郡上市
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- 関連項目
- 郡上八幡城
- 道の駅 美並、白鳥は道の駅#岐阜へ
- 瓢ヶ岳PA、ぎふ大和PA、ひるがの高原SAは東海のサービスエリア・パーキングエリア#岐阜へ
郡上市の噂[編集 | ソースを編集]
- 郡上での仕事は、〇〇運輸就職ぐらいしかない。
- せーの?
- 高山と郡上八幡を結ぶせせらぎ街道の郡上市明宝に「45km先(高山市清見町三日町)までGS無し」という恐ろしい看板がある。
- せせらぎ街道は名前とは異なり、結構深い渓谷である
- 郡上の焼肉といえばトンチャン(豚の内臓味噌漬け肉いため)である
- トンチャンは全国で食べられていると思っている
- ケイチャン(鳥のトンチャン)は子供の食べ物と思っている
- トンチャンって内臓ですよね?ケイちゃんは内臓ではないのでちょっと違うと思う。
- ギュウチャン(牛のトンチャン)は結構ハードだと思っている。
- 山内一豊の妻、千代の出身地の候補のひとつ。2006年の大河ドラマで必死にアピールしたが、長浜に完敗。
- 旧国名で言うと美濃国だが、何か飛騨のイメージがある。
- 国道256号沿いの建物の壁に「飛騨牛の産地 郡上」と堂々と書かれていた。
- 東海北陸自動車道が下呂市ではなく郡上市を通っているがため、富山県からは下呂市より郡上市の方がアクセスが良くてより身近なイメージがある。
- …にも関わらず飛騨の観光パンフレットには下呂市が載っていて郡上市が載っていないのには納得がいかない。郡上市こそ飛騨地方であるべきだ(と富山県民である個人的には思ってしまう)
- 奥美濃カレーというご当地カレーがある。
- 基準は、郡上味噌が隠し味になっていること、郡上市内産の食材と天然水を使っていること、観光協会の審査基準を満たしたものというもの。
- 一見、ガチガチの基準に見えるが、結構自由でホワイトソースで白一色のものや、ピザになったもの、果てはタコライスまである。
- 煎餅もある。昼食の場所を探していた時、街中で「奥美濃カレー」と書かれたのぼりを見かけてイヤッホー!、と思ったら煎餅屋だったというオチ。
- 一見、ガチガチの基準に見えるが、結構自由でホワイトソースで白一色のものや、ピザになったもの、果てはタコライスまである。
- 基準は、郡上味噌が隠し味になっていること、郡上市内産の食材と天然水を使っていること、観光協会の審査基準を満たしたものというもの。
- 街中のあちらこちらに「花嫁・花婿募集」と書かれた看板だらけ。
- けっこう白山信仰の地。現代ではこちらから白山に登る人はまれだろうが、昔は加賀・越前と並んで美濃の白山禅定道があったり、泰澄大師関連の神社史跡があっちこっちにあったりする。
- 基本的に泰澄大師さんへの信仰が篤い地域のようだが、郡上の中でも美並は円空さん推しだったりするし、北上して白川郷あたりまで行くと浄土真宗信仰・蓮如さんへの信仰になって面白い。
- ここに限らず北濃近辺は「○○洞」という地名が多い。どうも谷のことを洞(ぼら)と呼ぶらしい。
- 奥美濃古地鶏の産地でもある。
- 名の由来は地図で武儀郡の上(北)にあったことから。
- 2004年3月1日、郡上郡八幡町・大和町・白鳥町・高鷲村・美並村・明宝村・和良村の3町4村で新設合併し発足。市役所本庁舎は旧八幡町役場に置かれた。
- 同時に郡上郡は消滅。
郡上八幡の噂[編集 | ソースを編集]
- 郡上八幡の町屋の二階は、大人が立てないくらいの天井高である
- なぜか軒先に防火バケツが吊り下がっている
- 大正時代の大火で大きな被害が出たためだと思われる。
- 夏になると男達は鮎掛け(鮎釣り)に忙しい
- 鮎釣りの方法は職人それぞれ。釣竿の構造も違う。
- 夏になると子供が清流に橋から飛びおりて水浴びする。
- 橋から飛び降りれないとオトナとして認められない
- 頭から川に飛び込むと、男が上がる。
- 昔からの伝統と言い張るが、橋はコンクリート製。
- 2003年と2005年は阪神ファンもまぎれ込んでいたらしい。
- 夏中24時間踊り狂う。
- 踊る時間があまりに長すぎるため、休憩をとりながら踊る。
- それを知らずに連続で踊り続けると危険。
- 実は朝4時で踊りは終了する。
- なお開始は夜8時から。
- 遠方から毎年来る熱心なファンも多い。
- 祭り期間終了後、旅館を出る時は「来年もよろしく」が合言葉。
- 武士も踊っていたらしく、怒られた形跡もある。
- 中心部には踊る人の銅像もある。
- ドラマのロケ地になることが多いが、なぜかいつも「殺人事件」モノ。
- 岐阜市内の路面電車を復活させて、郡上八幡まで直通させる計画がある。
- 夏は美濃地方、冬は飛騨地方の天気予報を参考とする。
- 独自にブレンドして天気予想をする。
- CMつくってみました
- ハングルが「グンジョヤワタ」になっている件。
- 一揆の印象が濃い。
- 郡上一揆。江戸時代を通じて唯一、一揆の結果で大名が改易になった。
- 原因としては藩が年貢の税率を定免法(定率)から検見法(その年の豊作不作を見て税率決定)に変えようとしたことだが、紆余曲折を経て一揆に。
- 農民の反対にあい一旦は撤回する → 幕府代官を通じて通告 → 庄屋衆を閉じ込めて無理矢理受け入れさせる → 農民、妥協した庄屋を村に入れず → 藩による農民への弾圧 → 農民、幕府へ籠訴
- ついでに石徹白の神社が高山の寺の系列につくか、京都吉田神社の系列につくかでもめており、藩が介入して高山支持側が追放されたりという石徹白騒動も起こってた。
- 白山長滝のところの道の駅にある資料館でその歴史が展示してある。
- 地域用水が整備されていたり、城下町として結構風情がある。
- 知名度は飛騨高山に負けるが、こちらも良いですよ。
- 郡上の水利用で最も特徴的なのは水船だと思う。
- 三槽くらい連ねた水槽のうち、1つ目の水槽で飲水を得たり食べ物を洗ったり冷やしたりする。2つ目の水槽は汚れた食器など口に入るものを供するための道具の洗浄。3つ目の水槽で、その他のものを洗う。
- と、ここまでは、他にもないとはいえないが、なんといっても特筆すべきは生ゴミ垂れ流しOKということである。
- これは、そのへんの水路を泳ぐ鯉が、それを餌にして育つからというのが理由らしい。
- 用水路そのものでも夏にはスイカが冷やされていたり、後で食らう鮎などの魚をかごに入れて泳がせていたり。
- 洗濯もココでやっていたらしい。隣近所の奥様方同士の会話もココでやっていたとか。井戸端会議ならぬ用水端会議である。
- 然し乍ら、こういったことも現代では廃れつつあるのだとか。
- 理由は洗濯機が普及しそのほうが楽になったからではなく、観光名所呼ばわりされて人が増えたため、洗濯しているといきなりカメラを向けられたりすることも多く、そういうのが嫌で仕方がないからということらしい。
- この辺は湧き水が豊富なのでこういったものが発達したのだそうな。
- 宗祇水も有名だね。
- 宗祇は連歌師として有名だが現地の投句箱は和歌、俳句、川柳など何でもOK。
- 亀の形した体育館ぽいのがある。郡上市総合スポーツセンターらしい。
- 郡上八幡城の天守閣から街を見下ろすとやたら目立つ銀色の亀。
- 食品サンプルの博物館もある。
- 食品サンプルの生産の大部分が郡上らしい。お土産としてキーホルダーとかマグネット付きのやつとかを売ってる。なお、この博物館ではサンプル作りの体験もできる。
- ここ10年間、夏の間だけ近藤正臣がやって来る。
- つボイノリオの父親の出身地。
- 猪を捕まえて市役所へ持って行くと害獣駆除の名目で1万円もらえる。猿だと2万円もらえる。(2010夏に聞いた)
- 郡上八幡と美濃市を結ぶ岐阜バスが無くなった。なので国道156号線沿線(八幡駅前以南)のバス停が撤去された。
- 2003年にパナウェーブ研究所の白装束集団が山の中に現れて、郡上八幡が有名になった。
- 雛祭りの時期にモヒカンや坊主頭の雛人形を飾る理容店がある。
- 「郡上八幡」という地名の組み合わせの語呂が良すぎ。この節もだし。
- 開き直ったのか旧八幡町時代の観光ポスターには「郡上八幡町」と書かれていたり。
- 年末年始に行くと極寒の中あまり行くところもなく街をさまよう羽目になる。
- 各種観光施設の冬季休業期間が他地域よりやや長い気がする。
- 日本で初めて自主放送を行ったケーブルテレビが誕生したのはここ。
- ただし現在の郡上ケーブルテレビとは無関係。
- 最近はキャラクターを用いた宣伝が多い。
- さくらももこ作の「GJ8マン」というキャラクターのグッズが販売されている。
- 「あゆレディー」という萌えキャラもいる。
- イラストだけではなく実際の人物が演じる形でも展開されている模様。
白鳥の噂[編集 | ソースを編集]
- 道の駅:白鳥
- 白鳥町民に、「しらとり町」と言うと「しろとりです。」と訂正される。
- まさにその通り。よく言っている。(元白鳥町民)
- 東かがわ市の旧大内郡白鳥町も同様。
- まさにその通り。よく言っている。(元白鳥町民)
- 大中小学校、略して「大中小」という、冗談のような名前の学校がある。
- 「おおなかしょうがっこう」と読む。
- お隣の国に、日本に居て拉致された人が大統領になった際に記念に作られた学校だろうか…
- 長良川鉄道の終点は北濃という駅だが、だいたいはその3つ手前の美濃白鳥駅で降りてしまう。白鳥の中心地でバスの発着等もそこなので。
- 以前は美濃白鳥駅から福井県大野市までバスで行けた。
- 現在は約8kmの徒歩区間を挟み、コミュニティバスを乗り継がないといけない。
- 郡上市で一番番号が小さな国道である、国道156号は岐阜市から白鳥まで国土交通省直轄だが、白鳥以北は岐阜県管理となる。
- 郵便番号は郡上市全域に共通して『501』。羽島市でも白川村でも〒『501』だから。
- 国道156号線の岐阜県内はかなり長いものの95%以上が〒『501』地域。
- 白山神社の大元、長滝白山神社がある。中濃の白山神社の元締。
- 当然、ここにも登山口があったことによる。
- 石徹白の方から登れる。あるいは分水嶺(旧美濃越前国境)の桧峠から大日岳を経由する道。どっちも尾根沿い。どっちがメインかは忘れた、ごめん。
- 当然、ここにも登山口があったことによる。
- 郡上おどりに対抗できる踊りがある。
- 知名度はそれほどないが、これはこれで味がある。
- たしか、重要無形文化財認定のはず。
- 郡上市も郡上おどりと並んでこれを扱うほど。
- なのに踊りの名前が書かれてない…
- 白鳥駅前を南に行くとちょっとばかり風情あるというか、懐かしい街並みが残っている。
- 味噌屋があるので味噌の臭いがすごい。
- スーパーもあったが2000年代前半になくなってしまった。国道沿いにバローがあるからなぁ。
- 郡上八幡の城下町やほどではないが、卯建のある建物もある。
- 阿弥陀滝は落差の大きい滝で見応えがある。なにより、裏側に回れるのがいい。
- 向かって右側からはまわりやすい。左側は通りにくい(足跡も少ない)ので一周せずに引き返すのも良いかも。滝の本体は崖から離れたところを落ちるので本流で濡れることはないが、岩の天井からしたたったりするので少しは濡れるし足場は滑りやすいのでご注意を。
- なおここの滝の手前の店は流しそうめん発祥の地、らしい。
- 石徹白へ向かう峠道のサミットの辺りは「白鳥高原」として観光開発がされている。但し、白鳥高原駅はその最寄駅ではない。
- 長滝白山神社の横にかなり前から道の駅がある(上記)のに、合併後に更に2つも道の駅を新設してしまった。
- 白鳥恵那愛知電機という地名を3つ連結した社名の会社がある。
- 東海北陸道の「鷲見橋」は「わしみ」と読むがここにある鷲見病院は「すみ」と読む。
石徹白[編集 | ソースを編集]
- 石徹白は昭和の大合併期まで福井県だった。
- んで、「いとしろ」と読む。
- 伊東四朗の出身地…ではないようだ。
- この石徹白は九頭竜川水系なので地形的には昔の県境・国境の方がわかりやすい。でも文化的には白鳥の方が結びつきが強かったそうな。
- まあ、峠があってもそれ超えりゃすぐってのと、延々と山をくだらんと街へ出れんというのでは差があるもんね。
- 美濃から白山へ登る禅定道が石徹白を通っていたというのも大きいのだろうね。
- 石徹白村も一部はその後も福井県に残った。
- 1958年10月14日に石徹白村の一部(三面、小谷堂)が福井県側の大野郡和泉村(現:大野市)に編入され、翌日15日に残部が岐阜県側の郡上郡白鳥町(現:郡上市)に編入合併された。
- んで、「いとしろ」と読む。
- かつてここの住民が一揆騒動を起こした結果、郡上藩金森家がお取り潰しという結果を産んだことがある。
- こんな騒動に至ったもともとの理由は、宗教紛争なんだが、それを鎮圧するために村人500人を追放100人弱を餓死させるという鎮圧法を取ったことが、取り潰しの要因になったとか。
- 石徹白騒動ね。ただし、郡上藩取りつぶしはこの石徹白騒動の影響もさることながら、「郡上八幡の噂」にある宝歴の郡上一揆のためという方が大きいと思われる。また、宗教紛争っちゅうか、寺がどこの系列に入るかでもめた内紛というか権力争い的な性格が強いように思われる。藩が下手に介入したのが失敗、それにより多くの人が困窮したのは確かなようだが。
- 石徹白の地名の由来は非常に由緒有るものである。
- 景行天皇の時代に、蝦夷が強い抵抗をしていたため、イザナギ・イザナミの二神がこの地に降臨し天皇を護るために千引岩を引き、「許等度渡し」(ことどわたし)という呪文を唱えたところ白雲があたりの山に立ち込めたとか。そこから一音or一文字ずつとって石徹白としたとか。
- 何の音/文字をとったら「いとしろ」になったのかよくわからんかったので調べたら「千引岩(石)」「許等(と)度渡し」「白雲」なのね。トンチ効かせすぎ、なんで普段「と」と読まない「徹」なんて字を…
- 石徹白の大杉はとにかく大きい、大木として有名。泰澄上人が白山を開いた時に使っていた杖がこの木になったとか言われている。
- 屋久杉を除けば、日本一のサイズであるとか。
- 面白いことに、縄文期の土器が発見されている。既にこの頃にはこの標高1000M地帯に人が住んでいたのである。
- しかもこれまた面白いことに見つかった土器の種類は、東海地方でよく見つかる形式のものと北陸地方で見つかる形式のもの、どっちもが揃っていたとか。この頃からこの地は奥美濃、奥越の結節点だったのだろうか。
- 元々神領だったため、この地の住民はみな社人と見なされ苗字帯刀を許されたとか。
- 因みに、社人達は宿坊を営み白山登山の案内を受け持つものが多かったとか。
- 越美線が全通していたら、ここを通るつもりだったらしい。
- 三面(サツラ)・小谷堂(コタンドウ)は引き続き福井県側だが、残部は岐阜県側に編入された。
- 余談だが、同じ岐阜県には長野県側から編入合併された旧木曽郡山口村(現:中津川市)もある。こちらが教訓にあったのだろうか?
高鷲の噂[編集 | ソースを編集]
- SA/PA:ひるがの高原SA
- 高鷲中心地から鷲見に抜ける道(インターから来て、高鷲小学校交差点で右へ行く道)にぽつんと大きな別荘らしき場所があるが、そこは火葬場。 その道を奥に進むと、サザエさんのオープニングに出た東海北陸自動車道の橋(鷲見橋)が見える。 その橋のビューポイントはスズケンの保養所。
- 読み方は「たかす」。なかなか読めない。
- 特に近鉄南大阪線沿線の人は「たかわし」と読んでしまいそう。
ひるがの高原[編集 | ソースを編集]
- 毎年冬になると高鷲スノーパークのテレビCMが流れるが、近畿地方でもOAされている。
- ひるがの高原は漢字で書くと蛭ヶ野。元々湿原だったので、蛭も多かったのだろう。
- 大島工業団地の近くの道路看板は今でも「蛭ヶ野」と書かれている
- ひるがの高原に太平洋側の長良川と日本海側の御手洗川(庄川支流)の分水嶺があるが、国道156号の脇の公園に、流れてきた水が両側に別れて流れていく池がある。面白いもんだと思うが、あれ、人為的に造ったのかな?
- 「ひるがの」という地名もあるが、サービスエリアや牧歌の里は全部地名としては鷲見になる。でも分水嶺公園は「高鷲町ひるがの」だから、まだマシっちゃあマシ。
- コキアパークというのがある。冬にはひるがの高原スキー場に生まれ変わるのだが、春~秋にかけては、とにかく広い草原に俗世にまみれた都会人は癒やされること間違い無し。
- 牧歌の里のチューリップ園が見事。
- 絶滅危惧状態にあることで知られる木曽馬に乗せてもらえる施設がある。
- あやめ沢湿原は蛭ヶ野最大の湿原。かつては湿原のど真ん中を突き抜く木道があったが、今は廃止されている。
- 実は戦後に引揚者が開拓した土地だったりする。長良川水源よりも高いところなので農業用水に苦労したそうな。
美並の噂[編集 | ソースを編集]
- 関連項目
- 「日本の人口重心の地」でむらおこししてきたが、重心はとっくに隣街に移動…
- それでも懲りずに「日本まん真ん中の里」の名でハコモノを造り続けてきた。
- 写真の案内板には「20世紀の」と注釈が打たれているが、現地(勝原子安神社)の碑や説明書きにはそのような内容はない(少なくとも2015年では)。
- 円空さんの出生地。木地師の息子だったらしく、円空仏と呼ばれる木彫りの仏像を全国にたくさんつくった。
- 星宮神社には円空さんとこの地域の暮らしの資料館が併設。
- 県道315沿いにはそれっぽい感じの木彫りの仏像がたくさん。
- 円空さんの出身地近くの粥川はウナギを食べるのは禁忌だそう。生息地は天然記念物になっている。
- 指宿市にも鰻を食べてはいけない地域があるらしい。
明宝の噂[編集 | ソースを編集]
- ハムで有名。
- もともとの地名は「明方(みょうがた)」だったが、「明宝ハム」が有名になりすぎて改名した。
- 喧嘩別れだったが、今では合併の影響で和解した模様。この2つのセット商品もある。
- 「明方ハム」とのセット商品。
- ちなみに、明宝の方は普通に見かける上、CMも流れているが、明方の方はかなりレア。
- 以前、名古屋市内のフィールに置いてあった。
- ここだけ旧町村名に「○○+町」と付かない。地名と認められていないのか。
- 1970年4月20日に奥明方村(オクミョウガタムラ)が明方村に改称。さらに1992年4月1日に明方村が明宝村(メイホウムラ)に改称。ややこしい。
- 改称に際しては村を二分する騒動となった。改称理由は以下のようなもので、ある意味では現状を追認するものであったが、村おこしのためとはいえ歴史ある慣れ親しんだ「明方」の地名を捨てることに抵抗のある村民も少なからずいた。
- 明方村を「みょうがたむら」と呼んでもらえず、「めいほうむら」と呼ばれてしまう。
- 村内の奥明方農協による「明方(みょうがた)ハム」が特産となっていたが、奥明方農協はその後の合併で郡上農協となり、ハムの生産拠点も村内から隣の八幡町に移転されてしまった。それに対抗して村は独自に第3セクターを設立、「明方村の宝」に由来する「明宝」をブランド化した「明宝(めいほう)ハム」の生産を開始、村内での雇用確保や知名度の向上といった村おこしに成功していた。
- 平成初期の平成元年(1989年)に開業した「めいほうスキー場」が知名度を得た。
- 村内の奥明方農協による「明方(みょうがた)ハム」が特産となっていたが、奥明方農協はその後の合併で郡上農協となり、ハムの生産拠点も村内から隣の八幡町に移転されてしまった。それに対抗して村は独自に第3セクターを設立、「明方村の宝」に由来する「明宝」をブランド化した「明宝(めいほう)ハム」の生産を開始、村内での雇用確保や知名度の向上といった村おこしに成功していた。
- 明方村を「みょうがたむら」と呼んでもらえず、「めいほうむら」と呼ばれてしまう。
- 群馬県川場村と似ているような……(by群馬県民)
大和の噂[編集 | ソースを編集]
- SA/PA:ぎふ大和PA
- せっかく高速道路上にバスストップがあったのに、高速バスのバス停をICを出た所に移してしまった(バスストップが無駄に)。
- おかげで白鳥への所要時間が延びた…
- バス停のある所は中心地から少々離れていて、車が無いと厳しい所。バリアフリーとかを考慮する意味あるのか?
- 古今伝授の里を名乗る。
- 戦国時代に奪われた城を和歌で取り返した武将がいる。東常縁(とうつねより)さん。古今伝授の人。
- 留守中に岐阜の斎藤さんに城を奪われたが、城を盗られた悲しさを歌った歌が敵の心を打ち、返してもらえたそうな。
- 戦国時代に奪われた城を和歌で取り返した武将がいる。東常縁(とうつねより)さん。古今伝授の人。
- 1985年10月31日までは郡上郡大和「村」だった。
和良の噂[編集 | ソースを編集]
- (藁
- 水系的には下呂市と同じ飛騨川(木曽川)系。
- そのため、郡上八幡から和良に行く道は途中これでもかと人家の無い山道を登る。本当に行けるのか不安になる。
- でも昔から美濃国であり、郡上郡だった。
- 影薄。
- 2013年8月現在も項目が作られない旧大和を差し置いてそれは無い。
- 下呂市目線
- お隣の下呂市民から見ると、和良までは行く気になるが、郡上八幡に行くとなると少し考えてしまう。濃飛横断自動車道が八幡まで通ればそんな悩みも無くなるのだろうが。交通の便から考えるとお隣、金山へ来る方が楽なのではないかと思ってしまう。
- 平野が多く感じる。うらやましい。
- 市町村を50音順に並べた時、長らく蕨市に次いで最後から2番目だった。