もし日本のあの地域が陸地・陸続きだったら
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- ここでは日本国内のみの項目を扱います。他国が関わっているものは関連項目の各項目へ。
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独立項目[編集 | ソースを編集]
- 国外同士が陸続きだったら
- 国外と陸続きだったら
- 国内のあの地域が陸地・陸続きだったら
日本の島が全部くっついたら[編集 | ソースを編集]
- 無論、松島、宮島は存在しない。
- 竹島を巡ってかの国ともめることは無かった。
- 尖閣諸島も同様。
- 北方領土も同様。
- 「島」とは、半島の意味。
- いや、内陸の言語にも「海」があるのでそれはない。
- 橋を主な仕事にしている建設業者が大打撃。しかし道路組はウハウハ。
- 鉄道やトンネルを主な仕事にしている建設業者は影響なし。
- 半島と半島を結ぶので問題なし。
- 中国や韓国の文化が入ってくるのが早かった。
- ブタの伝来が早く、畜産がスタート。十二支の最後がブタ年になっていたかもしれない。
- 沖縄をJRが走る。
- 日本国内でフェリーはなくなる。
- いや、陸路では不便な半島のように出っ張ったところを結ぶ。
- 瀬戸大橋・青函トンネル・関門トンネルなども必要なくなる。
- 国内の空港ウォーズが少し激化していた。
- 徳島が名実ともに近畿地方に含まれる。
- もちろん大阪~淡路~徳島間に鉄道がある。
- 東京・大阪と北海道を結ぶ高速バスが開通する。
- 沖縄ー大東島ー南鳥島ー小笠原ー伊豆諸島ー伊豆半島を結ぶ巨大天橋立が。
- 違うだろう、全部が本州にくっつく(吸収される)ような形ジャマイカ?
- その場合、大陸が遠すぎる日本は、より独立性の高い文化が早期から形作られていた。下手すりゃ、唐土の文明を借用することもできなかったかもしれない。
- ちなみにあの沖ノ鳥島もくっつくため沖ノ鳥島の島か問題は起きないだがくっそ長い半島が出来る。
- 経度的には史実の紀伊半島と直にくっつく形になるだろう。紀勢本線有井駅~神志山駅間付近の海岸辺り。
- 伊豆・小笠原諸島や南鳥島は史実の伊豆、三浦、房総の各半島のいずれかと、南西諸島(沖縄県全域含む)は史実の薩摩、大隅半島のどちらかとそれぞれくっつく形に。
- 東シナ海とフィリピン海の間に島が殆ど存在しないので中国が史実より太平洋に進出しやすくなり世界情勢が激変する。
- 或いはトカラ以南の南西諸島が史実通りの位置にあり未だに米国の統治下にある場合も考えられる。
- 伊豆・小笠原諸島や南鳥島は史実の伊豆、三浦、房総の各半島のいずれかと、南西諸島(沖縄県全域含む)は史実の薩摩、大隅半島のどちらかとそれぞれくっつく形に。
- 経度的には史実の紀伊半島と直にくっつく形になるだろう。紀勢本線有井駅~神志山駅間付近の海岸辺り。
- ちなみにあの沖ノ鳥島もくっつくため沖ノ鳥島の島か問題は起きないだがくっそ長い半島が出来る。
- その場合、大陸が遠すぎる日本は、より独立性の高い文化が早期から形作られていた。下手すりゃ、唐土の文明を借用することもできなかったかもしれない。
- 天橋立型のほうが、地形好きには嬉しいのだが。
- 違うだろう、全部が本州にくっつく(吸収される)ような形ジャマイカ?
- 経済水域がせまくなる。
- いや、全部陸続きになるならその分範囲も広がるはず。
- 通販でよくある「送料無料(沖縄県・離島除く)」なんてものはなかった。
- 江戸時代以前は日本の領土とは言えなかった蝦夷地、琉球、小笠原諸島が史実通りだった場合、第二次世界大戦の日本敗戦後はいずれも自国の領土から失うことに。
- 戦後蝦夷地はソ連→ロシア領に、琉球と小笠原は米国の領土に組み込まれていた。場合によっては琉球は中華民国へ割譲されていたかもしれない。
- 或いは国共内戦で国民党が勝利し台湾も中華民国の支配下に入った場合、共産党が琉球に逃れていた。
- トカラと奄美が本州とは別の島だったらそこも中華人民共和国の領土に。
- 或いは国共内戦で国民党が勝利し台湾も中華民国の支配下に入った場合、共産党が琉球に逃れていた。
- 日本が本州(四国や九州も本州の一部)以外の陸地を自国領にしていた期間は明治維新から第二次世界大戦の日本敗戦までである。
- 戦後蝦夷地はソ連→ロシア領に、琉球と小笠原は米国の領土に組み込まれていた。場合によっては琉球は中華民国へ割譲されていたかもしれない。
北方領土が陸続きだったら[編集 | ソースを編集]
国後島+択捉島+得撫島[編集 | ソースを編集]
- 北方領土は日本が実効支配したままだったうえに、史実の得撫島にあたる部分まで実効支配していたかも。
- 北方領土問題は千島列島問題になっていた。
- 標津線は廃線にならず、釧路から特急で得撫島までのびていた。
- 中標津は市になっていた。釧路も旭川に近い人口になっていた。
- 日本国内に時差があったかもしれない。
択捉島[編集 | ソースを編集]
- 択捉半島に。
- 国後という名称は存在しなかったか、あるいは半島内の地名の一つになっていた。
- 半島の長さから、日本のカルフォルニア半島と呼ばれる。
- 北方領土問題なかったかもしれない。
- あるいは得撫島と、隣接する武魯頓島、知理保以北島・南島の4島の帰属を巡って対立していた。
- 名前は南千島領土問題。
- あるいは得撫島と、隣接する武魯頓島、知理保以北島・南島の4島の帰属を巡って対立していた。
国後島[編集 | ソースを編集]
- 国後半島になっていた。
- 第二次大戦にソ連に侵攻・占領されることもなかった。
- 北方領土問題は択捉、歯舞、色丹のみ。
- 歯舞、色丹は日本の領土主権が及びやすくなるので、ソ連が関わるとしたら択捉だけになるだろう。
- 北方領土問題は択捉、歯舞、色丹のみ。
- 標津線は廃止にならなず、現在も存続。
- むしろ「国後線」として国後半島東部まで走っていた。
- 留夜別か白糠泊あたりまで通っており、どちらかが「日本最東端の駅」を名乗っていた。
- とはいえ特定地方交通線に指定されていた。
- 「国防上の理由で廃止にできない」という噂が存在がささやかれている。
- 標津か中標津が根室支庁の中心都市になり、根室市は衰退していた。
- 羅臼から国後島まで海底トンネルを作る構想が浮上するも、当然実現せずに終わる。
歯舞群島・色丹島[編集 | ソースを編集]
- 事実上、根室半島が東に延びただけ。
- 北方領土問題に対するロシア側の見解が「そんな問題は最初から存在しない」になっていたかもしれない。
- 漁船の拿捕問題もよりややこしい事になっていた。
- 根室が市になれなかったかもしれない。
- 北海道縦断自動車道が色丹東ICまで延伸される。
利尻と礼文が陸続きだったら[編集 | ソースを編集]
- おそらく市制は施行していた。
- 現在の人口は5万人を割っているだろうが、昭和の大合併の時期に島内のすべての自治体を合併すれば、5万超えただろう。
- 史実でも、1950年代後半は利尻・礼文の人口の全盛期であった。今より人口が3倍ほどだった。史実ではすべて合併しても5万人いかないが、陸地が広がるぶんを考慮した。
- おそらくフェリーは鴛泊ー稚内がメインだっただろう。
- 本数は史実よりも多かったかも。
- セコマも史実より多くあったかも。
- 利尻山の知名度は全国的に高まっていた。
- 利尻空港に稚内空港便が復活になる。
利尻と礼文と焼尻と天売が陸続きだったら[編集 | ソースを編集]
- かなり広くて縦長に見えるが、実はそれほどでもない。
- おそらく100km×10km程度のサイズ感になるが、これは沖縄本島のサイズにかなり近い。
- それなりに人口は増えるかも。南北でそれなりの距離があるので島内にたくさんの自治体があっただろう。
- 沖縄のゆいレールのようにモノレールくらいはできていたかも。懸垂式モノレールなら雪にも、このへんの暴風にも普通の鉄路よりは耐えやすい。
- ま少なくとも町営軌道か私鉄かができる。
- 北海道本土とのフェリーはどこからどこに出ていただろうか。港の数も増えていたと思うけど。
- ウミガラスの知名度は全国的に高まっていた。
内浦湾が陸地だったら[編集 | ソースを編集]
- 八雲が地味になる。
- 道央自動車道や北海道新幹線、室蘭本線はここを通っていた。
- 函館本線の森~長万部間は一直線。
- 函館本線自体があったかどうかも怪しい。
- 元々函館〜小樽間の連絡が目的なので路線はあるだろう。
- 大沼or森-室蘭を一直線に結ぶ室蘭本線と、長万部・小樽経由で札幌に至る函館本線の二路線に分かれていたのではなかろうか。
- 伊達は胆振線があったからまだしも、洞爺には最初から線路が引かれていなかったかもしれない。
- 内浦湾が陸ならそこに線路を引いて函館ー室蘭ー苫小牧ー千歳ー札幌ー小樽のルートでもいけるので、そちらは廃線になっていたかも。
- JR北海道のドル箱路線になっていたかも。
- 大沼or森-室蘭を一直線に結ぶ室蘭本線と、長万部・小樽経由で札幌に至る函館本線の二路線に分かれていたのではなかろうか。
- 元々函館〜小樽間の連絡が目的なので路線はあるだろう。
- 森駅で「いかめし」は売られていない。
- 函館本線自体があったかどうかも怪しい。
- 大沼は2つの本線の分岐駅となる。
- 有珠山が噴火しても影響が小さい。
- 函館〜札幌・旭川間のメインルートは初めからこちらだった。
- 千歳線の開業・国有化が早まったかも。
- 函館本線の森~長万部間は一直線。
- 大黒島も絵鞆岬も白鳥大橋も存在しない。
- 室蘭港は現実のチキウ岬付近にある。
- 十勝平野よりも大きい平野(平野と仮定する)があるから、巨大な内浦都市圏ができた。
- 中核都市は内浦湾の真ん中にあって、室蘭・伊達・洞爺湖・豊浦・長万部・八雲・森などは全て衛星都市。いずれも現実より規模が大きい。
- 道庁所在地はここに移転したかも。
- 室蘭市には港があって、現実の苫小牧市の地位を持つ。
- 函館は地味になる。
- 北海道は二つの大都市圏(内浦、札幌)ができて、経済も活発する。
- 人の往来は多いから、JR北海道の経営は良くなる。
- 内浦平野に鉄道網ができた。
- 小幌駅は秘境駅にならなかった。
- 北海道新幹線は内浦平野まで作って、のち札幌まで作る。ただし内浦開業は現実(2016年3月新函館開業)より線路が長いから、遅くなるかも。
- 内浦〜札幌は苫小牧経由。
- トンネルが少なくなるから、札幌開業は早くなる。
- 中核都市は内浦湾の真ん中にあって、室蘭・伊達・洞爺湖・豊浦・長万部・八雲・森などは全て衛星都市。いずれも現実より規模が大きい。
- 札幌から函館への所要時間が大幅に短縮し函館の地位が上がる。
相模湾が陸地だったら[編集 | ソースを編集]
- 江ノ島や大磯・平塚がただの内陸部になってしまうので、「湘南」のイメージが史実のように存在したかどうか怪しい。
- 小田原が史実のように発展しなかったかもしれない。
- 鎌倉幕府はもっと南の位置に出来ていた。
- 東海道線は鎌倉か逗子から分岐してそのまま熱海に向かうルートになっていた。
- 相模国の領土が広くなる。
駿河湾が陸地だったら[編集 | ソースを編集]
- 静岡市が史実以上に発展していた。
- 伊豆半島は、半島ではないため「伊豆地方」と呼ばれる。
- 面積が現実より広く、静岡県が東西に分割されていた。
- 浜松県が存続していた。
- 当然三保の松原はない。
若狭湾が陸地だったら[編集 | ソースを編集]
- 福井県の面積が広くなるため、嶺北と嶺南は別の県だっただろう。
- 滋賀県の歴史に影響していたのは確実。
- 琵琶湖の水運がここまで発展していたか怪しくなってくる。少なくとも、今津、塩津、海津、飯浦など湖北、湖西の港は無かった可能性がデカイ。
- 滋賀県の歴史に影響していたのは確実。
- 京都府の海へ面している地域が幾分多くなる。
- 日本海側の海岸線は能登半島を除いて物凄くなだらかな物となる。
- 日本海側の大きな湾が富山湾だけになる。
- むろん天橋立はなくなる。
- 小式部内侍は、あの時どう返したのだろうか・・・
知多半島と渥美半島が陸続きだったら[編集 | ソースを編集]
- 三河湾は三河湖となり、全国第2位の湖となっていた。
- 日間賀島・篠島も陸続きで、それぞれ南知多町日間賀・篠と名乗っていた。
- 佐久島もかろうじて陸続きに。
- 史実とは違い、佐久間町と名乗っていた。
- 佐久島もかろうじて陸続きに。
- 尾張と三河の境目はどこになるだろう。
- 知多郡が全て三河になる。あとは同じ。
- ひょっとしたら、三河と尾張の区分がなかったり・・・。
- 知多郡が全て三河になる。あとは同じ。
- 当然のごとく、鉄道や高速道路もつながっていた。
- もしかしたらリアル「愛知環状鉄道」になってたりして。
- 田原市は旧田原町と旧赤羽根町のまま。
- 旧渥美町は篠島町と合併し、渥美市となっていた。
- 美浜町と南知多町は日間賀町と合併しても「南セントレア」市にはならなかっただろう。
- どう名乗っていただろう。
- 伊良湖からフェリーが出るのは史実と変わらない。
- 鳥羽へは従来どおりかも。
- 名鉄は豊橋鉄道も合併し、半田・田原経由豊橋行きの路線を造っていた。
- 河和からの延長で、渥美方面につながっていた。
- 琵琶湖=近つ淡海→近江国、浜名湖=遠つ淡海→遠江国のように、三河国は(仮称)三河湖=中つ淡海→中江国(なかおうみのくに)と呼ばれる。
- 読みは「なかうみのくに」あるいは「なこうみのくに」になるのでは?
- 当然、名古屋港もない。あったとしても、三河湾のクルーズをする観光用の水上バスしかなく、車を海外に輸出するような機能はなくなる。
- 地図を見る限り名古屋港への影響は特になさそう。
- 三河港のことを言ってるのでは
志摩半島と渥美半島が陸続きだったら[編集 | ソースを編集]
- 伊勢湾が大きな湖と化していた。
- 名古屋は大都市にならなかった。
- 東海地方の中心都市は豊橋市か浜松市になっていた。
- 三河と遠江で浜松県ができていた。
- 尾張については、美濃、北勢で桑名辺りに県庁所在地を置く桑名県が発足していた。
- 国道42号は最初から浜松が起点だった。
- 三河と遠江で浜松県ができていた。
- 大回りしなくても良くなるので、東の方からの伊勢参りが少し楽だっただろう。
- 豊橋から鳥羽の方へ抜ける交通機関ができていた。
- 志摩地方の人にとって豊橋市も身近な存在になっていた。
- 近鉄が鳥羽から豊橋まで新線を建設していた。
- 浜松に達していた可能性もある。
- 「アーバンライナー」は大阪難波~豊橋あるいは浜松に運行されていた。
- 近畿日本鉄道の由来である東京延伸が実現する可能性が高い。
- 東海道新幹線は豊橋~鳥羽~津~奈良~新大阪というルートで建設された。
- 京都より奈良の方が発展していた。
- 山越える必要もなくなる。
- 津~伊賀上野~奈良間で布引山地と笠置山地を越えている。
- 但し冬季に関ヶ原の雪で悩まされることはなかった。
- 干拓が盛んに行われて木曽岬町の面積がかなり広くなっていった。
- 汽水湖になった場合、外海との接続は、豊橋市付近になりそう。
大阪湾が陸地だったら[編集 | ソースを編集]
- 当然淡路島は本州と陸続きになる。
- 大阪府の面積は現実よりかなり大きくなる。
- 現実世界の淡路島は大阪府になっていた。
- 淀川の河口は和歌山市と洲本市の間くらいになる。
- 途中で大和川と合流する。
- 当然神戸市は港町として発展せず。
- その代り明石市が港町として発展し、異人館や中華街のある観光都市となる。もちろん政令指定都市。
- 現在の神戸市域のほとんどが明石市となる。
- その代り明石市が港町として発展し、異人館や中華街のある観光都市となる。もちろん政令指定都市。
- 大鳴門橋が完成した時点で本州と四国がつながり、当然本四連絡鉄道も通る。
- 国鉄の鉄道連絡船も宇野~高松ではなく、福良~鳴門に就航していた。
- これにより鳴門市が古代から現在まで続く四国の玄関口に。
- 大企業の四国本社・支社は全て鳴門に置かれていた。
- 徳島県の県庁所在地も鳴門になっていた。
- 鳴門市は政令指定都市となっていた。
- これにより鳴門市が古代から現在まで続く四国の玄関口に。
- 国鉄の鉄道連絡船も宇野~高松ではなく、福良~鳴門に就航していた。
- 大阪は海に面していないので工業都市としては発展せず、単なる城下町となっていた。
- 内陸に位置しているので、御所が置かれていた可能性もある。
- 場合によっては大阪の位置に平安京ができていた。
- 姫路市が「天下の台所」と呼ばれるほど発展し、国内第2の規模を誇る商工業都市となる。
- 東海道新幹線と山陽新幹線の境界も姫路駅となっていた。
- 関西国際空港は現実の淡路島西海岸に建設されていた。
- 南海電車は姫路~淡路西海岸~福良というルートになる。
- 途中、現実の五色町辺りから内陸へ向かう路線が分岐。洲本を通って和歌山へ至る。
- 大鳴門橋開通後は福良からさらに鳴門まで乗り入れる。
- 鳴門海峡周辺が海上交通の要衝として関門海峡周辺並みに発展する。
- 淡路の福良が下関クラスの都市に。
- 京阪電気鉄道は「京姫電気鉄道」となり、姫路~明石~大阪~京都を結んでいた。
- 淡路も畿内に含まれていた。
- 明石の蛸や鯛、穴子やいかなごなど、名物の海産物がほとんど消える。
- 土佐の長宗我部氏辺りは、さっさと上洛できていた可能性がある。
- 関連項目
- もし淡路島が○○だったら#陸続き(半島)だったら(大阪湾自体は残り、海峡部が陸地の場合)
瀬戸内海が陸地だったら[編集 | ソースを編集]
- 当然、本州・四国・九州と淡路島やその他の島々は全て陸続きになっていた。
- 大阪・兵庫・岡山・広島・香川・愛媛・徳島・大分が海に面さない内陸県となっていた。
- 兵庫県の北部は日本海に面していますが…
- どの法律を基準とするかで異なる。具体的には宇和海とか。
- 紀伊水道も。基本的に関門海峡・速吸瀬戸(愛媛大分間)・鳴門海峡・紀淡海峡で囲まれた部分が瀬戸内海の説が有力
- 写真の地図では無理矢理に山口を宇和海に、香川を紀伊湾に面させている。
- 島の多い瀬戸内海のこと、山地になっていたかもしれない。
- おそらく四国に当たる地域はそんなに地味じゃなくなるかもしれない・・・
- 遣唐使や朝鮮通信使は九州から上方まで陸路で移動していた。
- ちなみに氷河期には瀬戸内海は本当に陸地だった。
- 広島市ではなく高知市が政令指定都市となっていた。
- 山陽新幹線はもちろん高知経由。
- そもそも山陽じゃない
- 速達性を考えると、どちらにしろ岡山や広島、山口経由の新幹線は作られるはず。
- そもそも山陽じゃない
- 山陽新幹線はもちろん高知経由。
- 四国の県は全て中国地方に含まれていた。
- 四国は紀伊半島の様に土佐半島と呼ばれていたかもしれない。
- 村上水軍が存在しなかった。
- 毛利家が戦国大名として大きくなれたかが怪しくなってくる。
- STU48も存在しない。
- STU48に入る予定のメンバーは坂道にいっていたかも。
- 地方区分は中四国地方となり、山陽や山陰といった呼び方もなかった。
- 当然、瀬戸内工業地域も出来ないので、日本の工業力はそれなりに弱まる。
- 逆に、高知工業地域が出来るかもしれない。
- 高知県や島根県、鳥取県の衰退はなかった。
- 一方で瀬戸内地方に位置する都市の衰退は悲惨なことになっていた。
- しかし、広島市と周辺・岡山市と周辺は内陸の重要な都市として救われる。
- 一方で瀬戸内地方に位置する都市の衰退は悲惨なことになっていた。
- JRはJR中四国という区分になり、本社所在地は広島市となる。
- 広島市から松山市を結ぶ広松線などが存在した。
- 芸予線かも。
- 広島市から松山市を結ぶ広松線などが存在した。
- しまなみ海道や瀬戸大橋、明石海峡大橋といった橋も当然存在しない。
- 瀬戸大橋線ではなく岡高線という名前だったかもしれない。
- ちなみに瀬戸大橋線は愛称で、本当は本四備讃線。
- 瀬戸大橋線ではなく岡高線という名前だったかもしれない。
- 中国山地と四国山地の間は瀬戸内式気候はなく、中央高地式気候に分類されることになる。
- 瀬戸内航路も存在せず、代わりに高知や細島や油津や志布志や川内が航路の拠点として栄えていた。
- 間に山が乱立しているため西日本豪雨の洪水の被害が大きくなり水が抜くにも時間が長くなった。
紀伊水道が陸地だったら[編集 | ソースを編集]
- 当然本州と四国は陸続きになっている。
- 現実の四国の部分が巨大な半島となっている。
- 和歌山市は四国への玄関口として現実よりも発展している。
- 近畿以東~四国間連絡のメインルートは和歌山~徳島ルートになり、ここに四国新幹線も建設されている。
- 南海電鉄が徳島に進出している。
- 徳島のテレビはもちろん近畿広域圏に含まれている。
- 大鳴門橋や明石海峡大橋は建設されていなかったかも。
- 大阪湾や瀬戸内海東部が漁場として優れているなどということはなかった。
- 紀貫之は土佐から陸路で都へ帰った。
- ストーリーも大きく変わっていた可能性がある。
- 和歌の定番ネタが減る。
- 相撲協会に「片男波」なる年寄名跡が存在しない。
- 関連項目
有明海が陸地だったら[編集 | ソースを編集]
- 江戸時代、領土を巡って大きな合戦が起こっている。
- 江戸時代に大名が実力で領土の取り合いをすることなどまず無理。
- 武家諸法度あたりに引っかかって両者とも改易されるのが関の山かと。
- 島原半島と天草諸島が繋がり、大きな半島になっていた。
- 島原の乱は起こらなかった。
- 大牟田市や熊本市の面積がかなり増えていた。
- 熊本市はとっくに政令指定都市になる。
- 大牟田が筑豊と変わらなくなる。
- 石炭が積み出せないために化学工業は発展しなかった。
- いや、県境がある限り筑豊にはならない(なれない)。
- 海苔はそんなに広まらなかった。
- 三角線が牛深まで延びていた。
- 農業は現実以上に発展している。
- 熊本と諫早を結ぶ幹線鉄道が開業している。
- 諫早湾干拓による問題は起こらなかった。
- その平野の真ん中を筑後川が流れる。
- それが、長崎と熊本の県境となる。
- 筑後川じゃなくて「肥の川」とかになっていたかもしれない。
宇土半島と上天草島が陸続きだったら[編集 | ソースを編集]
- JR三角線が本渡まで延伸されていた。
- 国鉄が下島に広大な路線が建設される。
- 天草五橋はなかった。
- 大矢野島も巻き添えを食らう。
針尾島が陸続きだったら[編集 | ソースを編集]
- 「大村湾」ではなく「大村湖」とよばれていた。
- 霞ヶ浦を抜いて日本で2番目に広い湖となっていた。
- 長崎県の面積が徳島県と北陸3県の面積を抜いていた。
- 長崎空港は「湖上空港」だった。
- 長崎県には海から15km以上離れた地点が存在した。
- 長崎県の海岸線の長さが大幅に減っていた。
- 「西彼杵半島」なんて存在しなかった。
- 大村市、東彼杵郡は海に面していなかった。
- 渦潮もなかった。
- 諫早市内で有明海に水が流れていたかもしれない。
鹿児島湾が陸地だったら[編集 | ソースを編集]
- 鹿児島県の人口は200万人を超え、面積も1万平方キロメートルを越えていた。
- 鹿児島は発展せずに、山川が発展。
- 山川本線(現実世界の鹿児島本線)は串木野~加世田~知覧~山川で建設された。
- 肥薩線には鹿児島から山川が追加されていた。
- 日豊本線は日南線ルートで鹿屋~大根占を経由して山川まで建設された。
- 九州新幹線の川内以南は川内~串木野~加世田~山川で建設された。
- 九州自動車道は鹿児島から山川が追加で建設され、南九州自動車道は串木野~加世田~知覧~山川で建設され、東九州自動車道は志布志~鹿屋~大根占~山川で建設された。
- 国道3号は串木野~加世田~山川のルートになり、国道10号は鹿屋まで現実の国道220号のルートで鹿屋以南が大根占を経由して山川までのルートになっていた。
- 宮崎市以南の国道10号と220号のルートが逆だった。
- 国道220号には国分から山川までが追加されていた。
- 国道58号は山川が起点。史実の58号鹿児島市内区間は国道224号単独区間だった。
- 宮崎市以南の国道10号と220号のルートが逆だった。
- 鹿児島市は現実の霧島市ほどの人口だった。
- 山川市は上手くいけば平成の大合併で政令指定都市に移行していた。
- 鹿児島県ではなく山川県(もしかしたら揖宿県?)になっていた。
- 山川本線(現実世界の鹿児島本線)は串木野~加世田~知覧~山川で建設された。
- 桜島が桜山と呼ばれていた。
- 史実以上に火山の噴火の被害が増えていた。