もしオイルショックが無かったら
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政治と経済[編集 | ソースを編集]
- 高度経済成長はもう少し長く続いていたかもしれない
- 高度経済成長からそのままバブルに突入した。そのため日本のバブル景気は史実よりすごいことになっていた。
- 大学進学率も現実よりも高く推移し、第二次ベビーブーム世代が大学進学を迎える1990年代前半を前に大学設置基準が緩和され、大学の新規開学が増加していた。
- 1990年代初頭に大学進学率は50%を超えていた。この時期における短大の四年制大学への転換も現実より多かった。
- 入学定員が現実より多かったため、激しい受験戦争や私大バブル期はなかったかもしれない。
- 18歳人口が現実より多いので、ニッコマや大東亜は難関。
- 1990年代に新規開学した大学(史実ではFランと呼ばれている)が史実のニッコマと同じレベル。
- 関西では産近甲龍が関関同立、摂神追桃が産近甲龍のレベルになっていた。
- むしろバブルは存在せず、安定成長期が続いていた。よってその後のバブル崩壊もなかった。
- 早くても昭和天皇のご病状悪化および崩御、遅くても阪神・淡路大震災が発生するまでは安定成長期が続いていた。
- 阪神淡路で日本経済が不況に転じるのは史実通り。ただし、日本の凋落は現実ほどではなかったかも。
- 早くても昭和天皇のご病状悪化および崩御、遅くても阪神・淡路大震災が発生するまでは安定成長期が続いていた。
- 大学進学率も現実よりも高く推移し、第二次ベビーブーム世代が大学進学を迎える1990年代前半を前に大学設置基準が緩和され、大学の新規開学が増加していた。
- しかしその反動でバブル崩壊後の不況はより深刻さを増した。
- 集団就職が廃止されることもなかった。
- 高度経済成長からそのままバブルに突入した。そのため日本のバブル景気は史実よりすごいことになっていた。
- 第2次ベビーブームは1980年頃まで続いていた。
- 受験戦争が21世紀に入る頃まで続いていた。そして現実より多くの大学が開学していた。
- 平成に入ってからは急激に出生率が低下するものの、2000年代になると第3次ベビーブームが起きて2006年には出生数150万人前後まで回復していた。
- 2010年代に入っての各業界の人手不足はなかった。
- 意外と定年に関しては55歳のままだったかも。
- 年金も60歳から満額支給されていた。年功序列と終身雇用が機能しているうえ、第3次ベビーブームも起こっていたために高齢者を支える現役世代が多かったため。
- 史実でも局地的(首都圏や沖縄)な第3次ベビーブームはあったが、地方の状況はかなり変わっていただろう。
- 運送業界における「2024年問題」もなかった。
- バス路線の廃止・減便も現実ほどではなかっただろう。
- 意外と定年に関しては55歳のままだったかも。
- 2010年代に入っての各業界の人手不足はなかった。
- コンコルドは普及していたのか?
- 石油がもう少し安ければ、大西洋路線(NY-ロンドン)は採算に乗せられたかもしれない。太平洋路線(LA-成田)は微妙・・。
- アメリカ車がダウンサイジングしたどうかは微妙・・。
- ガソリンスタンドで給油の為の行列待ちが起きなかった。
- トイレットペーパーがネタになることはなかった。
- 高校の修学旅行は1980年代のうちに公立でも航空機利用が解禁され、1990年代に入ると海外に行く学校も多くなっていた。
- 中学も1980年代の時点で北海道や沖縄が当たり前になっていた。
- 50代以下に関しては2024年現在飛行機に乗ったことのない人はほとんど存在しなかっただろう(少なくとも修学旅行で1回は乗ってるので)。
- 夜行列車の衰退は現実よりも早く、国鉄分割民営化の頃にはその多くが廃止されていたかも。
- 高校の修学旅行は1980年代のうちに公立でも航空機利用が解禁され、1990年代に入ると海外に行く学校も多くなっていた。
- より大局的に(日本に限らず、世界的に)は、ケインズ理論に基づく「大きな政府」という経済観が1980年代以降も揺るがなかったのではないか。史実でそれが揺らいだのは、オイルショックによる各国のインフレと政府の財政赤字などなので。
- それ故に「新自由主義」「小さな政府」「国営事業の民営化」「民間活力の活用」などは、異端とみなされ、それを唱えるエコノミストは在野に留まった。また、史実ではそれを唱えた政治家は、異端とみなされ国政を担えないか、仮に国政を担う場合はそうした経済政策を取らなかったと思われる。
- 国鉄の分割民営化もなかった。JRは誕生しなかったものの、国鉄のまま経営や輸送の改善が行われていた。
- 新自由主義という考え方もなかったため、小泉内閣は誕生しなかった。その結果、バブル崩壊後の失われた20年もなかった。
- その場合、自民党1強にはならず社会党や共産党と言った野党の勢いが現実よりも強かったかも。
- 東京一極集中や地方の衰退も抑えられた。
- 関西経済の地盤沈下も遅れていた(オイルショックが関西経済の地盤沈下の始まりだったため)。
- 生産拠点の海外移転も現実ほど進まず、日本の産業空洞化もなかった。2021年現在でも日本はアジアのNo.1でいる。
- 中国の経済成長は史実通りと思う。
- 竹中平蔵も有名にならなかった。
- 新自由主義を標榜する自民党清和会系の中曽根・小泉元首相などは自民党を離れ、新党を結成していたかもしれない。政権を執れていたかどうかは微妙だが。
- この新党が維新の会を名乗っている。国政では万年野党でしかなく、いくつかの自治体の首長を担うに留まる。
- 2009年の総選挙では自民党への批判票が(史実のようにすべて民主党に流れるのではなく)一部が維新に流れたため、民主党への政権交代は実現しなかった。
- 関西国際空港は国営の空港として開港していた。
- 開港も史実よりも早く、1990年の大阪花博と同時に開港していた。
- 中部国際空港も20世紀のうちに開港し、新北九州空港か佐賀空港のいずれかが「九州国際空港」として大規模に開港していた。
- 設置場所も現実の泉州沖ではなく神戸沖だったかも。
- 開港も史実よりも早く、1990年の大阪花博と同時に開港していた。
- 公立学校でのエリート教育は好ましくないと見なされ、学校群制度が今でも続いている。
- 韓国・フランス・北欧諸国などでも同様の風潮が広がる。
- 地元集中や総合選抜と言った制度も。私学無償化も行われず、公立高校の凋落もなかった。
- 日本が対米隷属化することはなく、現実よりも国力があった。
- むしろ北欧のような税金は高いもののその分高福祉な社会民主主義になっていただろう。
- イギリスはサッチャーがいないので英国病から脱却できない。
- 労働党はニューレイバーではないゴリゴリの左派のまま。
- 今頃はコービンがイギリスの首相だった。
- それ故に「新自由主義」「小さな政府」「国営事業の民営化」「民間活力の活用」などは、異端とみなされ、それを唱えるエコノミストは在野に留まった。また、史実ではそれを唱えた政治家は、異端とみなされ国政を担えないか、仮に国政を担う場合はそうした経済政策を取らなかったと思われる。
- 1970年代前半に石油不足によるエネルギー問題が発生しなかった事で、その後もエネルギーは石油に依存し、かつ省エネルギーに対応した機器の開発は行われなかった。ただし石油を動力源とする機器の「環境対策=排ガス規制」は、史実通りに行われ、それに対応した機器が開発され、普及した。
- 中東の産油国は、この事で国際市場で石油の価格決定を握る機会を逸した。その事で産油国にオイルマネーは溜まらず、今でも貧しい国のままか。
- 史実では、オイルショックのおかげで第四次中東戦争が早期に終結し、その結果1975年には1967年以来閉鎖されていたスエズ運河が再開したが、この事でスエズ運河の閉鎖が史実より長期化するか。下手すると半永久的にスエズ運河は閉鎖されたままかもしれない。
- 日本・世界を問わず、産業・技術面では、史実ほど省エネルギーや代替エネルギーの開発が進まなかったと思われる。一方、1970年代後半~1980年代前半に原油価格が高騰しなかった事で、別の方面での技術開発・製品開発は進む可能性がある。
- 日本や多くの西洋諸国において、史実では1970年代後半~1980年代前半の社会・文化の動きはそれ以前の延長的な感覚だったが、同時期の原油価格高騰が無かった事で、史実と異なり、1990年代以降並みに社会・文化の変化が激烈になる可能性もある。
- バブル景気が10年早く到来していたかも。
- 史実では1990年代後半以降に起こったラーメンブームも平成初期のうちに起こっていた。
- 東京はもちろん大阪や名古屋でもラーメン店が増加するのが早かった。
- ご当地ラーメンが知られるのも現実より早かった。
- 人口の多い団塊ジュニア世代が学生時代にその恩恵に預かり、ブームの火付け役となっていた。
- 新横浜ラーメン博物館のオープンも早まっていた。
- ラーメンのみならず全国各地のご当地ローカルグルメが全国区になるのも早まっていた。
- コギャルブームも10年早く起こっていた。
- 史実のバブル世代~団塊ジュニア世代がその火付け役となり、彼女らのファッションは現実よりも派手で華やかなものとなっていた。
- 若い女性のファッションに影響を与えたのは安室奈美恵ではなく森高千里となっていた。
- 史実のバブル世代~団塊ジュニア世代がその火付け役となり、彼女らのファッションは現実よりも派手で華やかなものとなっていた。
- 海外旅行の大衆化もこの頃から始まった。
- 人口の多い団塊ジュニア世代は幼少期から家族で海外旅行に行くのが当たり前になっていただろう。
- 史実より海外に行く人が多かったため、学校などにおける英語教育も現実以上に積極的に行われていた。
- 修学旅行で海外に行く学校も現実以上に多かった。
- 小学校で関東の学校は関西へ、関西の学校は関東に行き、中学校で北海道や沖縄、高校で海外が当たり前となっていた。
- 日本において、終末論が史実より弱まる(史実の日本のこの時代の終末論はオイルショックによる社会不安の影響が大きかったから)。「日本沈没」の小説版はそれでもベストセラーになる(オイルショック以前から売れていたので)が、映画版は興行がイマイチになり、「ノストラダムスの大予言」は、最悪大コケする。
- 地球温暖化が現実よりも早いペースで進んでいた。
- 猛暑やゲリラ豪雨も1990年代のうちに問題になっていた。2010年代になると真夏には40℃を超える日も珍しくなくなっている。
- 夏の高校野球における休養日の導入も10年早く行われていた。
- あるいは開催地をドーム球場に移転することを真剣に検討されていた。場合によっては阪神甲子園球場の改修時にドーム球場に改造していた。
- 「エンタメとスポーツ」の『6』の項目にもあるが、甲子園球場は「高校野球のメッカ」としての歴史と伝統があるから、「ドーム化」どころか「人工芝化」といった近代化には消極的だっただろう。
- 新自由主義がなければ日本古来の精神論が残るので、甲子園の近代化は遅れていただろう。
- 21世紀初頭に朝とナイターの2部制となっていた。
- あるいは開催地をドーム球場に移転することを真剣に検討されていた。場合によっては阪神甲子園球場の改修時にドーム球場に改造していた。
- 公立学校へのエアコン導入も1990年代までに行われていた。
- 学校週休2日制も昭和のうちに行われていただろう。
- 「半ドン」という言葉は早期に死語となっていた。
- 鉄道における土休日ダイヤは昭和のうちに統合され、土曜ダイヤそのものが存在しなかった。
- 学校週休2日制も昭和のうちに行われていただろう。
- 万博も10月開幕が原則となっていた。
- 夏の高校野球における休養日の導入も10年早く行われていた。
- 猛暑やゲリラ豪雨も1990年代のうちに問題になっていた。2010年代になると真夏には40℃を超える日も珍しくなくなっている。
- この事による現代史観の史実との変化。
- 日本人は奥ゆかしいので、その後の経済情勢等の如何に関わらず、1970年代後半前後の時代を「明暗とも持つ時代」と評し、その繁栄と活況を無条件に礼賛する人は少ないかもしれない。(当事者の加齢等を理由にして)
- 高度成長期後半の時代が後年語られるとき、その繁栄の真っ只中にいた人に主導権が握られる。田舎にいた人の発言力は下がる。故に、史実のような、暗めの昭和観は薄れ、インターネットの有無などを除けば、今に近い時代とイメージされる事が多い。
- 一方、西洋人は、オイルショックが無かった事でスタグフレーションが起きなかったことによる、当時のその繁栄と活況を無条件に礼賛するか。特に、陽気なアメリカ人は。
- 史実で1990年に大阪の鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会」は開催規模がもっと大規模になり、特別博ではなく一般博になっていた。
- 場合によっては鶴見緑地以外で開催されていた。
- 彩都が現実よりも早く開発され、花博はここが開催地になっていた。アクセスとしては北大阪急行電鉄が千里中央から彩都まで延伸され、箕面萱野も経由していた。北急にとっては2度目の万博輸送になっていた。8000形「ポールスター」は万博開催を睨んで登場していた。
- 大阪市営地下鉄車両の冷房化も現実より早く進み、花博の頃には全車冷房化が達成されていた。
- 関空が1980年代に開港していた場合、対岸のりんくうタウン辺りで開催されていたかもしれない。
- あるいはその時点で大阪市ベイエリアの舞洲あるいは夢洲が開催地に選ばれていた。その場合USJも花博を前にした1989~90年あたりに開園していたかもしれない。
- この場合アクセスとして大阪市営地下鉄中央線とJR桜島線がともに延伸されていた。
- この時点で「大阪・関西万博」を名乗っていた。会場面積も史実(2025年)の倍以上あっただろう。
- 彩都が現実よりも早く開発され、花博はここが開催地になっていた。アクセスとしては北大阪急行電鉄が千里中央から彩都まで延伸され、箕面萱野も経由していた。北急にとっては2度目の万博輸送になっていた。8000形「ポールスター」は万博開催を睨んで登場していた。
- その場合2025年の万博は日本国内で開催する場合大阪ではなく福岡あたりで開催されていた。2005年の愛知万博は史実通り。
- 愛・地球博も開催規模は現実よりも大きくなり、入場者数も3000万人を超えていた。
- こちらも最初から一般博として扱われていた。
- 1975年の沖縄国際海洋博覧会も成功していた。
- 神戸ポートピア博覧会はBIE認定博になっていたかもしれない。一般博ではなく特別博だった可能性もあるが。
- 国内・海外を問わず1970~80年代にも一般博が行われていた。1985年のつくば科学万博が一般博になっていた可能性もある。この場合つくばエクスプレスは万博に合わせて開業し、万博のメインアクセスとなっていた。
- 入場者も現実を大きく上回り、5000万人くらいになっていた。場合によっては1970年万博をも上回っていた。
- 場合によっては鶴見緑地以外で開催されていた。
- 新潟県にテレビ新潟放送網が1970年代に開局していた。
- 新潟テレビ21も1970年代に開局していた可能性もある。
- 昭和の絵本に描かれている未来の乗り物のいくつかは実現していた。
- 2021年現在、空飛ぶ自動車が実用化されている。
- 東京スカイツリーやあべのハルカスも10年くらい早く完成していた。
- 2019年現在、東京に400mクラスの高層ビルが完成している。
- テレビ大阪・テレビ愛知は1970年代に開局していた。うまくいけば当初の予定通り広域局になっていたかも。
- もしかすると大阪や愛知にも独立UHF局が開局していたかしれない。
- 地方でも民放局は現実以上に開局し、民放2局県は早期になくなっていた。
- 東北や北陸、中四国や九州なんかでも広域圏が形成されていた。
- 宇宙開発も現実よりも早く進んでいた。
- 昭和のうちに日本人宇宙飛行士が誕生していた。令和に入ると宇宙旅行が普及していたかもしれない。
- 日本人が月面着陸に成功していたかも。
- テレビの地上デジタル放送移行も20世紀のうちに完了していた。
- 朝日放送はTBS系列、毎日放送はNET(現在のテレビ朝日)系列のままだった。
- 元々TBSと毎日放送、NETと朝日放送はそれぞれ同一の資本系列にあるテレビ局であり、「系列会社同士でネットを組みたい」という発想から「超捻転解消」が生まれたのである。
- 腸捻転解消は史実通りだったのでは?
- 逆に資本の方を交換していた可能性もある。
- 重厚長大型産業に依存した都市が1974年から衰退することはなかった。
- ボウリング場の大量閉鎖はなかった。
- ダイエー→イオン京橋店の床が高くなっている部分は1980年代以後もボウリング場だった。
- 高山本線の岐阜~飛騨古川は電化されていた。
- 高度経済成長が阪神淡路大震災まで続いたかも。
- アルバイトの時給の上昇も現実より早く、21世紀に入る頃には首都圏や京阪神と言った大都市圏で最低賃金が1000円を超えるようになっていた。
- マイナンバーカードも20世紀中に実施されていた。
- マイナポイントも導入されるが現実と異なり手続きも簡便だった。というか下記の通り電子マネーが当時から普及していたので困る人も少なかっただろう。
- 小学生のランドセルの色の多様化も20世紀のうちに始まっていた。男子児童の丈の短い半ズボンは昭和のうちに姿を消していた。
- 新大阪駅周辺は現実よりも発展していた。
- オフィスや住宅はもちろんのこと、商業施設も多く立地し、梅田・難波・天王寺に次ぐ第4の核となっていた。
- 阪急新大阪線やなにわ筋線は平成のうちに開業していた。
- そればかりでなく京阪や阪神も新大阪への新線を開業していただろう。場合によってはそれを介して両社が乗り入れていた。
- 新大阪に阪急百貨店ができていた。
- フジテレビの路線変更が現実よりも早かった可能性がある。
- 2019年における天皇陛下の生前退位や平成→令和改元もなかったかもしれない。
- 昭和→平成までと同じく天皇陛下崩御→改元となっていた。
- ただこの場合も天皇は高齢なので摂政が置かれていた。
企業[編集 | ソースを編集]
- その頃のマツダが経営不振にならなかったかもしれない
- シトロエンがプジョー傘下になることもなかったのか?
- その場合、マセラティとの提携があと数年は続き、シトロエンSMが生産中止にならなかった。
- 又、シトロエンのロータリーエンジン車であるGSビロトールも生産中止にならなかった。
- 近江兄弟社は倒産しなかった。
- 「メンソレータム」は現在も同社から発売されている。。
- ブルマァクも倒産しなかっただろう。
- ダイエー・マイカル・そごうも。そごうと西武百貨店が経営統合することもなく、ましてやセブン&アイHD入りすることもなかった。
- そごう・西武とも関西から撤退することはなかった。
- セゾングループの解体もなかった。よって西武百貨店と西友は今も同一グループにある。
- その場合、西武鉄道グループとの統合もあったかもしれない。
- 玩具メーカーのクローバーやタカトクトイスも。これらの企業もブルマァク共々、平成になってからも存在していた。
- ダイエー・マイカル・そごうも。そごうと西武百貨店が経営統合することもなく、ましてやセブン&アイHD入りすることもなかった。
ITとインターネット[編集 | ソースを編集]
- 携帯電話やインターネットの普及が10年早まっていたかも。
- スマホも20世紀中に出現していたかもしれない。
- 史実のバブル経済期がケータイやネットが爆発的に普及した時期に重なっていた。
- その結果、1990年代後半にはIT産業が一般化し、失われた20年もなかったかもしれない。
- そうなっていたら2008年の五輪は北京ではなく大阪で開催されていた。
- その結果、1990年代後半にはIT産業が一般化し、失われた20年もなかったかもしれない。
- ウィキペディア・ニコニコ動画・YouTube・Facebook・twitterといったインターネットサービスは少なくとも20世紀中に存在していたかもしれない。
- 就職氷河期世代がYoutuberになり生計を立てるケースが続出していた。
- LINEも。
- GAFAのうちいくつかは日本生まれだったかもしれない。
- 鉄道車両に公衆電話が付くことはなかった。
- キャッシュレス決済も20世紀中には一般化していた。
- 人口の多い団塊ジュニア世代は学生時代からケータイやネットの恩恵を受けていたため、その後の社会が大きく変わっていただろう。
- 親世代である団塊世代も40代の壮年期にこれらの恩恵を受けた。
- 史実の団塊ジュニア世代が「デジタルネイティブ世代」と呼ばれていた。
- 人口ボーナス期が「デジタルネイティブ世代」と重なった韓国にITで負けることもなかった。
エンタメとスポーツ[編集 | ソースを編集]
- 「燃えよドラゴンズ!」はミリオンヒットしていたのか。
- 史実に反してオイルショックがなかった場合、レコードの材料になる塩化ビニールの不足もおそらくなかったと思うので、売上はミリオンを達成できたかもしれない。
- 後年になって、この歌が中日球団の「公認の応援歌」として認められていた。
- プロ野球に時間制限が導入されなかった。
- 「ウルトラマンレオ」の内容が忠実と大きく変わっていた。
- この作品に登場した正義の防衛チーム「MAC」も4クール早々で全滅せず、特撮ファンから「史上最低の弱小チーム」とバカにされる事もなかっただろう。
- 「MACの全滅」がなかった場合、隊長のモロボシ・ダンも当然生死不明にならず、無事に生還できたわけだから、物語の終盤でレオとセブンの共闘が実現していたかもしれない(「帰ってきたウルトラマン」こと郷秀樹に託されたセブンの変身アイテムのウルトラアイが無事に直っていたという事で)。
- 『昭和第二次ウルトラシリーズ』は、『レオ』以降も後続の作品が作られ、アニメ版の『ザ☆ウルトラマン』まで4年のブランクが空く事がなく、長く続いていただろう。
- 「変身ブーム」こと第2次特撮ブームも史実よりも長く続いていた。
- 史実では1クール(約3ヶ月)〜2クール(約半年)しか放送されなかった数多くの特撮作品も、最低でも3クール(約9ヶ月)〜丸1年放送されていた。
- 『キカイダー01』は、ハカイダー部隊やシャドウナイトとの闘いを長々と引っ張ったり、前作(『人造人間キカイダー』)の敵キャラの着ぐるみを使い回したり、あり物で済ませたりせずに、新規で製作された敵キャラが数多く登場していただろう。
- 同じく、01専用のマシンであるダブルマシンも、前作『人造人間キカイダー』でキカイダーの変身前であるジローが乗っていたサイドカーの流用にはならず、きちんと新規のマシンが登場していただろう。
- 『キカイダー01』の後番組は、当初の予定通り『キカイダーOO』になっていただろう。しかし、『キカイダーシリーズ』の直後に放送されていた『キューティーハニー』に史実同様クレームが殺到した場合は、本来の放送時間(土曜夜8時)から追い出され、別の曜日、放送時間で放送されていたか、或いは放送されなかっただろう(『キューティーハニー』の前番組だった『ミクロイドS』も同様)。
- 上記のような展開になった場合、『キューティーハニー』は放送されず、『デビルマン』がもう少し長く放送され、後番組は史実通り『ミクロイドS』になっていただろう(昭和40年代後半当時はまだ「中高生がアニメを見る」という習慣がなかった上に「裸のシーンが多過ぎる」というクレームが史実でも多かった為)。
- 宣弘社やピー・プロダクションが特撮番組の制作から撤退することはなかった。
- 『仮面ライダーV3』で終盤より登場するライダーマンの専用バイク「ライダーマンマシン」は市販のバイクをそのまま流用する形にはならず、ちゃんと変身ヒーローが乗るバイクらしいデザインになっていた。
- この作品に登場した正義の防衛チーム「MAC」も4クール早々で全滅せず、特撮ファンから「史上最低の弱小チーム」とバカにされる事もなかっただろう。
- モントリオールオリンピックの大赤字は避けられた。
- 1980年代のうちに日本での2度目の夏季五輪が実現していた。
- 1988年名古屋五輪が実現していたかも。あるいは大阪での五輪開催が実現していたかもしれない。
- 大阪五輪は2008年か2012年頃に実現していた。その場合2020年の五輪は東京ではない。
- むしろ2020年夏季が北京で、2022年冬季が長野だった。
- 1998年冬季が史実通り長野だった場合、22年が2回目の札幌か金沢あたりで開催されていた。
- 2022年が札幌だった場合、北海道新幹線はオリンピック開幕を前に札幌まで全通していた。
- 金沢だった場合は北陸新幹線が新大阪まで全通。
- 2022年が札幌だった場合、北海道新幹線はオリンピック開幕を前に札幌まで全通していた。
- 1998年冬季が史実通り長野だった場合、22年が2回目の札幌か金沢あたりで開催されていた。
- 2回目の東京は2028年か2032年に開催されるだろう。
- 東京ではなく福岡だったかもしれない。
- もっと早く1992年あたりに大阪五輪が実現していたかもしれない(その場合1988年の五輪は東アジア以外だった)。
- むしろ2020年夏季が北京で、2022年冬季が長野だった。
- 大阪五輪は2008年か2012年頃に実現していた。その場合2020年の五輪は東京ではない。
- 日本の国力が現実よりも高かったので、真夏の7~8月ではなく秋の9~10月開催が実現していた。
- アメリカの言いなりにはならなかった。
- 国策による選手の強化も昭和の頃から行われ、その後における日本のメダル獲得数は現実よりもかなり多くなっていた。
- ナショナルトレーニングセンターは1980年代のうちに開設されていた。
- 史実の1980~90年代におけるメダル不毛時代はなかった。
- 昭和のうちにオリンピックのメダリストに報奨金を与える制度が実現していた。
- 史実で日本が最も豊かだったバブル期に最低1度は五輪を開催できていただろう。
- 長野オリンピックが開催された1998年がバブル期と重なったかもしれない。
- 1988年名古屋五輪が実現していたかも。あるいは大阪での五輪開催が実現していたかもしれない。
- オリンピックは現実ほど商業主義にならなかったかも。
- 1980年代のうちに日本での2度目の夏季五輪が実現していた。
- 深夜帯のテレビ放送の拡充が、1970年代後半以降において、史実より10年位進んだか。
- 例えば、F1の番組の放送開始は1970年代後半か。そのため、F1(などのモータースポーツ)をイメージする代表曲が、史実の「TRUTH」以外になった可能性がある。
- 同様に、「イカ天」のような番組が1979年頃に放送され、史実より10年早くバンドブームがお起きるか。
- その場合、松田聖子・中森明菜・小泉今日子など80年代アイドルは現実ほどにはヒットせず、おニャン子クラブブームもなかった。
- オイルショックが無かった事で、史実より時代が早く進み、松田聖子ら80年代アイドルは史実の安室奈美恵らのような服装・楽曲になり、おニャン子クラブはモーニング娘。のような服装・楽曲になるかもしれない。1970年代後半の好況を背景に、当時のシンガーソングライターの中に、史実の後年の小室哲哉やつんくのようなタイプの人が現れ、1980年代から音楽プロデューサーを兼ねるかもしれないので。
- 場合によってはAKB48(関連グループも含む)の結成が史実より早まっていたかもしれない。
- この場合おニャン子クラブの解散はなく、そのままAKB48に繋がっていた。
- 1980~90年代のアイドル冬の時代はなかった。
- その場合はモーニング娘。が存在しなかった可能性もある。
- オイルショックが無かった事で、史実より時代が早く進み、松田聖子ら80年代アイドルは史実の安室奈美恵らのような服装・楽曲になり、おニャン子クラブはモーニング娘。のような服装・楽曲になるかもしれない。1970年代後半の好況を背景に、当時のシンガーソングライターの中に、史実の後年の小室哲哉やつんくのようなタイプの人が現れ、1980年代から音楽プロデューサーを兼ねるかもしれないので。
- このバンドブームでメジャーデビューした歌い手のその後。史実のバブル崩壊のような経済情勢が1980年代初頭に無くとも、1982年頃には影を潜めるか、それとも、1980年代を通じてメジャーになるか。
- その場合、松田聖子・中森明菜・小泉今日子など80年代アイドルは現実ほどにはヒットせず、おニャン子クラブブームもなかった。
- その場合の深夜番組の方向性は、当時のトレンド次第であろうが。
- もしかしたら深夜アニメブームも10年早く起きていたかも。
- 横浜スタジアムは早くても1973年頃に開場していた。大洋ホエールズが本拠地になっていたのは史実通り。
- その場合、大洋のユニホームは史実の「湘南カラー」(ホーム用=オレンジ、ビジター用=グリーン)にはならず、5年早くホーム用は白、ビジター用は藍になっていただろう(但し、ユニホームのロゴはビジター用は史実と同様「TAIYO」だが、ホーム用は川崎時代同様、「Whales」になっていただろう)。
- その際に、ロッテオリオンズは川崎球場に移転していた。
- 1978年に東大阪市の花園中央公園に近鉄花園野球場ができ、そこが近鉄バファローズの本拠地になっていた。
- 史実に反して、近鉄が花園野球場をフランチャイズにしていた場合、1997年に大阪ドームに本拠地を移転する事も、2003年オフのオリックスとの合併もなく、現在も存続していた可能性がある(オリックスとの合併の原因は、大阪ドームの設立場所が近鉄の沿線ではなかった事もあるので…)。
- 皮肉にも球団を手放した後自社の車両がドームの前まで乗り入れるようになったが…。
- 同じく、大阪ドームが開業する前の近鉄のフランチャイズだった藤井寺、日生の両球場はしばらくの間、アマチュア専用の球場として使われた後、史実より早く取り壊しになっていた。
- 史実に反して、近鉄バファローズが花園野球場を本拠地にしていた場合、1980年代半ば頃に行われた藤井寺球場の人工芝化はおそらくなく、取り壊されるまで「外野のみ天然芝」のままだっただろう。
- 1997年の大阪ドーム開業が史実通りだった場合、そこは「プロ野球チームの本拠地」にはならず、アマも含めた野球の試合だけでなく、サッカーやラグビー、アメフトの試合やコンサート、大規模な展示会など多目的に使用されていただろう。
- もしも近鉄バファローズがオリックスとの合併、その後の消滅もなく現在も存続していたら、史実の2003年オフに新たに参入した楽天は、ロッテか横浜を買収していただろう(特にロッテはかつて仙台を本拠地にしていた事もあるので、仙台への本拠地移転も違和感なく受け入れられただろう)。
- 史実に反して、近鉄が花園野球場をフランチャイズにしていた場合、1997年に大阪ドームに本拠地を移転する事も、2003年オフのオリックスとの合併もなく、現在も存続していた可能性がある(オリックスとの合併の原因は、大阪ドームの設立場所が近鉄の沿線ではなかった事もあるので…)。
- 阪急ブレーブスの身売りは史実より遅れていたかもしれない。
- 南海ホークスも。
- 史実通りオリックスに身売りされても、本拠地は神戸ではなく大阪ドームになっていたかもしれない。
- 石川県立野球場か佐世保野球場が1973年頃に開場していたかもしれない。
- 1973年にプロ野球再編問題が起こることはなかった。
- 東京ドームも1980年代前半に開場していた。巨人や日本ハムの本拠地になっていたのは史実通り。
- 福岡ドームやナゴヤドーム、大阪ドームの開業も早まっていた。
- 開閉式ドーム球場が福岡以外にもできていたかも。
- 阪神甲子園球場のドーム化計画が実現していたかもしれない。
- 甲子園球場は「高校野球のメッカ」と呼ばれているので、「ドーム化」は勿論、「人工芝化」もあり得ないと思う。むしろ、80~90年代に行われた「スコアボードの電光化」や「ラッキーゾーン撤去」がこの時代に行われていただろう。
- むしろ大阪ドームを正式に阪神の本拠地にして、甲子園はいっそ高校野球専用にしてしまうのもありかも。
- 史実に反して1970年代前半に横浜スタジアムが開場したり、甲子園球場のラッキーゾーンが撤去された場合、巨人軍の王貞治選手の通算ホームラン数は、史実の868本を若干下回り、840〜850本前後に落ち着いていただろう。
- 史実に反して上記のような展開になった場合、ベーブ・ルース、ハンク・アーロンの通算ホームランの記録更新はできただろうが、若干遅れていたかもしれない。
- その場合、国民栄誉賞の設定も少し遅れていたかもしれない。
- 史実に反して上記のような展開になった場合、ベーブ・ルース、ハンク・アーロンの通算ホームランの記録更新はできただろうが、若干遅れていたかもしれない。
- 同じく、1975年のシーズンに阪神の田淵幸一選手がセ・リーグのホームラン王になるのは史実通りだが、ホームラン数は若干少なく、37〜40本で終わっていただろう。
- 甲子園ドームが実現していたら夏の高校野球における酷暑の問題もなかった。
- 甲子園球場は「高校野球のメッカ」と呼ばれているので、「ドーム化」は勿論、「人工芝化」もあり得ないと思う。むしろ、80~90年代に行われた「スコアボードの電光化」や「ラッキーゾーン撤去」がこの時代に行われていただろう。
- ライオンズの本拠地は1979年以降も福岡のままだったかもしれない。
- もしあのゲームハードが現実より早く発売されていたらに書かれているゲームハードのいくつかは現実より早く発売されていた。ファミコンも2、3年早く発売されていたかもしれない。
- ニンテンドーDSのような携帯機も20世紀中に発売されていた。
- ドラクエはIIの時点でバッテリーバックアップが実装されていた。そのため復活の呪文に関する伝説は存在せず、難易度も下がっていた。
- ドラクエⅣはスーファミのソフトとして発売されていたかも。
- ドラクエIIIは現実で没になったイベントが実際に組み込まれ、オープニングにおけるタイトル画面も省略されなかった。
- プレイステーションの最初の機種も1990年頃に発売されていた。
- ドラクエV以降はプレステのソフトになっていたかも。
- ゲームボーイやスーパーファミコンは昭和時代のうちに発売されており、ゲームボーイアドバンスやゲームキューブも20世紀のうちに発売されていた。
- マリオ3や初代ファイアーエムブレムなどはスーファミのソフトとして発売されていた。マリオ3に関してはこの時点でセーブ機能が実装されていたかも。
- どうぶつの森は最初からゲームキューブのソフトになっていたかも。
- ファミコンは当初からAV接続となっていた。
- アニメ「新造人間キャシャーン」はもう少し長く放送されていた。
- 特撮「スーパーロボット レッドバロン」は1年間放送されていた。
- この項目は「3」の中に入れた方がいいのでは?
- ディズニーランドの日本進出が早まっていたかも。場合によってはUSJやディズニーシーなども20世紀のうちに開業していたかも。
- USJは1990年の大阪花博開幕と同時にオープンしていた。
- スペースワールドも昭和時代のうちに開業していたかも。
- フジテレビは今でも硬派路線を堅持していた。あるいはお台場への本社移転が史実より早まっていた。
- TBSの黄金期はもう少し長く続いていた。場合によっては現在まで続いていたかも。
- 日本のテレビアニメは1990年代初頭の時点でデジタル彩色による制作が主流になっており、セル画制作のアニメは20世紀終了時点で「サザエさん」を除き絶滅していた。
- ドラゴンボールZをはじめとする東映アニメは1992~93年頃より、それいけ!アンパンマンやちびまる子ちゃんは1995年頃より(前者の劇場版は1998年頃より)、ルパン三世や忍たま乱太郎は1996年頃より、ドラえもんやクレヨンしんちゃんや名探偵コナンは1997年頃より(ドラえもんとコナンの劇場版は1998年頃より)それぞれデジタル彩色に移行していた。
- ポケットモンスターや犬夜叉は開始当初からデジタルで制作されていた。
- そのため、ポケモンショックは発生していなかったか別のアニメで似たような事件が発生していた。
- 金田一少年の事件簿やギャラクシーエンジェルも。
- しましまとらのしまじろうやこち亀も。
- ガンダムシリーズはWかXあたりからデジタル彩色に移行していた。
- ONE PIECEの映画は最初からデジタルで制作されていた。
- 勇者シリーズもジェイデッカーかゴルドランあたりからデジタル彩色に移行していた。
- 週刊少年キングが休刊する事はなく、ましてや少年画報社が少年向け漫画雑誌から撤退することもなかった。
- それでもヤングキングアワーズの創刊は史実通りだが、少年キングが平成になってからも健在となると、史実とは連載ラインナップが大幅に異なっていただろう。
- 『HELLSING』や『エクセル・サーガ』、『トライガン』あたりが週刊少年キングでの連載になっていた。
- 少年キングは1982年暮れ時点でも週刊のままだった。
- それでもヤングキングアワーズの創刊は史実通りだが、少年キングが平成になってからも健在となると、史実とは連載ラインナップが大幅に異なっていただろう。
交通[編集 | ソースを編集]
- TGVが電気車両に変更されることなく、ガスタービン車両として開発されていた
- 国鉄もキハ391系を実用化したはず。
- 真空チューブ列車も実用化に向けて取り組んでいた。
- 第二新幹線構想は真空チューブ列車だった。
- リニアモーターカーへの実用化に力を入れることはなかった。
- 今頃は新幹線が札幌まで走っているであろう。当然、平行在来線の問題も無い。
- 日本列島改造計画が実現し、現実より地方分権が進んでいたかも。
- 山陽新幹線の全通は1年ほど早かった。
- 青函トンネルと瀬戸大橋は1980年代前半に開通。
- 中央新幹線は05年3月までに東京駅~新宿駅~橋本駅~新都留駅~新甲府駅~南アルプス市駅~諏訪湖南駅~伊那市駅~駒ヶ根駅~新飯田駅~中津川駅~多治見駅~名古屋駅~四日市湯の山温泉口駅~亀山駅~伊賀上野駅~新奈良駅~天王寺駅~新大阪駅が全線開業していた。
- 東京駅において東海道・東北両新幹線の直通運転が実現していた。
- あるいは上越・北陸新幹線が新宿駅発着となり、こちらでも直通が実現していた。
- 上越新幹線新宿~大宮間開業と同時に羽越新幹線、山陰新幹線、四国新幹線、東九州新幹線も全線開業していたことになる。
- 東北新幹線が通過する茨城県は別として新幹線がない都道府県は千葉、和歌山、高知、沖縄だけになっていた。
- 千葉県は成田新幹線が予定通り開通していたはず。
- 京成のスカイアクセス線はなく京成成田空港駅は史実の東成田駅の位置のまま。
- 京葉線も新木場以西が史実のりんかい線ルートとなっていた。また、成田エクスプレスは登場しなかった。
- 千葉県は成田新幹線が予定通り開通していたはず。
- 東北新幹線が通過する茨城県は別として新幹線がない都道府県は千葉、和歌山、高知、沖縄だけになっていた。
- 上越新幹線新宿~大宮間開業と同時に羽越新幹線、山陰新幹線、四国新幹線、東九州新幹線も全線開業していたことになる。
- あるいは上越・北陸新幹線が新宿駅発着となり、こちらでも直通が実現していた。
- 「のぞみ」は1980年代のうちに実現していた。
- 100系が「のぞみ」対応になっていた。
- 並行在来線の3セク分離もなかった。
- 1980年代の省エネブームは起こらなかった。
- 国鉄201系電車は普通の抵抗制御車となっていた。
- 103系の増備車扱いだと思う。
- 103系よりも高速性能のアップに力を入れ、空気バネ台車が採用されていた。
- それでも営団の要望により千代田線直通用の新車はチョッパ制御になる。
- 103系の増備車扱いだと思う。
- 鉄道界で回生ブレーキが普及するのはVVVFインバータ制御の時代になってから。
- 国鉄201系電車は普通の抵抗制御車となっていた。
- 神戸淡路鳴門自動車道は昭和のうちに全通していた。
- 関空も1985年頃に開港している。
- 京阪電鉄(大津線除く)は1970年代後半に1500Vに昇圧していた。
- 1000系や2600系は当初から1500V専用車として登場していた。
- 京都市内の地下化工事も1980年代前半に完成していた。
- 鴨東線は叡電との直通が実現していた。
- 京都市電の全廃を待って昇圧していた。
- 鉄道の廃線の数は現実より増えていた。
- 野上電鉄は1970年代のうちに廃止されていた。
- 鉄道は廃止されてもバス会社として存続していた可能性がある。
- 島原鉄道南目線も。
- 但し平成になってからの廃止は現実よりも少なかった。
- 野上電鉄は1970年代のうちに廃止されていた。
- 長距離輸送の鉄道から航空へのシフトは現実よりも早かった。
- 1976年の国鉄運賃50%値上げはなかったかもしれない。
- おおさか東線は1997年頃に放出~久宝寺間が開業し、遅くとも2008年には新大阪まで全通していた。
- 御堂筋線が地下鉄利用者数日本一を東京地下鉄東西線に明け渡すのは1988年頃になっていた。
- なにわ筋線も2010年代までに開業していた。
- 大阪環状線は2010年代のうちに普通だけ毎時8本(天王寺~鶴橋~京橋~大阪~西九条は毎時8本の桜島直通と合わせ毎時16本)になってた。
- なにわ筋線も2010年代までに開業していた。
- 京急久里浜線の油壺・三崎方面への延伸が実現していた。
- 2021年に油壷マリンパークは閉園することはなかった。
- 京急に有料特急が運行されていたかもしれない。
- 京阪のプレミアムカー導入も現実より早く、阪急にも有料座席指定車が連結されていた。
- 早ければ8000系投入の時点で行われていた。
- 京阪や阪急京都線の特急は京阪間ノンストップを維持していた。
- 京急の有料特急にはリクライニングシート・便所付きの専用車両が投入され、愛称は「ラ・メール」で、停車駅は川崎・横浜・横須賀中央・久里浜のみとなっていた。
- 京阪のプレミアムカー導入も現実より早く、阪急にも有料座席指定車が連結されていた。
- 広島市の地下鉄計画が実現していたかもしれない。
- 石油を食っても誰も気にしないので船舶の大型化・高速化が現実以上に進む。
- 33ノット出せるコンテナ船シーランドSL-7はアメリカ軍に買い取られることもなくさらに建造。
- 東京から小笠原まで高速フェリーで12時間ぐらいで行けるようになる。…の前に空港ができて一般市民はこちらを利用することに。
- 津軽海峡や本州~四国間にも高速フェリーが就航していた。
- フリーゲージトレインや架線式路線と第三軌条方式を両方走れる車両も平成のうちに開発されていた。
- 鉄道駅のトイレのレベルも1980年代のうちに高くなっていた。
- 京成電鉄が経営難に陥ることもなかっただろう。
- 成田空港に関しては史実通りだっただろうが、それでも京成の経営は現実よりましだっただろう。
- 但し、もし成田新幹線が開通していたらその限りではない。
- 新京成電鉄合併も史実より早かっただろう。
- 西鉄宮地岳線と福岡市営地下鉄の直通が実現していた。
- その場合、西鉄新宮~津屋崎間が廃止されることもなかった。
- 複線化や急行運転も行われていただろう。
- 鉄道車両のデザインも1970年代後半には大きく変わっていただろう。
- 東京の地下鉄の車両冷房化は史実より10年早く実施されていた。
- 上記のように地球温暖化のペースが早まっていたため。
- 大阪市営地下鉄の車両冷房化も早まり、30系や60系は史実より多くの車両が冷房改造されていた。