もし阪神・淡路大震災が別の時代に発生していたら
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戦前[編集 | ソースを編集]
88年前 (1907年)[編集 | ソースを編集]
- 「xx07年発生の地震」であることに変わりはない。
- 日韓併合が早まったかも。
- 史実での経緯を見る限り国内の状況はあまり影響しなかったのでは。
- 小林一三が関西に来なかった可能性あり。
- 史実ではこの年に大阪に開業する予定だった証券会社の支配人になるため来阪している。
- 震災があれば小林の来阪前に話が消えていた。
- この場合箕面有馬電気軌道の計画は潰れ後の阪急も成立しなかった。
- 史実ではこの年に大阪に開業する予定だった証券会社の支配人になるため来阪している。
72年前 (1923年)[編集 | ソースを編集]
- 関東大震災と同時発生だったら、日本は混乱状況に。
- 首都を地震の少ない京城や札幌への移転が議論されていた。
- 同時でなくても二大主要都市が壊滅したため十分大変なことになっていたと思う。
- 復興院は阪神大震災の復興事業も担っていた。
- 史実では翌年に完成した甲子園球場の工事が遅れていた。
- 1924年中にできなければ名称が変わっていた。
終戦~1970年代[編集 | ソースを編集]
50年前(1945年)[編集 | ソースを編集]
- 前年の東南海地震と同様に戦意の低下を防ぐため情報が伏せられた。
- 後世の研究に悪影響が及んだ。
- 忠実通り1月17日に起きていたら、その2ヶ月後に空襲に遭うことになる。
- そうなったら人口が半分ぐらいに減っていた。
- 阪神間の軍需工場が大きな被害を受け戦争継続がより困難になった。
- 終戦が早まっていた可能性も。
- 神戸が受けた空襲の回数が減った。
- 米軍の伝単の題材にされていた。
- 火垂るの墓は制作されなかった。
- 避難先?で野坂昭如が空襲や家族の死に直面していれば結局書かれたと思われる。
- 「アドルフに告ぐ」や「少年H」でも題材にされた。
1958年(37年前)[編集 | ソースを編集]
- 宝塚歌劇団の香月弘美が舞台装置に巻き込まれて亡くなるという事故は起こらなかった。
- 東京タワー開業の喜びが減っていたかも。
- 地震発生が史実通り1月17日なら日本社会を励ますニュースになっていたのでは。
- 被害規模によっては日清食品がチキンラーメンを発売する前に潰れていた。
- インスタントラーメンの発祥が少なくとも数年は遅れていた。
- 上手くいけば史実ののちの、浅間山荘事件の時のカップヌードルみたく大震災の被災者が食べていたことでチキンラーメンが有名になっていそう。
- インスタントラーメンの発祥が少なくとも数年は遅れていた。
1959年(36年前)[編集 | ソースを編集]
- 同年の南海ホークス日本一が「被災した関西を勇気づけた」と言われるようになった。4連投4連勝のエース:杉浦忠は史実以上に英雄視されていた。
- 「涙の御堂筋パレード」が史実以上の感動を呼んでいた。
- この年の日本は伊勢湾台風と並んで2度の大災害に見舞われたことになっていた。
- 春までに起こっていた場合、皇太子(現上皇陛下)ご成婚が盛り上がらなかった。
- 場合によっては延期もあったかも。
- ご成婚自体は史実通りだったとしても派手なパレードなんかは行われなかった。
1960年(35年前)[編集 | ソースを編集]
- 日米安全保障条約改定が遅れていたか、もしくは改定自体行われなかった。
- 浅沼稲次郎が暗殺されることはなかった。
- 民社党が結成されず、西尾末広らは社会党に戻っていた。
- 後の佐々木更三と江田三郎の対立からの江田離党・社会市民連合結成や楢崎弥之助、田英夫、秦豊の離党も避けられていた。
- 場合によっては社会党の衰退が冷戦終結まで遅れていたかも知れない。その代わり公明党や共産党の影響力は低下していた。
1964年(31年前)[編集 | ソースを編集]
- 東京五輪開催や東海道新幹線の開通に影響していた可能性も。
- 結局、復興という建前の元、東京人の娯楽目的でもっと盛大に開催していたと思われる。
- 資金や人材の不足が発生しかねないため史実と同じ規模でとどめていたのでは。
- 結局、復興という建前の元、東京人の娯楽目的でもっと盛大に開催していたと思われる。
- 1970年の万博は最初から関西での開催が既定路線。
- 羽田空港跡地などが会場候補として考えられることは全くなかった。
- 震災復興を名目に神戸が会場に選ばれていたかも。
- 御堂筋決戦の注目度が(少なくとも関西では)史実より高かった。
- 『華麗なる一族』の中で大きな出来事として扱われていた。
- 同年の新潟地震ではなくこの地震が地震保険誕生のきっかけとなっていた。
- 同年に新潟地震が起こったこともあり新潟-神戸歪集中帯が早くから知られるようになっていた。
- 神戸高速鉄道は震災復興支援の一環で建設。国鉄が震災からの復旧が早かったため,大阪・神戸間平行私鉄は,利用者を(一時的に)国鉄に奪われる。そのためか阪急・阪神・山陽の直通特急が神戸高速鉄道開業から間もない(大阪万博の頃)に直通特急の運行を開始する。開始時は(阪急)梅田-山陽姫路間・(阪神)梅田-山陽姫路間合わせて2本/h運行。
1968年(27年前)[編集 | ソースを編集]
- 1~3月に発生した場合神戸高速鉄道(史実では同年4月開業)の開業は地下トンネルが被害を受けたことなどから半年~1年遅れていた。
- 逆に山陽電鉄の路面区間(西代~兵庫間)は神戸高速鉄道開業まで仮復旧で運行していたか、震災を機に廃止され暫定的に西代折返しとなっていた。
- 神戸市電は震災で被災し全廃になっていたかも。
- 阪神国道線も上甲子園以西が廃止されていた可能性もある。
- 神戸市は前年(1967年)の水害に続いて2年連続で大災害に見舞われたことになっていた。
- ウルトラセブン第14話・15話「ウルトラ警備隊西へ」が震災直前の神戸の様子を収めた貴重な映像となっていた。
- 阪急ブレーブスは史実通りリーグ優勝していた。うまくいけば前年のリベンジで日本一になっていたかも。
- 「被災した関西を元気付けた」と語り継がれる。
1969年(26年前)[編集 | ソースを編集]
- 同年7月21日にアポロ11号が月に到達したことや人類が月に着陸したことの扱いが史実よりも小さくなっていた。
- もしアポロ11号の月面着陸と同時期に発生していたら、それこそ大変な報道体制となっていた。
- 翌年(1970年)に開催予定だった大阪万博は開催されなかった。
- 史実通り1月17日に発生していたら東大紛争における安田講堂の封鎖解除が遅れていた。
1970年代前半[編集 | ソースを編集]
- 1970年に発生していた場合、大阪万博は開催されなかったか会期途中で中断されていた。
- 1972年発生の場合、札幌オリンピックの感動が震災にかき消されていた。
- 同年にはあさま山荘事件や日中国交回復・沖縄復帰などもあったことから特別な年として言い伝えられることになっていた。
- 史実通り1月17日に発生していた場合、山陽新幹線岡山開業は半年ほど遅れていた。
- 開業直前に高架橋の落下などが起こったことから、「開業後だったらどうなっていたか…」と言われていた。
- 仮に開催されていたとしても史実ほど盛り上がらず、入場者も少なかった。
- 神戸港が被災したため、史実のように象を神戸港に陸揚げして会場まで行進させることは不可能だった。
- 被害の時期、状況によっては1年延期されていたかも。
- 1972年発生の場合、札幌オリンピックの感動が震災にかき消されていた。
- オイルショックによる不況がさらに深刻化していた。
- すでも団塊の世代から晩婚化が進んでいたため、第2次ベビーブームは1970年代後半~1980年代前半に到来していた。
- 1970~1971年に発生していた場合、神戸市電は震災で被災し廃止されていた。(史実では1971年廃止)
- 阪神国道線も廃止されたかも。
- あるいは路面電車は災害に強い(復旧が早い)ことが証明されたので、震災で軒並み不通になった鉄道路線の代替路線として活躍し、その結果路面電車が見直される結果になって廃止が撤回されていたかもしれない。
- 神戸市電や阪神国道線だけでなく京都・名古屋・横浜・仙台の市電なんかも廃止されなかったかもしれない。
- 京阪神急行電鉄→阪急電鉄の社名変更が早まったかもしれない。
- 『日本沈没』『ノストラダムスの大予言』などのヒットに象徴されるような終末ブームがさらに加速していた。
- 田中角栄内閣の初期までに発生していたらいわゆる「日本列島改造論」の中身はかなり変わっている。
- 震災対策に追われていたため、日中国交正常化も遅れていたかもしれない。
- その後の新幹線網の整備もかなり現実と変わっていたかも。
- 1970年4月に発生していた場合、天六ガス爆発事故はこの地震が原因と見なされていた。
- 1972年5月に発生した場合、千日デパート火災も地震が原因と見なされていたかも。
- 発生時間が昼だった場合、万博会場でも揺れを感じていた。
- 阪神3801系や5001形(2代目)は震災復旧車として大量新造されていた。
- 後者は登場が数年早まっていた可能性が高い。
- 短期間で大量に新造する必要があったため、武庫川車輌ではなく大手車両メーカーで製造されていたかもしれない。
- 但しその場合も鋼製車体だった。
- 阪神に限らず、冷房化率の向上が現実より早かった。
20年前(1975年)[編集 | ソースを編集]
- 1973年に起こったオイルショックと合わせ、震災も加わって不況が長期化していた。
- 回復するのは1980年代になっていたかも。
- 山陽新幹線の岡山~博多間は史実通り開業するものの、新大阪~岡山間が不通になったことから、開通当初は岡山以西での折り返し運転となっていた。
- 東海道区間への直通は全線復旧後となっていた。
- あるいは震災復旧に時間をとられ、同区間の開業は1975年夏頃にずれこんでいた。
- 同年開催された沖縄海洋博覧会が盛り上がらなかった。
- 神戸市営地下鉄西神・山手線の新長田~名谷間の開業(史実では1977年3月)が1年ほど遅れていた。
- 須磨ニュータウンの開発にも影響が出ていた。
- 「ポートピア81」は震災復興をテーマとした博覧会となっていた。
- この年の阪急ブレーブスの日本一は「被災地を勇気づけた」と描写されるのがお決まりに。
- その代わりに「がんばろうKOBE」が存在しないので、1995年のパの優勝チームは西武になっていたかもしれない。
- ロッテでは?(1995年は2位ロッテ、3位西武)
- ロッテ優勝の場合、バレンタイン監督の解任はなかった。
- ロッテでは?(1995年は2位ロッテ、3位西武)
- その代わりに「がんばろうKOBE」が存在しないので、1995年のパの優勝チームは西武になっていたかもしれない。
- 異人館街の被害次第では2年後の連続テレビ小説「風見鶏」が制作されなかったかもしれない。
- 近鉄けいはんな線の荒本~新石切間は阪神高速との2階建て高架にはならなかった(史実では阪神大震災により阪和線と阪神高速の2階建て高架建設が中止され、阪和線だけが高架化された)。
- その場合、けいはんな線は新石切駅手前まで地下線となっていた可能性が高い。
- 阪神国道線・甲子園線・北大阪線は震災で被災してそのまま廃止になっていた。
1980年代[編集 | ソースを編集]
15年前(1980年)[編集 | ソースを編集]
- 翌年(1981年)に開催予定だった「ポートピア81」は開催されなかった。
- ポートアイランドが液状化の影響で使用不能になり、他の沿岸地域も同じように液状化の影響が甚大だったため、開催の中止を余儀なくされていた。
- ポートライナーの開通も数年遅れていた。
- 日本初の新交通システムは大阪のニュートラムだった。
- 神戸市営地下鉄西神・山手線の全通が遅れた。
- 新神戸延伸が1988年頃、西神中央まで全通するのは1990年代に入ってからになっていた。
- 新快速117系化のペースが鈍くなる。下手すれば10月のダイヤ改正まで全面置き換えが完了しなかった。
- 大平首相没~鈴木善幸内閣誕生までの期間に発生していたら被災地の復旧に悪影響が出ていた。
- 加藤友三郎首相没後に発生した関東大震災の例もあり「首相が現役死→大地震」のジンクスが誕生したのではないかと一部で噂される。
- 「東京大地震マグニチュード8.1」は放送中止を余儀なくされていた。
- 「地震列島」という映画も上映中止に追い込まれていた。
- 近鉄バファローズは史実通り優勝し、前年のリベンジで日本一になっていたかも。
- 近鉄が55年間日本一にならないまま消滅することもなかった。
- 「被災した大阪を元気付けた」と語り継がれる。
14年前(1981年)[編集 | ソースを編集]
- 発生時期によってはポートピア博覧会を直撃していた。
- 発生時間が昼間だった場合、博覧会に来ていた観客や関係者が地震に巻き込まれてかなりの死傷者が出ていた。
- この場合1990年の大阪花博は開催されなかった可能性が高い。
13年前(1982年)[編集 | ソースを編集]
- 2月発生ならホテルニュージャパン火災や日航350便墜落事故もあって、報道陣は大混乱に見舞われていた。
- テレビ大阪の開局に悪影響が出ていたかも。
12年前(1983年)[編集 | ソースを編集]
- 同年大阪城公園で開催された「大阪城博覧会」は被災者の心情に配慮し中止されていた。
11年前(1984年)[編集 | ソースを編集]
- 発生時期にもよるが、阪急六甲駅での衝突事故と西明石駅での寝台特急「富士」の脱線事故のいずれかが起こっていなかった可能性がある。
- 同年に発生したグリコ・森永事件は史実ほどマスコミに取り上げられなかった。
- そもそもグリコの社長が狙われること自体なかったかもしれない。
- 阪急ブレーブスが被災した地元ファンのために奮闘し、日本一になれたかもしれない。
- その場合、広島東洋カープが日本一になったのは1980年が最後ということになっていた。
- 同年に発生した長野県西部地震との関連も指摘されていた。
10年前(1985年)[編集 | ソースを編集]
- 1980年代後半~1990年代初頭のバブル景気はなかった。
- 不況の到来が早まっていたかも。
- もしこうなっていたら、現実のバブル世代は存在せず、彼らは就職難に巻き込まれていた。
- 人口の多い第2次ベビーブーム世代はさらに悲惨なことになっていた。
- あるいは先輩のバブル世代が就職で苦労しているのを見ているので、彼らの大学進学率は現実より下がっていた。
- 大学進学率が本格的に上がるのは21世紀に入ってからだった。
- あるいは先輩のバブル世代が就職で苦労しているのを見ているので、彼らの大学進学率は現実より下がっていた。
- 1980年代後半の女子大生ブームはなかった。
- おニャン子クラブもなかったか、史実ほど話題にはならなかった。
- 秋●康の後継グループも生まれていない。逆に1990年代に似たようなグループを作っていて、盛り上がったかも。(そうなったらなったで、沖縄の女性4人組や変動が激しい某グループが生まれていたかどうか…)
- このグループに所属していた女性芸能人は、ひっそりとしたまま終わったことだろう。少なくとも、S.KがT.K(SMAP)と、M.WがJ.N(人気お笑い芸人グループ[男性3人組])と結婚することはなかった。
- 秋元康が高井麻巳子と、後藤次利が河合その子と結婚することもなかった。
- 1980年代中盤にアイドル冬の時代が到来し、バンドブーム全盛期となった。
- 人口の多い第2次ベビーブーム世代はさらに悲惨なことになっていた。
- もしこうなっていたら、現実のバブル世代は存在せず、彼らは就職難に巻き込まれていた。
- バブルの発端は85年9月のプラザ合意と86年からの原油価格下落なのでむしろもっと強烈な地価高騰などが発生していたと思う。
- 震災から時間が経っても何も建っていない空き地や傷んだ建物が次々と地上げ屋に買い取られた。
- この場合逆に失われた30年はなかったかも。現実とは逆に1990年代後半に景気が回復していた。
- 史実の就職氷河期世代が働けていたため、その後の日本経済の低迷も史実ほどではなかった。ひいては少子化も抑えられていた。
- その結果令和に入ってからの人手不足や物価高騰も現実ほどではなかった。
- 史実のバブル世代が就職氷河期に巻き込まれ、団塊世代も大幅にリストラされていた。
- 小泉政権による新自由主義はなかったかもしれない。
- 史実の就職氷河期世代が働けていたため、その後の日本経済の低迷も史実ほどではなかった。ひいては少子化も抑えられていた。
- 若者のファッションも史実より10年早く進化していた。
- コギャルブームも10年早く到来していたかも。
- 若者のファッションに影響を与えたのは安室奈美恵や浜崎あゆみではなく森高千里だったかもしれない。
- 不況の到来が早まっていたかも。
- 1985年の阪神タイガースのリーグ優勝・日本一はなかった。
- 2003年のリーグ優勝は39年ぶりということになる。
- 案外、オリックスみたく「がんばろうKOBE(またはNISHINOMIYA、HANSHIN)」とスローガンを掲げ、史実通りの結果になったかも。また阪急も阪神に負けじと頑張り、なんと夢の対決が実現。
- 史実でも日航ジャンボ機墜落事故で当時の球団社長が犠牲になってからそれを糧に奮闘していたし、どっちみち優勝した可能性は大きい。
- 史実で3位だった近鉄が優勝していたかも知れない。その場合後の阪神なんば線開業時には当時を振り返るエピソードとして語られた。
- 佐藤義則の最多勝・石本貴昭の最優秀勝率が村田兆治の復活・工藤公康の最優秀防御率以上にクローズアップされていた。
- 野手では松永浩美の盗塁王が注目されていた。
- 南海ではなく前年同様日本ハムが最下位に沈んでいたかも知れない。
- あるいは1992年か1999年あたりに優勝していた。
- その場合、暴徒と化した阪神ファンがカーネル・サンダース人形を道頓堀川に投げ込むという事件は起きなかった。
- 以降が史実通りなら阪神の初の日本一は2023年ということになる。
- 同年8月の日航ジャンボ機墜落事故の扱いがやや小さくなっていた。
- 日航ジャンボ機墜落事故と同時期なら、テレビはそれこそ大混乱となり、終夜大震災と日航機事故の両対応に追われる。
- 1982年の時みたいな報道体制になっていた。(この年にはホテルニュージャパン火災事故の翌日にJALは逆噴射事故を起していた。)
- 「家族が震災で命を落とす→残された父親も123便事故で死亡」という一家全滅が発生した恐れさえある。
- 逆も然りで、123便事故で親or子どもを亡くしその後の震災で残った家族が後を追うこともあるだろう。
- 時期によっては被災地に向かう報道関係者やボランティアも搭乗していただろう。
- 日航ジャンボ機墜落事故と同時期なら、テレビはそれこそ大混乱となり、終夜大震災と日航機事故の両対応に追われる。
- 現実に震災が起こった1995年に比べて耐震性の低い建造物が多かったため、死者は1万人近くになっていた。
- ちょうど同じ年に地震で沢山のビルが倒壊した直後のメキシコシティのような光景が広がっていた。日本ではメキシコ大地震はあまり話題にすらならなかった。
- アスベストを含有していた建物も多かったので、解体の際中皮腫を患う人も現実よりも多かった。
- ユニバーシアード神戸大会(史実では1985年に開催)は中止されていた可能性もある。
- つくば科学万博も開催中止こそされなかったものの、華美な演出や芸能人のイベントなどの余興は自粛され、兵庫県に本社のある企業はパビリオンの出展を中止していた。
- 入場者数も現実よりも少なくなっていた。
- 会場内に募金箱が設置されていた。
- 1990年の大阪花博もなかったか地方博止まりになっていた。
- その場合、大阪・関西万博の開催が史実よりも早まっていたかも。早ければ平成のうちに開催できていた。
- つくば科学万博も開催中止こそされなかったものの、華美な演出や芸能人のイベントなどの余興は自粛され、兵庫県に本社のある企業はパビリオンの出展を中止していた。
- 阪急・阪神・山陽電鉄の利用客が震災後民営化前の国鉄に移行していた。
- 阪神梅田~山陽姫路間の直通特急も1980年代末に実現。
- 阪急は史実より早く山陽電鉄への直通を中止していた。
- 震災復旧が私鉄線より早かった可能性が高かったことから国鉄線の需要が増えたため、新快速の外側線移行→全列車姫路まで延伸は現実(1986年11月改正)よりも1年程早まっていた。
- 117系100番台は震災後急増した需要に対する輸送力増強用として現実より1年程早く登場していた。
- 阪神8000系は震災復旧車として登場していた。
- 山陽5000系ともども最初から直通特急対応となり、設計もある程度共通化されていた。
- 阪神梅田~山陽姫路間の直通特急も1980年代末に実現。
- 下水道普及期に災害時のトイレ問題が出てくるためその後の下水道普及・水洗化は停滞方向へ…
- 史実の時点ではもはや水洗化を止められない段階まで下水道が普及した時代だがこの時代ならばギリギリ汲み取りに回帰できる段階といえる。
- ただそうなった場合二階建ての家はレアになるだろうなあ…。汲み取りだと二階に設置しづらいから。
- 結局完全水洗化に押し切っていたとは思う。
- 確かに汲み取りは過密都市には対応しきれないからねえ…。
- 本当に汲み取りに回帰した場合は人口が減少に転じた2010年代までずっとドーナッツ化現象が続いていたと思われる。
- 首都圏は拡大して名古屋圏や仙台圏も吸収するレベルに…。
- 東日本大震災において大津波が発生したためトイレ問題は少なかっただろうが、感染症の問題は史実以上に惨いことに…。
- 津波が汲み取りトイレの便層をかき混ぜて津波という名の汚水が押し寄せることになるから。
- 史実でもノロウィルス感染症等が発生したが、この場合は赤痢や腸チフスといったものまで大流行の恐れがあるかも。
- むしろバイオトイレや無水トイレが現実よりも早く発明されていた。
- 史実の時点ではもはや水洗化を止められない段階まで下水道が普及した時代だがこの時代ならばギリギリ汲み取りに回帰できる段階といえる。
- 復興関連の国会審議に時間を取られて男女雇用機会均等法の成立が遅れた可能性あり。
- ウィ・アー・ザ・ワールドは復興支援ソングとして作られていた。
- グループ名も「USA for JAPAN」だった。
- 史実通り1月17日に発生した場合、ハッピーマンデー制度は10年早く実施されていた(成人の日が移動休日になったのは震災が影響したため)。
- 6月に発生していた場合、豊田商事永野会長刺殺事件は起こらなかった可能性が高い。
- その場合、永野会長は逮捕されていた。
- ダイエーは史実よりも早く経営が悪化していたかもしれない。
- その場合、20世紀のうちにジャスコ(当時)あたりと合併していたかも。
- ニチイ(マイカル)と合併していたかもしれない。
- 産業再生機構ではなく会社更生法を適用していたかもしれない。
- その場合流通科学大学を開校したり球団を保有したりすることはなかった。
- あるいはバブルによる過剰投資がなかったことから経営悪化はなかった。
- その場合、20世紀のうちにジャスコ(当時)あたりと合併していたかも。
- 神戸市の人口が福岡市や川崎市に抜かれるのが早まっていた。
8年前(1987年)[編集 | ソースを編集]
- 民営化されたJR西日本は苦難のスタートを切っていた。
- あるいは震災が1段落するまで民営化は延期されていた。
- 4月1日以降に震災が起こった場合には①の通り苦難のスタートで221系を登場されるレベルではなく115・113系をこの頃に魔改造をせざる負えなくなるまでに発展。
- 神戸市営地下鉄西神・山手線の学園都市~西神中央と北神急行電鉄(現神戸市営地下鉄北神線)の開業がやや遅れていた。
- 5月の朝日新聞阪神支局襲撃事件は起こらなかった。
7年前(1988年)[編集 | ソースを編集]
- 3~4月に発生していた場合、青函トンネルや瀬戸大橋開業の喜びが半減していた。
- 開通日の前日あるいは同日に発生していた場合、開通のニュースが震災にかき消されていた。
- 神戸でも北神急行電鉄の開業が半年~1年くらい遅れていたかもしれない。
- 特に後者はせっかく開業したのに山陽新幹線が被災したために東名阪からの客を呼び込めない事態に陥っていた。
- 逆に震災で寸断されたルートの迂回ルートとして機能していたかも。
- バブル景気はつかの間の出来事となっていた。
1988年末~1989年[編集 | ソースを編集]
- 1988年末に起こった場合昭和天皇の容態悪化と重なったため1988年大晦日の紅白歌合戦は中止された可能性が高い。
- 翌年1月7日の昭和天皇崩御と重なればテレビなど報道体制は大混乱となっていた。
- 阪急8000系のデビューはやや遅れていた。
- バブル崩壊が少し早まっていた。
- もはやリクルート事件追及どころではなくなっていた。
- 結果として竹下内閣の寿命が史実よりやや伸びていた。
- 消費税導入をはじめとする税制改正も中止もしくは無期延期されていた。
- 88年夏のなだしお事件の汚名を返上すべく海上自衛隊が積極的に被災地支援に乗り出していた。
- 発生時期によっては南海や阪急の身売りにも影響が及んでいた。
- もしこの年に近鉄が10.19決戦に勝ち優勝出来ていれば被災した関西を元気付ける優勝として語り継がれた。
6年前(1989年)[編集 | ソースを編集]
- 平成は地震で始まったと言われていた。
- 昭和天皇の病状悪化から続く自粛ムードがもう少し長く続いていた。
- 翌年(1990年)に開催予定だった国際花と緑の博覧会は開催中止になっていた。
- 近鉄バファローズは被災したファンのために史実通り優勝。場合によっては日本一になっていたかもしれない。
- 加藤哲郎の「巨人はロッテより弱い」発言はなかったか。
- やはりバブル崩壊が早まっていた。
1990年代[編集 | ソースを編集]
1990年[編集 | ソースを編集]
- 同年3月から大阪鶴見緑地で開催予定だった国際花と緑の博覧会は開催されなかった。
- 大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線の開業も遅れていた。
- 開催期間中かつ発生時間が昼間だった場合、花博に来ていた観客や関係者が地震に巻き込まれてかなりの死傷者が出ていた。
- 特にマジカルクロスなどでアトラクションの倒壊や落下、衝突などが相次ぎ、それに伴う事故で亡くなった者が多かった。
- 現実以上に「事故博」と揶揄されていた(現実でも開幕翌日にウォーターライドの落下事故が発生している)。
- その場合事故のトラウマから2025年の大阪・関西万博への立候補はなかった。
- 花博自体会期途中で中断されていた。
- 特にマジカルクロスなどでアトラクションの倒壊や落下、衝突などが相次ぎ、それに伴う事故で亡くなった者が多かった。
- それがバネになり、大阪・関西万博開催が早まっていたかもしれない。
- 恐らく現実で愛・地球博が開催された2005年か、2010年代に開催されていた。
- その場合2025年の万博が愛知県あるいは福岡県開催となっていた。
- 六甲ライナーの開業が半年~1年ほど遅れていた。(史実では1990年2月開業)
- やはりバブル崩壊が早まっていた。
- 阪急8200系は登場していなかった可能性が高い。
- バブル崩壊に加え、震災で利用客が減るタイミングが史実よりも早かったと考えられることから。
- 阪急8000・8300系も現実よりも製造数が少なく、少数派系列となっていた。
- その分2000・2800系が延命し、方向幕取り付け改造も行われていた。
- 阪神9000系も史実より5年早く登場していた。
- 但し車体構造は現実と異なり、国鉄205系などに酷似した構造になっていた。
- 阪神のVVVF車導入も5年早まっていた。
- 私大バブル期が早期に終息し、多くの団塊ジュニア世代は大学進学を諦めていた。
- 阪急8200系は登場していなかった可能性が高い。
- 宝塚大劇場は倒壊、あるいは大きく損傷していた(史実では震災直前の1993年に建て替え)。
- 建て替えは震災復旧と同時に行なわれていた。
- それ以前に震災があった場合も同じ。
- 阪急宝塚駅の高架化も遅れた。
- 「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」の舞台は史実より1年早い1989年になっていた。
- 神戸出身or(歴史改変がなければ)震災で不幸に突き落とされる主要人物が設定されている。
- 3月の長崎屋火災はなかった可能性が高い。
- その代わり震災で建物が損傷、倒壊していた可能性もある。
1991年[編集 | ソースを編集]
- 同年の国内は阪神大震災・バブル崩壊に加え、信楽高原鐵道列車衝突事故や雲仙普賢岳の火砕流災害、台風19号災害(いわゆるりんご台風)などと踏んだり蹴ったりの状態だった。
- 震災で余剰車が発生しなかったため臨時急行が運転されず信楽高原鐵道列車衝突事故は起きなかった可能性も。
- 日本の歴史はここで暗転したと言われていた。
- バブル崩壊の悪影響も現実以上に早く深刻になっていた。
- 5月14日に発生していた場合、信楽高原鐵道列車衝突事故はなかった。
- 震災で当該列車が運休になっていたため。
- 世界陶芸祭も史実と理由は異なるが中断されていた。
- 震災で余剰車が発生しなかったため臨時急行が運転されず信楽高原鐵道列車衝突事故は起きなかった可能性も。
- この年の近鉄は被災した地元ファンのために奮闘し、リーグ優勝していた。場合によっては広島を下して日本一になっていたかも。
- 9月17日に発生した場合、声優の寿美菜子は震災当日に神戸市で出生したことが話題になっていた。
1992年[編集 | ソースを編集]
- 7月までに発生した場合、岩崎恭子の「今まで生きてきた中で、一番幸せです。」という発言はなかった。
- バルセロナ五輪後に発生した場合は発言自体はあったがその後に震災の被災者に対してお見舞いのメッセージを述べていた。
- この場合、流行語にはならなかった。
- バルセロナ五輪後に発生した場合は発言自体はあったがその後に震災の被災者に対してお見舞いのメッセージを述べていた。
- バブル崩壊による不況の深刻化のペースが現実よりも早いペースで起こっていた。
- 就職氷河期も1~2年早く到来していた。
- 年末に発生していた場合、現宝塚大劇場のオープンが数ヶ月遅れていた。
- 阪神5500・9000系の登場は2年ほど早まっていた。
- 場合によっては大手私鉄最後のVVVF採用は阪神ではなく西鉄になっていた。
- ひょっとしたらこの年の阪神は優勝できていたかも。
- 近鉄も優勝出来ていて、日本シリーズでの関西ダービーが実現していたかもしれない。
- 六甲ランドAOIAの閉鎖は史実より早まっていた。
- 平成の申年(1992年・2004年・2016年)はいずれも国内で震度7の地震が起こったことになっていた。
1993年[編集 | ソースを編集]
- この年Jリーグが開幕するが、盛り上がりに欠けていた。
- 場合によっては延期になっていた。
- この年は夏の大雨災害や冷夏も重なり、災害の多い年と言われるようになっていた。
- 7月に発生した北海道南西沖地震との関連も指摘されていた。
- 史実ではこの年あたりからバブル崩壊後の不況に突入したが、それが更に深刻化し、日本経済は一気に奈落の底に突き落とされていた。
- 第二次ベビーブーム世代の就職難もさらに深刻になっていた。
- 3月に発生し、場合によっては関東でも影響があった場合はフジテレビ「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」の4月以降の収録が延期になっていた。
- その場合、香港のミュージシャンのウォン・カークイが事故死しなかった。
1994年1月[編集 | ソースを編集]
- 17日に起こった場合、同じ日にアメリカでノースリッジ地震も起こったので日米で同じ日に大地震が起こったことになっていた。
- 前半に起こった場合、被災地では団塊ジュニア世代のピークである1973年度生まれが成人式を迎えられなかったことになり、彼らにとっては大きなトラウマになっていた。
- 後日震災が落ち着いた時期に改めて開催されていただろう。
- 同年末には三陸はるか沖地震もあったので、同年は地震で始まり地震で終わったことになっていた。
1994年夏[編集 | ソースを編集]
- 関西国際空港の開港が遅れていた。
- 恐らく1994年末か、1995年3月あたりの開港になっていた。
- 神戸西武は震災がきっかけで閉店に追い込まれていた。
- この年のオリックスの成績にも何らかの影響があったはず。
- 熱中症死亡者数が現実の1994年の4倍以上だった。
- これらも震災関連死に含まれていた。
1994年末[編集 | ソースを編集]
- 年末年始の帰省ラッシュの時に山陽新幹線が不通になっていたため、1994~1995年の年末年始輸送は大混乱していた。
- というより旅行や帰省を諦めた人も多かっただろう。
- それでも関西から九州・四国・沖縄方面に向かう航空機は連日満席になり、臨時便が多数増発される。
- 開港したばかりの関西国際空港がフル稼働していた。
- 羽田・小牧から岡山・広島への臨時便も多数増発されている。
- 関西から四国・九州への帰省には長距離フェリーも大活躍。
- 震災で被害を受けなかった山陰本線経由で九州方面への臨時列車が運行されていた。
- 会場が軒並み震災で被害を受けたため、1995年の成人式は被災地では多くが中止になっていた。
- または震災復旧が一段落した頃に改めて開催されていた。
- 1年遅れで開催されていた可能性もある。
- 西宮神社の十日戎も1995年のみなかった。
- それがきっかけで成人の日は12月の最終月曜あたりに移されていたかも。
- 2019年以降は旧天皇誕生日の12月23日が成人の日になっていた可能性もある。
- あらゆる意味で新型コロナウイルス感染でこれらのイベントが中止された2021年と比較されていた。
- このページでも取り上げられていただろう。
- または震災復旧が一段落した頃に改めて開催されていた。
- 年末年始特番が多数中止に追い込まれた。
- 第45回NHK紅白歌合戦も中止されているか、あるいは関西地区のみ未放映(もしくは教育テレビで放送)という条件付きで開催されている。
- 仮に開催された場合も被災者に配慮して派手な演出は自粛されていた。
- 関西の鉄道における大晦日~元日の終夜運転は中止されていた。
- 東京キー局では震災による火災を「箱根の温泉街」ではなく「松明の篝火」と表現していた。
- 同じ時期に三陸はるか沖地震も発生したので、12月は東西ともに地震のニュースで持ちきりになっていた。
1995年正月[編集 | ソースを編集]
- 元日に発生していた場合、初詣客を直撃していた。
- 初詣で遠方の神社に行っていた人もいることから、帰宅難民が問題になっていた。
- 特に生田神社は社殿が倒壊したので、そこで死傷者が出ていた。
- それ以来関西では大晦日~元日における鉄道の終夜運転が縮小していた可能性もある。
- 正月早々地震という前代未聞の事態に直面していた。
- 元日に起こっていた場合はなおさら。
- それ以後日本、少なくとも関西では正月を祝わなくなっていたかもしれない。
- 江戸時代以前や中国・韓国と同様旧正月の方を祝うようになっていたかもしれない。
- この年の箱根駅伝は開催できていたのだろうか?
- 仮に開催できていたとしても、日テレによる中継は報道特番で中止されていた可能性が高い。
- 正月における皇居の一般参賀は中止になっていた。
- 昨年末に起こっていた場合も同じ。
- 「正月特番を見ていたら急に報道特番に変わった」という報告があちこちで見られた。
- 消防出初め式も被災地への派遣のため、各地で中止になっていた。
- 正月に関西に帰省していた人が多数犠牲になっていた。
- 新幹線など鉄道も止まるので旅行・帰省先に取り残されるケースも出ていた。
- 1月10日に発生していた場合、西宮神社の福男選びを待っている人を震災が直撃していた。
- 十日戎自体も当然中断されていた。
1995年1月15日[編集 | ソースを編集]
- 夜が明けてから発生した場合、成人式に参加していた新成人を震災が直撃していた。
- 最悪の場合犠牲者が出ていた。
- ハッピーマンデー制度導入で成人の日が1月第2月曜に移るのは史実通りだが、震災翌年からハッピーマンデー導入まで暫定的に正月休みに成人式を移していた可能性もある。
1995年春[編集 | ソースを編集]
- 同年3月20日に発生した地下鉄サリン事件の扱いが史実よりも小さくなっていた。
- もしサリン事件と同時期に発生していたら、それこそ大変な報道体制となっていた。
- それでも近畿以外ではオウムの扱いの方が大きかったかもしれない。
- 地震発生がサリン事件より後の場合は「ボランティアを装って大量のオウム信者が入ってきた」などオウム関連のデマが流れていた。
- 同年の選抜高校野球は中止されていた。
- あるいは会場を変更して開催していた。
- 3月に発生した場合、プロ野球公式戦も開幕が1ヶ月ほど延期されていた。
- 仮に大会期間中に震災が発生した場合、大会が途中で中断されただけでなく選手や関係者にも死傷者が出ていた可能性もある。
- 夏の高校野球の期間に発生した場合も同様。
- そのトラウマがあるため、翌年から会場が変更された可能性もある。
- 花見やお出かけ日和などが控えられていた。
- 同年における造幣局桜の通り抜けは中止されていた。
- 関西に修学旅行に来ていた学生が震災を経験していたかも。
- 特に山陽・九州地方の学校の場合新幹線がストップしたことから帰りの交通手段に困る事態に陥っていた。
- 普通に考えると飛行機だが、飛行機も満杯であることが考えられ、フェリーなども活用されていた。あるいは山陰などを回る迂回ルートで臨時の団体臨時列車が仕立てられていた。
- 特に山陽・九州地方の学校の場合新幹線がストップしたことから帰りの交通手段に困る事態に陥っていた。
- 被災地において卒業式や入学式、入社式が軒並み中止になっていたかもしれない。
- 3月6日に発生した場合、あいみょんは震災当日に西宮市で出生したことが話題になっていた。
- 4月1日に発生した場合、泉北高速鉄道の和泉中央延伸はほとんど話題にならなかった。
- 場合によっては開業自体が遅れていた。
1995年夏[編集 | ソースを編集]
- 冷房のない避難所生活の中、熱中症が問題になっていた。
- 1994年のような暑さじゃないから、前年よりはましであろう。
- 火災は少なくなっていた可能性がある。
- 1995年のプロ野球阪神並びにオリックス戦はどうなっていたのだろうか?
- 多分この年の夏の高校野球は中止になっていた。
- 西京極か岡山マスカット球場辺りを臨時に借り切ってやっただろう。あるいは70年代のロッテみたく、ジプシー球団と化したか。
- 近鉄もお忘れなく。
- 地震が発生した時期にもよるが、祇園祭・天神祭・京都五山送り火のいずれかが中止になっていた可能性もある。
- あと多くの花火大会が中止されていたかも。
- (日本国内のみ) 三豊百貨店崩壊事故の扱いが史実よりも小さくなっていた。
- 『新世紀エヴァンゲリオン』はこの地震が原因で放送中止or延期されていた。
1年後(1996年)[編集 | ソースを編集]
- この年被災地でO157が大流行し、史実以上に被害が大きくなっていた。
- この年オリックスは日本一になれなかった可能性も。
- ヴィッセル神戸の成績(この年Jリーグ昇格)にも影響し昇格が数年遅れていた可能性も。
- 「がんばろうKOBE」が合言葉になるのが1年遅れた。
- 『ウルトラマンティガ』は放送中止を余儀なくされていた。
- 史実の「ネオス」の経緯から推測すると1年くらい待てば普通に放送できたのでは。
- 2月29日に発生していた場合、震災が起こった日が4年に1度しか訪れないことになっていた。
- そのため追悼行事は閏年を除き2月28日に行われていた。
- 閏年のイメージが悪くなっていた(特に関西)。
- 3月までに発生していた場合、『新世紀エヴァンゲリオン』はこの地震が原因で放送中断されていた。
- 後に東日本大震災の影響で放送を中断した『魔法少女まどか☆マギカ』と何かしら比較されていたかも。
2年後(1997年)[編集 | ソースを編集]
- 日本におけるダイアナ元皇太子妃の事故死の扱いが史実よりも小さくなっていた。
- 神戸連続児童殺傷事件と同時に発生したら神戸は史実以上の混乱となっていた。
- 震災による混乱もあるので、むしろ事件自体が起こっていたかった可能性が高い。
- 12月の地球温暖化防止に関する国際会議の会場が京都ではなかったかもしれない。
- 大阪ドーム開業の盛り上がりも小さくなっていた。
- なみはや国体は開催中止になっていたか、予定を変更しながら開催していた。
- 3月までに起こっていた場合、JR東西線の開業が遅れていた。
- JR西日本が震災復旧を最優先したため。
- 明石海峡大橋の開通も半年~1年遅れていたかも。
- 同年は山一證券の破綻もあり最悪の年と言われるようになっていた。
- 震災とのダブルパンチもあり不況はさらに深刻なものになっていた。
- 橋本政権による緊縮財政はなかったかもしれない。
- 消費税の3→5%への増税は数年遅れていた。
- 橋本政権による緊縮財政はなかったかもしれない。
- 北海道拓殖銀行の経営破綻やアジア通貨危機も。
- 震災とのダブルパンチもあり不況はさらに深刻なものになっていた。
3年後(1998年)[編集 | ソースを編集]
- 同年7月25日に発生した和歌山毒物カレー事件の扱いが史実よりやや小さくなっていた。
- もし毒物カレー事件と同期に発生していたら、それこそ大変な報道体制に。
- 震災による混乱で夏祭りが中止になったことから、むしろ事件そのものが起こっていなかった可能性が高い。
- その場合、同年の「今年の漢字」は「毒」ではなく「震」または「災」が選ばれていた。
- 史実では同年4月に開通していた明石海峡大橋は予定通り開通できなかった可能性が高い。
- 震災がきっかけで橋の長さが1m延びたため。
- 場合によっては主塔を除き橋を作り直した可能性もある。
- 長野五輪が現実ほど盛り上がらなかった。
- マスコミは「メダルを取って被災地に元気を届けよう」などと煽っていた。
- 阪神梅田~山陽姫路の直通特急は全線復旧後一段落した頃に運転開始していた。
- 全線復旧直後は阪神を中心に車両不足とかがあったため。
- 震災廃車の代替新造車は山陽乗り入れ対応になっていた。
1999年夏[編集 | ソースを編集]
- 日本内のみノストラダムスの予言はこれを指していた、という解釈になっていた。
- 史実では世界でもほとんど例がなかった都市型の地震災害として全世界に衝撃を与えていたので海外でもノストラダムスとよく結び付けられていた。
- 同年9月に発生した某臨界事故の扱いが史実よりやや小さくなっていた。
- もし臨界事故と同期に発生していたら、それこそ大変な報道体制に。
- じゃあそうなった場合JCO事故当日に優勝を決めたあの球団の胴上げやビールかけなどの祝勝イベントはどうなる・・・・・・?(前回の優勝時は昭和天皇の体調不良を鑑みてビールかけなどを自粛。もしこうなったら2回連続で自粛かよ・・・・・・こうならなくてよかった)
- 同月に発生していた921大地震も。
- もしかしたらこの年の阪神はリーグ優勝できていたかもしれない。
2000年代以降[編集 | ソースを編集]
→もし阪神・淡路大震災が別の時代に発生していたら/2000年以降