和歌山の交通
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和歌山の鉄道[編集 | ソースを編集]
- JR
- 私鉄
野上電気鉄道[編集 | ソースを編集]
- 撮影禁止をめぐる鉄ヲタとの軋轢しか印象にない。
- ある意味鉄オタの地位を下げた一社。
- ということにしたがるような、鉄ヲタ叩きが大好きな人の格好の材料であることは確かだな。
- 以前はもっと謙虚だったが、末期になって横柄になった。
- 指導者となりうるベテラン職員の退職と入れ替わる形で若手を大量採用したから。そのせいで職員の人間関係はもつれ、鉄ヲタはもとより、利用客に対しても横柄になった。
- 若手を新規採用する頃には経営もすっかり傾いており、入って来た面子も他社では絶対に採用しないような人種ばかりだったそうな。
- 指導者となりうるベテラン職員の退職と入れ替わる形で若手を大量採用したから。そのせいで職員の人間関係はもつれ、鉄ヲタはもとより、利用客に対しても横柄になった。
- それどころかマスコミの取材でさえ断るまでに至った。今思えば日本貨物鉄道と鉄道マスコミの関係のようなもの。
- ある意味鉄オタの地位を下げた一社。
- 終着駅は「登山口駅」。鉄ヲタはどの山への登山口か、最後までわからなかった。
- 正解は生石高原である。
- 最後まで大手私鉄の影響下にない独立経営だった。
- そのため、国の補助金が切られるとあっさり自主廃業。
- そもそも補助金をアテにしすぎたため、どこからも援助を受けることもなく、悲惨な末路を迎えた。
- その補助金をアテにして近代化を目論んだが、頓挫した。
- そもそも補助金をアテにしすぎたため、どこからも援助を受けることもなく、悲惨な末路を迎えた。
- そのため、国の補助金が切られるとあっさり自主廃業。
- 1970年代にも廃線になりかけたことがあった。
- オイルショックで利用客を取り戻したため、撤回された。
- かつて高野山まで延伸する計画があったらしい。
- 廃止直前は阪急や阪神の旧型車が走っていたので鉄道ファンに人気があった。
- 阪神の中古車両の一部は廃止後阪神に里帰りし、尼崎センタープール前駅近くの高架下に保存されている。
- 他に水間鉄道の車両置き換えで余剰となった南海旧1201形を譲受したのはいいものの、重量オーバーで使い物にならず廃棄されたらしい。なぜそんなことが事前にわからなかったのか…。
- 軌道が軟弱すぎて就役できず、補助金をアテにしてまでやむなく新車を導入しようとしたが、バブル崩壊と同時期に補助金交付が打ち切られ、あえなく白紙に。
- 富山地方鉄道の余剰車両も購入していたらしい。
- バス部門は地元の運送会社である大十に引き継がれた。
- 子会社に観光バス会社の野鉄観光があったが、こちらは廃業せず現在まで存続している。
有田鉄道[編集 | ソースを編集]
- 紀勢本線の藤並駅から、有田川沿いに内陸に向かっていた路線。
- 元々は、湯浅駅が起点だった。
- 紀勢本線の藤並~湯浅間は、後にできた路線。一時は両線が並行していた。
- ミカンなどの特産品の積み出しが主な目的。
- 末期は休日運休、1日2往復の運行だった。
- 輸送量もレールバス1両で事足りていた。
- 旧樽見鉄道のレールバスが来る前は元富士急行のキハ58を使っていたが、譲渡前と同じく旧国鉄線への乗り入れを行っていた。
- オリジナルの国鉄キハ58にはなかった両運転台車も存在していた。
- 廃止後終点の金屋口駅は加悦鉄道の加悦駅と同じく「有田川町鉄道公園」という保存施設になっている。
- 廃線間際には、並行して走る系列の路線バスに鉄道線の切符で乗ることができていた。
- 要は、鉄道が運行されていない時間はバスに乗ってくれということ。しかし、そのバスもマイクロバスだったのでその当時から輸送力はバスでも・・・。
- かつて1日2往復、第2・第4土曜日と日曜・休日は全便運休という究極の合理化した鉄道路線を運営していた。
- なぜか1駅だけJRに乗り入れていた。
- もともときのくに線より早く開業したのだが湯浅町ー藤並駅間の区間がかぶってしまい戦時中に廃止されたため、その見返りで乗り入れていた。
- ただし私鉄とJRの衝突事故で取り止めになった模様。
- 全国版の時刻表の紀勢線のページには直通列車は列車番号がDがつかなかったためその列車だけ□の中に気と書かれていた。
- 末期の車両が樽見鉄道のレールバスだった。
- ちなみにこの路線初の冷房車。ただし1994年運行開始。
- 昔キハ58系のコピー車両が走っていた。
- 富士急行で急行列車として走っていたらしい。
- 和歌山県には有田(ありた)交通があるらしいが無関係らしい。
- ちなみにここはありだと読む。
- 一時期バス車両にトヨタの乗用車が使われたことがある
和歌山のバス[編集 | ソースを編集]
大十[編集 | ソースを編集]
- 海南市に本社を置く運送屋。
- 運送業だけでなく飲食業も手掛けている。特に和歌山県内のタリーズの主要なフランチャイジーになっている。
- 野上電気鉄道が廃止・解散した際そのバス部門を引き取ったのはこの会社。
- 現在は子会社(下記)に譲渡している。
大十バス[編集 | ソースを編集]
- 上記の通り旧野上電気鉄道のバス事業を親会社から継承。
- よってエリアは海南市、紀美野町。
- 愛称は「大十オレンジバス」。その名の通り車体カラーは橙色基調。
中紀バス[編集 | ソースを編集]
- スケールの大きそうな名前と裏腹に、和歌山県の路線バス会社の中では特に存在感が薄い。
- ここだけ大型時刻表に一切掲載されていないという事情もあるだろう。
- 一応有田市、湯浅町、広川町、由良町をエリアとしているが、自社路線は6路線しかないうえ本数も少なくさらに休日全休の所も。
- 車両も路線車は中型車かマイクロバスのみ。
- 貸切バスは結構繁盛しているようで、都内など意外な所で見かけたりする。
龍神自動車[編集 | ソースを編集]
- 田辺市北部を主な運行エリアとするバス会社。
- この社名ながら本社は旧龍神村ではなく田辺市の中心街にある。
- シーズン限定で龍神温泉から護摩壇山までの路線を運行し、護摩壇山で南海りんかんバスの路線と接続することで龍神温泉と高野山とを結んでいる。
- 京阪神から龍神温泉へ行く場合の穴場ルート(乗り換えが多いが田辺回りより近くて早い)。
有田交通[編集 | ソースを編集]
- 「ありだ」じゃない。「ありた」。
- 路線は海南市コミュニティバスに移管した。このほか紀の川市や大阪府岬町のコミュニティバスを委託している。
和歌山の道路事情[編集 | ソースを編集]
- あいさつ代わりにオービスで記念撮影をしてくれる。
- 阪和道で紀州へ入るときの話。
- 道路を走るとそこら中に「つれもって行こら」という標語が書かれている。
- 沿道には、この看板とミカン農家の無人販売所と、オークワと、那智黒の看板くらいしかない。あとは、海と山と畑と、熊野詣の人と、年寄りだけ、それが和歌山の道。
- 割と広い領域を持つ和歌山県だが、まともな道路が、高速2本と阪和国道、42号線、24号線、168号線、311号線(田辺~本宮)、371号線(紀見峠~橋本、高野山~龍神)、480号線(かつらぎ~高野山)と一部県道、紀ノ川広域農道くらいしかない。
- これでも高野山と熊野古道の世界遺産登録前よりは、随分よくなった。それより前は480号もあまり走りやすくなかったし、阪和国道も24号もよく渋滞するクソみたいな道路だった。
- 軽自動車・大型トラック・一般車のスピードの差が激しい。
和歌山県の信号機事情[編集 | ソースを編集]
- 三協高分子OEMがメインだが、コイト電工のみ鉄板灯器が採用されている。
- 樹脂王国の兵庫県(かつての徳島県も)、金属灯器主体だが割と樹脂灯器が多い大阪府・奈良県・三重県に挟まれている事情から、その折半と感じる。
- 薄型はコイトと信号電材(京三OEM含む)が多く、日信はOEM含め少ない。
- 音響用信号は旧来から擬音式。
- 南北がカッコウ。東西がピヨとなっている。
- 名古屋電機工業は採用されていない。
- 滋賀県、奈良県、兵庫県も同じく昭和時代から擬音式だが名電製は採用されていない。
- 関西2府4県で名電製は府しか導入していないうえ、20世紀は大阪はメロディー式、京都はメロディー式(洛中)と擬音式(洛外・府下)が混在だった。
- 音響もコイト電工製と京三製作所が多い。
和歌山の高速道路・国道[編集 | ソースを編集]
- 高速道路 - 阪和自動車道・紀勢自動車道・京奈和自動車道
- 国道 - 国道24号・国道26号・国道42号・国道168号・国道169号・国道311号・国道370号|国道370号・国道371号(高野龍神スカイライン)・国道424号・国道425号・国道480号
和歌山県道[編集 | ソースを編集]
- 1994年3月、県道番号を40(一般県道は35)年ぶりに白紙改正が行われた。
- 主要県道47路線は1~47、一般県道144路線は101~242と801・802を採番された。
- 1995年4月に越境路線は主要県道は50~60番台、一般県道は730~780番台へ変更が行われ下記の変更が行われた。1桁に欠番が多いのはこのため。
- 1→55、2→61、5→53、6→62、8→63、11→64、12→65、47→52。
3号かつらぎ桃山線[編集 | ソースを編集]
- 1983年認定。
- 1995年4月1日以来、和歌山県の最小番号県道となっている。
- 隣接の大阪府や奈良県で3号は欠番(ともに京都府との番号調整に伴う)だが。
- 実質、高野桃山線と言える。
4号高野口野上線[編集 | ソースを編集]
- 1桁県道とは名ばかり。
- 1994年まで一般県道だった。
7号粉河加太線[編集 | ソースを編集]
- 国道24号線と和泉山脈の間を行く県道。
- 道幅の割には、それなりに交通量が多い。
- 駅の規模の割に紀伊駅前に月極駐車場が多い理由。
- 岩出あたりの人が、駅前までこの道でやってきて、ここに車を停めて、大阪の会社へ出社することが多いため。
- 和歌山バス那賀にとって、命綱となっている紀伊粉河線は基本的にこの道を行く。
- 近大和歌山キャンパスがなくなったら、おしまいやろね。2000年頃には、30分に1本くらいあったのに、今は毎時1本あるかないかやし。
- 岩出市内では、国道24号に接続させるバイパス建設が検討されている。
- 和歌山市街から加太へのアクセスルート。
- 加太の人にとっては、この道は命綱。
- 1994年以前は県道11号だった。
9号岩出海南線[編集 | ソースを編集]
- 1桁県道とは名ばかり。
- 交差するより番号の大きい県道10号や県道136号よりも格下扱いされている。
- 3市に跨がるが、ほとんど和歌山市域。
- 和歌山市域に軽自動車すらギリギリの区間がある。
- 終点付近は一通。
13号和歌山橋本線[編集 | ソースを編集]
- 1983年まで県道6号橋本海南線だった。
- 京奈和自動車道が完成するまでは、両都市の移動にはこの道が裏道だった。
14号和歌山打田線[編集 | ソースを編集]
- 旧・国道24号。
- 岩出バイパスができるまでは、この道が幹線国道だったという貧弱さ。
- 出島~岩出は紀ノ川の南側の堤防上を行く。
- そんな場所を走るから、増水時に規制がかかる。というか紀ノ川水害のときは、これのせいで、緊急路が水没みたいな状況になったらしい。
15号新和歌浦梅原線[編集 | ソースを編集]
- 大浦街道。
- 雑賀崎と和大近くの梅原を結ぶ。
16号和歌山港線[編集 | ソースを編集]
- 南海フェリーに繋がる。
18号海南金屋線[編集 | ソースを編集]
- 和歌山市から紀中内陸部・紀南内陸部への大動脈。
19号美里龍神線[編集 | ソースを編集]
- 1965年に県道17号美里中辺路線として認定されたが、1974年の国道371号制定に伴い1977年に短縮された。
- 激狭区間があるうえに分断されている。
- 杉林にインパクトがある。
20号有田湯浅線[編集 | ソースを編集]
- 軒下険道区間が存在する。
22号吉備金屋線[編集 | ソースを編集]
- 1983年認定。
- 旧県道8号海南鳥屋城湯浅線の残骸。
- なんでかようわからんけど、沿道人口の割に、それなりに交通量がある道。
- まあ、金屋のあたりが、人口の割にそれなりに街になってるからやろけど。
- 紀南への抜け道にもなっている。
- 旧道と新道がある。両方とも全区間が県道に指定されている。
- こちらこそ国道480号にすべきだろう。これなら480号終点が有田市ではなく湯浅町か、42号重複で大物政治家N氏のお膝元御坊市までとなっていただろう。
23号御坊由良湯浅線[編集 | ソースを編集]
- 由良~湯浅の沿岸を進む。
- 由良洞は心霊スポット。
24号御坊美浜由良線[編集 | ソースを編集]
- 美浜町の命綱。
29号田辺龍神線[編集 | ソースを編集]
- 9号有田川上田辺線→9号田辺十津川線の残骸。
31号田辺白浜線[編集 | ソースを編集]
- 白浜町の命綱。
33号南紀白浜空港線[編集 | ソースを編集]
- 観光地へのアクセス道路。
40号樫野串本線[編集 | ソースを編集]
- 串本から樫野崎まで行く道。
- 紀伊大島の命綱。
- 島内部分は、地味にアップダウンが激しい。
- 末端部分まで、全線にわたって片側1車線が確保されていて走りやすい。
41号潮岬周遊線[編集 | ソースを編集]
- 串本町串本から串本町串本までを結ぶ道路。
- その名の通り、潮岬の陸繋島部分をぐるっと一周する道路。
- 海沿いを行くから、結構景色がいいかなと思いきや、西半分は、そこまででもない。
- 東半分と比べ、森林の中を走るため、むしろ、あまり海が見えない。
46号那智山勝浦線[編集 | ソースを編集]
52号北山御浜線[編集 | ソースを編集]
- 北山村と太平洋(熊野灘)を結ぶ。
- 北山村唯一の県道。
- 和歌山県域はかなり短い。
- 認定当初は和歌山県側が47号だった。
- 奈良県には入らない(奈良r52は奈良精華線)。
- ほとんど三重県。
- 和歌山県と三重県を結ぶ県道は52号と780号しかない。
53号高野天川線[編集 | ソースを編集]
55号橋本五條線[編集 | ソースを編集]
- 紀の川南岸を進む。
- 元は和歌山県側は8→1号、奈良県側は43号だった。
61号堺かつらぎ線[編集 | ソースを編集]
62号泉佐野打田線[編集 | ソースを編集]
- いわゆる粉河街道とか犬鳴越と呼ばれるルート。
- 和歌山バスがこの道に沿って粉河から熊取までバスをぶっ飛ばしている。
- 犬鳴山温泉へ行くには、この道路で。
- 和泉葛城山へ登る紀泉高原スカイラインへのアクセスもある。
- 泉佐野岩出線と並んで、昭和の頃から、比較的使い勝手の良かった阪和間を結ぶ山越え県道の雄。
- 元々の府県道番号は、大阪府は25号→1984年から41号、和歌山県は3号→1994年から6号だった。
- 1983年まで泉佐野粉河線だった。
63号泉佐野岩出線[編集 | ソースを編集]
64号和歌山貝塚線[編集 | ソースを編集]
- 1994年以前は布施屋(ほしや)貝塚線だった。
65号岬加太港線[編集 | ソースを編集]
- 府道752号の深日ロータリーが起点。
- この県道沿いは基本的にサンテレビ(神戸3ch)が映る。
- 加太の淡島神社まで。
- 旧番号は大阪府は43、和歌山県は22→12。
135号和歌山海南線[編集 | ソースを編集]
- 変化に富んでいる。
138号和歌山野上線[編集 | ソースを編集]
- 起点付近は国道並みに広いが全体的には狭い区間が多い。
146号西脇梅原線[編集 | ソースを編集]
- 起点は西脇だが決して兵庫県ではない。
148号和歌山港北島線[編集 | ソースを編集]
- ヘキサが存在しない。
159号海南吉備線[編集 | ソースを編集]
- 海南市内は山間部を通る険道だが有田川町内は普通の県道である。
164号沓掛糸我線[編集 | ソースを編集]
- 下津町内は階段状で車で物理的に通れない区間も存在し、通行可能区間でもコンクリート舗装の悪路である。
- 有田市内はアスファルト舗装だが狭い道が続く。
====176号井関御坊線====
- 紀州のイナロク。
- 実は旧国道42号。
- 昔の42号は由良を通らなかったから。
177号南金屋由良線[編集 | ソースを編集]
- 県内屈指の険道で国道42号より北側は見ていもられないほど酷い。
198号龍神中辺路線[編集 | ソースを編集]
- 龍神と中辺路を結ぶ三桁県道。
- 実は新宮~和歌山の下道で比較的走りやすい割には、比較的速く行けるルート一部を構成した道路。
- 168号→311号→県道189号→424号→県道22号→42号。
- 高速が南部までしかなかった頃は、中辺路の国道311号との交差点に、道路公団設置の「阪和道 吉備IC →」の大きな看板が出ていた。
- すぐ近くを国道371号が通っているが、不通区間だったようなただの酷道だったような。
- 正直な話、水上栃谷トンネルは、南紀の山間部へ旅行するときにはマジでネ申。
229号古座川熊野川線[編集 | ソースを編集]
- 県内の一般県道では最長であるが、ほぼ全区間が狭い。
731号二見御幸辻停車場線[編集 | ソースを編集]
- 御幸辻から大和二見まで行く県道。
- 農道と合わさって国道24号のバイパスルートになっていた。
- 五條から大阪方面というのはあまりなかった(国道309号経由の方が速いから。)が、五條から林間田園都市の月極駐車場まで車で出て、南海電車で会社に行く五條市民もちらほらいた。
735号龍神十津川線[編集 | ソースを編集]
- 国道425号よりマシとされる。
- 県境が分水嶺とはずれている。十津川村とはいえ市外局番は0739の区域だが。
751号木之本岬線[編集 | ソースを編集]
- 和歌山テレビ中継局の近くを通る。
752号和歌山阪南線[編集 | ソースを編集]
→国道26号へ
780号熊野川紀和線[編集 | ソースを編集]
- 和歌山県域はかなり短い。
- 県境は三和大橋でそのまんま。
- 和歌山県と三重県に跨がる県道は52号と780号しかない。偶然にも780は52の倍数。
その他の道路[編集 | ソースを編集]
紀ノ川広域農道[編集 | ソースを編集]
- 京奈和道が完成するまでは、国道24号のバイパスだった。
- これと、御幸辻二見線を使えば、岩出から大和二見まで、渋滞知らずの快適なドライブができた。