もし関東大震災が○○だったら

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発生しなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 9月1日が「防災の日」と呼ばれることは無かった。
    • 代わりに1月17日辺りが防災の日に。
      • 阪神・淡路大震災発生まで、防災の日は設定されなかった。
    • もしかしたら3月11日が防災の日になる可能性もありうる。
      • 2011年東日本大震災発生まで、防災の日は設定されなかった。
    • 1995年以前における東京都の地震防災対策が史実より甘くなっていた恐れもある。
      • なので東日本大震災の被害が史実より大きくなっていたかもしれない。
    • 地震後の火災に対する警戒は今ほど高くはなかった。
  2. 1920年代中ごろから後半にかけての日本経済は比較的好調だった。
    • 大震災後の震災恐慌発生が無く、それらへの対策として生じた震災手形の焦げ付きにより1927年に起こった金融恐慌も発生しないため、とりあえず1929年秋の世界恐慌発生までは日本経済は大不況に陥ることが無い。
    • 財閥系銀行が強くなるのは史実よりもう少し後になっていた。
    • 農村部の困窮はなく、農民を満州に移住させる計画は起こらなかったため、満州事変も起こらなかった。さらに太平洋戦争が回避されていた可能性もある。
      • もしそうなっていたら1940年の東京五輪と万博は予定通り開催されていた。
      • 日本が満洲を狙っていたのは震災以前からの既定路線なのでそこは変わらなかったのでは。
      • 満州事変や太平洋戦争は1929年の世界恐慌以後の話だから史実通り。当時の欧米での黄禍論に基づく反日世論の強さも考えれば、日本も世界恐慌で大きなダメージを受けていたのは避けられない。
  3. 本土における朝鮮人バッシングの声が史実ほどには大きくなっていなかった。
    • 震災直後の混乱に乗じた「朝鮮人が井戸に毒を入れている」とのデマ流布が無いので。
    • でも2chでは相変わらず。
    • 民族性からして後々には何らかの理由で叩かれていたでしょう。それでも、もう少しましだったかもだけど。
  4. 軍艦天城は問題なく航空母艦になっており、後の雲龍型の方は別の名になっていた。
    • 無論、加賀は軍縮条約に従って解体されていた。
  5. シャープは総合電機メーカーにはならず、筆記用具のメーカーになっていた。
    • 本社も東京のままだった。
    • その場合液晶の技術はどこがリードしたのだろう?
      • パナソニック?
    • 亀山市の衰退は止まらず、平成の大合併で津市あたりに合併されていたかも。
  6. 大杉栄はもう少し長生きしていただろう。
    • アナーキズムがさらに力を持っていたかもしれない。
  7. 言うまでもなく震災復興事業もない。
    • 後藤新平の知名度は史実より低かった。
    • 隅田川の橋が古いままなので、東京大空襲の際には橋が次々と焼け落ちさらに被害が拡大した。
    • 下手すると死者50万人とかだったかも。山の手・多摩・横浜方面への移住も史実ほど多くはなかっただろうし。
    • 区画整理が行われなかったこともそれに拍車をかけた。
      • 区画整理は戦災復興事業として行われた。その結果現実の名古屋市のような100m道路が開通している。
        • 東京外環自動車道の計画も戦災復興計画の中で行われ、遅くとも1970年位までには全通している。
        • 全体としては東京は現実よりもクルマ社会化が進み、鉄道の輸送量は少なくなっていた。その結果首都圏でも新快速などの転換クロスシートの高速列車が運転されるようになっている。
        • 史実ではGHQに「敗戦国の分際で戦勝国まがいの再建案はけしからん」としてほとんど潰されたため現状はもっと悪化している。
    • その分戦後の復興事業は史実以上に行われていただろう。
  8. 凌雲閣はおそらく東京オリンピックの頃まで存在していた。
    • 東京大空襲後に撮影された焼け野原にポツンと立つ凌雲閣の写真が教科書などに使われている。
      • 東京大空襲で焼失していた可能性もある。
    • 高層ビルの高さが規制されないため戦前からビルの高層化が進んでいた。
    • 強度が充分ではない所に後からエレベーターを増設したので危険な状態だったとも言われており、震災が無くても倒壊して惨事が起きていたかもしれない。
      • 危険だとして、戦争中に軍の命令で解体されたかもしれない。
        • その場合、その辺りの話が「かわいそうなぞう」のような感じで語り伝えられる。
      • 韓国では「日本の三豊百貨店」と呼ばれ、日本人が三豊百貨店や聖水大橋の話題を出すと間違いなくこれが切り返される。
    • 戦後しばらくまで存在した場合は老朽化で解体されることになるが「さよなら十二階」のイベントが盛大に行われ、跡地は公園になり記念碑が建つ。
      • その後、東京12チャンネル(現テレビ東京)が、隅田川花火大会復活と共に「十二」にちなんで凌雲閣再建に取り組み、再建された凌雲閣は新たな名所に。
        • 「仁丹塔」はなかった。
    • 『こち亀』にも凌雲閣を題材にした話が複数あった(実際は1話だけ)。
      • 両津が少年時代によく凌雲閣で遊んでいたという設定になっていた。
    • 今も残っていればテレビとかで「今と昔の高層建築の対比」としてスカイツリーをバックに凌雲閣が撮影されていた。
      • 登録有形文化財にも指定されている。
    • 補修工事が行われる。
    • ゴジラなどの怪獣映画にも凌雲閣が破壊されるシーンが出ていただろう。
  9. ロシア正教の神が地球から9光年離れた所にいることが分からなかった。
  10. 大正デモクラシーの自由な雰囲気がもう少し長く続いた。
  11. 文化財や資料が焼けないため、明治の歴史研究が史実より進んでる。
    • 江戸時代の研究も史料がより多く現存するため現実よりやりやすくなっていた。
    • ただ、後の東京大空襲で焼けた場合は史実と同じ。
  12. 世田谷区など城南地域の発展は史実より遅れた。恐らく発展は戦後になったと思われる。
    • 大東急は解体されなかったかもしれない。
  13. 東京市の人口が一時期大阪に抜かれることはなかった。
    • 東京一極集中が現実よりも早く起こっていた。
      • 戦後大阪市の人口は横浜市はおろか名古屋市にも抜かれていたかも。
    • 「大大阪」という言葉は誕生しなかった。
  14. ひょっとして太平洋戦争が無かった
    • 世界恐慌後の展開次第ではどちらに転がっていてもおかしくなかったと思う。
    • そもそも太平洋戦争は1924年の米国での排日移民法や1929年の世界恐慌などといった国際的な情勢が遠因だから、関東大震災がなかったとしても避けられなかったと思う。むしろ関東大震災がなかった場合の方が、鉄筋コンクリートなど耐火構造の建造物が少ない分、東京大空襲による被害は史実以上に大きかったと思われる。
  15. 普通選挙制の導入が早まっていた。
  16. 横浜駅は今も高島町にあった。
    • 山下公園は存在しなかった。
    • 史実で廃止された神奈川駅が、東海道本線の短絡化と共に横浜市の中心駅となり、一大ターミナルになる。
      • 神戸の神戸駅と三ノ宮駅のような立ち位置になっていた。
  17. 東武西板線は全線開通していた。
  18. ラジオ放送は当初の予定通り民放主体で始まっていた。
    • 日本放送協会の誕生は日中戦争開始以降にずれ込んでいた。
  19. 東京地下鉄道への海外からの融資は引き上げられなかった。
    • 資金難が発生せず最初から浅草-新橋を開業できていた。
      • さらに品川延伸も実現していたかもしれない。
  20. 1936年のオリンピックに東京が立候補していたかもしれない。
    • その場合1964年のオリンピックは大阪になっていたかも。
  21. 山本権兵衛が再度首相になることはなかった。
  22. 横網の陸軍被服廠跡はごく普通の公園になっていた。
  23. 京阪の梅田乗り入れが実現していた。
    • 桜ノ宮付近の大阪環状線の高架化も史実よりも早く実現していたため。
    • 京阪は戦後新京阪線を失わなかったかもしれない。
    • なんで? 関東大震災と関係ないと思いますが。
      • 震災のせいで国の財政悪化→予算削減で城東線高架化工事を延期したから。参考
  24. 今のマスコミが全く違うものになっていた
    • 関東の新聞社の社屋と工場が被災して印刷できないうちに大阪資本の朝日毎日新聞がシェアを奪った
    • 読売新聞の経営が傾かず正力松太郎に買収されることもなくなるので、ジャイアンズも日テレも存在しなかった
      • ↑ジャイアンズじゃなくてジャイアンツね。
      • その場合、日本プロ野球の歴史も大きく変わっていただろう。
  25. 神奈川県にも旧制の横浜帝国大学が設置されていた。戦後は他の旧帝国大学同様に国立大学となるが、大学名は単に「横浜大学」となっていた。
  26. 第二銀行はそのまま存続し、戦時統合で神奈川県内の全ての銀行を吸収合併して史実のように横浜銀行となったものの、戦後は地方銀行ではなく都市銀行の一角となっていた。

別の時代に発生していたら[編集 | ソースを編集]

1855年(68年前)[編集 | ソースを編集]

  1. 安政江戸地震も史実通り起きたら、江戸は壊滅状態になるかも…。
  2. 関東大震災ではなく安政関東地震と呼ばれていたかもしれない。
  3. 海溝型の関東大震災相当の地震が先に起きていた場合、本来の安政江戸地震は江戸っ子に余震扱いされていた。
  4. 史実で後に活躍した人物がここで命を落とし幕末・明治以降の歴史に変化があった可能性あり。
  5. 攘夷派は「神国に夷狄を入れた報いだ」と騒ぎ立てた。

1872年(51年前)[編集 | ソースを編集]

  1. 日本最初の鉄道の開業は史実より数ヶ月~数年遅れていた。
    • 10月14日が鉄道の日にならなかった。
  2. 場合によっては震災復興目的で鉄道建設が行われていた。

1894年(29年前)[編集 | ソースを編集]

  1. 日清戦争の時に起きたら、現実のような歴史では無かったかもしれない。
    • 朝鮮へ派遣できる兵力は確実に減っていた。
    • そして、こうなる。
  2. 明治東京地震も起きていたら史実の関東大震災より被害を受けていた。
    • 前震ないしは余震と見なされていた?

1912年(11年前)[編集 | ソースを編集]

  1. 明治天皇大喪が予定通り行われたか怪しい。
    • 乃木希典の命日が変わる。
  2. 第二次西園寺内閣の総辞職が早まった。
  3. シャープは最初から家電メーカーだったかもしれない。
  4. 史実の甘粕事件のような感じで大逆事件に関係したとされる社会主義者が何人かどさくさ紛れに殺されていた。

1913年(10年前)[編集 | ソースを編集]

  1. 地磁気観測所の移転先が変わっていたかも。
  2. 第二次山本内閣はなかった。
  3. 首都圏の復興と時期が重なることもあり大戦景気がさらに過熱していた。
    • その代わり戦後恐慌がもっと深刻なものになった。

1918年(5年前)[編集 | ソースを編集]

  1. 米騒動の規模が拡大した。
  2. 発生直後は生存しても避難生活中にスペイン風邪を患って死亡するケースが相次ぐ。

1937年(14年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 1940年の東京オリンピック返上の理由の一つに震災による競技場被災があった。
  2. 支那事変やそれによる日中戦争開戦の時期も少し遅れた。
    • 場合によっては中国の対日感情に影響があったかもしれない。
  3. 翌年制定された国家総動員法は復興目的の側面も持たされていた。

1945年(22年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 大地震が起きても空襲は続けるだろう。
    • その場合、広島以上の被害を受けていた。
  2. 地震起こしたのは敵軍の仕業と喧伝される。
  3. 昭和東南海地震同様、軍による隠蔽が行われていた。
    • それでもアメリカ軍は察知し戦略爆撃の計画などを適宜変更していた。
  4. 空襲警報発令時の発生なら防空壕の崩落による犠牲者が相当な数に上っていた。

1958年(35年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 東京タワーは被害を受けてしまい、開業期間も影響する。
  2. 発売直後のチキンラーメンが非常食として出回る。
    • もしかすると史実の後のあさま山荘事件の時のカップヌードルみたく、大震災の被災者が食べていたことがきっかけでチキンラーメンが有名になっていたかも。
  3. 狩野川台風の影響で復興に長い時間を要した。
  4. 翌年の皇太子ご成婚のパレードは確実に縮小された。
  5. 1964年のオリンピックに東京は立候補しなかったかも。
    • 1972年か76年のオリンピックに立候補していたかも。
      • 復興をアピールするため68年大会に立候補していた可能性もある。
  6. 時期次第ではこの年の東京アジア大会は中止されていた。
  7. この年巨人に入団した長嶋茂雄の活躍が被災者を励ましていた。

1964年(41年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 東海道新幹線の開通は遅れてしまう。
  2. 東京五輪にも影響が出る。中止になっていた可能性も…。
    • 競技場とインフラだけでも突貫で復旧させていた可能性が高いと思うが。
    • 余震などを恐れ参加を取りやめる選手が出たかもしれない。
    • 一部競技の開催地が大阪に変更されていた可能性も。
  3. 新潟地震の影が薄くなる。
    • 関東地震の前触れもしくは誘発地震として捉えられていた。
  4. 40年不況は「震災不況」と呼ばれていた。
  5. 日本のGNPが西ドイツを抜くのは史実より数年遅れていた。
  6. 五輪開催中に起こった場合、五輪は打ち切り、世界中でこの震災のことが取り上げられていた。

1970年(47年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 同年開催された大阪万博の盛り上がりがやや少なくなっていた。
    • 少なくとも関東方面からの来場者は現実よりも少なくなっていた。
    • バブル崩壊あたりまで大阪の方が経済力が上だったかもしれない。
  2. 史実での旧軍のように自衛隊が復興支援に活躍するためイメージアップが早まっていた。
    • 三島由紀夫が市ヶ谷であの大演説と割腹を実行することはなかった。
  3. 震災被害を連想させるとして「帰ってきたウルトラマン」の企画がお蔵入りになっていたかもしれない。
    • 「仮面ライダー」の内容にもかなり影響があった。
  4. どさくさ紛れに一部の新左翼が騒乱事件を起こした恐れあり。

1971年(48年後)[編集 | ソースを編集]

  1. マクドナルドの日本1号店は銀座ではなかった。
  2. カップヌードル発売に伴う試食販売は大阪のどこかで行われていた。
  3. 翌年の札幌五輪への悪影響も心配されたが何とか乗り切った。

1973年(50年後)[編集 | ソースを編集]

  1. オイルショックと重なるため経済へのダメージが現実以上に大きかった。
    • リアルにトイレットペーパーが不足する。
  2. 武蔵野線が迂回路として注目される。
    • 開業日を前倒しさせたかもしれない。
  3. 小松左京『日本沈没』が予言本となってしまった。
    • 作者はその後SFよりも防災関連の仕事が多くなっていた。
    • 長く第二部が執筆されなかった理由はこの震災の被害を目の当たりにしたため。
  4. この年から翌年にかけてのノストラダムスブームにも何らかの影響があったはず。
  5. 第2期ウルトラシリーズが「タロウ」で終わっていた可能性がある。
    • 「レオ」が制作されたとしても史実のような暗い作風にはならなかった。

1983年(60年後)[編集 | ソースを編集]

  1. ネズミーランド東京ディズニーランドの開業に大きな影響が出ていたのは言うまでもなかっただろう。
  2. 両国国技館の開館も遅れた。
  3. 『地震列島』や『東京大地震マグニチュード8.1』で描かれたのと酷似した被害が発生していた。
    • 例:高速道路の崩壊、地下空間の水没など
  4. 史実通り9月1日に発生の場合は、大韓航空撃墜事件はあまり報道されなかった。
    • 西側のマスコミ関係者は大阪や名古屋を経由して稚内入りする羽目になっていた。
  5. 連続テレビ小説「おしん」でのヒロインの苦闘を復興へ向かう首都圏の人々の姿と重ね合わせる人が多くなっていた。
    • 視聴率がさらに高くなっていてもおかしくない。
  6. 日本海中部地震との関連性が指摘されていた。

1984年(61年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 『ゴジラ(1984年版)』は公開中止を余儀なくされていた。
  2. ロス疑惑に大騒ぎする余裕などどこにもなかった。
    • 三浦和義は逮捕を免れていた。
  3. 村上春樹『1Q84』の筋が大幅に変わっていた。

1985年(62年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 同年8月に発生した日本航空123便墜落事故のマスコミにおける扱いが現実よりも小さくなっていた。
  2. つくば科学万博も規模が縮小していた。最悪の場合、開催中止も有り得たかも。
  3. 同年9月に巨大地震に見舞われたメキシコシティと同じような被災状況になっていた。メキシコシティ同様、多数のビル・ホテル・病院・学校施設などが次々と倒壊し、首都機能が麻痺状態になっていた。
  4. 10月の阪神タイガース21年ぶりのリーグ優勝達成は神宮球場ではなかっただろう。
  5. 震災被害の影響もあり豊田商事事件の被害者救済はほぼ不可能になっていた。
    • 前述の日本航空123便墜落事故の被害者救済も同様に。
  6. 「ウィー・アー・ザ・ワールド」は日本への復興支援歌となっていた。

1988年(65年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 1988年末(昭和天皇の容態悪化した頃)に発生した場合、自粛ムードは史実より大きくなっていた。
    • 間違いなく1988年のレコード大賞と紅白歌合戦は中止されていた。
    • そもそも「自粛」など考えている場合ではなくなっていた。
  2. バブルが史実より早く崩壊していた。
  3. 昭和天皇陛下の容態悪化していなかったら自粛ムードはないのだが。

1993年(70年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 横浜ランドマークタワーの開業に悪影響が出ていた。

1995年(72年後)[編集 | ソースを編集]

曖昧さ回避: この項目では、1923年に発生しなかった場合について記述しています。1923年にも発生していた場合については「もし阪神・淡路大震災が○○だったら#関東地方」をご覧ください。

  1. 同じ年に阪神・淡路大震災も起こったので、日本の2大都市圏のどちらもが震災の被害を受けたことになる。
    • 日本経済への影響も計り知れなかっただろう。バブル崩壊後の不況がさらに深刻化していた。
    • その分名古屋圏や福岡圏が注目を集めたかも。
  2. 地下鉄サリン事件のマスコミにおける扱いが現実よりも小さくなっていた。
    • それ以前にオウムの拠点も被害を受けているはずなので実行できたかどうかも怪しい。
      • 多分発生が4月以降ならば映画化される程の災難の年になっていた。
  3. 震災被害を連想させるとして、「新世紀エヴァンゲリオン」は放送中止orほとぼりが冷める頃まで放送延期になっていたかもしれない。

1997年(74年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 長野オリンピックは開催中止になっていた。
  2. 史実通り9月1日発生の場合、ダイアナ元妃の事故死は世界中であまり話題にならなかった。
    • 世界中がダイアナ元妃より日本に対して哀悼の意を捧げていた。
    • それでも英連邦諸国ではダイアナ妃の方が話題になっているのでは。
    • 「Candle in the Wind 1997」も日本に捧げるためにエルトン・ジョンが歌っていた。

1998年(75年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 関東地方のみ、同年7月に発生した和歌山毒物カレー事件のマスコミにおける扱いが史実よりやや小さくなっていた。
  2. 長野オリンピックの開催もなかったか、史実より盛り上がりに欠けていた。
  3. この年の横浜ベイスターズは日本一を達成できなかった。

1999年(76年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 同年7月に発生していた場合、「ノストラダムスの予言はこれの事だったのか」と後に都市伝説化されていた(日本国内のみ)。
    • 東京は国際政治・経済上も極めて重要な都市なので世界中で「ノストラダムスの予言=関東大震災」と噂されていたのでは。
  2. 台湾大地震とかトルコ北西部もコロンビアも大地震が起きているので第四地震とも呼ばれていたかも。
    • 当時の記憶ではコロンビアの地震は日本ではほとんど話題になっていなかった気がする。
  3. 11月に起きれば、フジテレビ系「愛する二人別れる二人」は打ち切りは遅れていたかも。

2001年(78年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 史実通り9月1日に発生の場合、歌舞伎町ビル火災はあまり報道されなかった。
    • 同じ月にアメリカ同時多発テロも起きたので、9月はこの2つのニュースで持ちきりに。
  2. 東京ディズニーシーの開業も大幅に遅れていた。

2003年(80年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 東京のみ、この年における地上デジタルテレビ放送開始が見送られていた。
    • 東京のみならず神奈川・千葉・埼玉も。
  2. 一部で「イスラム教徒がテロを計画している」などという流言が発生していた。
  3. 六本木ヒルズの開業にも影響が出ていた。

2004年(81年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 同年に発生した新潟県中越地震の影が薄くなる。
    • むしろその中越地震との関連性が指摘される。
  2. アテネオリンピックは史実より盛り上がりに欠けていた。

2008年(85年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 同じ年に世界金融危機も起こったので、不況はさらに深刻化していた。
    • 復興需要はあるので「コンクリートから人へ」と唱える政党が躍進することはなかった。
    • ということでこの年も自民党が勝利し、谷垣禎一が首相になっていた。あるいは「自民大連立」になっていた可能性も考えられる。
  2. 2011年に東日本大震災が発生した後、この大震災との関連が指摘されるようになる。
    • 前触れだったという人も多いだろう。
  3. ネット経由でデマが拡散する。
    • 特に同じ年に四川大地震が発生した中国では一部で公安が取り締まらなければならないような事態になっていた。
  4. この地震の影響で東京は2016年のオリンピック候補から外れていた。
    • 最悪、福岡の二の舞になっていた。

2009年(86年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 「東京マグニチュード8.0」は放送中止を余儀なくされていた。
  2. 政権交代が史実だったら現実以上に民主党政権が叩かれていた。
    • 民主党政権のせいで関東大震災が起きたと無理矢理結びつけられる。
  3. さらに東日本大震災発生なら政治状況が大混乱に陥る。
  4. 時期にもよるが、九州新幹線全線開業時みたいに阪神なんば線全線開業が盛り上がらなかった可能性がある。

2011年(88年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 関東地区におけるテレビの地デジ完全移行は2012年3月まで延期された。
  2. 東日本大震災との関連性が必ず指摘される。
    • 日本は大きく被災し、国家非常事態宣言が出される。
    • 少なくとも一方はもう一方を反面教師にして津波による犠牲は少なくなっていた。
  3. 首都機能の移転あるいは分散が検討されるようになっていたかも。
  4. 東京スカイツリーのオープンも遅れた。
  5. そのまま東海東南海南海地震へ・・・
    • そこまで連動して発生するものではないだろ。
    • かわぐちかいじの漫画でこんな展開を見たような気がする…。
    • さらに富士山噴火も・・・。
  6. 東京は2020年のオリンピック招致を取り下げた。

2012年(89年後)[編集 | ソースを編集]

  1. (日本国内のみ)同年12月に発生していた場合、「マヤの予言はこれの事だったのか」と大騒ぎになっていた。
  2. 2020年夏季五輪の開催地に東京は立候補しなかった。
    • 恐らくイスタンブールになっていた。

2014年(91年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 同年4月に行われた消費税率5→8%アップは延期されていた。
  2. 同じ年に広島土砂災害や御嶽山噴火も起こったので、2014年は現実以上に災害の多い1年と言われていた。
    • 同年の「今年の漢字」はこの時点で2回目の「災」になっていた。

2018年(95年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 同年9月に発生した北海道胆振東部地震との関連性を指摘する人が出ていた。
  2. この年は西日本豪雨など日本各地で自然災害が多発したため、その象徴になっていた。
    • 同年の「今年の漢字」が「災」になるのは現実通り。
  3. 時期次第では東京タワー開業60周年記念イベントなどがあまり盛り上がらなかった。

2019年(96年後)[編集 | ソースを編集]

  1. (日本国内のみ)「聖徳太子の予言とはこれの事だったのか」と大騒ぎになっていた。
  2. 発生時期が4月だったら元号改元に伴う祝賀ムードが一気に吹っ飛んでいた。
    • 平成は地震で終わったと言われていた。
    • 改元時はお通夜ムードになるのは間違いないだろう。
  3. この年は台風の連続襲来などと合わせ災害の多い年と言われるようになっていた。
    • 同年の「今年の漢字」は2年連続で「災」になっていただろう。
  4. ワールドカップは失敗に終わっていた。

2020年(97年後)[編集 | ソースを編集]

  1. 新型コロナウイルス感染症と重なり、日本国内は想像を絶する状況になっていた。
    • 避難所での感染も報告されていた。
  2. 2020年東京五輪は延期ではなく中止になっていた。

マグニチュードが○○だったら[編集 | ソースを編集]

マグニチュード9クラスだったら
  1. 東日本大震災を引き起こした地震と同じ規模だったため津波による被害が拡大していた。
    • 死者は30万人とスマトラ沖地震と同程度だったかも。
      • スマトラ地震の死者は23万程度です一応。
  2. 東日本大震災以前から南海トラフ地震はマグニチュード9クラスの地震を想定していた。
  3. 富士山の噴火が誘発される。
    • あるいは東海地震が発生していた危険もある。
    • 関東・東南海・南海・日向灘・琉球海溝のスーパー大連動地震になっていた可能性も。
  4. 場合によっては遷都も考えられていた。
    • 名古屋や仙台が震度6で壊滅したと思われるので、朝鮮などの外地に決まっていたかもしれない。
      • その場合日本は戦後朝鮮半島を失わなかった反面日本列島が東西分断国家になっていた。
        • その場合日韓トンネルができていた。
      • 福岡市や広島市の可能性もある。
      • 北海道(史実でも名前が挙がった旭川あたり?)になっていてもおかしくない。
  5. おそらく福島、新潟、長野、静岡でも震度7クラスを観測していた。
    • 原町無線塔が倒壊していた場合、海外からは突如日本は音信不通になったという報道がなされていた。(当時日本との国際通信は磐城一ヶ所しかができなかった)
      • 非常措置として針尾送信所から中国経由で何とか送信できたが通常時とは比較にならないほど時間がかかった。
  6. この地震の後に震度7が制定されていた。
  7. 震災のデマにより日本各地で外国人・障害者の襲撃が相次いでいた。
  8. 元禄関東地震の被害から推測すると房総半島や三浦半島などでかなりの地殻変動が発生していた。
マグニチュード7クラスだったら
  1. それでも数万人規模の死者が出ていたかもしれない(被服廠跡の死者が3万人超ということで)。
  2. 埼玉・千葉では現実よりも被害を受けていなかった。
  3. 断層にずれ残る部分が発生すると思われるため昭和に入ってからもう1回同規模の地震が発生した恐れが高い。

別の地域で発生していたら[編集 | ソースを編集]

内地[編集 | ソースを編集]

関西地方[編集 | ソースを編集]

  1. 戦前から関西経済の地盤沈下が酷くなっていた。
    • 現実より東京一極集中が進んでいる。
  2. 災害名は「関西大震災」か。
    • 「関西」という言い回しの普及はもっと後の時代なので「近畿」か「上方」が使われていたのでは。
  3. 現実通り阪神・淡路大震災が発生していたらこの地震の再来と呼ぶ人が多かった。
    • この地震の経験から現実よりも地震に対する心構えがあったので現実よりも被害は少なかったかも。
  4. 史実の関東大震災と同じ海溝型の場合は和歌山県が想像を絶する被害を受けていた。
    • あるいは中央構造線が動いて発生していた。
  5. 地下鉄御堂筋線は震災復興事業の一環で建設されていた。
    • 御堂筋をはじめ、大阪市内の道路整備もこれを機に進んでいた。
  6. 大阪城天守閣の再建は史実よりやや遅れていた。
  7. 大阪市が周辺の東成郡・西成郡全域を編入するのは史実通り1925年に実施されるが、それでも戦前に大阪市の人口が300万人を超えることはなかった。
  8. 史実でも1925年に北但馬地震、1927年に北丹後地震が起きているので震源地がずれていたら割とあり得た。

外地[編集 | ソースを編集]

朝鮮[編集 | ソースを編集]

  1. ソウル付近が震源だった場合、朝鮮総督府が倒壊したことから独立運動が史実より激化していた。
    • 下手したら日中戦争の時に独立戦争が勃発していた。
      • 独立勢力の四分五裂ぶりからして相当厳しい。
      • さすがにそれどころではなかった。
  2. 韓国での地震対策も現実より進んでいる。
  3. 震源は京畿道西方のアムールプレートとユーラシアプレートの接している付近。
    • 仁川や海州は津波で壊滅的な被害を受けていた。
  4. 地震で被害を受けた朝鮮伝統建築が当局の手により多く破壊されていた。
  5. 韓国が東日本大震災を「日本沈没」と報じることはなかっただろう。

台湾[編集 | ソースを編集]

  1. 台北付近が震源だった場合、台湾総督府が倒壊したことから独立運動が史実より激化していた。
    • 下手したら上記の朝鮮同様に日中戦争の時に独立戦争が勃発していた。
    • そして反日になっていたかも。
    • 史実の台湾では日本内地同様の完全な参政権を求める声のほうが圧倒的だったので特に独立や中国復帰を求める声は出なかったのでは。
    • ただし霧社事件のような原住民の反乱の可能性はある。
  2. 史実の新竹・台中地震に相当する地震もこの直後に起きていた。
  3. 現実の関東大震災と同じく海溝型地震だった場合沖縄でも被害が出ていた。

関連項目[編集 | ソースを編集]