日本の廃線

ナビゲーションに移動 検索に移動

国鉄線[編集 | ソースを編集]

名寄本線の噂[編集 | ソースを編集]

区間:名寄〜遠軽

  1. 「本線」なのに全線廃止されてしまった。
    • 留萌本線、日高本線がこれに続くか。
      • 両線とも同じ道をたどってしまった。
  2. これの代替になっていた丘珠・新千歳からの紋別行きの航空機も、現在は運休中。

廃止:1989年5月1日

  1. 紋別市

万字線の噂[編集 | ソースを編集]

区間:志文〜万字鉱山

  1. 万(年赤)字線。
  2. 卍線ではない。

廃止:1985年4月1日

日中線の噂[編集 | ソースを編集]

区間:喜多方〜熱塩

  1. 末期は、「日中(は走りま)線」状態だった。
  2. 今は代替バスすらない。
  3. 路線名は日中温泉に由来するがついにそこまで達することはなかった。
  4. 決して日本中国を結ぶ路線ではない。
  5. かつては栃木県の今市から会津若松を経て山形県の米沢に至る路線の一部として計画された。
    • もし実現していたら東武特急が山形県まで行ってたかも…。
      • その場合、在来線特急つばさ・やまばとと東武特急が山形ー東京で競争していた。
        • その場合、新幹線は上越新幹線が羽越経由で酒田、秋田、青森に伸びる形になり、山形新幹線は建設されなかった。

廃止:1984年4月1日

高砂線の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 国鉄の廃線突破付きに廃線に。
  2. 今あったら電化され通勤路線としてドル箱路線とかしていただろうが。
    • 更に神戸線と直通運転を行いたいがするには方向転換を伴うか一周回る必要がある。
  3. 国鉄が貨物の取扱を減らした結果廃止対象に。
  4. 山電の高砂駅がある所はこの路線では高砂北口だった。
  5. 支線として荒井支線があっても良さそう。
  6. 野口駅で別府鉄道と接続していたが、こちらも同時に廃止になった。
  7. かつて国鉄の高砂工場があった。

[編集 | ソースを編集]

  • 加古川-野口-鶴林寺-北在家停留所-尾上-高砂口-高砂北口-高砂-高砂港

鍛冶屋線の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 多可町までを結んでいた路線。
  2. 廃止直前は全区間走破が1・2時間に一本、西脇までが1・2時間に一本であった。
    • ここで気づいた人も居ると思うが実は現在の西脇市〜谷川間に3時間に一本より多い。
  3. こちらの路線もJR化後に通勤路線になってJRのドル箱路線になっていたはず。
  4. 計画されていたかは知らないが鍛冶屋から国道427号を北上し梁瀬駅

[編集 | ソースを編集]

  • 野村(西脇市)-西脇-市原-羽安-曽我井-中村町-鍛冶屋

大隅線の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 志布志と国分を結んでいた。
    • だが国分まで全通したのは1972年だった。
  2. 10万都市の鹿屋市を通っているのにも関わらず、鹿児島市へはフェリーが有利だったため利用者が少なく、廃止された。
    • この直後に志布志線も廃止されたため、大隅半島は鉄道空白地帯となった。

[編集 | ソースを編集]

  • 志布志-菱田-大隅大崎-三文字-東串良-串良-下小原-大隅高山-論地-吾平-永野田-大隅川西-鹿屋-大隅野里-大隅高須-荒平-古江-新城-諏訪-柊原-浜平-垂水-海潟温泉-大隅麓-大隅辺田-大隅二川-大隅境-大廻-大隅福山-敷根-銅田-金剛寺-国分

志布志線の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 都城と志布志を結んでいた。
    • 下にある通り都城とそこにとっての重要な外港である志布志港を結ぶ為に建設された。
  2. だが車社会化により1987年に廃止された。
    • この結果として都城と志布志を結ぶ地域高規格道路が必要となり、都城志布志道路が建設中である。
    • この直前に大隅線も廃止されたため、志布志駅は鉄道では鹿児島県の他の地域に行けなくなった。
    • 大隅夏井があるよ。
    • 後5日残っていればJRの路線になっていた。
    • 赤字83線の段階では日南線と大隅線が廃止される代わりに当路線が残る筈だった。
  3. ほとんど鹿児島県だが、起点のほんの一部は宮崎県であった。
    • 逆に日南線はほとんどが宮崎県だが終点側のほんの一部が鹿児島県。
  4. 日豊本線の都城~西都城は開業当時は志布志線だった。
    • (都城~)西都城~隼人の全通により日豊本線に編入され、起点が西都城に短縮された。
    • 日南線の北郷~志布志も。
      • 日南線の全通により日南線に編入され、終点が1925年当時と同じ志布志に短縮された。
  5. 曽於市は旧財部町を日豊本線が通るが、市役所がある旧末吉町や県の出先機関がある旧大隅町はこの路線が通っていた。
    • この路線が廃止された後も日豊本線のおかげで曽於市には鉄道が通っているが、中心地から離れている事もあり、通学客を除いて鉄道を利用する人は殆ど居ない。
  6. 志布志までの開業は1925年と日南線の全通は元より、日豊本線の(都城~)西都城~隼人の全通よりも早かった。それだけ志布志港が都城にとって重要だった事の証である。(だから都城志布志道路が建設される理由である。)

[編集 | ソースを編集]

  • 西都城-今町-末吉-岩北-岩川-大隅松山-伊崎田-安楽-中安楽-志布志

JR[編集 | ソースを編集]

塩釜線の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 2つしかなかったJR貨物所有の独立路線。
    • ここでの「独立」というのは独立した線路名称を持つ、という意味。もう一つは新湊線
  2. 陸前山王駅で東北本線から北東に分岐し、塩釜埠頭駅までの1区間だけの路線だった。
    • 1区間のみの路線はたいてい分岐元の路線の一部(支線)として扱われるため、独立した線路名称を持つこと自体が極めて稀。
      • 上述した新湊線の他、国鉄時代の廃止路線では北海道小樽市に存在した手宮線、長崎県佐々町に存在した臼ノ浦線ぐらいしか例がない。JRの発足後は宮崎空港線という例が新たに誕生したが。
        • 宮崎県日向市には日向市駅と細島駅を結ぶ細島線という路線が存在したが、1972年の旅客営業廃止時に途中駅が全て廃止され、線路そのものも分岐元である日豊本線に統合され無名支線となったという例がある。
          • 逆に臼ノ浦線は当初松浦線の無名支線だったが、途中駅が全廃され1区間の路線となった後に独立名称が与えられている。
  3. 1887年に日本鉄道がこの路線を開業した時点では、東京側のターミナル・上野駅から続いた本線の末端区間であった。この時の終点は塩竈駅という名であった。
    • 塩竈駅が北側のターミナルであったのはわずか1年足らずで、1888年には1駅手前の岩切駅から利府経由で一ノ関方面へ向かう路線が開通する。これにより岩切駅から塩竈駅の間は支線となる。
    • その後日本鉄道が国有化されてからしばらく経った1909年、それぞれの鉄道路線に線路名称が与えられ、この支線には「塩竈線」の名が与えられた。
    • 1933年には唯一の途中駅として多賀城前駅、後の陸前山王駅が開業する。1ヵ月後には塩竈駅から塩竈港駅までの貨物支線が開通する。
  4. 1944年には陸前山王駅から分岐して東北本線に接続する支線「東北海岸線」が開業、陸前山王駅までの区間は東北本線に編入され、これにより陸前山王駅から塩竈駅までの1区間の路線(+貨物支線)となる。
  5. 1956年に路線名および駅名の「塩竈」が全て「塩釜」に改められ、地名と駅名の不整合が生じることとなる。同時に東北海岸線が東北本線のメインルートとなり、同線上に旅客駅の塩釜駅が開業したことから塩釜線は旅客営業を廃止、貨物線となる。
    • この時に塩竈駅は「塩釜港駅」に改名、元々あった塩竈港駅は「塩釜埠頭駅」に改名された。
    • 仙石線にあった西塩釜駅は1944年から「◯塩竈」駅に改名していたため、ここでも不整合が生じていた。これらは1963年に元の「◯塩釜」駅に戻っている。
  6. 1965年には塩釜港駅と塩釜魚市場(ぎょしじょう)駅を結ぶ2つ目の支線が開業するも、1978年に廃線となっている。さらに1986年には塩釜港駅が塩釜埠頭駅に統合され、支線だったこの区間が本線の一部となり、名実ともに1区間の路線となる。
    • 塩釜港駅の跡地には1990年に塩釜埠頭駅が移転した。
  7. 1994年に線内を通る列車の運用がなくなり、1997年正式に廃止。移転前の塩釜埠頭駅跡地は近隣企業の駐車場や倉庫に転用され、移転後の駅跡地はイオンタウン塩釜が立地している。
  8. 塩釜埠頭駅の手前では、仙石線の高架を潜っていた。
  9. 上記の通り、路線区間や各駅の変遷が混迷を極めている上に、現存する東北本線の塩釜駅や仙石線の西本東塩釜駅は一切関与していないという複雑さ。
  10. 韓国釜山にはKORAIL運営の「釜山新港線」という路線があるが、幹線路線から分岐しその終点でさらに2方向に支線が分岐、路線名に「釜」が付くなど、謎の共通点を持つ。

[編集 | ソースを編集]

岩泉線の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 岩泉駅は馬鹿みたいにデカイ。
  2. 1日3往復ほどの超ローカル線。それが鉄道ファンの人気になり「秘境駅号」が走ることがある。
    • 津軽線も三厩発着だと同じくらいの本数
  3. 並行道路が整備されてないから残されたらしい。
    • 未だに1車線区間や1.5車線区間がある。が、そもそも岩泉←→旧新里・川井という需要がほとんどないので整備される気配もない。
      • 盛岡方面は455号線、宮古方面は455~45号線を使う。
    • 日本を代表する乗りつぶしが困難な路線として、鉄道ファンにつとに有名である。旅行シーズンの臨時列車「秘境駅号」は、押角駅や、山田線の大志田駅で長時間の停車をし、鉄道ファンに写真撮影の余裕と与えている。更に、この臨時列車は、旧式の車両が指定席で新式の車両が自由席であり、鉄道ファンをうならせている。
  4. 岩手県沿岸北部地震の震源が押角駅の近く。
  5. 盛岡~岩泉ならJRバス早坂高原線の方が便利。
    • 便利といっても1日4往復。やっぱり少ない。
  6. 「岩手」が付く駅が3駅(岩手刈屋・岩手和井内・岩手大川)あるが、「岩手」の付かない刈屋駅と和井内駅はどこにも存在しない。
    • 岩手刈屋は刈谷との同音回避で説明できるけど、和井内は?
    • 大川駅は川崎市政令指定都市)にあるが、休日の本数は何と岩手大川駅と同じ。
  7. 元々の計画では、小鳥谷から葛巻・岩泉を経由して小本へ至る事になっていた。誰が乗るんだよ。
  8. 土砂崩れで運休。
    • この時乗っていたわずかな客のほとんどが他の地域から訪れた観光客だったらしい。
      • 乗り合わせていた乗り鉄観光客は図らずも救援車(救難車?)に乗ることが出来たために大喜びだったとか。
      • ほとんどというか全員。。。
    • 2012年にそのまま廃止の予定…。
      • 2014年4月1日に、正式に廃線となります。
      • 岩手和井内までだけでも残そうとしていた応援サイトもあったけどだめだったんだな。
      • サヨナラ運行すらしてもらえそうにない。最後の最後まで本当に悲惨な路線だ。
      • 東日本大震災で周辺路線も運休になったことが致命傷だったのだろうか。
  9. 押角駅は国道から徒歩一分以内の場所にある。但し、付近に民家は存在しない。
    • 駅前の広場から小川を渡る橋があるのだが工事現場の足場にしか見えない。
      • しかも微妙に傾いているw
      • 廃線後、台風でその橋が流されてしまい旧押角駅に行くことが完全に不可能になってしまった。
        • 川を渡れば行ける。しかも遺構もない。
  10. 日本で一番乗客が少なかった路線だということが発覚。

[編集 | ソースを編集]

  • 茂市 - 岩手刈屋 - 中里 - 岩手和井内 - 押角 - 宇津野駅 - 岩手大川 - 浅内 - 二升石 - 岩泉

三江線の噂[編集 | ソースを編集]

もう過去の光景になった
  1. 悲しくなるくらい需要がない。完成が遅く、地元住民にまったく根付かなかったため。
    • あまりにも列車本数が少ないため、西日本名物・月一回の保線工事運休が出来ない必要ないくらい。
      • 一時期江津駅~浜原駅で工事運休があったらしい。
    • 長谷駅にいたっては下りの終電が午前9時。そして上りの始発は午後2時。午前中に終電を迎えるのはおそらくここだけ
      • 朝、三次方面に登校して、夕方に三次方面から帰ってくるダイヤ設定。下り三次行き2本と上り口羽行き1本と浜原行き2本のみ停車。
      • とは言っても、通過する汽車も下り3本上り2本なわけだが。
        • と言いながら、一応、列車交換することはあるみたいだ。
          • 長谷駅では列車交換はできません。
      • 遂に長谷駅を通学に使う人がゼロに。
    • 全線開通が1975年と中途半端な時期で、既に自動車の時代になっていたせいだろう。もし10年早ければ広島-浜田の急行も運行されて陰陽連絡線になれたかもしれないし、5年以上遅れたら浜原-口羽は工事中止になっていた可能性が強かっただろう。
      • 全線開通以降は特急とか急行とかの優等列車が設定された事がない。
      • もし後者だったら三江北線と三江南線に分かれたままで、国鉄末期に特定地方交通線として廃止されていた可能性が高い。
      • 最後に開業した浜原-口羽間は鉄建公団が建設した為か、速く走ることが出来た。
        • 比較的線形がよくトンネルも多めで、キハ120が快走していたのが印象的。
    • 三江線より今福線(広浜線)を全通させた方がまだ良かったんじゃなかろうか。
  2. 宇都井駅という、バリアフリーに真っ向から反旗を翻した駅が有名。
    • 全線開通当時(1975年)はまだバリアフリーという考えそのものが浸透していなかった。
      • 当時はまだ高齢者が少なく若い世代が圧倒的に多かった。
    • 階段は116段。エスカレーターやエレベーターも無い。まぁ需要が少ないからそんな設備をつけるまでも無いのだろうけど。
      • そんなものをつけてもし故障したら、修理業者が行くのに何時間かかるやら…。
        • そもそもバリアフリーって何?って考えてるような駅だ。
    • 実は島根県初の高架駅だったりする
      • というか島根県内の高架駅自体、片手で数えられる。
    • 利用者は高齢者が多いと思うんだが、大丈夫かね。
      • 高齢者は介護タクシーや家族の車などを利用している。むしろ高校生の通学利用が中心。
    • ベッド代わりにできる幅の広いベンチ?があり、「駅寝」のしやすい部類の駅でもあった。廃線直前には実際に駅寝するテツも多かったとか?
  3. 災害で不通になってもタクシー一台で代替輸送が充分出来てしまうってのが…。
    • 線路上にタクシー走らせた方が安上がりなのでは・・・
  4. 浜原~潮(沢谷付近)を除いて、基本的に江の川の流路を通っている。
    • おかげで直線ルートより40キロ近く遠回りになった。直線にしたら、トンネルだらけで途中駅が0になりそうな山の中だが…。
  5. 県境の都合で伊賀和志のように広島県内にありながら両隣の駅が島根県だったり、作木口のように広島県内の地名を使っている島根の駅がある。
    • どちらも原因は江の川。
  6. 三江線だが、起点は江津で終点が三次である
  7. 江津本町と宇都井は2008年度の一日平均乗車人数が0人
    • 「江津本町」とかいいながら駅前はすごい閑散としている。
    • 江津自体閑散としている。
  8. 2012年7月15日に落石事故で一時的に不通になった。
  9. 2012年10月1日から12月31日まで増発の社会実験をするが、増発分はバスになっている。
    • 廃止が濃厚になってる感が否めないな。
      • 鉄道で増発しようにも、まず三江線に運用できる車両が足りない。そして、交換設備が不足している。結果によっては増発すると言っているが、どうやって増発するのか…。もしくは、バス転換の布石か…。
        • なんと、バスは1便に平均3人しか乗車していないことが判明。さらにバスを増便し、沿線の学校もスクールバスを運休させて鉄道・バスに乗せるようにして対応を図っている。何か、この路線はもう限界のような気がする…。
  10. 日本で2番目に客が少ない路線であることが判明。
    • しかも1番少ないのが岩泉線(廃止決定)なので、実質日本で1番客が少ない路線。
      • 区間別ではダントツ1位(乗車密度1桁)がいるから安心したまえ。しかも広島県内で。
      • ここが廃止されてからは大糸線のJR西日本区間がワースト。
  11. 2013年8月に大雨で橋脚が流され運休に。山口線の復旧が優先だろうから1年半は動かないだろう。
    • と、思ったら、2014年7月に運行再開決定。
  12. この路線の活性化協議会のイメージキャラクターは「石見 みえ」という萌えキャラ。
  13. 2015年10月、残念ながら2017年に廃止が確定。みんな早く乗っておくように・・・
    • 「廃止を含めて検討している」ということであって、まだ廃止が正式に決まったわけではないよ。
    • でも「JR」の路線としては手放すかも。その後の行方は、江津~浜原までが鉄道のまま3セク転換、三次~浜原までがBRT転換か?
    • そのせいか、ここにきて立ち客が出るほどの盛況ぶりになっているそうだ。(ただし今のところ9:57三次発のみらしいが)
    • 皮肉にも廃止が決まってから全線開通以来山田かつてない盛況ぶり。最終日には地元の人から「なくなると思うと寂しいです」とうう白々しいコメントを取るのだろうか?
      • 廃止決定後、石見川本駅前にはなんと地元運営のサロンまでできてたりした。乗り通しに便利な列車が昼間この駅で1時間以上停車していたため、特需を期待したものだったんだろう。実際、(私含めた)乗り鉄でサロンは繁盛していた。
    • 2018年3月31日で路線廃止。JRが発足してから本州で路線距離100kmを超える路線が廃止されるのは初めてとか。
      • 廃止後は代替バスが運行されるらしいが、この状況では数年後代替バスすら廃止、ということが現実になるかも…。
        • 代替バスの全容が分かったのは廃止を1か月切ってから。JR側が早々に廃止させたいのか、地元が鉄道に興味がないのやら。
          • 乗り通す客は鉄ちゃんくらいしかいなかったので、代替バスは地域ごとにかなり細切れ状態。
            • そして上記に懸念されてる通り、道路のルートから外れた所へ行くバスはあっけなく廃止になってオンデマンドタクシーに取って代わられたり。
  14. 最近は熱でレールが曲がり止まることもしばしば(2016夏)
    • 大雪で動かないことも(2018冬)
  15. 逆に客が乗らないことを売りに出す、というのはどうだろうか?(路面電車みたいに、「花列車」を走らせる、とか。バスと提携して写真をとらせる、など)
  16. 三江彩花さんに宣伝させる、というのはどうだろうか?
  17. 札沼線の項目でも書いたが)列車の通らない時間を見計らって、人軌列車を押して走らせる運動を、観光客にさせる、というのは?
  18. 昭和63年辺りから「谷繁線」というあだ名がついたが、このあだ名の意味からも廃止の理由が「語るに落ちる」…(涙)
    • 元大洋ホエールズ→中日ドラゴンズの谷繁元信氏は、実は生家が広島県庄原市なのでした。
      • 江の川高校(現名:石見智翠館高校)に入学する際に、鉄道で生家から移動したとすると、「庄原→三次」を芸備線→この路線を全線乗る、というのが最短距離だった。
        • 三次・浜原で2回乗り換えるのか…(苦笑)
        • 現実はバス移動だったのか?
      • つまり、谷繁選手の所属した大洋→中日のそれぞれのファンにとっても、「遠すぎる聖地巡礼路線」だった。
        • 谷繁選手が広島に入団しなかった時点で、既に廃線濃厚だったわけだ…(涙)
      • しかも、谷繁氏が中日監督を解任された次の月に廃線届が提出された…(涙)
  19. 廃止表明から最終日まで車内は大混雑。特に最終日は代替バスならぬ代行バスが出る始末。。
  20. これを機にJR西日本は路線廃止を進めるとのこと。次はどこの路線が廃止になるのか。
  21. NPO法人「江の川鉄道」の手で一部であるがトロッコ路線として復活させるらしい。

[編集 | ソースを編集]

江津 - 江津本町 - 石見川本 - 浜原 - 石見都賀 - 宇都井 - 伊賀和志 - 口羽 - 式敷 - 三次

私鉄[編集 | ソースを編集]