長崎/島原
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島原半島の噂[編集 | ソースを編集]
諫 早 |
有明海 | ||
雲 仙 |
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島 原 | |||
南島原 | |||
天草 |
- 島原半島全部が心霊スポットである。
- どこの家庭でも、高齢者は地域伝承の怪談など、怖い話のレパートリーが豊富である。
- あちこちに廃校があるが、肝試しは原城跡一択。目撃証言多数。
- どこの家庭でも、高齢者は地域伝承の怪談など、怖い話のレパートリーが豊富である。
- 島原の乱は島原城で起こったと他県の人に認識されている。本当は原城なのに・・・
- しかもキリシタンが騒動を起こしたぐらいにしか認識されていないが、乱の直接の原因は領主の大悪政によるもの。
- 島原の乱のあとにその領主は幕府によって打ち首になったことからもわかる
- 切腹ではなく「打ち首」なのが重要。
- 江戸時代に大名が打ち首になったのは後にも先にもこの時だけである。切腹すらレアケースだというのに。
- 切腹ではなく「打ち首」なのが重要。
- 島原の乱のあとにその領主は幕府によって打ち首になったことからもわかる
- このあと、島原半島を治めた領主は復興のため、色々な手を尽くしてあちこちから民百姓を集めた。そのため島原の方言は独自のものとなる。
- 島原の乱では実際に島原城も戦場になっている。蜂起した一揆勢が城門まで攻め寄せた。参勤交代中で200名しか残っていない藩士と切支丹でない村や町の住人は城に篭城し協力して一揆勢と戦って援軍が来るまで持ちこたえた。
- 援軍到来と天草での敗戦で一揆勢は島原城そして長崎制圧を諦め、逆に原城に篭城する事になった。
- いや、逆に藩士が町人に協力してもらおうと武器を与えたら、寝返って一揆勢と一緒に攻撃してきた、って話を聞いたぞ。どんだけ嫌われてたんだw
- そもそも、島の付かない原城という名前の城が別にあるなんて知らなかった。「廃城になり原野となっていた城の跡にキリシタンが立て籠もった。それが島原城」って勝手に思っていた(無論、島原城が明治まで現役だったという事も知らなかった)。
- しかもキリシタンが騒動を起こしたぐらいにしか認識されていないが、乱の直接の原因は領主の大悪政によるもの。
- 棚田が綺麗!!
- 家の造りや、農地の整備の仕方が九州の外の地域と少し違う。なんとなく風景が四国の農村に似ている。(石垣の組み方など)
- 四国に似ているのは、おそらく島原の乱後に四国から移り住んだ人が多いからであろう。
- 家の造りや、農地の整備の仕方が九州の外の地域と少し違う。なんとなく風景が四国の農村に似ている。(石垣の組み方など)
- 道の舗装率もかなり良い
- 普賢岳災害復興資金で、見事に九州で一級の観光地に変身
- 「北目」「南目」地域で、住民の気質が違う
- 「北目」=のんびり/「南目」=テキパキ…古く「島原の乱」による影響と云われている
- 「島原の乱」の時は、旧有馬氏のお膝元だった「南目」に一揆に参加する村が多かった反面、「北目」は切支丹への立ち返りを拒んで藩に協力する村が多かった。
- 「南目」については、合併の結果そっくりそのまま「南島原市」となった。
- 「北目」=のんびり/「南目」=テキパキ…古く「島原の乱」による影響と云われている
- 若い女性も自分のことを「おい」などと言う。
- 東北地方だと自分のことを「わ」などというようだが、島原では「おまえ」のことを「わ」などという。
- 歴史のほとんどが「雲仙」「島原の乱」抜きには語れない
- 福岡のラジオ局「LOVE FM」の電波が入る。救われた気がした。
- 人情味溢れ、温厚で柔軟な人たちが多いことで知られる島原半島だが、旧○々石町、旧○江町の住人はガラが悪いことで有名。
- この町に加え西有家の中学校は毎年安定したクオリティのDQNを輩出している。近年その質の低下が見られる
- 島原鉄道の末端部(島原外港から先)が廃止に…。
- 火砕流災害から復旧した区間も廃止。もうちょっと区間を削れないものか…
- 人気があったトロッコ列車も南目線の廃線と同時に引退。トロッコ車両は門司港へと移った。
- 島原鉄道の料金はものすごく高い。
- 半分観光鉄道みたいなもんだからね。
- 第一と第三の日曜は島鉄の列車・バス・フェリーが1日乗り放題で1000円ぽっきりになるフリー切符が発売されます。学生なら毎週日曜は1000円で乗り放題に。
- 1000円になるのは第一・第三ではなく第二・第四日曜な[1]。観光客が間違えたら大変(3000円の乗り放題切符もあるけどさ)。
- 島原の人は五島、壱岐、対馬はもちろん、平戸、北松、佐世保にも(たぶん)行ったことがない。
- そもそも同じ県内だと思ってないかも。お互い様だが・・・
- 佐世保はハウステンボスがあるから、行ったことがある人は多いと思う。
- 深江から口之津まで地域高規格道路を作り、口之津から天草まで、天草から鹿児島の長島町まで二つの橋を架けて阿久根市と繋げるという壮大な計画があるが、あまり知られていない。
- 道路脇にちょくちょく看板が立っている
- 南北では複数の町が合併して市制、残った中心都市が隣町と小さく合併という構図が淡路島とかぶる。
- 下に温泉の噂があるが、温泉だけでなく自然地形(雲仙の地獄や普賢岳の土石流関連)、歴史関連(島原城&武家屋敷、原城跡)と、実は結構観光資源はたっぷり。超オススメです。
- 多比良から口之津までの国道389号線は実は大牟田市から阿久根市までを結んでいる長距離路線の一部区間にすぎない。
- 大牟田から長洲・島原半島・天草下島・長島経由で阿久根まで。しかも途中でフェリーを3路線も乗り継ぐという異色の国道。
- 各市町村界が雲仙岳山頂を目指すように伸びている。
- 旅行へ行くなら車で行ったほうが絶対に良いエリア。雲仙温泉郷とかは公共機関で行くには無理があるし、長崎→雲仙→島原→熊本と回ると無駄なくコースが組める。因みに、カーフェリーは必須と考えた方がいい。
- 旧南高来郡域に当たる。
- 宮崎さんが多い。
- 香蓮さんや輝さんなど、出身有名人も多い。
島原半島の温泉の噂[編集 | ソースを編集]
- このサイトのユーザー諸氏のご両親(恐らく団塊世代)様に、雲仙温泉は超オススメです。正に「九州の軽井沢」という感じで、歩いて散策するのにも広すぎないし、泉質も最高(湯の花有り)で、旅館も妙にファッション化されてないので、落ち着いて過ごせるところです。
- 外見は地味だが、通は湯■ホテルを選ぶ。実は雲仙温泉の源泉なのだ。
- 江戸時代に雲仙の湯守が開設したので、温泉だけでなく旅館・ホテルとしても雲仙温泉で最も歴史がある。
- いろんな種類の温泉が密集している。単純泉、硫黄泉、食塩泉、炭酸泉、重曹泉…などなど。
- 長崎県交通局は元々はここ観光客輸送を目的に設立された。
- 普賢岳噴火時には直接は関係なかった雲仙温泉が風評被害にあったとか。
- 某超大国の大統領と同じ読みの温泉が知名度アップを図ろうとしているが、福井県小浜市に比べるといまいち影が薄い。
- 昔は、罪人を雲仙地獄で処刑していた。
- キリシタンも処刑していた。だから雲仙「地獄」。
島原市の噂[編集 | ソースを編集]
→島原市
雲仙市の噂[編集 | ソースを編集]
- 雲仙普賢岳の頂上は旧小浜町にあることを知る人は少なく、島原市にあると思われている。
- まだ市制間もないこともあり、住民はいまだに住所を書き間違える。
- 雲仙市役所は吾妻町だが、雲仙警察署は小浜町。
- 愛野や吾妻という地名があることから市は「愛の聖地宣言」をした。
- 「愛の聖地巡礼マップ」なるものを作成して、愛のパワースポットを巡る旅を奨励している。
- 2005年10月11日、南高来郡国見町・瑞穂町・吾妻町・愛野町・千々石町・小浜町・南串山町の7町が新設合併し発足。
- 最寄りICの諫早ICからは島原市より近い。
愛野[編集 | ソースを編集]
- ジャガイモ生産量は、北海道の次にランクされていたはず…?
- 栽培時期が北海道とは反対になるので、作付面積が圧倒的に狭いにもかかわらず堂々の全国2位である。
- 名前をもじった「愛の〇〇」という店がやたら多い。
- 愛野駅では「愛の駅」という事で、駅の前で結婚式まで上げるカップルがいる。
- その際、近所の見ず知らずの住人たちも集まって来て式を盛り上げてくれる。
- 愛野駅では「愛の駅」という事で、駅の前で結婚式まで上げるカップルがいる。
- 愛野町乙
- という地名が有る。
- 実は愛津村と野井村の頭文字をとった合成地名である。
吾妻[編集 | ソースを編集]
- 万里の長城を模したものがある。
- 上にも書かれてるように雲仙市役所はここにあるが、その事実はあまり知られてない(と思う)。
- 堤防道路の南側の起点。
- 旭化成中興の祖である宮崎輝(みやざきかがやき)はここの出身。
- あの
神童アホ防衛大臣より前は、島原半島出身で帝大出の有名人といえばこの人だった。
- あの
- 群馬県ではありません。
瑞穂[編集 | ソースを編集]
- 実は合併協議会から脱出したことがある。
- 大正と西郷で「瑞穂」。何でまたこの名前?
- ちなみに前者は元号をそのまま自治体名に?
- 大正村の成立は大正15年なので、ぎりぎり大正。
- 島鉄の駅も大正駅と西郷駅がある。
- JRの駅のみどりの窓口で「大正まで」と言ったら大阪市への運賃をぼったくられる。
- 大正駅の開業は昭和30年である。意外と新しい。
- ちなみに前者は元号をそのまま自治体名に?
- 平成の大合併で島根県や京都府とともに瑞穂町が消滅した。東京都のみ。
- 一方で瑞穂市なら岐阜にできた。
- 1969年3月31日までは南高来郡瑞穂村だった。
国見[編集 | ソースを編集]
- 国見高校がある。
- サッカーでおなじみ。
- 駅にサッカーボールのモニュメントがある。
- 国道の街路灯もサッカーボールの形。
- 多比良がね(カニ)が地元で有名。
- NHKで唯一放送の際にスーツを着たことがないという司会者がいる
千々石[編集 | ソースを編集]
- ミゲル。
- 「ちぢわ」。読めません。
- 南島原市民は一度は「じゃがちゃん」を口にしたことがある。
- その名物「じゃがちゃん」で有名な千々石展望台は、一度じゃがちゃん売り場が火事になった。
- その火事の後、なんだか味が落ちた気がする。
- し、じゃがいもが小さくなった気がする。
- その火事の後、なんだか味が落ちた気がする。
- その展望台から見える景色の中に、あの熊本地震の原因でもある活断層の延長線がある。
- その名物「じゃがちゃん」で有名な千々石展望台は、一度じゃがちゃん売り場が火事になった。
- 白い砂浜と松林が続く風景は絶品。日本の白砂青松百選にも選ばれている。
- 日露戦争で活躍した「軍神」橘周太中佐を祀った橘神社がある。桜がきれい。
- 初詣客数も例年県内第2位であるにも関わらず、創建が新しい(1940年)ために小馬鹿にする県民も少なくない。
- 橘湾の名称の由来もこの橘中佐。元々の名称は千々石湾だった。
- 小さな水力発電所があるが、れっきとした九州電力の管理である。一時期は日本最小の水力発電所と言われた。
- 千々石から小浜へ海沿いに抜ける県道は雲仙鉄道(島原鉄道の子会社)の線路跡。廃線マニアには有名。
小浜[編集 | ソースを編集]
- いまいち目立たない。
- 旧小浜町は雲仙普賢岳や雲仙温泉を有していたんだが。
- 過去形かよ。
- 旧小浜町は雲仙普賢岳や雲仙温泉を有していたんだが。
- アメリカ民主党大統領候補、バラック・オバマ氏の知名度に便乗するも、福井のほうの小浜の影に隠れたまま。
- 2005年の合併に加わらなければ2008年にもうちょっと有名になれたかもしれない。
- ちゃんぽん番長なる市職員がいる。小浜ちゃんぽんガイドマップを作成した
- ちゃんぽん番長。今度はスイーツにも手をだす
- 11月上旬のある日は、必ず高校生でごった返す。
- ここらの夕日はすごく綺麗。
- 千々石湾越しに野母半島の稜線に沈む夕日が美しい。
- 斎藤茂吉も歌に詠んだ(ご他聞に漏れず歌碑あり)。
- 休暇村雲仙が諏訪池付近にある。雲仙温泉郷からは微妙に距離がある。こういった所が簡保とか休暇村など公営の宿クオリティー。
- やたら長い足湯がある。
- 全長105mと日本一をうたっている。実際のところ、足湯と呼べるのは20m程度で、その他は、子供用足湯やペット用の足湯となっている。また、冬に温まろうと足湯に行ってもすぐ側が海なので潮風がさむい。決して温まることはない。
- コアな高校野球ファンは1度だけ甲子園に出た小浜高校(1988年の第70回選手権大会)でこの町を知っているかもしれない。
南串山[編集 | ソースを編集]
- 対する「北串山」は昭和時代に小浜町に呑まれた。
- となりは南島原市の加津佐。そのためか(?)県民でも南串山は南島原市だと勘違いしてるバカがいる・・・ってオレのことです(ごめんなさい)。。。
- 何気に諏訪の池あたりでは北有馬とも隣接しているので、なおさら勘違いしがちである。
- 南串山と加津佐の間の国道251号は、大雨が降るとなぜかよく通行止めになるような気がする。
- 1969年3月31日までは南高来郡南串山村だった。
南島原市の噂[編集 | ソースを編集]
- 関連項目:原城
- 有家町と西有家町が互いに新市の覇権を巡って争っている。
- 両町の「有家」の部分は「ありえ」と読む。ありゃ?「いえ」の「い」は?
- もう、いっそのこと島原半島全体で雲仙市でも島原市でもよかったのに、と思っている。
- 半島全体でその2つのどっちかだったら島原しかありえん。島原の名を簡単に消せるはずがなかろう。
- 三市合併なら「島原市」「島原雲仙市」「雲仙島原市」のどれかになるだろうな。いずれにしても南島原の個性が出ないのは惜しいが。
- 半島全体でその2つのどっちかだったら島原しかありえん。島原の名を簡単に消せるはずがなかろう。
- 住人の殆どは、島原の乱で元々の住人が(ほぼ)全滅した後に、幕府の移住政策によって四国や九州各地から移り住んできた人たちの末裔と言われている。
- そのため、新しい方言が出来たと云われる。
- 排他的な九州の一般的な田舎と違って、余所者に対する極度な偏見がない。
- 恐らく九州でも数少ないまともな田舎。ここに馴染めなかったら、九州の他の田舎では生きていけない。
- お年寄りは、方言だけでなく高田社長並!?の標準語を話すことができる。
- テレビはひまわりやカボチャ(ケーブルテレビ)のできる前は、もっぱらテレビ熊本(熊本の放送が長崎よりきれいに映る)視聴者。
- ここいらで、一番人が集る場所がジャスコだ。
- その近くにマルキョウ(福岡の有名なスーパー)も出来ていて、妙に開けたモンだと実感…
- マルキョウの近くに、ディスカウントショップのダイレックスも出来たね。
- ファミマ帝国だったが、遂にセブンが進出。
- 正月・お盆時のジョイフルは大盛況。
- ピエトロまであるのには、マジでビビッた
- しかも100円ショップ「ダイソー」もいっぱいある
- ピエトロは潰れて岩盤浴の施設になりました。
- その岩盤浴もつぶれました
- ジャスコはここいらのDQNたちの社交場としての役割を果たしている。
- その近くにマルキョウ(福岡の有名なスーパー)も出来ていて、妙に開けたモンだと実感…
- 住所の殆どが「甲」「乙」「丙」「丁」。通信簿じゃあるまいし…
- 「戊」「己」まであるが特に「戊」が住所の人は口頭で住所を伝えるのにかなり苦労するという。
- 「戊辰戦争」の「戊」じゃん。義務教育受けた奴なら書けて当然。
- 「己」まででよかったと…、「庚」があったらもっと説明しづらい。
- 島原市の一部、雲仙市小浜町、吾妻町以外も同様。
- 島原市については、旧安中、杉谷、三会の各村だったところが該当。
- 逆に有家町は1956年に削除されている。
- 西有家町も1970年に削除。
- 島原市の一部、雲仙市小浜町、吾妻町以外も同様。
- 「戊」「己」まであるが特に「戊」が住所の人は口頭で住所を伝えるのにかなり苦労するという。
- 長崎で「有馬」と言うと、神戸・有馬温泉とかよりも南島原市の旧北有馬町・旧南有馬町辺りになる。
- その南有馬にも温泉はあるが、さすがに神戸のほうに遠慮したのか、「原城温泉」である。
- 市内には18もの駅があったがほんの1日ですべて廃止に。
- ポカリスエットのCMでも使われた路線だったのに。
- 南島原駅は市内ではなく島原市にある(こちらは現役)。
- 市役所は西有家町にあるが、警察署は口之津町にある。
- それにしても南島原市なんて島原市の子分感満載で嫌だよな。今はのどかでも、有馬氏が治めてた頃はむしろ島原どころか長崎の中心だったのだから「有馬市」とか、その本拠地から取って「日之江市」とかにしてほしかった。
- 最近はそうめんをやたら推してて、度肝を抜くCMを制作してあちこちで流れてる。
- 揖保の糸のお膝元兵庫県のサンテレビでも流れている。
- 島原の乱後にやってきた小豆島出身の住民が広めた。
- そのCMは関東でも独立局中心に流れている。
- 揖保の糸のお膝元兵庫県のサンテレビでも流れている。
- 2006年3月31日、南高来郡加津佐町・口之津町・南有馬町・北有馬町・西有家町・有家町・布津町・深江町の8町で新設合併し発足。確かに島原市の南にあるが、福島県相馬市と南相馬市の関係みたいである。
深江[編集 | ソースを編集]
- 旧深江町は、普賢岳の噴火のときに重大な被災地になった。ただ、島原市ばかりが全国的に注目されたため、義援金はそちらに集中してしまった。
- 島原でも旧千々石町とタメを張る柄の悪さが自慢。
- 道の駅に普賢岳噴火の際の土石流で埋まった民家を展示してある。
- 島原手延素麺の生産の中心が西有家なのに対し、ここ深江には島原そうめん流しのメッカとでもいうべき山の寺地区がある。
布津[編集 | ソースを編集]
- 旧布津町(ふつちょうと読む)
- ふつうの町だなんて言われるがそんなレベルじゃ語れないくらいふつう
- 島原半島の中で一番小さな町だった。なので人口も極端に他の町と比べて少なかった。
- この町で「松島」姓の人は、島原の乱のあと東北仙台から連れてこられた入植者の末裔だと云われている。
- 中学校は全校生徒150人もいないが数々の部活で県大会でも上位入賞している。空手は全国制覇もしちゃってる
- コンビニといえばヤマザキYショップである。これしかない
- ものすごい量のトルコライスを出す店がある
- 1969年3月31日までは南高来郡布津村だった。
有家[編集 | ソースを編集]
- 上記、ジャスコ(現・イオン)は、ここにあります。
- ここのジャスコは、食品スーパー部分がAコープだったりする。地味にレアなパターン。
- もともとは東有家村だったらしいが、町制施行時に「東」を外して有家町になったんだとか。となりの西有家町から文句は出なかったんだろうか。
西有家[編集 | ソースを編集]
- 有家と西有家で島原高校に進学するか口加高校に進学するか分かれる。
- 西有家の優秀な中学生は、町内に柄が悪くて有名な島原南高校(現・翔南高等学校)があるため、進学校の島原高校や口加高校の校区外枠の少ない合格枠を取り合う事になり、受験に特別苦労する。
- 島原手延素麺の製造が盛んなのはここ。翔南高校の近くにはそうめんのモニュメントがあり、251号からよく見える。
北有馬[編集 | ソースを編集]
- 国道251号を走るとすぐに通り過ぎてしまう。ほんとは南有馬よりも広いのに・・・
- かつて島鉄が通っていた頃も、駅は一つしかなかった。
- 海岸線より内陸に町域が長いため。
- 国道251号から県道30号に入り小浜方面に向かうと、諏訪の池のあたりまでが北有馬町域。けっこう長い。
- 海岸線より内陸に町域が長いため。
- かつて島鉄が通っていた頃も、駅は一つしかなかった。
- 戦国大名・有馬家の本拠地であった。キリシタン大名として著名な有馬晴信・大村純忠(大村姓は養子に入ったため)も有馬一族である。
- しかし有馬家の全盛期を築いたのは晴信の祖父・晴純公であり、某歴史ゲームでは有名な息子達より高評価である。ただ功績の割には資料が少ない。
- だが更にさかのぼると有馬家が勢力拡大したのは、晴純公のそのまたおじいさんの有馬貴純公のお陰だと言う。しかしこの御方も残念ながら資料が少ない。
- キリシタン大名の本拠地だけあって、イエズス会の初等教育機関である「セミナリヨ」があったりと、この当時は日本における文化的先進地の一つですらあった。
- 他にセミナリヨがあったのは安土だけというところからもその凄さがわかる。
- 跡地とされるところは今では田んぼである…
- しかし有馬家の全盛期を築いたのは晴信の祖父・晴純公であり、某歴史ゲームでは有名な息子達より高評価である。ただ功績の割には資料が少ない。
- さらに時代を遡ると、原山ドルメンという国内最大級の縄文末期の支石墓遺跡が諏訪の池の近くにあるなど、地味ながらもかなり古い歴史を持っている。
- ここの出身者としては、ここの創業者である井村荒喜や、アジアの大砲こと高木琢也がおり、街の規模の割に豪華である。
- とりわけ高木琢也は地元サッカーチームの監督として文字通り故郷に錦を飾った実績がある。
- 1969年3月31日までは南高来郡北有馬村だった。
- でも町制施行後も人口5000人を超えることはなかったので、結局見栄で町制施行したのと何ら変わらない状況だった。
南有馬[編集 | ソースを編集]
- 島原の乱で一揆勢が立てこもった原城はここ。
- 島鉄の原城駅もあった。しかし、城があったのは遠い昔(安土桃山時代?)の話。
- このように、原城が南有馬の象徴と化しているが、ついに「原城町」に改称されることはなかった。
- 原城駅については、地元の要望により1962年に南有馬駅から改称されている。それだけ思い入れが強いのであろう。
- 島鉄の原城駅もあった。しかし、城があったのは遠い昔(安土桃山時代?)の話。
- 原城歴史資料館というものがあるが、原城から離れている。民間の施設で、民家に郷土資料その他諸々を詰め込んでいる。お留守のときは資料館入り口に書いてある電話番号で呼ぶと5分少々で開けに来てくれる。
- ここにも温泉があるが、さすがに有馬温泉と名乗るわけにはいかなかったためか、「原城温泉」である。
- ちなみにそこから原城までは歩いていける近さであり、名前負けはしていない。
口之津[編集 | ソースを編集]
- 海の男たちの間では有名なところ。
- 世界中の海に船員を送り出す。
- そのため、国立の技術学校がある。
- 世界中の海に船員を送り出す。
- 南島原警察署はここにある。
- 合併前は口之津警察署だった。合併時に布津と深江が島原署から移管されて今に至る。
- 小学校の校舎のデザインが斬新。
- 校舎が船の形。さすが船員の町。
- ちなみに体育館はクジラの形。
- そう言えば下水処理場も船の形。
- 水族館と間違え入る人がいる。
- そのため入口に「ここは下水処理施設です」とでかでかと看板がある。
- 水族館と間違え入る人がいる。
- 校舎が船の形。さすが船員の町。
- 実は戦国時代、有馬晴純が領主だった頃は貿易港として栄えた。
- しかし、息子の大村純忠が貿易港を長崎に変更してしまった。そして口之津は寂れていった。
- もし貿易港が口之津のままだったら口之津県になってたかもしれない。
- そのような歴史があるためか、口之津歴史民俗資料館で展示されているものはなかなか味わい深いものがある。船員が持ち帰った世界の品々も置いてあったりする。
- 三池港が完成する以前は、三池炭鉱の石炭の積出港として全盛期を迎えたことをなぜ言わない?そして与論島との縁はこの時期に起因する。
- 口之津歴史民俗資料館のうち分館のほうは、この時期に開設された長崎税関口之津支庁の建物で、何気に歴史的にも貴重。本館は新築されたフェリーターミナルに併設されたので、実質拡大オープンである。
- もし貿易港が口之津のままだったら口之津県になってたかもしれない。
- しかし、息子の大村純忠が貿易港を長崎に変更してしまった。そして口之津は寂れていった。
- 口之津には島原半島のお天気を観測する長崎管区気象台の観測所があるが、具体的にどこに観測箱が置かれているのかを誰も知らないので、都市伝説化している。
- 最近、ついにセブンイレブンとファミマが進出、ヤマザキデイリーを脅かしている。
- 永野萬蔵
- 1972年にデコポンと言う柑橘系品種が誕生したところ。
加津佐[編集 | ソースを編集]
- ここがあの長崎人を裏切ったアホ防衛大臣の地元…。
- かつては神童とよばれ、東大に進学した時は町を上げてのお祭り騒ぎとなった。
- で、彼の母校は県下有数の進学校である「口加高校」
- 口之津+加津佐=「口加」高校というがさつなネーミングセンス
- 実は、グラウンド以外の敷地は口之津。
- しかし、それも昔の話。
- 口之津+加津佐=「口加」高校というがさつなネーミングセンス
- で、彼の母校は県下有数の進学校である「口加高校」
- かつては神童とよばれ、東大に進学した時は町を上げてのお祭り騒ぎとなった。
- 元島鉄の終着駅
- 今も島原からのバスはここまで来る。
- 諫早からのバスもここを通って口之津まで行くので、口加高校への通学もバッチリである?
- 今も島原からのバスはここまで来る。