京阪大津線の車両
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現役車両[編集 | ソースを編集]
600形[編集 | ソースを編集]
- 大津線では最初の冷房車。
- 実は車体は旧型車両の流用。自社錦織工場で製造された。
- 種車は260形と300形の2種類があるが、双方で前面が異なる。260形が種車の車両は前面窓がパノラミックウィンドーになっているのに対し300形が種車の車両はそうなっていない。
- 前者の車体は既に半世紀以上モノ。にも関わらずボロさを殆ど感じさせない辺りが錦織工場の気合と言うモノを感じさせる。
- 300形の車体を流用したのが1次車、260形のが2次車以降。
- 何気に京阪の車両でSIVを初採用した車両である。本線系統では2400系更新車が初。
- 300形の車体を流用したのが1次車、260形のが2次車以降。
- 260形の車体流用車には連結面が切妻の車両と丸妻の車両がある。種車が両運転台車の場合は切妻になっている。
- 260形時代は側窓の下にウインドシルがあったが、本系列になるにあたって撤去された。
- 前者は連結面が張り上げ屋根に改造されたのに対し、後者は原型のまま。
- 前者の車体は既に半世紀以上モノ。にも関わらずボロさを殆ど感じさせない辺りが錦織工場の気合と言うモノを感じさせる。
- 同時期に行われた本線の2200系のリニューアルとかと比べても徹底している。側窓は2段窓のままだが窓枠なんかも全て新品に交換された。
- 名目上は新車というのもあるだろう。
- 種車は260形と300形の2種類があるが、双方で前面が異なる。260形が種車の車両は前面窓がパノラミックウィンドーになっているのに対し300形が種車の車両はそうなっていない。
- 京都市営地下鉄東西線開業に伴う京津三条~御陵間廃止までは京津線にも入線していたが、現在は石山坂本線専用。
- そのために抑速ブレーキも装備。
- 現在でもたまにイベント列車で四宮まで行く事はある(700形も同様)。
- そのために抑速ブレーキも装備。
- 1500V昇圧に合わせて機器を700形と同様のものに更新した。
- その際に余剰となった機器類の一部は叡山電鉄デオ900形に小改造の上で流用されている。
- 先日('12.10)初めて乗ったが、ドアチャイムが東武の通勤型電車と同じだったのには驚いた(東京在住)。
- 山陽電鉄網干線の3000・3200系とも同じである。
- 2018年になってJR西日本の車両と同じものに変わった。
- 山陽電鉄網干線の3000・3200系とも同じである。
- 2018年から新塗装化とともに内装が京阪線の13000系と同じタイプになりつつある。
- 前面は中央上部に付いた前照灯、流線型2枚窓の前面窓など1950~60年代に流行した湘南型に似ているような感じもする。
- 決して収益性がいいとは言えない石坂線なだけに、新車投入はしばらく見込めそうにない。下手すると700形同様に養老送りになった東急旧7700系に匹敵するくらいの車齢まで活躍しそうだ。
- 本系列が登場する1年前まで本線に600系(旧)が存在していた。
- こちらは戦前生まれの車両の車体更新車。
700形[編集 | ソースを編集]
- 600形をベースに1500V昇圧対応とした。
- 大津線で初めて電気指令式ブレーキを採用、後に600形も700形と同仕様に改造された。
- こちらも車体は旧型車両の流用。種車は350形と500形。
- 350形時代は原則として京津線に入ることはなかったが、700形は抑速ブレーキ装備だったので京津三条~御陵間廃止まで京津線準急でも運用された。
- 更に車歴をたどると、京阪開業時の1形までたどることができる車両がある。
- 京阪の現役車両では唯一の近畿車輛製の車体だったりもする。もっとも700形への改造の際自社錦織工場で新造したことになっているので近車の銘板は残っていないが。
- 前面は600形と比べて直線的。
- 京阪線の6000系から7000系へのモデルチェンジと似ている。
- 同じく直線的なデザインだった旧500形を改造するにはこっちの方が都合が良かったのかと。
- 但し前頭部は600形と同様完全に新造している。
- 同じく直線的なデザインだった旧500形を改造するにはこっちの方が都合が良かったのかと。
- 京阪線の6000系から7000系へのモデルチェンジと似ている。
- 第1編成は登場時排障器の形状が異なっていた。
- 実は京阪で最初に車椅子スペースを設置した車両。
- 600形もそうだが、マスコンハンドルが全定速制御仕様。
- 回生ブレーキが使える領域ではマスコンハンドルだけで減速する。こんな車両は多分全国でもここくらいなのでは?
- 定速制御は京阪線の特急車である旧3000・8000系でも採用されている。8000系はワンハンドルマスコンだが、旧3000系は2ハンドルだった。
- 709-710の編成は京阪全体でも最後まで濃淡グリーンの旧標準塗装に塗られていたが、2021年2月に見納めになった。これで長年続いた京阪の旧塗装は姿を消した。
800系[編集 | ソースを編集]
- 現在の京津線用車両。京都市営地下鉄東西線乗り入れ用。
- 京阪の車両としては唯一他社線に乗り入れる車両である。
- 600・700形よりも全長が2mほど長い(約16m)。幅はほぼ同じ。
- 路面区間・急勾配区間・地下鉄線の自動運転に対応するため非常に重装備。車両価格はかなり高かったらしい。
- 車体は路面区間での衝突による修理を容易にするため鋼製になっている。
- 同時期の本線の車両は連結面の妻窓がなくなっているが、本系列はついている。
- 側扉の形状も本線で同時期に作られた9000系などとは異なる。
- ドア窓の支持方法は同じ大津線の600・700形と同じ。
- 同様に路面区間がある江ノ島電鉄新500形はステンレス車体を採用したらしい。
- 2億円らしい。新幹線車両1両分以上に相当する。こうして書くと800系高価だなやっぱ…。
- 特急車を別にすれば上には上がいたりする。
- 路面電車としては日本一高価では
- 特急車を別にすれば上には上がいたりする。
- 本線の同期がアルミ製なのに対してこちらは併用軌道での事故対策で普通鋼製。なので保守コストも相当かかってそう…
- 「66mの路面電車」を走らせるために、車体の下部に標識灯が1両あたり6つ(1編成で24個)付いている。
- 車体は路面区間での衝突による修理を容易にするため鋼製になっている。
- 車内は先頭車がセミクロスシート、中間車がロングシート。
- ちなみにクロスシートは8000系8081F(旧3000系)で使われているものと同じものである。
- 9000系のセミクロス時代のシートとも同一。モケットは張り替えたけど。
- ちなみにクロスシートは8000系8081F(旧3000系)で使われているものと同じものである。
- 実は京阪では初めてのIGBT-VVVF車である。
- 同時に京阪では初めてLED行先表示器を採用した。ある意味当時の京阪線車両よりも進んでいる。
- ちなみに3色LEDの採用は京阪では唯一の存在。
- シングルアームのパンタグラフも京阪線車両より先に採用された。
- 高さが低い地下鉄のトンネルに対応させるため、パンタグラフの部分だけ低屋根になっている。
- 京阪線でシングルアームパンタグラフが採用されたのは、この10年後。
- 磁励音は同じ東洋電機製の初期型IGBTを使用していた東急7700系の第15編成に近い。(既に廃車になったので、今やこれに近い音が聞けるのはここだけ。)
- 東洋3レベルIGBTは、故障だらけで普及しなかったからなあ
- 同時に京阪では初めてLED行先表示器を採用した。ある意味当時の京阪線車両よりも進んでいる。
- 竣工当時は前面の番号の位置が異なっていた。
- マイクロエースから出たNゲージ模型に、竣工当時の仕様のもラインナップされていたりする。
- 車内案内表示器は同時期に登場した9000系と同様蛍光管式だったが現在はやはりLED式に交換されている。
- ただ交換されたLED案内表示機は9000系とは異なるタイプ。9000系がほとんどオレンジ1色で表示されるのに対し800系は赤・緑でも表示し視認性も良い。
- 801号車と810号車が一部でネタにされている。
- 車両限界の関係か、連結面には後退角がある。
- 実は地下鉄東西線が開業前に試運転で同線の御陵~醍醐間と地下鉄醍醐車庫に入ったことがある。
- 2017年の醍醐車庫一般公開の時も乗り入れた。
- 上の600・700形と合わせて京阪線で採用された新塗装への変更が決まった事により、この形式独特の塗装は姿を消す事が確定。しかし昔の9000系みたく琵琶湖を走るイメージのアクセントくらい入れて欲しかった気がするけど。
- これだけはコンフォートサルーン塗装にしても良かった気がする。
- 新塗装第1号の815編成が早速上栄町でクルマにぶつけられる事故発生…。
- その結果、通勤用の新塗装にクロスシートという唯一の組み合わせが実現。
- 本線にも仲間が増えた。しかも転換クロス。
過去の車両[編集 | ソースを編集]
80形[編集 | ソースを編集]
- ある意味面白い電車。
- 吊り掛け車両にもかからわず回生ブレーキ付きである。
- しかも起動加速度が3.2km/h/sである。
- 色々と取り付けたものだから、カルダンだとさしもの京阪でも整備しきれないという判断で吊り掛けを採用したとか。
- 床が低いので、カルダン駆動だと京津線の急勾配を上下できる大出力モーターが収まらなかったらしい。
- 吊り掛け車両にもかからわず回生ブレーキ付きである。
- 廃車後は81号車が先頭部カットの上で、82号車は有志の手でまるごと錦織車庫に保存されている。
- 譲渡の話もあったが、余りにも複雑な機器構成だったが故に買い手がつかずに、殆ど解体されてしまった。一部は旧九条山駅跡でそのまま解体。
- これまた京阪の車両としては珍しい近畿車輛製。新造時は実にややこしいルートで回送されたらしい。
- 確か徳庵の近畿車輛から仮の狭軌台車を履いて片町線で放出へ、そこから城東貨物線で久宝寺、関西本線で王寺、和歌山線で吉野口まで行って、そこで近鉄に引き渡して、近鉄吉野線で橿原神宮前、そこで標準軌台車に載せ替えて、橿原線、京都線で丹波橋へそこから当時つながっていた京阪に渡して三条へ、そこで京津線に入って浜大津まで行って、錦織車庫まで回送したらしい。
- 近畿車輛製のためか、車体のデザインがどことなく近鉄っぽい。前照灯のシールドビームや前面のパノラミックウィンドゥなど。
- 双方とも本線の旧3000系よりも早く採用した。特に前照灯は同時期に製造された京阪線の車両は依然として大型の白熱灯を使っていた。
- 京阪における近畿車輛製の車両は他に260形の一部と350形が存在するが、京阪線には全く存在しない。
- いや、戦前製では旧1000形とかいたらしい。それでもごく一部だった事には変わりはないが。
- 廃車時に冷房装置が600形の一部に移植されたとか。
- 当初は冷房改造の計画はなかったが、地下鉄東西線開業が遅れたため行われたらしい。
- 元々も車高が低かったため、ダクトを屋根上に載せた形となったため、当初の軽快な外観とは対象的に重厚な外観になってしまった。
- 吊り掛け駆動の車両でクーラーが付いたのは京阪では後にも先にもこれが唯一の存在。
- 運転台は路面電車らしく中央部にある。
- 運転台部分の窓は当初は左右の窓と同じ高さだったが、後にHゴム化され下辺が高くなった。
- 側扉には路面停留所からの乗降のため可動式ステップが付いていた。
- 81~93号車は当初両運転台を片運転台に改造したが、94~96号車は最初から片運転台だった。
- 両者は連結面側の形状が異なり、前者は丸妻、後者は切妻になっていた。前者は撤去した前照灯の跡がくっきりと残っていた。
260形[編集 | ソースを編集]
- かつての大津線の主力車両。
- 旧型車の機器を流用して製造されたが、流用元の車両を調べると京阪創業期の車両まで遡ることができる。
- 廃車後にアメリカの博物館に台車が寄贈されたものがある。
- 製造時期により車体のデザインが異なり、片開き扉か両開き扉か、両運転台か片運転台かの違いなどがある。
- 両開き扉の車両は600形に車体が流用された車両もある。
- 最終増備車(280~286)を除き側面にウインドシルがあったが、600形への車体流用により撤去された。
- 最終増備車は1両を除き500形に改造され、最終的には700形になった。
- 片開き扉の初期車両は600・700形への車体流用は行われず、京津線一部廃止と運命を共にした。
- 最終増備車のうち500形に改造されなかった1両(280号車)も。
- 当初は京阪特急色に塗られていたが、後に京阪線一般車と同じ濃淡グリーンに変更された。
300形[編集 | ソースを編集]
- 元々はタマゴ型、5枚窓の前面を持つ車両だったが、大津線への転籍と前後して260形と同じような車体に載せ替えた。
- 260形よりもモータ出力が大きかったため、同形との連結はできなかった。
- 全車両600形に車体が流用されている。
350形[編集 | ソースを編集]
- 石山坂本線の前身、琵琶湖鉄道汽船が製造した800形の機器流用車。
- 800形は後に京阪線に転籍し、交野線で運用されていたので機器流用に際し古巣に戻ったことになる。
- 抑速ブレーキが装備されていなかったため、専ら石山坂本線で運用されていた。
- そのためか製造時から京阪線一般車と同じ濃淡グリーンに塗られていた。
- 回送では京津線の浜大津~四宮間を走ったことはある。
- 京津線廃止前後に九条山まで自力回送の後、その場で解体された編成もある。浜大津で長年留置されていた編成も結局解体。
- 最終的には2両固定編成になったが、1両余剰になった(351号車)。
- この車両は晩年はほとんど営業に使用されず、錦織車庫内で入換車として使用されていた。そのため外観はほとんど原型を留めていた。
- 351~355は当初は両運転台だったのに対し、356~361は当初から片運転台だった。
- 後者のうち4両は700形に車体が流用された。
500形[編集 | ソースを編集]
- 大津線系統初の新性能車両。旧300型を元に代替新造(改造)された。
- しかし冷房装置は搭載されなかった。
- 種車は正しくは260形でしたorz
- 300形を改造したのは600形。但し冷房がついたためか改造ではなく代替新造の扱いになった。
- 種車になったのは260形の中でも近車製の最終グループ(281~286)。
- 種車は正しくは260形でしたorz
- 改造にあたり車内の化粧板がグリーン系からブラウン系に更新された。これは600形にも引き継がれた。
- しかし冷房装置は搭載されなかった。
- 1500V昇圧に伴い、床下機器類がそれに対応出来なかったので、冷房装置搭載を兼ねて現在の700形に再改造された。
- 余剰となった床下機器類は叡山電鉄デオ810形に流用されている。
- 但し台車は500形から700形に流用されたらしい。
- 制御装置は実は京阪線2000系の廃車発生品を改造の上流用したとか。
- 余剰となった床下機器類は叡山電鉄デオ810形に流用されている。
- 前面は260形と大きく変わって非貫通2連窓。見ようによっては1枚窓にも見えた。
- このデザインが京阪線の6000系に影響を与えたと考えることもできる。
- この非貫通2枚窓というデザインはかつての京阪線500系を彷彿とさせる。
- 大津線の車両では初めて電動式の方向幕が付いた。
- 最初は前面だけだったが、後に側面にも付いた。
京阪電気鉄道 |
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京阪本線系統・中之島線 京阪大津線 列車種別 車両(形式別 大津線) |