しても十分に良いんじゃないかと思うが、どうなんだか。
- 存廃問題は三重電気鉄道時代からあり、そのたびに地元が反発して存続という流れで現在に至る。
- 八王子線も西日野~伊勢八王子が流されたときに全線廃止する予定だったのを地元の根強い抵抗で西日野駅を移転させて存続したらしいし。
- 平成25年度存廃が決定。三岐さんお願いします…
- 四日市市や西日野の養護学校等が反対している。それにバスも渋滞がひどくて十数分ぐらい遅れてくることもある。
- 1992年の『鉄道ピクトリアル』近鉄特集号では、ラッシュ時に客が集中するのでバス転換は難しいという話だった。とは言えそれから客数は減っているから…。
- だからガイドウェイバスかバス専用道路の話になったのだろう。
- 結果鉄道として存続したが、BRTだと何がいけなかったのかは正直よく分からない。近鉄側から存続可能な案として提案されたぐらいだから事業面では無理がなかったはずだし、30円値上げしてまで現状通りにしたのは何の意地なのかと思ってしまう。
- 四日市は四日市喘息で四大公害病の中心地となった前歴が有り、バス化は大気汚染に敏感な市のトラウマをほじくり返した可能性はある
- 日4000人の輸送密度はJRの地方交通線レベルであり、国鉄再建法時代でもバス・三セク転換される水準ではない。特殊軌道線故に廃止したかったと近鉄は推測される。
- だからガイドウェイバスかバス専用道路の話になったのだろう。
- 北勢線もバスに出来なかったのは、輸送密度が高くて仮にバス化すると朝夕の道路交通マヒが予想されるからと聞いたことがある。
- 北勢線を沿うようにある県道63号線は平日毎朝すでにマヒ状態。
- えちぜん鉄道や近江鉄道も同じ理由で存続となった。
- 1992年の『鉄道ピクトリアル』近鉄特集号では、ラッシュ時に客が集中するのでバス転換は難しいという話だった。とは言えそれから客数は減っているから…。
- 公有民営方式での存続に方向が固まりつつある。
- 「四日市あすなろう鉄道」に転換することに。
- えちごトキメキ鉄道と言いあいの風とやま鉄道と言い、最近は鉄道会社でもDQNネームが流行っているんだろうかと思う。
- そういう社名じゃないと3セクだって分かりにくいというのはある。
- えちごトキメキ鉄道と言いあいの風とやま鉄道と言い、最近は鉄道会社でもDQNネームが流行っているんだろうかと思う。
- 「四日市あすなろう鉄道」に転換することに。
- 駅
三重のバス[編集 | ソースを編集]
- 三重交通グループのほぼ独占に見られがちだが、実はそこまでではない。
- 三岐バスがあるじゃないか。
- かつては奈良交通や国鉄バスの路線も少しあった。
- 「F促進住宅」とか「F神殿」などFがつくバス停がいくつかある。
独立項目[編集 | ソースを編集]
三岐鉄道(三岐バス)[編集 | ソースを編集]
- 自社鉄道線の南側から四日市市西部の団地群を主なエリアとして、結構な路線を抱えている。
- 本数の多い路線もあり、路線バス事業者としても規模は小さくない。
- その割に影が薄いのは高速バス路線を持たないのもあるが、かつてあった大安駅~宇賀渓の路線が無くなって以来、バス会社として全国版の時刻表に載らなくなったというのもある。
- JR富田駅の東側が車庫になっているらしく、貸切を中心に車両がずらりと並んでいるのが列車の車窓からも見れる。