浜松市/浜名区

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浜名区の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 浜北区+北区-三方原地区。北区じゃないのはさらに北に区があるため
  2. 浜名郡の領域の東部の大半を占めている。

旧浜北区の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 「浜北市立北浜北小学校」という名称に「北」が3つもある学校が存在したが、浜北市が浜松市と合併されたため、「北」が1つ減った。
    • 「浜北の北」ではなく「北浜の北」である。
      • 旧「浜北市」の中心地が「北浜」地区のため、このようなややこしい名前となった。
    • この他に「北浜小学校」「北浜東小学校」「北浜南小学校」が存在するが、もとは「北浜小学校」のみであった。
    • 浜北区になったので、元通りに。
    • 方角の付いた学校が1つしかないのに浜北西高等学校は、通称「北西」と呼ぶ為、とってもややこしい。浜北高等学校でええやんけ。
  2. ジュビロを掻っ攫うのに失敗した。
    • スタジアムと西武百貨店を並べて建てようとしてたような。
    • M元浜北市長が逮捕されていなければ状況は変わっていたかも。
      • まだイオンモールが無かった時代なだけに非常に画期的な計画だったと思う。
      • そのM元浜北市長は現在専門学校経営など事業家として見事に復活。商才はあったのだろう。イオンモールも日本中を席巻したわけだし。
  3. 新興住宅地である染地台は結構人気があり、分譲地の売れ行きも好調。
    • 豊橋あたりから移り住む人もいるらしい
    • 今年、町内会が独立したが、役員をどうやって決めたのか??。隣の内野台では町内会長をくじ引きで決めている。
    • 朝夕の通勤時間帯はものすごく車が多くなった。工場と住宅が雨後のタケノコ状態だから?
      • 都市計画道である以上、それなりに通過車両が増えるのはしょうがない。団地民だけの道路ではない。
    • 結構どころか完売状態で近年これほど人気になった所も無いよ。新都田や大人見は売れ残ってずっこけたし。
  4. 貴布祢にあるはまきたプラザホテル。なぜか予約が取りにくいらしい。浜北区内にビジネスホテルは1軒しかないから。
  5. 「万葉の森公園」は何もない、というか、ターゲットは誰なの?? 美薗中央公園のように遊具とかテニスコートを作れば流行るのに。
    • ゲートボール場の方がよかったりして。
    • あと、不動寺に初詣や花見に行くとき、不動寺の駐車場よりも公園の駐車場の方が階段の移動が少なくて便利。
  6. 浜北区は、旧浜北市全域がそのまま区になった。新浜松市に加わった12市町村の中で、旧自治体が混ぜものなしで一つの区になってのは旧浜北市だけ。
    • これは、12市町村の中で二番目の大きさを誇る自治体だからできたこと。○○川前浜北市長が相当がんばったようだ。静岡市清水区もナンバー2の自治体で、旧市=一つの区であるが。
    • 浜北は昭和の合併で似た規模の5町村が合併してできて混乱した過去があるので、再び同じような混乱を経験したくなかったということから執拗に1市1区に拘ったらしい。
      • 浜北がどうこうより、浜北と一緒になる地区が、浜北主導ありきに納得できるかが問題なわけで・・。
    • 今まで浜松と合併した自治体の中ではずば抜けて大きいのだから、当然と言えば当然のこと。
    • 昭和時代に浜松と合併したところなんて、何も持たない貧しい村ばかりだったからな。
    • わかる。鈴木自動車の可美の対岸には、うなぎの養殖しかない貧しい入野村があったから。
    • テクノや医大一帯、志都呂、舘山寺一帯、佐鳴湖周辺、上西区画整理、すべて浜松になってから整備されたものだからな。
  7. Winyy使用による画像流出で、有名になった人が住んでいる。
  8. 浜松赤十字病院(浜松日赤)が2007年11月に浜北区小林地区に移転してくる。
    • 今のところ交通機関は遠鉄小林駅から徒歩10分
      • 開業後は、浜松バスの「あらたまの湯」送迎バスが路線化されて、小松駅・浜北駅から乗り入れるとのこと
      • と思ったら、遠鉄も小林駅からバスを出すらしい。
        • 小林駅にはロータリーを造ってます。
    • こんな田舎に大病院??って思うでしょ。
      • 浜北はものすごく年寄りが多いところなので、需要は凄まじいらしい。
        • 高齢化率、中区19.4%、東区18.6%、南区19.6%、西区19.9%、浜北区20.4%、北区21.6%、天竜区35.1%。これで物凄く年寄り多い?むしろ人口の割りに病床数がやたら多いと言ったほうが正しい。
          • 年寄りが多いというなら都心が天竜区並の多いからな。隠れ高齢者の町状態。だから活気がない。
      • 実際病床数だけなら人口17万の磐田市よりもずっと多いんだよねぇ。ただ総合病院が無かったという状態だったので日赤の移転(強奪)はしてやったりと言ったところ。
        • 高林あたりの人間からすれば総合病院を浜北に取られてしまった形。
          • でもあの地区は聖隷浜松までそこまで遠くない。坂は有るけど。
        • 独立した市でなくなったら、うざいヤマ発工場は北区に押し付け、病院は中区から奪い取る・・・。えぐいことしてます。収入を気にする必要ないもんね。
      • 浜松の総合病院自体出来た頃は周りに何もなかった病院ばかりです。旧日赤、医療センター、聖隷2つ等等、病院ができてから街として発展した。小林もそうなるかな?
      • 三方原の聖隷があるとこのほうが余程田舎だと思うが…
    • 敷地内にヘリポートがある。聖隷三方原も実はヘリポートが敷地内にない。
    • 日赤の周辺はこれから区画整理が進んでちょっとしたニュータウンになるそうだ。
    • 本当は「浜松日赤」だけど、「浜北日赤」って呼ぶ人、きっといると思う。
      • 有り得る。余談だけど、浜松市内(北区引佐町)に引佐日赤が有るんだね。知らんかった。浜松日赤と知名度の差が有りすぎ
    • 聖隷浜松、三方原や医療センターもできた頃は超ど田舎でしたが(笑)。病院が街を作っていくでしょう。
      • 聖隷も黎明期は地元から嫌われた。その結果が病院の郊外設置。街中衰退はこんなところでもつながってるわけで・・・。
      • 三方原聖隷にしてもやってることはイオンと大差ない。郊外の乱開発一歩手前。事業自体は素晴らしいことなんだけどね。
  9. 旧浜北市に葬祭ホールができたのは最近のこと。
    • 最初の2つが2001年に立て続けにオープンし、残りも2002年にオープン。現在は3つあり、繁盛しているらしい。新聞に「浜北葬祭ホール戦争」と紹介された。
    • 3つの葬祭ホールはいずれも新しい浜松日赤の近くにあり、一つは歩いても行けるところ。
    • 浜北火葬場も新しくきれいにしている
      • 中沢の浜松火葬場の混雑が酷すぎるためか??
      • 浜北区内の業者の占有率、H社1~2割、T社3割、J社3割(自宅葬含む)。あとは、浜松中心部のI社とか、A社など
      • ペット専用のカマもできるそうだ。
      • ついでに最終処分場もすぐ近く。
      • 出雲殿も赤電沿線に本格進出し、区内の葬儀場は5カ所に。10年前まで浜北市には葬祭場なんてなかった。
  10. 浜松市内の区で現在、一番人口増加率の高いのが浜北区。染地台効果か。
    • 単純に相次いで進出する大型店による誘引効果も大きいと思います。やはり大型店は近所にあれば普通に便利です。
    • 町別人口を見る限り必ずしもそうでもない。貴布祢や西美薗など主要インフラが近所に揃ってる街の伸びも良い。でもやはり増加の最大の要因は「浜松市」になったことだろうね(笑)。
    • 浜北区と西区(志都呂~雄踏)が浜松で伸びてる地区だと思う。
  11. 「浜松の北」を意味するっぽい名前だが、由来は「浜名」と「北浜」の合成なんだとか。
    • 逆の合成(浜・名)だったらまんま「北浜」になるところだったのね(さすがに浜名側が反対するか)。
    • でも「浜」松・「浜名」・北「浜」の字は浜名湖由来っぽいし、ルーツを辿ると似た者同士だなぁ。
      • いや、逆に「浜名」→浜名湖かもしれんし・・・何かごっちゃになってきた。
        • 浜名→浜名湖だと思う。因みに「浜名郡」が有った様に浜松市の大部分は浜名(他には敷地郡とか)。
          • 敷地はフチですよ。シキヂ等と読まない様に!
    • 因みに浜松市外の人は「浜北区」と言えば「北区」と混同するし、「浜北」と言えば「浜松北高」を指す...らしい
      • 北高を浜北と呼ぶのはやめて欲しいね。
        • 「浜松の浜北出身の…」という様な会話でいつも「浜北は最近浜松になったんですよ。元々は浜北市。」みたいな受け答えをしてしまい、会話が成立しない。向こうは当然北高のつもりらしい。
        • 一発で浜松市外の人間だと判別出来る要素、それが「浜松北高→北高or浜北」
  12. あらたまの湯が大人気。けど年寄りばかり。
    • この辺は掘っても海水のようなナトリウム系の温泉ばかりだが、ここはこの辺では珍しい重曹泉が沸出した。
    • 影響かどうか知らないけど、天王のお~風る、幸の極楽湯が閉店。民業圧迫か?
      • あの辺は工場労働者比重が高そうだから、リーマンの影響も濃いエリアだからな。
    • まあ、火葬場の拡張と引き替えの地元対策事業だからね。
    • 火葬場の裏には最終処分場があるのだから、その見返りです。
    • 西部清掃工場にもトビオが併設されてるけど、あれもゴミ工場の代償。
    • だから北部新工場ができる天竜の山奥も、ゴミ工場以外に地元対策で何かできるんだろうね。
  13. 2024年1月1日浜松市の区再編により北区と合併して浜名区になることが決まった。1956年浜名町・北浜村・中瀬村・赤佐村・麁玉村が合併して浜北町からスタートし浜北市→浜北地域自治区(浜松市合併から政令市移行の間)→浜北区と続いた「浜北」の名は68年で消滅することに。
  14. あたまのてっぺんあたりの領地を天竜市→天竜区にえぐられている。西鹿島駅は天竜区。

交通の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 遠鉄の「美薗中央公園」駅は、2007年7月31日まで「北浜中学校前」と言った。
    • かつては、北浜村(町)の「北浜駅」だったのが、隣の駅が「浜北」と改称されたので、何の考えもなく「中学校前」を足したたのか??
      • 実際は北浜村の中心駅は遠州貴布祢駅(現浜北駅)、利用者が多かったのは実は遠州小松駅で、なゆた浜北などが整備される辺りまでは長年にわたって小松の方が利用者が多かった。
        • 浜北駅は今や新浜松、西鹿島に次ぐターミナル駅ですな。しかしターミナル駅の割には路線バスが殆ど発着しない。(新浜松=浜松駅バスターミナルや西鹿島との大きな差はこの点)
          • 因みに遠鉄の目論見では高架化と同時に上島駅を次のターミナル駅にするつもりらしい。上島駅にバスロータリー等を設ける構想も有るんだとか。
    • 車いすにやさしい駅は良いのだが、駆け込み乗車するときもスロープを走らないとならない。
      • 積志駅のような途中で詰まりそうなありえない狭さのスロープに比べればかなりマシだとは思う。
    • Wikipediaに「冷暖房付きの待合室がある」と書かれていた時期があったが、実際は換気扇だけ。
    • 駐輪場が巨大だ。元は公園予定地だったのを地主が売らないでいたところ。いい場所が残っていて良かったね、遠鉄さん。
      • 初めは西側半分だけだったのが、自転車が入り切らなくなって東側も供用したらしい。
      • 市に売っても公示地価に準ずるので割にあわない。民間同士なら言い値次第。
    • 駅に隣接する美薗中央公園では、車を公園に停めて電車ででかける人を排除するため躍起になっている。
      • 駅に隣接するホテルでも駐車場に「ここは電車の駐車場ではありません」という看板を立てている。
      • 見かけ上はパークアンドライドじゃないか・・・駐車場どうにかしてやればいいのに。
  2. 浜北コミュニティバスは、区内全域を走っている市営のバスだが、路線によって運行する曜日が決まっているので、乗る前には時刻表とカレンダーが必要。
    • 車両はハイエース。最近、スモーク付きの新車に替わったのは、空気輸送の実態を市民に隠す目的だという噂。
    • 2006年の営業係数は721らしい。(100円稼ぐのに必要な経費が721円ということ)
      • 民間バスで営業にならないんだから高くなって当たり前。というかそんなこと知っててやってる事業ですよ。
    • 日赤が開業したのに、日赤には乗り入れていない。これだから、役所のやることは・・・・・・。
      • 民業圧迫になるので民間バスの絡んでる地域には極力入れないということですよ。
    • 路線を白紙改正する話があるが、「来なくなってしまう地域」の自治会が反対しているらしい。
      • 民間バスを避けながら民間バスの無い地域をくまなく回るのがいかに難しいかってことですね。というか無理。
    • ドライバーが最近、遠鉄(遠鉄アシスト)→浜松バスからの派遣に替わったらしい。
    • 浜北区内の電柱に、謎の緑色の矢印(がついた板)がついている。謎の青い矢印と同じ仕様。
      • ドライバーに曲がる場所を知らせる看板らしい。
      • コミバスも、(浜松バス)循環線も、矢印を付けなくてはならないほどルートが複雑・・・
    • 以前から浜松バスに委託されていた「浜北コミュニティバス」。2011年10月1日のダイヤ改正で、浜松バス色が強くなった。
      • 車両は専用のハイエースから、浜松バスの小型路線車に変更。あらたまの湯線と共通運用。
      • 時刻表も、コミバス専用から浜松バスとの統合版に。

旧北区の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 旧引佐郡の町が含まれる事から「引佐区」が有力視されていたが、元から浜松市だった都田地区の住民が猛反発し「北区」に。
    • 全体では「北区」「引佐区」が僅差だったが地元住民の声は「北区」の圧勝。
    • 引佐区では「稲作」を連想し、田舎のイメージが付きまとうからという説もある。
      • 外の人間に引佐を「ひきさ」と誤読され(正しくは「いなさ」)、「引き裂区」などと呼ばれる可能性を忌避したという説もある。
        • 区内にある新東名の浜松いなさICも漢字表記を地元が嫌がったためとか。
    • 三方原地区は引佐とは関係もないのに・・・。
      • それだけ政治的に発言力が弱い地域ということです。
    • 都田自体が元々引佐郡だったのにねぇ。
  2. 農経高校跡地とその周辺に、ヤマハ発動機の新工場が出来る予定。
    • 浜北からうざい工場を押し付けられる形です。浜北の跡地は工場よりははるかにマシな再開発になります。
    • 中止になりました。
  3. 10年前の時点では人口増加率がもっとも大きかった区域だが、いまや減少が当たり前の過疎区状態で、浜北との差がみるみる縮まってしまっているほど。
  4. 有名スポット、浜名湖はマリンスポーツが盛んです。
    • 西区の表浜名湖と比べると、北区の奥浜名湖はいかんせん地味。

都田[編集 | ソースを編集]

都田テクノ
  1. 都田テクノという第3セクターも売りだし、再建できそうな浜松オートレース場もたたんでしまう有様。これといって大きな施設もなくまた、近隣の市や県にも大きなレジャー施設や有名スポットがなく浜松には何もないというイメージが定着。大きな工場だけが取り柄。
    • 都田テクノポリスには企業や研究所が集積している。
    • NICUつきの病院が3つあるほか、病院がたくさんあり出産に関しては恵まれている。
    • 都田テクノ「近接」の土地を商業地域として民間に売ったが、上記の記述はそれを勘違いしているものと思われる。
      • 違う違う。工業用地が売れなかったから、工業地域を近隣商業地域に変えてまでして賃貸してるんだよ。浜松市自ら郊外化を推進した最たる悪例。
    • 都田テクノは市と民間企業が共同して開発している地域であるため最初から第3セクターである。
    • なお都田へ向かうバスは1時間に1本程度であり、通勤時間帯にもとりわけ本数は多くない。やはり車社会を感じさせる。
  2. あまりにも都田テクノの町がきれいで外部の人はバブルの象徴とか税金使いすぎだと中傷するが、実はうらやましい。
    • 俺もうらやましい。
  3. カインズホームができて、浜北市民(→区民)をうらやましがらせたが、サンストリート浜北が浜北区に出来たおかげで、今度は都田の人がうらやましがる番と言われている
    • しかし浜北に巨大店ができて以降はカインズモールの存在感が希薄になってしまっている。そりゃそうだよな。
    • ベイシア電器EIDENに比べて影が薄い。カインズホームから歩いて○分かかるのが原因か
    • そこのQBハウスにブラジル人の運転する車が突っ込み、当分休業だとか。
      • 無事に営業再開されました。
  4. きらりタウンができてから、すっかりお株を奪われて都田テクノはまだ分譲が終わっていないのに人口減少状態に転落しています。
    • ちょうど団塊周辺の世代がマイホーム購入し、その子供たちも独立し始めたため、あと数年たつと老人の町になりかねない。
  5. 北区のSCというと、サンカまたはベル21の方が印象が強い。
    • ベル21にはカルナホームセンターという、明らかに大手のカ○マのパクりみたいな店がある。
      • カーマのFC店だったそうです。しかし、すでに閉店。
  6. 都田駅周辺と都田テクノ周辺では雰囲気がまったく違う。
    • 浜名湖の入り江の先と三方原台地の上、地形からして異なる。
      • 入り江の先の田園地帯、三方原台地の畑、都田テクノ(新興住宅地と工業団地)、山地およびその合間の畑、と変化に富んでいる。
    • ちなみに「都田」と書いておきながらここの記述、殆ど新都田(都田テクノ)。
  7. 都田総合公園の南西にある朽ちた施設はどうやら養鶏場だったらしい。
  8. 都田テクノポリスの北東側、都田テクノ北交差点の先にも新しく工業団地ができる。
    • それに伴って現在麁玉中のあたりまである宮口バイパスも延びてくる。
      • 都田テクノ方面への新東名の浜松SICからのアクセスも良くなる。
  9. カインズ東側の区画、新都田ができて以来長らく空き地だったが、ようやく施設ができる事となった。
    • 市民音楽ホール。サーラグループのネーミングライツで、「サーラ音楽ホール」
      • 間違ってもDQVのメッサーラを想像してはいけない(笑)

三ヶ日[編集 | ソースを編集]

  1. ミカンの産地。
    • 「ミカちゃん」というマスコットもいる。
  2. 高速バスファンには、JRバスが運転士交代する場所として有名。
    • 慣れてない人は「何でココで高速を降りるんだ?」と不思議に思う場所。
  3. 山と湖に囲まれているので、浜松市とは思えない←三ヶ日民より
    • そもそも、三ケ日ICを出ると「↑浜松 27km」と出てる。合併したら漏れなく書き換えるハズ(この場合は「浜松市街」or「浜松駅」が妥当)なのに、何でそのままなんだろ?
  4. 05年頃だが、国道362号沿いに『飲酒運転を追放した町・三ケ日』という珍しい看板があった。
    • 今もありますよ。
    • 天竜浜名湖鉄道、東都築駅前にあります。
  5. ここの農協は回り全部とぴあ浜松にも関わらず現在もJAみっかびである。
  6. なぜか豊川の自動車学校の看板がある。
    • 普通に浜松方面より近いのでおかしなことではありません。
  7. 合併してから、町の名が「三ケ日」から「三ヶ日」に「ヶ」が小さくなった。
    • 元々「ヶ」だったが、昭和の大合併(1955年)で国の職員が間違えて「ケ」にした。その後幾度と「ヶ」に戻すよう改名が叫ばれたが、平成の大合併(2005年)でも要望が通らず「ケ」にされた。それに激怒して抗議しまくり、浜松市が政令市となり改名の権限が県から市に移ったこともあって、2007年に改名決議が可決され、52年ぶりに本当の名前を取り戻した。
  8. 考古学ファンには三ヶ日人で有名。
  9. 2輌しか生産されなかった幻の戦車「四式中戦車チト」が猪鼻湖に沈んでいるという噂があり、実際過去に他の戦車は沈んでいたが、チトは見つからなかった。

細江[編集 | ソースを編集]

  1. ローランドの本社があり、中区にもヤマハ、河合楽器の本社があるため楽器メーカーのお膝元でもある。
  2. 姫様道中(籠に乗ったお姫様をはじめ付き人やら江戸時代の真面目なコスプレをした人たちの行列)というお祭りが毎年4月の第1土日に開催(2020年は中止。2021年はオンライン開催)
  3. 天浜線西気賀駅付近の五味半島は徳仁(令和の天皇)が幼少の頃保養に来ていたためプリンス岬と呼ばれている。

引佐[編集 | ソースを編集]

  1. かわな野外活動センターがあり、浜松市内の小学校、中学校の林間学校で使われいる。
    • 町内唯一の駅は金指駅だが、南端それも極めて端っこをかすっている。
  2. 「引佐」と言う地名は、浜名湖北東部の枝湾「引佐細江」に由来するが、引佐町は引佐細江に面していない。
  3. 竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)という鍾乳洞がある。
    • とにかくB級スポット臭がすごい。
      • 昭和っぽい自販機、動物(コウモリ)の飼育施設、東京五輪や大河ドラマへの便乗などいかにもベタな観光地らしい要素で満ちあふれている。
      • 温泉施設、ご当地萌えキャラ、移設された古民家などもあればなお雰囲気が出たと思う。
    • 鍾乳洞自体も見ごたえがあるが水滴が落ちてくる部分が多いため注意。
      • 最大の見どころは洞窟内にある落差30mの滝。
    • 観光開発の際に元の状態と比べて大幅に拡幅されている。
  4. 新城市の旧・鳳来町域と隣接している。
  5. 金指にある国民宿舎は立地や雰囲気から温泉を使っていそうな感じがするが、実際はただの水道水を沸かしているだけだったりする。ただ15kmくらい先に見える浜松市街の夜景は美しい。

井伊谷[編集 | ソースを編集]

  1. 彦根藩主の家柄である井伊家縁の地。
    • 藤原北家出身の井伊共保がこの地で井伊家の開祖となった。
  2. 2017年、大河ドラマ「おんな城主直虎」で一躍話題の地となった。因みに直虎様は、この地では井伊直政らとともに事実上、神格化されている。
  3. 彦根佐和山山麓にある龍潭寺は彦根藩主井伊家の菩提寺として有名だが、その龍潭寺は言ってみれば、ここ井伊谷にある龍潭寺の暖簾分け。
    龍潭寺庭園
    • 小堀遠州作庭の裏庭が良いと評判。今も雰囲気はすこぶる良い。(2019年年始)
    • あの直虎様が尼僧になったのは、このお寺。この地で井伊家は代々、龍潭寺と持ちつ持たれつの関係だったことが伺える。
  4. 今でこそ、金指のほうが栄えているが、1954年の引佐町設立時は井伊谷村が金指町を吸収合併の上、改称するという形をとるなど、このエリアでは今でも井伊谷のほうが街としての格が高い。(2019年年始)
  5. 龍潭寺の裏にある井伊谷宮もなかなか良い感じの神社である。
    • 井伊家が南朝方だったことから、後醍醐天皇の息子である宗良親王が、ここを拠点としていたらしく、明治維新の頃に、朝廷への忠誠アピールをしたかった井伊家の当時の当主が願い出て創建された神社だったりする。
      • そういう意味では、さして長い歴史があるわけでもないが、昔は官幣中社に列せられるなど、それなりに優遇されていた。
      • 宗良親王の息子の尹良親王は井伊谷出身。母親は井伊道政の娘だったとか。
  6. 浜松市西区篠原と飛騨高山を結ぶ国道257号が通る。

奥山[編集 | ソースを編集]

  1. 奥山半僧坊で有名。
    • 今でこそ引佐エリアで有名なお寺というと井伊谷の龍潭寺だが、かつては奥山半僧坊こと方広寺の方が有名であった。
    • そりゃまあ、方広寺は臨済宗方広寺派の大本山だし、当然といえば当然。
  2. カナメ神宮とかいう胡散臭いけど桃の花が美しい神社がある。場所は奥山の中心部から奥山高原へ向かう道の途中。
  3. ここまで遠鉄の鉄道路線があったとは今となっては信じられない。
    • 豊橋鉄道田口線(1968年8月31日廃止)とともに国鉄明智線(現・明智鉄道)と繋げる予定だったとか。奥山線は田口線廃止より4年早い1964年9月30日に廃止された。