もしあの番組が大コケしていたら/日本テレビ系/さ・た行

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さ行[編集 | ソースを編集]

ザ!鉄腕!DASH!![編集 | ソースを編集]

  1. TOKIOは史実ほどの人気を得られていなかった。
    • 嵐のブレイクが早まっていた可能性も。
    • 城島茂≒オッサン(おばちゃん)キャラが定着することは無かったか、もう少し遅れていたかも。
    • 山口達也が「棟梁」だとか「船長」と呼ばれることは無かっただろう(特に「船長」はこの番組の企画で船舶免許を取ったことで付いたわけだし…)。
      • というか今でもデブキャラ扱いされていたかもしれない。
    • 男性からの支持も高まることもなく、ジャニーズはいまだに女性に支持される風潮のままだった。
  2. DASH村も無かったたか、それほどの人気は出なかった。
    • DASH村にある小屋の火災や東電福島第一原発事故での警戒区域設定で住所がばれることが無かった。
  3. 仮に「SMAP×SMAP」も大コケした場合、ジャニーズがバラエティに進出することに対して二の足を踏む可能性も。
    • 「嵐にしやがれ」や「関ジャニの仕分け∞」は誕生しなかったか、史実ほどの人気は出なかった。
      • 「VS嵐」も短期間で放送終了していた。むしろ番組自体存在していなかったかもしれない。
  4. 「ガチンコ!」や「メントレ」といった番組もなかった。
    • 「ガチンコ!」での一連の騒動(台本が存在した…など)は起きなかった。
  5. ゴールデン進出することなく終了していた場合、TOKIOのメンバーが「さんまのSUPERからくりTV」のレギュラーとして出演し続けていたはず。
    • からくりTVも史実より視聴率が低下する事は無く、史実より長続きしていた
  6. 当然ながら、松岡昌宏が発した「まな板にしようぜ!」がネット上で流行することも無かった。
  7. 『関ジャニの仕分け∞』(テレビ朝日系)で放送された「2日でいくつ空港を廻れるか?」など、自局他番組や他局の番組で派生企画が放送される事も無かった。

THE夜もヒッパレ[編集 | ソースを編集]

  1. いわゆる「懐メロ歌手」は「ミュージックフェア」でしかお目にかかることができなかった。
  2. 安室奈美恵やMAXの人気に火がつかなかったかもしれない。
    • 当然SPEEDの結成もなく、ライジングプロダクション(現ヴィジョンファクトリー)は史実ほどの規模の芸能事務所になることもなかった。
  3. 本業が歌手なのにバラエティしか出ていない芸能人の、歌の披露の場が失われていた。

幸せ!ボンビーガール[編集 | ソースを編集]

  1. 『銭形金太郎』の亜流として叩かれるのみで終わった。
    • プライムタイムで大コケした場合、テレ朝の二の舞になっていたのは確実。
  2. 森泉は、「(日テレの番組としては)『ぐるぐるナインティナイン』の『ゴチになります』をクビになった人」という認識だった。
    • 『おしゃれイズム』は?
  3. だが不定期放送『幸せ!ボンビーガール 家賃も食費も全部込み!月7万円で暮らそうスペシャル!』は放送されていたのでは?

ZIP![編集 | ソースを編集]

  1. ズームイン朝を程なく復活させていた。
    • 復活は無くとも、ズームイン色の強い報道番組に戻していたはず。
  2. 朝のニュース番組に情報バラエティ要素は不要とされてしまっていた。
    • そもそも、バードが司会になった後のズームイン!からその傾向はあったからなぁ。
  3. MOCO'sキッチンも流行らないのでオリーブオイルの知名度は上がらず。
  4. ZIPPEIも地味な存在となったので、史実通り急逝しても大きく取り扱われなかった。
    • 当然ながら「スマイルキャラバン」も人気を得ることはないため、ダイスケが売れることは無かった。
      • ポケモンのOP曲「夏めく坂道」は別の歌手が歌っていたか、その曲自体がなかった。
    • 旅犬と言えば、今でもまさお君ファミリー(まさお君、だいすけ君、まさはる君)の認識だった。
  5. 朝のニュース番組は「おはよう日本」の独り勝ちか、「めざましテレビ」と「朝ズバッ!」とのつばぜり合いだった。
    • 朝ズバッ!とやじうまテレビ!はもう少し続いていた。
      • 前者は司会者が降板しても史実よりある程度視聴率を取っていた。
  6. ZIPといえばデータ圧縮やアーカイブのフォーマットの事だった。
    • または、名古屋の民放FM局「ZIP-FM」。
  7. ZIP!は史実以上に叩かれていた。

しゃべくり007[編集 | ソースを編集]

  1. 24時間テレビの深夜帯でスペシャル展開することもなかった。
    • 史実で06~08年に行われた芸能人秘蔵映像スペシャルがもう少し続いていた。
    • 当然、宮崎地区と沖縄地区で、レギュラー版(MRTとRBC)と24時間テレビSP版(UMKとOTV)で、ネット局が異なるという事態も起きなかった。

笑点[編集 | ソースを編集]

  1. 落語界の規模は小さく、落語という芸は今以上にマニアックなものになっていたかも。
    • 下手すりゃお笑い自体(特に関東)が今ほどメジャーにならなかった可能性も。
    • 最悪の場合上方落語と江戸落語の地位が入れ替わっていた。
  2. 圓楽一門会は今現在で解散していたか、落語協会へ出戻りになっていた。
    • ちなみに6代目の時に落語芸術協会へ合流の噂があったが、一部役員の猛反対に遭って実現せず。
    • 5代目圓楽が『寄席若竹で借金』という事を楽太郎(6代目圓楽)にネタにされる事も無かったか?
  3. 三遊亭楽太郎が六代目三遊亭円楽を襲名することはなかった。
  4. 「林家木久蔵」は襲名されるような名跡にはならなかった。
  5. 山田隆夫はずうとるび脱退を境に消えてしまっていた。
  6. そもそも「大喜利」と言う言葉がここまで広まってなかった。
    • 面白い発言に「座布団1枚」と発することも広まらなかった。
  7. 今頃古き良き体質の番組が日テレから根絶していた。
  8. 桂歌丸は落語芸術協会会長になれなかった。
    • もちろん文部科学省から受賞されることはなかった。
  9. 落語協会分裂騒動が原因で打ち切られた可能性も。
  10. 日曜日夕方の時間帯は放送休止になっていた。
    • なぜかというと金曜夜席が笑点として現在の時間に移動した時、当時の時間帯は砂嵐枠と言われるくらい不毛の時間帯だったから。
  11. 日曜日のゴルフ中継やプロ野球中継(巨人のリーグ優勝がかかった試合など)は、18時まで放送。

情報ライブ ミヤネ屋[編集 | ソースを編集]

  1. 宮根誠司の全国的な知名度が上がることはなかった。
    • 『Mr.サンデー』のキャスターは別の人になっていた。
    • 他が実史通りなら、宮根は、「日曜夜の顔」となっていた。
    • 下手すりゃ関西に戻っていたかも。
  2. 少なくとも、全国ネット化はなかっただろう。
    • 関東圏ではドラマ再放送不振に続く大コケで死に枠扱いの末、通販番組枠に転換していた。
    • または、MBSの「Mr.ロンリー」みたいに、関西ローカル→全国ネット→関西ローカルの変遷を辿るが、視聴率が回復せず、打ち切りになる。
  3. 『知りたがり!』の視聴率が悪くなることはなかった。
  4. 後番組は『ひるおび!』や『ワイドスクランブル』のような芸能ニュースを省いた報道路線の番組になっていた。
  5. もしくは、該当時間はローカルセールス枠になったかも。これにより、一部日テレ系列局では、フジテレビ『グッディ』のネットに切り替え。
  6. 川田裕美はフリーになったとしても関西にとどまったままだった。

人生が変わる1分間の深イイ話[編集 | ソースを編集]

  1. 焼肉えびすを紹介してユッケ食中毒事件後に叩かれることもなかっただろう。
  2. フジ月9ドラマの視聴率低下は起きず、「婚カツ!」「ビブリア古書堂の事件手帖」は視聴率一桁台を記録することはなかった。
  3. 島田紳助の引退と共に打ち切られていた。

スーパージョッキー[編集 | ソースを編集]

  1. 低俗番組が減っていた。
  2. 熱湯コマーシャルでの入湯拒否事件はなかった。
  3. フライデー襲撃事件の時に打ち切られていた。
  4. 終了後も上島竜兵の「押すなよ?押すなよ?」がネタにされることもなさそう。

ズームイン!!朝![編集 | ソースを編集]

  1. 平日7:00からの90分間は各局ローカル枠となっていた。
    • ルンルンあさ6生情報ジパングあさ6は2時間半のワイド番組になっていた。
    • 北海道は朝6生ワイドを延長して対応。
    • 「おはよう!こどもショー」も忘れないでください。もし「こどもショー」が続いていたらアンパンマンも番組の1コーナーにされていたかも。
      • 子供番組が復活してそれなりに人気を得る。東京12チャンネル(当時)の「おはようスタジオ」は誕生しなかったかも。
        • 「おはスタ」もなかった。かわりに日テレで似たような番組が流れていた。
        • 史実のzipのアニメコーナーはここで放送。
    • (かつて放送された『NNNモーニング7』を拡大した様な形で)『NNNモーニングワイド』を7時台に放送して、子供番組(「おはよう!こどもショー」みたいな番組)を内包する。
      • (実史上の)開始当時のネット状況からして、7時半か8時まではネットワークセールス枠の番組で、それ以降はローカルセールス枠の番組かも…。
    • 各局のこの時間帯は自社制作番組(札幌テレビや山口放送など)や、他系列の番組を放送(四国放送はTBSや秋田放送はテレ東とか)していた。
  2. ルックルックこんにちはが7:00からの放送になってたかも。
  3. 徳光和夫は、史実より早く日本テレビを退社してたかも。
    • 福留功男は、ウルトラクイズの司会者というイメージだけで終わっていた。
    • 福澤朗は、岸部四郎降板後のルックルックこんにちはの司会をやってたかも(史実では、当時福澤の上司だった松永二三男が岸部の後任となった)。
      • そして、現在も日本テレビに在籍。
    • 羽鳥慎一は、ゴチになりますの司会者というイメージだけで終わっていた。
      • フリーになれなかったかも。
      • むしろ、羽鳥は日テレに入らず、別のテレビ局に入社したかも。
        • テレビ朝日に入社し、『モーニングショー』(2015年の「羽鳥慎一…」ではなく、「スーパーモーニング」の前枠に放送していた方)の司会を担当した。
  4. 日本テレビとその系列局の若手アナウンサーの仕事の場が減ってたかも。
  5. 沖縄の県民からうらやましがられることもない。
    • 南西放送計画は立ち上がるが、アンチ巨人は逆にテレ朝を羨望し、あとは史実どおり。
  6. マイスタジオは取り壊され、元通り日本テレビ史の展示室となる。
    • 当然汐留移転時にはマイスタジオは作られない。
  7. おもいっきりテレビはそもそも放送されておらず、今でもお昼のワイドショーの後継で芸能系ワイドショーをやっている。
    • ズームインの成功に気をよくした当時の社長が昼枠のリニューアルを指示したことで「おもいっきり~」がスタートした、という経緯があるため。
    • 当時テレビ岩手(以下TVI)のアナウンサーだった高橋佳代子は、今頃TVIのアナウンス部長あたりになったか、実史より早くフリーになった。
  8. 当然ズームインSUPERは無い。
    • ズーミンもチャーミンもいない。
      • ズムサタも生まれないのでサタボーもいない
    • ZIP!もなかった。
  9. 朝7時の民放ローカルワイド乱立はないかも。
    • TBSが「モーニングジャンボ」形式の番組を続け、それに対抗するあの手この手。
      • それでもテレ朝は「やじうまワイド」にした。
        • 「おはようテレビ朝日です」のまま。
    • おはようとくしま(四国放送)が現在でも続いていて、これを手本にした番組が地方各局で放送されていた。
      • 結果日テレ系列では朝はどこも自社制作の番組が放送されている。あさチャン!!(静岡第一テレビ)やあさイチ!(読売テレビ)が現在でも放送されて同名他系列の番組は別の名前に。
  10. 「めざましテレビ」も存在せず、フジは現在もニュースと子供番組を放送。
    • 5:25~FNNモーニングワイド(エンタメ情報皆無)6:30~ウゴウゴルーガ7:00~ピンポンパン7:30~Beポンキッキーズ8:00~とくダネ!の順
  11. 大半の系列局は、自社で製作する番組は短いローカルニュースと天気予報、高校サッカーの県大会決勝のみ。今でも夕方は子供番組の再放送。
    • 青森放送では、フジテレビ「プロ野球ニュース」(時差放送)の継続と朝のANNニュース(実史では当時の「ANNニュースセブン」⇒「ANNニュースフレッシュ」)が土曜日以外のネットする。
      • RABニュースレーダーが現在でも朝の時間帯に放送されていたか。(1977年夕方移動だから微妙だが)
      • RABニュースレーダーの夕方移動は1977年4月、ズームイン!!朝!の開始は1979年3月。
  12. 魁三太郎は、マイナーな存在に。
  13. 森中慎也は大学教授にならなかった。

進め!電波少年[編集 | ソースを編集]

  1. 今のバラエティ番組の形式は大きく変わっていた。
  2. 猿岩石は一発すら上げられず消えていた。
    • 当然、(実史で)後に該当放送枠で放送される「有吉反省会」も無い。
    • 更に、「有吉ゼミ」も無い。
  3. 木村匡也がナレーションとして大成しなかった可能性も。
    • 『めちゃイケ』(フジテレビ)で、ナレーターとして大成したか…。
  4. 「帝国のマーチ」と言えば誰もがスターウォーズのダースベイダーの曲を連想していた。
  5. 当然兄弟番組の「雷波少年」もなく、サムシングエルスやブルームオブユースは注目されることなく解散していた。
  6. 「アポなし」という言葉はここまで広まらなかった。
  7. 子供に見せたくない番組に挙がることはなかった。
  8. 日テレ系のこの時間帯はytv、CTV、FBSのようにローカル番組、もしくは他系列の遅れネット番組を放送する局が増えていた。

スッキリ!![編集 | ソースを編集]

  1. 加藤浩次は「極楽とんぼ」のメンバーという認識で終わっていた。
    • 「スッキリ!!」開始前から、フジテレビ『めちゃ×2イケてるッ!』が放送されているが…。
  2. ルックルックのケースと同様、モーニングバードがKNBやJRTでもネットされていた。
  3. 「スイーツ○○」といえば未だに真壁刀義ではなく「スイーツ親方」こと芝田山親方のイメージ。
  4. ふなっしーはブレイクしなかった。
    • もしくは別番組で特集し、ブレイクしていた可能性がある。
    • 「ふなっしー」って、「スッキリ!!」でブレイクしたのか?

世界一受けたい授業[編集 | ソースを編集]

  1. 子供に見せたい番組が減っていた。
    • 教育ママや教育パパは土曜8時になると「こっちの方が勉強になる」といってこの番組にチャンネルを変えることはなかった。
    • 変わりにジョブチューンが子供に見せたい番組になっていたかも。
  2. 『めちゃイケ』が『世界一受けたくない授業』というパロディをやることもなかった。
  3. おそらく2015年現在まで続くことはなく、どこかで打ち切られていた。
    • 最末期は安易な視聴率稼ぎのために、内容の低俗化が激しかっただろう。
  4. 教授や知識人のテレビ需要は低下していた。
    • 林修は流行語大賞を受賞しても史実ほどテレビに出なかった。
      • ネプリーグに登場する事なく、東進の先生も登場する事も無い。

世界の果てまでイッテQ![編集 | ソースを編集]

  1. 立木文彦の仕事がひとつ減っていた。
  2. こんな企画が組まれることはなかった。
    • 『この経験は必ず成功につながる』というコメントもなかった。
  3. イモトアヤコは、今なおマイナー芸人のままだった。
    • フォーリンラブも結成されていなかった。
      • 「珍獣ハンター」の称号は、別のお笑い芸人に与えられたか。
      • 現在放送中の「なんでもワールドランキング ネプ&イモトの世界番付」も無かった。
        • あったとすれば「なんでもワールドランキング ネプチューンの世界番付」だった。
    • 当然、2009年の「24時間マラソン」のランナーにも選ばれない。
    • チャリティーパーソナリティもNEWSにはならない
      • 同様に同年の「グラチャンバレー」のスペシャルサポーターにも選ばれなかった。
        • それはEXILEだった記憶があるが。
        • 2013年の「グラチャンバレー」では、間違いなくスペシャルサポーターにはなってない。
    • セーラー服を着ている理由が分かりやすく…
    • 2015年1月開始のドラマに起用されたかどうか?
    • 「フォーリンラブ」が結成されてないとなると、バービーが2011年の『笑ってはいけない空港24時』に「下着泥棒の被害者」として出る事が無かったか?
  4. 「どうぶつ奇想天外!」が2009年4月以降も続いていた。
    • 『大改造!!劇的ビフォーアフター』のレギュラー枠復帰もなかった。
  5. ふかわりょうの髪型変更もなかった
    • それでも『5時に夢中!』のMCにはなっていただろう。
  6. 日本テレビ日曜20時枠はドラマ枠に戻っていた。
  7. 大河ドラマの視聴率低下は起きなかった。
  8. 出川哲朗はリアクション芸人として評価されることなく、未だに嫌いな芸人の域を脱していなかった。
    • 嫌いな芸人ランキングでは上位にランクインしており、未だに江頭2:50と上位を張り合っていた。

世界まる見えテレビ特捜部[編集 | ソースを編集]

  1. 「志村けんのだいじょうぶだあ」はもう少し長く続いていた。
  2. 当初の予定通り1クールで終了し、レギュラー番組として復活することはなかった(元々つなぎ番組であったため)。

速報!歌の大辞テン!![編集 | ソースを編集]

  1. 笑ってコラえてが移行するまで、日本テレビ水曜日20時枠はヒットがなかった。
  2. 昭和歌謡の若年層への知名度が低下していた。

た行[編集 | ソースを編集]

ダウンタウンDX[編集 | ソースを編集]

  1. ダウンタウンは読売テレビと絶縁していた可能性もあった。
    • 当時全盛期にあったダウンタウンにとって当初大阪収録だったこの番組について不満を漏らしていたため。

ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!![編集 | ソースを編集]

  1. ダウンタウンや山崎邦正(今の月亭方正)のブレイクは史実より遅かった。
    • 山崎は相方の軌保博光が芸能界を引退するときに同時に引退していたかも。
      • あるいは史実より早く落語に転向?
  2. 「笑ってはいけない」シリーズはなかった。
    • 紅白の裏番組の中で一番視聴率がいい番組は別の番組になっていた。
      • 紅白歌合戦の視聴率低下もなく、半数を割ることもなかった。
    • (実史で元旦未明に放送の)「おもしろ荘」を含んだ『ぐるナイ』の年越しスペシャルを放送じゃない。
      • 1990年台中頃の日テレ系年越し番組が『ナインティナイン』メインの番組だったから、現実味はあったかも。
        • 2015年の「名探偵」で、同系列で放送の「名探偵コナン」や「ヒガンバナ~警視庁捜査七課~」のパクリ・パロディ・コラボが無かった。
  3. 菅賢治が名物プロデューサーとして知られることはなかった。
    • 「ガースー」と言えば、菅義偉元内閣総理大臣の事を指していたか?(但し、一部の若者しか通用しない。)

たかじんのそこまで言って委員会(読売テレビ)[編集 | ソースを編集]

  1. 関西以外ではやしきたかじんと言えば歌手というイメージのままだった。
  2. 2014年1月にたかじんが逝去した際も関西以外では史実ほど大きなニュースにはなっていない。
  3. 橋下徹が大阪府知事→大阪市長になることもなかった。
    • 2015年5月17日に行われた『(大阪都構想に関する)特別区設置に関する住民投票』も行われなかった
  4. おそらく「たかじんNOマネー」も放送されていない。
    • 「たかじん胸いっぱい」も打ち切りになっていたかも知れない。
  5. いずれにせよ日テレには何の影響はなし。
    • 地方局のこの時間は各局独自編成に(ローカル番組、他系列番組の遅れネット、再放送枠など)
  6. もしかしたらたかじん本人も現在でも健在だったかも知れない。

テレビ三面記事 ウィークエンダー[編集 | ソースを編集]

  1. 当時のテレビ界で「エログロ」「扇情的な事件報道」「事件の再現ドラマ」などは、タブーとされるようになった。
  2. この番組による報道被害が発生しなかった。
  3. 当時の日テレのイメージが、健全でクリーンなものになった。
  4. 「影同心」(TBS)がネットチェンジ後の「必殺シリーズ」の代わりに大ヒット。「新宿警察」(フジ)も当たった。
  5. 泉ピン子ら、この番組でリポーターとして活躍した人達が、メジャーになれなかった。

テレビ宣言(広島テレビ)[編集 | ソースを編集]

  1. 柏村武昭は、お笑いマンガ道場の司会という認識で終わっていた。
    • 広島市長選に出馬することもなかった。

天才!志村どうぶつ園[編集 | ソースを編集]

  1. パンくんは有名にならなかった。
  2. ブサかわいい犬として有名になった青森県鯵ヶ沢町にいる秋田犬「わさお」が全国で長く注目される事も無かった。わさおがいる鯵ヶ沢町のイカ焼き店に観光客が来る事も少なくなったか?
    • 2017年12月に「わさお」の飼い主が亡くなったが、地域ニュースにもならなかった。(新聞のお悔やみ欄に載るだけ。)
  3. 子供に見せたい番組が減っていた。
    • ドリフターズは未だに低俗な風潮が続いていた。
      • 志村けんは司会者としても評価されなかった。
  4. 動物バラエティといえばTBSという認識で終わっていた。
    • そもそも動物バラエティはTBS以外では成功しない風潮が続いていた。
      • テレ東のペット大集合!ポチたまがありましたが・・・。

天才・たけしの元気が出るテレビ!![編集 | ソースを編集]

  1. 根岸雄一がナレーターとしてブレイクすることはなかった。
    • 声優としての仕事が多くなっていただろう。
      • 史実では、この番組でナレーターを担当したのを機に、ナレーターとしての仕事が多くなった。
  2. 高田純次はブレイクしなかったか、あるいは遅れていた。
  3. フライデー襲撃事件発生と同時に打ち切りとなっていただろう。
  4. テリー伊藤も史実ほどの存在にはなっていない。
    • 浅草橋ヤング洋品店→ASAYANもない。
    • よってモ-ニング娘。も存在しない。
    • AKB48も存在したかどうかも不明。存在しなければもしAKB48がブレイクしていなかったらに書かれている事が現実化していたかも。
    • (実史上で)後にコメンテーターを務める「スッキリ!!」(日本テレビ)や「サンデージャポン」(TBSテレビ )に出る事が無かったかも。
  5. V6に岡田准一は加わらず、原知宏がそのままメンバーになっていた。
  6. 飯田覚士がプロボクサーになったかどうか微妙。なったとしても史実ほどの人気ボクサーではなく、世界王座は挑戦すらできなかったと思う。
  7. 日テレ系日曜20時枠はドラマ枠に戻っていた。
  8. ドキュメントバラエティなる番組スタイルが確立するのが遅れていた。
    • 恐らく「電波少年」シリーズにてそれが初めて日の目を見るなんて事になっていたかもしれない。
  9. 今のテレビ全体の構図は大きく変わっていた。
  10. 山本太郎は議員はおろか俳優にすらなれなかった。
  11. 「たけしメモ」のようなネタは流行らなかった。
    • 鉄拳の「こんな○○は××だ!」のネタも流行ったかも不明。仮に流行っていた場合、その時点で「たけしメモ」が注目されていた。
    • 笑点の大喜利でも「こんな○○は嫌だ!」のお題が出題されなかった。

投稿!特ホウ王国[編集 | ソースを編集]

  1. 「探偵!ナイトスクープ」の二番煎じと揶揄されることはなかった。
  2. Whiteberryがメジャーデビューすることはなかった。
  3. ストローを楽器にする男は有名にならなかった。
  4. 阪神春日野道駅は日本一危ない駅として紹介されることはなかった。
    • 現在でも相対式ホームに改良されることなく、狭い島式ホームのままだった。
  5. 芸をする動物が有名になることはなかった。
    • アッカンベーをするアザラシはみかんのCMに出演することもなかった。
  6. 「世界名作劇場(フジ)」「クイズ ヒントでピント(テレ朝)」「クイズ日本人の質問(NHK総合)」は安泰。全て21世紀まで続いた。そして、この時間帯での日テレの暗黒時代は、さらに続くことになった。
    • 場合によっては「ザ!鉄腕!DASH!!」も大コケしていたかもしれない。

所さんの目がテン![編集 | ソースを編集]

  1. 魚住りえ(目がテン2代目アシスタント)のフリー転向はなかった。
    • その場合『ソロモン流』のナレーターは別の人(皆口裕子あたり?)になっていた。
  2. 2009年時点で日テレの午後5時30分は当初からアニメだった。

どさんこワイド(札幌テレビ放送)[編集 | ソースを編集]

  1. 夕方ワイド番組は作られなかった。
  2. 明石英一郎は『STVホットライン』に戻り今でも司会をしている。
  3. 木村洋二はSTVを退社しフリーになっていた。
    • 現在放送中の「1×8いこうよ!」は、別の局で放送?
      • 「1×8」と言う言葉自体がSTVの事を指しているので、番組自体存在しないか別のタイトルになっている。
    • または、明石・洋二がWで退社・フリーに。
      • 退社後は二人でお笑いコンビになっていた。
      • いずれにせよ二人の退社でSTVは大打撃を受けていた。
  4. HBC・HTBが夕方の時間帯の視聴率をもぎ取っていた。
  5. STV版2時ワイドも黒歴史だったかもしれない。
  6. 道内の民放TV局の夕方アニメ枠(TVhを除く)が廃止される事が多分無かった。道外もそれは同じ。それどころかアニメ自体の人気が今よりも盛り上がってたのは間違いない。
    • そこは史実通りにCSのアニメ専門チャンネルが普及して需要が減退してたから、バラエティの再放送で埋められていたと思う。
      • むしろ一部地域では地方ローカルのバラエティ番組(特に中部地方や関西)または他局の番組を放送していたかも。
        • 後者は特にTXN系列局のない県に住んでいる住民は大喜び。その上、アニメ事情もいくらか改善していた。
    • 多分この時間帯はどこの局(NHKやTXN系列局などを除く)もローカルセールス枠になっていた。
    • あるいは午後5時台は道内含めてキー局の番組を放送する枠になっていた。(現実でもSTVは一部放送しているが)。
  7. 当然「どさんこワイド朝」・「どさんこワイドひる」も存在せず、「朝」は違うタイトルで自主制作の番組を放送か、日テレの番組を最初から全編ネット、「昼」は「STV(全国ニュースのタイトル・2012年時点では「ストレイトニュース」)」で放送される。
  8. 下手すればこの番組も大コケしていたかもしれない。
  9. 札幌メディアパーク・スピカは建設されなかった。

とんねるずの生でダラダラいかせて!![編集 | ソースを編集]

  1. アイルトン・セナなどが出演することはなかった。
  2. ねずみっ子クラブは誕生しなかった。
    • 仲根かすみはタレントになっていなかった。
      • 当然和田毅の結婚相手も違う人になっていた。
    • ジュニアアイドルというジャンルは誕生しなかった。
もしあの番組が…
○○だったら NHK/日テレ系(あ・か/さ~わ)/テレ朝系/TBS系/テレ東系/フジ系/ドラマ/アニメ(あ・か/さ・た/な〜わ)/特撮/時代劇/放送枠
大コケしていたら 独立局・CS・海外・ラジオ・インターネット/NHK/日本テレビ系(あ・か行/さ・た行/な~わ行)/テレ朝系/TBS系/テレ東系/フジ系
大ヒットしていなかったら アニメ/特撮戦隊/ライダー/円谷/東映)/ドラマ(あ~こ/さ~そ/た~と/な~ほ/ま~わ/連続テレビ小説
今でも続いていたら NHK・独立局・CS・海外/日テレ系(あ~さた~わ)/テレ朝系/TBS系(あ・かさ~わ
テレ東系/フジ系(あ・かさ~なは~わ)/アニメ(あ~さ/た・な/は~わ
大ヒットしていたら NHK・テレ東系ほか/日テレ系(あ~こ/さ~の/は~わ)/テレ朝系(あ~こ/さ~の/は~わ
TBS系(あ~こ/さ~の/は~わ)/フジ系(あ~こ/さ~の/は~わ
アニメ/特撮東映戦隊ライダー円谷プロ)/ドラマ(あ~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ/連続テレビ小説
他局の制作だったら アニメ(あ~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~も/や~わ)/ドラマ(あ~さ/た~わ
別の時代に放送されていたら 日テレ系/テレ朝系/TBS系/フジ系/アニメ(あ~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ
打ち切られていたら 日テレ系/TBS系/アニメ(あ~さ/た~わ)/特撮
終了したら 日テレ系/テレ朝系/TBS系/フジ系
その他 司会者降板がなかったら/もう少し長く放送されていたらアニメ)/放送中止・延期がなかったら/レギュラー化していたら