もし阪神タイガースがあの年に優勝していたら
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~1970年代[編集 | ソースを編集]
1936年[編集 | ソースを編集]
プロ野球初年度の1936年、秋季大会では最後まで巨人と優勝を争うも、プレーオフで敗れ優勝ならず。もし優勝できていたら?
- 史実の第1次巨人黄金時代は、阪神黄金時代か群雄割拠の時代となっていたかもしれない。
- 阪神のその後の成績も史実より良く、1950年代にもリーグ優勝を達成できていた可能性もある(日本一になれたかどうかは別だが)。
- 藤村富美男を擁する初代ダイナマイト打線が現実以上に強力となっていた。
- 巨人の黄金時代到来は早くて戦後、あるいは2リーグ分裂後かもしれなかった。
- 阪神のその後の成績も史実より良く、1950年代にもリーグ優勝を達成できていた可能性もある(日本一になれたかどうかは別だが)。
1968年[編集 | ソースを編集]
1968年シーズン、阪神は江夏豊投手の獅子奮迅の大活躍などで巨人を猛烈に追い上げるも、9月18日の巨人戦(甲子園)でバッキー投手が乱闘に巻き込まれて負傷、9月28日と29日の対巨人後楽園3連戦(29日はダブルヘッダー)で頼みの江夏が打たれ、結果的にそれが祟って優勝を逃してしまいました。もしこのシーズンで阪神が優勝していたら?
- 巨人のV9はV3になっていた。
- 阪神と阪急の日本シリーズがついに実現。
- バッキーがいなくても村山と江夏の両輪、そしてカークランドの大活躍で阪急を寄せ付けず、初の日本一になっていた可能性大。
- しかし、阪急に米田・梶本の左右両エース、野球博士スペンサーがいるため、そう簡単に阪神は勝てない。
- どちらが日本一になっても関西特に兵庫県内での盛り上がりは尋常ではなかった。
- 関西ダービーでなおかつ西宮ダービーでもあった(甲子園・西宮両球場は直線距離で2.5km程しかない)。
- 両球団の親会社にとっても神戸高速鉄道への乗り入れ開始も加わって記念すべき年になっていただろう。
- バッキーがいなくても村山と江夏の両輪、そしてカークランドの大活躍で阪急を寄せ付けず、初の日本一になっていた可能性大。
- この時優勝していたら、1973年の悲劇はなかった。
- どうかな?2008年の事例もあるだけに…
- 現実以上に巨人への一極集中は進まなかった。
- 後に史実通りこの68年生まれの阪神の選手が多くなると「優勝ベビー世代」と呼ばれていた。そして「優勝ベビーが優勝請負人」と言われたかも。
- 史実通り1978年にヤクルトが、1988年に中日が、1998年に横浜が、2018年に広島が優勝していた場合、セ・リーグの6球団はすべて西暦が8で終わる年にリーグ優勝を経験した事になっていた。
- 2年後に大阪で万博を控えてるという意味で2023年の阪神リーグ優勝がこの年と比較されていた。
1969年[編集 | ソースを編集]
1969年のシーズンは前年と同じく首位巨人に6.5ゲーム差の2位に終わりましたが、もしこの年阪神が優勝していたら…。
- 巨人のV9はV4になっていた。
- この年の日本シリーズは阪神対阪急の関西ダービーになっていた。
- 翌年に大阪万博の開催が控えていたので、それと合わせて大阪の町は大盛り上がりに。
- 後藤次男はもう少し長く監督をしていただろう。
1970年[編集 | ソースを編集]
1970年のシーズンは首位巨人に僅か2ゲーム差の2位に終わりました。もしこの年阪神が優勝していたら…。
- 巨人のV9はV5になっていた。
- この年は大阪万博が開催されたこともあり、それと合わせて大阪の町は大きく盛り上がっていた。
- 1964年の東京五輪の年も阪神が優勝していたことから、高度成長期における日本の2大イベントがあった年はともに阪神が優勝していたことになる。
- 阪神vsロッテの日本シリーズが現実よりも35年早く実現していた(現実には2005年に実現)。
- 2005年の日本シリーズの時には、マスコミが1970年のシリーズを振り返るような報道をしていた。
- 2005年といえば愛知万博が開催されたこともあり、何かと1970年と比較されていた。
- 加えて阪神がリーグ優勝・日本一になった1985年にはつくば科学万博が開催されたので、「日本で万博が開催された年には阪神が優勝する確率が高くなる」みたいなことを言う人も出ていた。
- 日本では過去に5回(1970・1975・1985・1990・2005年)万博(特別博を含む)を開催しているが、そのうち3回の年に阪神が優勝しているため。
- 加えて阪神がリーグ優勝・日本一になった1985年にはつくば科学万博が開催されたので、「日本で万博が開催された年には阪神が優勝する確率が高くなる」みたいなことを言う人も出ていた。
- 小山正明は日本シリーズで古巣と対戦。
- 1973年も優勝できていた?
- 巨人とロッテは日本シリーズ未対戦のまま。
- 翌年ももう少しまともな成績を残せていた。
1973年[編集 | ソースを編集]
1973年シーズン終盤、阪神は巨人と優勝争いをしM1まで行きましたが、残り2試合(中日戦・巨人戦)に連敗して優勝を逃してしまいました。もしこのシーズンで阪神が優勝していたら?
- 巨人のV9はV8になっていた。
- もちろん、阪神が日本一になっていた可能性もあり。
- 阪神の日本一は1973年と1985年の2回になっていた。
- その場合、1985年の日本一は12年ぶりということになり、現実より大騒ぎにならなかった。
- ちなみにこの年日本シリーズに登場した南海は当時のシリーズチーム通算の最低打率(.185)を記録している。おそらく、江夏・上田二朗・古沢憲司の投手陣ならこうなっていた可能性大。
- 阪神の日本一は1973年と1985年の2回になっていた。
- 当時の監督の「猿でもタバコ吸うんか」という暴言はなかった。
- 故に権藤正利投手も翌74年、22年目のシーズンを迎えていた。
- 「猿でもタバコ吸うんか」の暴言は5月のものなので、優勝すれば権藤正利投手はさして同情されず、一方的に袋だたきになった可能性があった。
- 長嶋茂雄はこの年に引退した。
- 川上哲治の監督勇退も1年早まったかも。
- 翌年ももう少しまともな成績を残せていた。
- 阪神が129試合目で(中日に勝利して)優勝を決めていたら
- 星野が「この白星は今までで一番嬉しくない白星だ。」と発言することは無かった。
- 史実以上に星野は巨人ファンから目の敵にされていた。
- 未だに「あの試合は八百長だった」と主張する輩がいる。
- 史実以上に星野は巨人ファンから目の敵にされていた。
- マリナーズ・イチロー選手の誕生日新聞は野球がでかく載らない。
1974年[編集 | ソースを編集]
- 「巨人のV10を阻止したのが阪神である。」と阪神ファンは誇りに思うようになる。
- それでも、金田正泰氏の評価は低かった。よって、後任の吉田義男氏の就任は史実通り。
- この年の干支が寅年だったので尚更。
- 南海とのトレードで、江夏豊氏らが移籍することはなかったかもしれない。
- その場合南海→広島の移籍もなく、「江夏の21球」も存在しなかった。よって1979年は近鉄が日本一になれていたかも。
- 江本孟紀の「ベンチがアホやから」発言もなかった。
- その後政治家になることはなかったかもしれない。
- 2005年の日本シリーズは31年ぶりの組み合わせとして、注目されていた。
- 2005年の日本シリーズの時には、マスコミが1974年のシリーズを振り返るような報道をしていた。
- 昨年(1973年)には惜しくも優勝を逃しているので、そのリベンジを果たす形になっていた。
- 翌年以降ももう少しまともな成績を残せていた。
- 中日が優勝を逃すので、「燃えよドラゴンズ!」もヒットしなかった。
1975年[編集 | ソースを編集]
この年は巨人が開幕から最下位に低迷したこともあって大洋も含めて5球団が5月まで首位を争う展開になり、その後は広島や中日と優勝争いを展開したが、最終的に広島の初優勝を許し3位に終わりました。もしこの年阪神が優勝していたら…。
- 広島のリーグ初優勝が史実より遅れていた。
- 不動のエースであった江夏豊らを南海へ放出し、代わりに江本孟紀を獲得する事はなかった。
- その後の広島への移籍もなく、「江夏の21球」も存在しなかった。もしかしたら1979年か1980年に近鉄が初の日本一になれていたかも。
- 江本はホークスで現役を終えていて、彼の「ベンチがアホ」発言もなかった。
- この年の日本シリーズは阪神対阪急の関西ダービーになっていた。
- しかし阪急には新人の山口がいるため、阪神は日本一になれなかったであろう。史実の広島のように4連敗はなかったかもしれないが。
- どちらが日本一になっても関西特に兵庫県内での盛り上がりは尋常ではなかった。
- しかし阪急には新人の山口がいるため、阪神は日本一になれなかったであろう。史実の広島のように4連敗はなかったかもしれないが。
- 吉田義男は第一次政権でも優勝を経験していた。
- 1985年の優勝が史実通りなら、現実以上に阪神のレジェンドになっていた。
- 1997年からの第三次政権も現実以上にファンから期待されていた。
- 1985年の優勝が史実通りなら、現実以上に阪神のレジェンドになっていた。
- 同年には沖縄海洋博が開催されたので、「大阪以外で万博が開かれたら阪神が優勝する」というジンクスが生まれていた。
- 事実つくば科学万博が開催された1985年と愛・地球博が開催された2005年には阪神が優勝している。
- 但し大阪で万博が開催された1970年と1990年はいずれも巨人が優勝している。
- 事実つくば科学万博が開催された1985年と愛・地球博が開催された2005年には阪神が優勝している。
- 球団創設40周年のメモリアルイヤーを飾れたとして盛り上がった。
1976年[編集 | ソースを編集]
1976年のシーズンは巨人と熾烈な首位争いを演じましたが、首位巨人に僅か2ゲーム差の2位に終わりました。もしこの年阪神が優勝していたら…。
- 辻佳紀ヘッドコーチの退任はなかったかもしれない。
- この年の日本シリーズは阪神対阪急の関西ダービーになっていた。
- 翌年以降ももう少しまともな成績を残せていた。
- 長嶋茂雄の監督初優勝が遅れていた。最悪監督としての優勝を経験しないまま退任していたかも。
- 4月の11連勝が現実以上に語り継がれていた。
- 2003年のリーグ優勝に貢献した赤星、福原など1976年生まれの選手は「優勝の年に生まれた世代」と呼ばれさらに人気を集めていた。
- 1985年の優勝は9年ぶりということになり現実ほどの感動はなかっただろう。
- 但し1976年に日本一になれていない場合は別。
1980年代[編集 | ソースを編集]
1983年[編集 | ソースを編集]
- 安藤統男監督は就任2年目で優勝できていた。
- 優勝経験があることから彼の知名度は現実以上に上がっていただろう。
- 1990年代に2度目の監督就任があったかもしれない。
- 優勝経験があることから彼の知名度は現実以上に上がっていただろう。
- 1985年の優勝は2年ぶりとなるため、それほど盛り上がりはなかった。
- 逆にこの時の優勝が19年ぶりとなるため、大いに盛り上がっていた。
- その後史実通り2003・2005・2023年に優勝すると、「1980年代以後は西暦の十の位が偶数で、末尾が3か5の年は阪神が優勝する」というジンクスが成立していた。
- 逆にこの時の優勝が19年ぶりとなるため、大いに盛り上がっていた。
- この年は大阪城博覧会が開催され、大阪城ホールがオープン、御堂筋パレードが始まるなど大阪が大いに盛り上がる年になっていた。
- 日本シリーズは阪神×西武となっていた(2年早く実現)。
- 田淵幸一は日本シリーズで古巣との対決となった。
- 阪神側からも「田淵」コールで応援されていた。
- どっちみち、西武にシリーズ2連覇を許す形になっていただろう。
- その場合、1985年は史実通り阪神が日本一となり、一昨年の雪辱を果たしたと言われていた。
- 田淵幸一は日本シリーズで古巣との対決となった。
1986年[編集 | ソースを編集]
前年21年ぶりのリーグ優勝及び日本一になった阪神ですが、翌1986年は3位に終わりました。この年に優勝していたら?
- 球団史上初のセ・リーグ連覇ということで、ファンは前年の余韻に引きずられて大盛り上がりだった。
- 加えて同年の干支が寅年ということで、その意味でも盛り上がっていた。
- 「二日酔い集団」と揶揄されることもなかった。
- 日本シリーズでは西武に前年の借りを返していただろう。
- 前年に阪神が日本一になったので返り討ちを果たしていた。
- 仮にパリーグの優勝チームが近鉄だった場合(史実では2位)、阪神VS近鉄の関西ダービーが実現していた。
- 吉田義男はもう少し長く監督をしていただろう。
- 村山実の監督復帰もなかったか遅れていた。
- 翌1987年も最下位ではなかった。
- 暗黒時代突入も遅れていたかも。
- 同年に掛布雅之が怪我で離脱しなければ可能性があった。
- 現役引退も史実より遅かっただろう。
- この年からの新ストライクゾーンに適応出来ていれば可能性があった。
- 徳光和夫は「巨人の優勝は日本シリーズが始まるまで諦めない。だって阪神の選手の乗った飛行機が墜落するかもしれないでしょ?」と発言していた。
1988年[編集 | ソースを編集]
- この年は近鉄がリーグ優勝を賭けた「10.19」もあり関西の野球界が大きく盛り上がっていた。
- 「10.19」で史実通り西武が優勝していた場合、西武に3年前のリベンジを許していただろう。
- 逆に近鉄が優勝していた場合、阪神×近鉄の関西ダービーとなっていた。
- 残る関西球団の南海と阪急は身売りを発表したため、関西球団で明暗が分かれた年となっていた。
- 逆に近鉄が優勝していた場合、阪神×近鉄の関西ダービーとなっていた。
- 「10.19」で史実通り西武が優勝していた場合、西武に3年前のリベンジを許していただろう。
- 村山監督就任1年目で優勝を果たしていた。
- 彼も優勝経験のある監督となっていた。
- 翌年年始に昭和天皇が崩御して平成改元があったことから、昭和最後の優勝として記憶に残されていた。
1989年[編集 | ソースを編集]
- 阪神は平成最初の年に優勝したことになり、ファンにとってはそれが自慢になっていた。
- 2年連続最下位からの優勝としても話題になっていた。
- 村山実は監督としても優勝を経験できていた。
- 翌年に国際花と緑の博覧会の開催が控えていたので、それと合わせて大阪の町は大盛り上がりに。
- 和田豊をはじめとした「少年隊トリオ」が現実以上に話題になっていた。
- 日本シリーズは近鉄との関西対決で盛り上がっていた。
- 近鉄・加藤哲郎のあの発言は「阪神はロッテより弱い」になっていたか?
- そして2005年の日本シリーズが史実通り阪神対ロッテになった場合、加藤の発言が引き合いに出されていた。
- 史実通り阪神がストレート負けしていたら尚更。
- そして2005年の日本シリーズが史実通り阪神対ロッテになった場合、加藤の発言が引き合いに出されていた。
- 将来阪神西大阪線(現なんば線)が難波まで延伸し、近鉄と相互直通運転をする計画があることも話題にされていた。
- ひょっとしたら開業自体も早まっていたかも。
- 近鉄・加藤哲郎のあの発言は「阪神はロッテより弱い」になっていたか?
- この年在籍した助っ人フィルダーが現実以上に活躍できていた。
- 後半戦の怪我もなく、オフの帰国・メジャーへの逆輸出もなかった。
- パリッシュが移籍してこなかった。
1990年代[編集 | ソースを編集]
1990年[編集 | ソースを編集]
- 中村監督は就任1年目で優勝できていた。
- 1985年の吉田監督以来の快挙で、それと比較されていた。
- 負広呼ばわりされることはなかった。
- この年は国際花と緑の博覧会が開催されたこともあり、それと合わせて大阪の町は大きく盛り上がっていた。
- 史実通り2005年(愛知万博開催年)も優勝していた場合、「日本国内で万博(特別博を含む)が開催された年は阪神はAクラス」というジンクスができていた。
- 当時大阪のみならず日本全体がバブル景気の真っ最中だったので全国的に盛り上がっていただろう。場合によってはバブル崩壊が数年遅れていたかも。上手く行けば1995年の阪神大震災までバブルの余韻が残っていた。
- 日本シリーズは阪神×西武で、1985年と同じ組み合わせだった。
- この場合森監督率いる当時最強の西武という事もあり、下手したら史実の巨人のように、西武相手に4連敗になっていたかも。
- 5年前は阪神が日本一になったのでその返り討ちを果たしていた。
- この場合森監督率いる当時最強の西武という事もあり、下手したら史実の巨人のように、西武相手に4連敗になっていたかも。
- 球団創設55周年のメモリアルイヤーを飾れたとして盛り上がった。
- 1992年も優勝できていたかも?
- 阪神は早期に暗黒時代を脱していたかもしれない。
1992年[編集 | ソースを編集]
1992年、阪神は久々といっていいほどの快進撃を見せました。結局終盤で力尽きヤクルトに優勝をさらわれましたが、もしこの年に優勝していたら?
- ヤクルトの1993年の日本一はなかったかも。
- 1995年・1997年・2001年も日本一になれなかったかも。
- ヤクルトは90年代もそれ以前と同様弱かった。
- この時期のヤクルトは池山、広沢、古田が全盛期を迎え戦力が充実していたからそれはないだろう。
- 日本シリーズで西武を下そうものなら、シンデレラストーリーとして後世まで残っていた。
- 1993年以降も現実よりはまともな成績を残せていた…かもしれない。
- 一旦Bクラスに沈んでも、直ぐにAクラスに上がれたかも。
- 現実みたいに弱くならなかった。
- 少なくとも93・94年はAクラスだっただろう。
- ヤクルト・巨人などと優勝争いする年も多かった。
- (若手時代の)新庄剛志や亀山努の活躍が(実際以上に)阪神の歴史で目立つ。
- 上記の亀新コンビ以外にも、久慈や桧山や葛西など活躍した若手が多いので、「若虎の優勝!」などと、言われていたかも。
- 新庄は現実以上で阪神在籍期間が長かった。
- この場合赤星のブレイクが遅れた可能性も。
- 新庄は大リーグに移籍しなかった。
- 2003年のリーグ優勝に貢献した可能性がある。
- それでもいつか登録名を「SHINJO」に変えていた。
- 2003年のリーグ優勝に貢献した可能性がある。
- 新庄は現実より長く現役を続けていたかもしれない。
- 新庄は現実以上で阪神在籍期間が長かった。
- 亀山も在籍期間が長かった。
- 亀山が1992年だけの一発屋扱いされることもなかった。
- 史実通りのちに怪我しても復活後もう少し長く現役を続けられていた。
- 久慈は中日に移籍することなくずっと阪神に在籍していた。
- 亀山か新庄がMVPに選ばれたかも。
- 「亀新フィーバー」が現実以上のものとなっていた。
- うまくいけば亀山あるいは新庄が2010年代に入って監督に就任していたかも。
- 上記の亀新コンビ以外にも、久慈や桧山や葛西など活躍した若手が多いので、「若虎の優勝!」などと、言われていたかも。
- 山田勝彦・仲田浩司・関川浩一なども現実より長く阪神に在籍した。
- この場合矢野輝弘が中日から移籍しなかったので、注目されることなく消えていたかも。
- 山田勝彦が長らく正捕手を務めていた。
- 結果的にほぼ「野田の丸損」に終わった松永とのトレードもなく、その後の阪神の成績も史実より向上していただろう。
- FA移籍第1号は松永ではなかった可能性も。
- 阪神ファンから「野田阪神」と呼ばれて親しまれていた。
- 仲田はこの年の沢村賞に選ばれていた。
- 仲田は引退まで阪神で活躍し、その後はコーチ、うまく行けば監督になっていたかも。
- 妻子と別れることもなかった。
- 引退後の生活も荒れることはなく、工事現場の作業員になることもなかった。
- 妻子と別れることもなかった。
- 仲田は引退まで阪神で活躍し、その後はコーチ、うまく行けば監督になっていたかも。
- 「『八木の幻のサヨナラ弾』もなんのその」とか「ラッキーゾーン撤去もなんのその」とか言われたかもしれない。
- その前に、あの試合での八木の打球は入っていたかも。
- 仮に史実通りに打球が入らなかったとしても、少しはまともな勝ち方をしていた。
- 逆にあの時八木の打球が入っていたら阪神は優勝できていた可能性が高い。
- その前に、あの試合での八木の打球は入っていたかも。
- カーネル・サンダースの呪いなんて実際より話が大きくならない。
- 日本一になれなければ、2009年3月に像が発見されるまで史実どおり。
- 史実ではこの年、道頓堀店に新たなカーネル・サンダース人形が設置されているので、「新たな人形が設置されたことで呪いが解けた」と言われていた。
- 野村監督はもう少し早くヤクルトの監督を辞任していた。
- そして、野村監督が阪神の監督になることは無かった。
- さらに言えば、楽天の監督になることも無かった。
- サッチーがテレビに出まくることもなく、「ミッチー・サッチー騒動」もなかった。
- 星野仙一氏が阪神の監督になることもなかった。
- この場合2003年の優勝はなかった可能性もある。
- さらに言えば、楽天の監督になることも無かった。
- そして、野村監督が阪神の監督になることは無かった。
- 阪神なんば線の計画が史実より早く再浮上したかもしれない。
- 実際に食い倒れ人形が投げ込まれていた。
- 「わて、泳げまへんねん」が関西で流行語になった。
- そして2009年にカーネル・サンダース人形とともに道頓堀川の底から発見されていた。
- 翌年以降史実通りBクラスに逆戻りしていたら、史実の「カーネルの呪い」のように「くいだおれ太郎の呪い」に取って代わっていた。
- 中村勝広は、阪神ファンから「名監督」と崇められていた。
- この92年以降も中村監督時代に優勝していたかも。
- よっぽど低迷しない限り「負広」呼ばわりされなかったかも。
- 彼の訃報の時には現実以上に阪神ファンが悲しんでいた。
- あるいは2015年に亡くなることはなかったかも?
- セ・リーグで久しぶりの前年最下位からの優勝だった。
- 1975~76年の巨人以来16年ぶりだった。
- 90年代のセ・リーグは現実以上に大混戦になっていた。
- セ・リーグでも1991〜1999年に「10年以内に同一リーグのすべての球団がリーグ優勝」が実現した。
- なお「10年以内にセ・リーグのすべての球団が日本シリーズに出場」は2008〜2017年に達成している(08年巨人、10年中日、14年阪神、15年ヤクルト、16年広島、17年DeNA)。
- セ・リーグでも1991〜1999年に「10年以内に同一リーグのすべての球団がリーグ優勝」が実現した。
- CD『'92阪神タイガース選手別応援歌ヒッティング・マーチ集』や河内家菊水丸の『タイガースV音頭』が史実以上に大ヒットしていた。
- 『アサヒグラフ』1992年10月30日増大号は普通に優勝記念号として出版されていた。
- 『Vやねん!タイガース』の影が若干薄くなっていただろう。
- セーラームーンが史実通り2003年に実写、2014年にcrystal版が製作された場合月野うさぎは阪神ファンに女神様扱いされた
- 奇しくも両年共史実では阪神が日本シリーズに出場した
- 1995年にオマリーがヤクルトに移籍することはなかったかもしれない。
- その場合、小林-オマリーの14球はなかった。
- 仮にパリーグの優勝チームが西武ではなく近鉄だった場合(史実では2位)、阪神VS近鉄の関西ダービーが実現していた。
- それ以後の阪神の優勝回数が増えていたかもしれない。
- 2003・2005年はもちろんのこと2008・2021年あたりも優勝できていたかも。
- もちろん1985年以後少なくとも1度は日本一になっている。
- その分ヤクルトや巨人の優勝回数が減っていただろう。特に巨人の凋落が現実より早かったかも。
- FA制度やドラフト逆指名でも巨人を希望する者が少なくなっていた。
- 2003・2005年はもちろんのこと2008・2021年あたりも優勝できていたかも。
- 同年はバブルは崩壊していたものの、日本経済がまだ好調だったので、盛り上がりは2003・2005年以上だった。
- 1995年の阪神大震災までは優勝の経済効果で関西経済は好調だったかもしれない。
- 人口の多い団塊ジュニア世代が20歳前後の若者で、その親である団塊世代も40代の働き盛りなのでその意味でも盛り上がりは大きかっただろう。
1993年[編集 | ソースを編集]
- 日本シリーズで西武と対戦し、西武に勝利していたら「森西武の日本シリーズでの連勝を阻止したのは阪神である。」と阪神ファンは誇りに思うようになる。
- 昨年(1992年)には惜しくも優勝を逃しているので、そのリベンジを果たす形になっていた。
- 翌年以降も少しはまともな成績を残していた。
- 野村克也のヤクルト監督辞任が早まっていたかも。
- 松永浩美が開幕直後に怪我をしなければ可能性があったかもしれない。
- 「子供の砂場」発言やFA移籍もなかった。
- 松永のイメージが悪くなることもなかった。
- 同年はJリーグ開幕やドーハの悲劇などもあってスポーツ界では忘れられない年になっていた。
- 親会社の福島駅地下化がリーグ優勝と合わせて語り継がれていた。
1994年[編集 | ソースを編集]
- 同年は関西国際空港の開港もあったので、関西は大盛り上がりしていた。
- オリックスのイチロー旋風もあったことから、関西の野球界も大盛り上がり。
- 「10.8決戦」は阪神×巨人だったかも。
- ディアーは大活躍していた。
- 日本シリーズは阪神×西武で、1985年と同じ組み合わせだった。
- この場合西武に9年前のリベンジを許していたかも。
- 仮に阪神が日本一になっていたら、「日本シリーズでは阪神はなぜか西武には強い」と言われていた。
- 仮にオリックスが優勝していた場合、阪神×オリックスの関西ダービーとなっていた。
1995年[編集 | ソースを編集]
- 日本シリーズでは、オリックスと対戦し、関西ダービーとして注目された。
- 岡田彰布は日本シリーズで古巣との対決となった。
- 阪神側からも「岡田」コールで応援されていた。
- 野田浩司も古巣阪神ファンから応援されていた。
- 石嶺和彦も、オリックス側からも応援されていた。
- 阪神とイチローの対決が見られ話題になっていた。
- 当時のオリックスの本拠地は神戸だったので、兵庫県ダービーでもあった。
- 岡田彰布は日本シリーズで古巣との対決となった。
- 中村勝広監督は続投していた。
- 藤田平の昇格も遅れていた。
- 新庄剛志が現実以上に活躍していた可能性があるので「センスがないと見切った」の引退宣言もなかった。
- 場合によっては渡米もなく、2003・2005年の優勝時も阪神に在籍していた。
- 新庄剛志が現実以上に活躍していた可能性があるので「センスがないと見切った」の引退宣言もなかった。
- 藤田平の昇格も遅れていた。
- この年は阪神大震災があったので、被災地に大きな希望を与えるニュースとして注目されていた。
- 日本シリーズの対戦相手がオリックスということもあり、後々まで語り継がれていた。
- オリックス共々被災した地元を元気づけることが出来ていたと話題になる。
- 阪神はこの時点で暗黒時代を脱出していた。
- ヤクルトの黄金時代は現実よりも早く終わっていた。
- 1999年も優勝できていたかも。
- 球団創設60周年のメモリアルイヤーを飾れたとして盛り上がった。
1998年[編集 | ソースを編集]
- この年は明石海峡大橋の開通もあり、それとともに兵庫県としては明るい話題となっていた。
- 親会社も長年の悲願だった直通特急の運行開始もあり、それと阪神の優勝が合わせて語られるようになっていた。
- 2月には長野冬季五輪の開催もあり、スポーツ界でも忘れられない年になっていた。
- 7月には和歌山毒物カレー事件もあり、関西にとってもいい意味でも悪い意味でも忘れられない年になっていた。
- 横浜DeNAベイスターズは2021年現在1960年以降60年以上もリーグ優勝から遠ざかっている。
- 横浜DeNAベイスターズは13球団(消滅した近鉄も含む)で唯一、平成時代にリーグ優勝を経験できずに終わっていた。
- それどころか「横浜ベイスターズ」としては「横浜大洋ホエールズ」と同様リーグ優勝の経験が無いまま身売りされることになった。
- 日本シリーズは阪神×西武で、1985年と同じ組み合わせだった。
- この場合西武に13年ぶりのリベンジを許していたかも。
- 仮に阪神が日本一になっていたら、「日本シリーズでは阪神はなぜか西武には強い」と言われていた。
- 吉田義男監督は1999年も続投。
- 野村克也の監督就任は遅れていた。
- 寅年優勝も話題となった。
- 1962年以来36年ぶりだった。
- 4月1日エイプリルフールの優勝会見が、前祝いとして良い意味でネタになっていた。
- 開幕前に吉田監督が目指していた強力打線による快進撃で優勝出来ていた。
- この年移籍してきたパウエルや大豊泰昭、新加入のハンセンが本領発揮出来ていた。
1999年[編集 | ソースを編集]
- この年は野村監督効果で6月に6年ぶりに首位に立ちましたが、後半戦の失速で結局前年と2年連続最下位でした。もしこの年に首位で終わっていたら?
- 新庄剛志の敬遠球打ちサヨナラ打が現実以上に伝説として語り継がれていた。
- 彼のメジャー移籍もなさそう。
- 上手くいけば2003年以降も阪神に在籍し、同年及び2005年のリーグ優勝にも貢献していた。
- もちろん野村監督も夫人の事件がない限り続投していた。
- 星野さんの就任がなかった。
- その場合金本は阪神に来なかったかも。
- 野村フィーバーが現実以上のものとなっていた。
- 星野さんの就任がなかった。
- 福原忍が新人王を獲得していた。
- 坪井智哉かも。
- 坪井は現実以上に活躍し、2002年に日本ハムにトレードされることもなかった。うまく行けばこちらも2003・2005年のリーグ優勝に貢献していたかも。
- 坪井智哉かも。
- 日本シリーズで史実より4年早くダイエーホークスと対戦していた。
- ダレルメイが野村監督と対立せず巨人へ行くこともなかった。
- 野村監督は楽天でも優勝出来ていただろう。
- 1999年の「今年の漢字」には現実よりも4年早く「虎」が選ばれていた。
- 前年最下位からの優勝としても話題となった。
- 1900年代最後の年に阪神が優勝したという点でも語り継がれていた。
- 「明日も勝つ!」が負けフラグの意味で用いられることもなかった。
- 前半戦の快進撃が現実以上なので、オールスターゲームに阪神の選手がもう少し多く選出された。(史実では藪恵壹・矢野輝弘・和田豊・新庄剛志の4人だけだった)
- 甲子園球場開催の第2戦が現実以上に盛り上がった。
- 当然野村監督は就任1年目で優勝できていた。
- 1985年の吉田監督以来の快挙で、それと比較されていた。
- 2020年に野村氏が亡くなった時には現実以上に惜しまれていた。
2000年代[編集 | ソースを編集]
2010年代[編集 | ソースを編集]
2020年代[編集 | ソースを編集]
2020年[編集 | ソースを編集]
- 矢野輝弘は星野仙一、岡田彰布と同様に監督2年目に優勝を果たした。
- 新型コロナウイルスで社会が沈む中、関西はにわかに盛り上がり、希望の光になっていた。
- この年は新型コロナウイルスの影響でセ・リーグのCSが中止になったこともあり、阪神は優勝と同時と日本シリーズ出場を決めていた。
- 史実通りソフトバンクが4勝0敗であっさりと日本一になっていた場合、阪神ファンの間では2005年と同様に同年の日本シリーズはなかったことにされていた。
- 新型コロナウイルス感染症が存在せず、東京五輪も無事開催されていたら、「東京で五輪が開催されたら阪神が優勝する」というジンクスが生まれていた。
- 何かと1964年と比較されていた。
- 場合によっては翌年も連覇できていた。
- 同年の「今年の漢字」は「虎」も上位に食い込んでいた。
- 同年2月に野村克也氏が亡くなっているので、彼に捧げる優勝となっていた。
- 彼が監督をしていたシーズンはずっと最下位だったが、彼が育てた選手が2003・2005年の優勝で花開いたため。
- ジャスティン・ボーアの途中退団もなかったか
- 球団創立85周年を飾っていた。
CSで勝利した場合[編集 | ソースを編集]
- 新型コロナウイルス感染症がなかったらセ・リーグのCSも中止にならなかったので、阪神のCS優勝もあり得た。
- 2014年と同じく2位からの日本シリーズ出場で、相手も同じソフトバンクだった。
- ただし相手がロッテの場合、リーグ2位のチーム同士の日本シリーズでありなおかつ2005年のリベンジを果たすチャンスだった。
- テレビ中継で「15年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
- もし日本一になれなかった場合、阪神ファンの間では2005年と同様に同年の日本シリーズはなかったことにされていた。
- ロッテの鳥谷敬は日本シリーズで古巣と対戦。
- その際阪神側からも「鳥谷」コールが起こる。
- テレビ中継で「15年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
- ただし相手がロッテの場合、リーグ2位のチーム同士の日本シリーズでありなおかつ2005年のリベンジを果たすチャンスだった。
2021年[編集 | ソースを編集]
- 同年は前年から1年延期された東京五輪が開催されたので、「東京で五輪が開催されたら阪神が優勝する」というジンクスが成立していた。
- 史実通りオリックスもリーグ優勝し、CSも制覇していたら「東京で五輪が開催されたら日本シリーズは関西ダービーになる」というジンクスも生まれていた。
- オリックスの能見篤史は日本シリーズで古巣と対戦。
- その際阪神側からも「能見」コールが起こる。
- 西勇輝も古巣オリックスとの対戦となる。
- オリックス側からも「西」コールが起こる。
- 糸井嘉男も、オリックス側からも応援されていた。
- オリックス側からも「西」コールが起こる。
- オリックスの能見篤史は日本シリーズで古巣と対戦。
- 「映画ドラえもんが公開されなかった年は阪神が優勝する」というジンクスも生まれていた。
- 史実通りオリックスもリーグ優勝し、CSも制覇していたら「東京で五輪が開催されたら日本シリーズは関西ダービーになる」というジンクスも生まれていた。
- 同年の干支が丑年だったこともあり、1985年と比較されていた。
- そもそもコロナがなかったら普通に延長戦も行われていたので、優勝できていた可能性が高い。東京五輪は前年のうちに開催できていたが。
- または五輪が秋以降に延期になった場合も五輪によるシーズン中断がなかったので優勝できていただろう。
- 「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021」が2021年中に公開されていた可能性も高かったので、「ドラえもん のび太の宇宙小戦争(オリジナル版・リメイク版ともに)が公開された年は阪神が優勝する」というジンクスも生まれていた。
- 新人の佐藤輝明の後半の失速がなく、場合によってはホームラン王にも輝いていた。
- 新人王にも輝いていたかも。
- 佐藤か中野のいずれかが新人王に輝いていた。
- 佐藤がヤクルト村上に並ぶ存在となっていた。
- 新人王にも輝いていたかも。
- 守護神スアレスの退団はなかった。
- ジェリー・サンズも残留していた。
- アデルリン・ロドリゲスの途中入団もなかったかも。
- カイル・ケラーの入団もなかった。
- 同年の「今年の漢字」は「虎」になっていた。
- 同年武庫川団地に保存・展示された阪神7890号車に優勝記念のヘッドマークが取り付けられていた。
- 優勝を記念して武庫川線用5500系の「タイガース号」と「甲子園号」が連結して4両で特別に本線運用が行われていた(史実より2年早い)。
- 2022年に優勝した場合も同様。
- 優勝を記念して武庫川線用5500系の「タイガース号」と「甲子園号」が連結して4両で特別に本線運用が行われていた(史実より2年早い)。
- 矢野監督が2022年シーズン開始前に今季限りの辞任を表明することはなかった。
- 2022年シーズン開幕直後に9連敗することもなかった。
- 同年は優勝できたかどうかはわからないが、少なくともシーズン勝ち越しで終えていた。
- 「あかん優勝してまう」がV逸フラグの意味で用いられることもない。
- 「Vやねん!」の2008年と比較されることもなかった。
- 勝ち数では阪神がヤクルトを上回っていたので、勝率ではなく勝ち数で順位を決めるやり方だったら阪神が優勝していた。
- 事実2001年のセ・リーグは勝ち数で順位を決めていた。
- 同年9月に京阪は大規模なダイヤ改正があったので、同じく9月に大規模ダイヤ改正があった2003年と比較されていた。
- 2023年のリーグ優勝は1962-1964年や2003-2005年と同じく1年おいての優勝となっていた。
- 2年ぶりの優勝になっていたことから現実ほどの盛り上がりはなかったかもしれない。
- 髙山と北條は現実より活躍していた。
- 2023年に戦力外通告を受けることもなかった。
CSで勝利した場合[編集 | ソースを編集]
- レギュラーシーズン2位からの日本シリーズ出場ということで、2014年と比較されていた。
- 同年は首位ヤクルトとゲーム差なしの2位だったので、それほど批判は出なかっただろう。
- 仮にオリックスを破り日本一になっていたら「丑年に阪神が日本シリーズに出場したら阪神が日本一になる」というジンクスが成立していた。
- 両球団の本拠地が沿線にある親会社の阪神電鉄は大儲けしていた。
- 翌年のダイヤ改正でなんば線直通快速急行が減便されることはなかっただろう。
- 両球団の本拠地が沿線にある親会社の阪神電鉄は大儲けしていた。
- 対ロッテの場合、リーグ2位のチーム同士の日本シリーズでありなおかつ2005年のリベンジを果たすチャンスだった。
- テレビ中継で「16年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
- もし日本一になれなかった場合、阪神ファンの間では2005年と同様に同年の日本シリーズはなかったことにされていた。
- 但し下記の鳥谷に関しては自身では初の日本一を移籍先のロッテで経験していた。
- もし日本一になれなかった場合、阪神ファンの間では2005年と同様に同年の日本シリーズはなかったことにされていた。
- ロッテの鳥谷敬は日本シリーズで古巣と対戦。
- その際阪神側からも「鳥谷」コールが起こる。
- テレビ中継で「16年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
2022年[編集 | ソースを編集]
- シーズン前に矢野監督は辞任を発表していたので、彼は有終の美を飾っていた。
- あるいは辞任発言を撤回し、翌年も続投していた。
- 1962年以来60年ぶりの寅年優勝として話題になっていた。
- 同年の「今年の漢字」が「虎」になっていた場合干支とも重ね合われていた。
- 史実通り「戦」の場合も阪神の戦いという意味も含まれていた。
- 同年の「今年の漢字」が「虎」になっていた場合干支とも重ね合われていた。
- ロシアのウクライナ侵攻、2年前から続くコロナ禍、安倍元総理の暗殺など暗い話題が多い中で一筋の光明となっていただろう。
- 親会社が同年12月のダイヤ改正でなんば線直通快速急行を減便することはなかった。
- 糸井の引退試合で勝っていた。
- セレモニー終了が23時過ぎになることはなかった。
- 課題であった守備力の向上も解決していただろう。
- 同年は前年から1年延期された「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021」が公開されたので、「ドラえもん のび太の宇宙小戦争(オリジナル版・リメイク版)が公開された年は阪神が優勝する」というジンクスが成立していた。
- 開幕戦でヤクルトに7点差をひっくり返されて敗戦し、そこから開幕9連敗がなければ十分ありえたかも。
- 仮に開幕9連敗と史上最低勝率.063記録、投打が噛み合い交流戦2位、前半戦で借金完済、その間にヤクルトが史上最速優勝マジック点灯まで史実通りなら、後半戦で一気にヤクルトを追い上げ、7月4日時点で付けられていた最大17.0ゲーム差をひっくり返したことになっていたため、虎のメークレジェンドと呼ばれ、阪神ファンにとっては最も誇れる優勝となっていた。
- 同年はFIFAワールドカップで日本代表が強豪ドイツやスペイン相手に事前の予想を覆して逆転勝利をしたこともあり、この年はロシアのウクライナ侵攻で世界情勢が大きく転んだことなども考慮され、逆転の「転」が今年の漢字に選ばれていたかも。
- 一方、ヤクルトは西鉄に最大14.5ゲーム差をひっくり返された1963年南海を上回る史上最大のV逸を喫したことになり、某ネット掲示板辺りでネタにされていたことは確実だろう。ただし、阪神とヤクルトの天と地ほどの人気度の違いから、2008年のVやねん!と比べたらインパクトに欠けるだろう。
- ヤクルトにとっては、11年前の悪夢(向こうは中日だが)が蘇っていた。
- 仮に開幕9連敗と史上最低勝率.063記録、投打が噛み合い交流戦2位、前半戦で借金完済、その間にヤクルトが史上最速優勝マジック点灯まで史実通りなら、後半戦で一気にヤクルトを追い上げ、7月4日時点で付けられていた最大17.0ゲーム差をひっくり返したことになっていたため、虎のメークレジェンドと呼ばれ、阪神ファンにとっては最も誇れる優勝となっていた。
- 前年には一時期独走していたが、後半戦でヤクルトに追い上げられ、最終的に優勝を逃していたため、前年の雪辱を果たしたと言われていた。
- 前述のように前半戦が史実通りで後半戦に大逆転優勝していれば尚更。
- 仮にレギュラーシーズンでせっかくの大逆転優勝を飾っていても、CSファイナルステージで敗退していれば、阪神ファンの怒りと絶望はとてつもないことになっていただろう。4タテで敗退していれば尚更。
- 山田哲人と村上宗隆を擁するヤクルト相手なら敗退しても仕方ないかもしれないが、敗退した相手が特に3位のDeNAならば、CSの廃止云々を言う阪神ファンも出ていただろう。
- 2022年のユーキャン新語・流行語大賞に「村神様」は選ばれなかったかもしれない(ノミネートはされただろうが)。
- むしろ阪神の村上投手が1年早くブレイクし、こちらも「村神様」と呼ばれていたかもしれない。
- 藤浪晋太郎は優勝を置き土産に翌年大リーグ移籍を果たしたことになっていた。
- それとともに糸井嘉男も有終の美を飾っていた。
- 史実通り翌2023年も優勝していたら、球団史上初のリーグ連覇となっていた。
- 果たして神戸や御堂筋で優勝パレードやっていたのだろうか?(新型コロナウイルスがまだ感染症2類から格下げ前だったので)
CSで勝利した場合[編集 | ソースを編集]
- レギュラーシーズン3位からの日本シリーズ出場ということで、2010年のロッテや2017年のDeNAと比較されていた。
- その一方でシーズン負け越しからの日本シリーズ出場ということにもなっていたため、ブーイングも多かっただろう(特にヤクルトファンから)。
- CSのルール見直しを求める声も出ていた。
- その一方でシーズン負け越しからの日本シリーズ出場ということにもなっていたため、ブーイングも多かっただろう(特にヤクルトファンから)。
- シーズン序盤は最下位に沈んでいたチームがCS優勝という事で「どん底からの復活」が大きく取り上げられていた。
- パ・リーグの覇者が史実通りオリックスだったら、1964年以来となる関西ダービーの日本シリーズになっていた。
- どちらが日本一になっても関西は大盛り上がりとなり、両球団の本拠地が沿線にある親会社の阪神電鉄は大儲けしていた。
- 仮に阪神がオリックスを破り日本一になっていた場合、「史上最大の下剋上」または「奇跡の下剋上」と言われていた。
- 11月の御堂筋パレードはオリックスとともに阪神もやっていた。
- それとともに「なんば線シリーズ」となり、記念のヘッドマーク掲出や記念乗車券発売も史実より1年早く行われていた。
- 但しリーグ優勝していないのでそちらの記念行事はなかった。
- 仮に阪神がオリックスを破り日本一になっていた場合、「史上最大の下剋上」または「奇跡の下剋上」と言われていた。
- 対ソフトバンクだった場合、2014年のリベンジを果たすチャンスだった。
- テレビ中継で「8年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
- もし阪神が日本一になっていた場合、1964・2003・2014年と3回連続でホークスに敗退していたことから4度目の正直と言われていた。
- 球団としても37年ぶりの日本一となる。
- ホークスにとっては、南海・ダイエー時代も含めて球団史上初の巨人以外に対する日本シリーズ敗退と、21世紀初・ソフトバンク時代初の日本シリーズ敗退となっていた。
- 一方で「ソフトバンクの日本一を初めて阻止したのは阪神である。」と阪神ファンは誇りに思うようになる。
- 阪神ファンのみならず、ソフトバンク以外の他の10球団のファンも、「ようやくソフトバンクを日本シリーズで敗退させることができた」と阪神を賞賛していた。
- 一方で「ソフトバンクの日本一を初めて阻止したのは阪神である。」と阪神ファンは誇りに思うようになる。
- もし阪神が日本一になっていた場合、1964・2003・2014年と3回連続でホークスに敗退していたことから4度目の正直と言われていた。
- テレビ中継で「8年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
- 対西武だった場合、1985年以来となる阪神×西武となっていた。
- この場合西武に37年前のリベンジを許していたかも。
- もし阪神が日本一になっていた場合、「日本シリーズでは阪神はなぜか西武に強い」というジンクスが生まれていた。
- 同年は前年から1年延期された「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021」が公開されたので、「ドラえもん のび太の宇宙小戦争(オリジナル版・リメイク版ともに)が公開された年の日本シリーズは阪神×西武になる」というジンクスも生まれていた。
- 西武に関しては2008年以来14年ぶりの日本シリーズ出場になっていた。
- どちらが日本一になっても関西は大盛り上がりとなり、両球団の本拠地が沿線にある親会社の阪神電鉄は大儲けしていた。
- 翌年史実通り阪神がリーグ優勝し、日本シリーズも制覇し日本一になった時は「完全優勝」と言われていた。
関連項目[編集 | ソースを編集]
阪神タイガース |
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