もし滋賀県庁が彦根市に置かれていたら
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- そもそも滋賀県じゃない。
- 今まで、岐阜県だと思ってた。
- 滋賀って県名にはならなかったって意味なんだが……。
- 廃藩置県後一回でも大津が県庁所在地だった時期があれば、滋賀県のままだったかも。
- 犬上県になっていた。
- 県庁に近くなるので、福井の嶺南地方は犬上県に属したままになる。
- 藩閥の画策により、東海道本線は草津・亀山経由の旧東海道沿いのルート。
- それなんて都市伝説?
- 東海道本線のルートが現行のものになったのは当初中山道経由で東京~関西を結ぼうとしていたから。
- また、旧東海道の鈴鹿峠は当時の技術だと壮絶な難工事になることが確実だった。
- 山口県が九州地方寄りなのと同じような感じで、中部地方寄りだというイメージになる。
- 岐阜県との結びつきが強い。
- そして、岐阜県と結びつきの強い愛知県との関係も良好。名古屋の人口ももう少し増えている(40万人多くなる)。
- 岐阜県との結びつきが強い。
- 結局、人口は大津市の方が多い。
- 大津市は京都市に編入され、「京都市大津区」になっている。
- この場合琵琶湖岸を京都と分け合うことになり、湖政は責任のなすりつけあい、泥の投げ合いの様相を呈す。
- 彦根市の人口は20万人に膨れる。
- 湖東地域の交通改良の影響で名古屋への通勤通学も可能、米原の人口がニュータウン建設などで9万〜12万人都市となる
- 米原・長浜方面に向かう新快速が2022年のダイヤ改正で毎時2→1本に減便されることはなかった。
- 長浜は史実と変わらない、もしくは観光客がやや増える
- 湖南では草津市が発達し、人口はやはり20万人くらい。
- 平成の大合併で守山・野洲・栗東・湖南の各市と大津市(区?)瀬田地区を合併し50万都市に。
- 大津市は京都市に編入され、「京都市大津区」になっている。
- 湖西が今以上に田舎。
- 北陸方面の特急は今でも琵琶湖線経由。湖西線に新快速が走ることはなかった。
- 現状でも「サンダーバード」の多くが1県丸ごとスルーしている状態なのでそこは史実通り。
- 特急が通らないならそもそも湖西線は建設されない。
- 北陸方面の特急は今でも琵琶湖線経由。湖西線に新快速が走ることはなかった。
- オーミケンシは未だ操業中。一方、大津の東レ工場は閉鎖移転している。
- 大津市が堅田や瀬田や志賀町を吸収したように、犬上郡や米原町は彦根市に吸収されてる。
- こうして米原駅は「新彦根駅」に改称。……あれ?どっかに似てる?
- 米原町は、同じ伊吹山麓の長浜市に編入されていた。よって、米原駅はジャンクション機能を持たない月並の駅になっていた。(理由は10個下の項目を参照)
- どっちにしろ旧市街は寂れている。
- 彦根東が金亀高校に、膳所高校は大津東高校に?
- では、東大津高校はどうなる・・・?
- ご当地グルメブームで「彦根ちゃんぽん」が福井ソースカツ丼なみにメジャー化。
- 湖岸の埋め立てにより、鳥人間コンテスト会場はもっと北の方に移転。
- 名神高速道路は東海道本線とはほぼ関係ないので、ちゃんと彦根を通る。
- 新快速は確実に大津駅を通過。
- 石山~山科間がノンストップに。
- 県紙として「近江新聞」が彦根に立地する。京都新聞の地盤は湖西のみ。
- 当然ではあるが、両紙はびわ湖放送に出資。
- 中日新聞もびわ湖放送に出資している。尚、中日の地盤は現実と同じく湖西以外。
- 京都新聞は滋賀ではなく奈良北部や高槻などを営業エリアにしていた。
- 滋賀県内における中日ドラゴンズファンが現実よりも増えていた。
- 鈴鹿〜彦根〜敦賀を結ぶ「東近畿自動車道」が開通する。(播但自動車道や北関東自動車道みたいな連絡線)
- ひこにゃんは彦根城どころか滋賀県のマスコットになっていた。
- 鉄路や道路で、京都側・岐阜側・敦賀側のジャンクションは、米原じゃなくて長浜に設置された。(長浜は伊吹山麓で、天正時代までは近江第一の城下町だった為。)
- 長浜駅は、中央本線と長浜線(現実の北陸本線)の分岐点になっていた。
- 国家総動員法による銀行合併で、犬上県内の全ての銀行は百三十三銀行に編入された。
- 京阪は滋賀県内に路線を持たず、名鉄が不破越えを果たす。
- 近江鉄道も名鉄系になっていた。
- 西武グループの創設者が滋賀出身なので、名鉄系列にはならなかったのでは??
- T口さんとT是さんは親戚関係?
- 逆に京阪も彦根まで延伸されていたのでは?
- あるいは近江鉄道が標準軌に改軌され、京阪あるいは阪急と直通、西の山陽電鉄と比較される準大手私鉄となっていた。
- この場合近江鉄道が京都・大津まで延伸されていたか京阪あるいは阪急が近江八幡あたりまで延伸されていた。
- あるいは近江鉄道が標準軌に改軌され、京阪あるいは阪急と直通、西の山陽電鉄と比較される準大手私鉄となっていた。
- 近江鉄道も名鉄系になっていた。
- 滋賀県が三重県と同様、近畿地方ではなく東海地方の扱いを受けるようになっていた。
- しかし大津市から野洲市あたりまでは京都や大阪との繋がりが強いため、三重県名張市と同じような感じとなっていた。
- 県域テレビ局(実史のびわ湖放送)の送信所が、大津テレビ送信所・中継局ではなく彦根テレビ中継局・荒神山FM送信所に置かれる。
- 京都市内でびわ湖放送を受信するのが難しくなっていた。
- 広域テレビ局のエリアも近畿広域圏ではなく中京広域圏になっていた。
- それはない。やはり近畿広域圏、文化的には完全に上方文化圏。
- 従順な大津ではなく尊大な彦根がイニシアチブを取るため、京都とは犬猿の仲となる。
- 佐和山城跡に模擬天守ができていた。
- びわ湖毎日マラソンも彦根周辺で行われていた。
- 北陸本線の列車も古くから彦根駅へ乗り入れていた。なので近江鉄道が「北陸方面からのアクセスのため」米原へ延伸することはない。
- 特急「しらさぎ」はほとんどが彦根発着。名古屋発着便は「ひだ」の大阪発着便のような立ち位置になっていた。
- 湖西住民の便を考慮し、琵琶湖大橋は史実より早く建設された。鉄道も通る。
- 大津(天領の港町)と膳所(膳所藩の城下町)が一緒の市になることはなかった。(両町のいずれにも県庁が置かれない場合全般に言える)
- 京都・彦根双方へ短距離で行けるように、草津線の分岐駅は守山駅。
- 守山駅は草津線開業の時点で新設されていた。
- 江若鉄道は木ノ本~塩津~今津の路線を計画した。
- 現状と比して最も悪影響があるのは大津ではなく草津かもしれない。大津は良くも悪くも京都の影響が強すぎるから。
- 彦根市の規模がさらに大きくなるため太平洋戦争では大空襲の順番が回ってくることになっていた危険性大。
- 彦根城天守も焼失していた。
- 現実では8月15日夜空襲予定のところ終戦のおかげで助かっている。
- 井伊直弼が県を代表する偉人とされている。
- びわ湖空港構想がもう少し現実味を帯びていたがそれでも実現せず。
- JR西日本金沢支社管内はJR東海の路線になっていた。
もしあの県の県庁が○○に置かれていたら | |
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