もし近畿日本鉄道が○○だったら

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独立項目[編集 | ソースを編集]

路線別[編集 | ソースを編集]

名古屋線[編集 | ソースを編集]

善光寺カーブが存在しなかったら
  1. 近鉄四日市駅は存在しない。
    • 亀山方面から名古屋に向かう際、四日市駅で近鉄に乗り換える客が多かった。
      • 国鉄時代の宝塚駅とよく比較されていた。
  2. 63系の割り当てを受けていたかもしれない。
    • 1972年頃にラインデリア付きの近鉄標準車体に載せ換えられるが、冷房改造(と同時に高性能化)されるまでは63系由来のMT40の響きを轟かせていた。
  3. 名古屋線の車両は早くから20m車を標準としていた。
栄まで乗り入れていたら
  1. 名古屋-栄間は、史実の名古屋市営地下鉄東山線と桜通線の間を通るルートとなった。
    • 桜通線は建設されなかったかもしれない。
  2. 近鉄名古屋駅の構造はJR・名鉄と交差する形になり、名鉄名古屋駅の拡張も早い段階で行われた。
    • モード学園タワー付近に駅が置かれていた。
  3. アーバンライナーは大阪側のみならず名古屋側でも都心に直結することになり、地の利を生かせていた。
  4. 地下鉄東山線の混雑が緩和されていた。
  5. 栄から先は名鉄瀬戸線に直通していたかもしれない。
    • 名鉄瀬戸線は昇圧・ルート変更と同時に1435mmへの改軌も実施されていた。
    • 直通運転区間は近鉄四日市-尾張瀬戸となっていた。
  6. 4000系の導入が早まっていた。

近鉄名古屋 - 名古屋伏見 - 近鉄栄

  • 近鉄栄は後に名古屋栄に改称。
  • 史実の近鉄伏見は「京都伏見」を名乗っている。
分社化されたら
  1. 鈴鹿線、山田線、鳥羽線、志摩線も同じ会社に分社化されている。
    • 湯の山線だけは別会社の可能性がある。
  2. 名阪甲特急は津駅まで、阪伊甲特急は伊勢市駅まで近鉄職員の越境乗務が行われることになる。
  3. 次々と新車が入り富吉・明星の各区から丸屋根車が数年以内に消える可能性が高い。

奈良線[編集 | ソースを編集]

生駒山を迂回するルートだったら

大阪電気軌道は上本町~奈良間に路線を建設する際、現実の生駒トンネルを掘削するルートの他に生駒山を北側に迂回するルートも検討されていたようです。もし奈良線がこの迂回ルートで建設されていたら…。

  1. 阪奈間の距離がかなり延びていた。
    • 恐らく石切から更に北上し、阪奈道路と同じようなルートで奈良県に入っていた。
      • そうだとすると、後に京阪奈線が成立してない。
    • 大東市四條畷市内に近鉄の路線や駅があった。
  2. 近鉄の社風がかなり変わっていた。
    • 青山トンネルを掘削して伊勢志摩や名古屋への路線展開はなかったかもしれない。
  3. それでも大型車両投入に伴い生駒山にトンネルが掘削され現実と同じルートにショートカットされている。
    • 旧線は廃止されるか、支線として存続。
    • その場合だと瓢箪山駅付近から長いトンネルが掘られていたかもしれない。
  4. 清滝峠越えを企図するとすれば、京阪と相互乗り入れしてた。
    • 清滝峠からまっすぐ西に進んで梅田方面に向かう路線も建設されていたかもしれない。
      • その場合、梅田地区の開発に近鉄も参入し、近鉄百貨店が梅田にもできていた。
      • 下記の通り奈良線が伊勢中川まで延伸していたら、アーバンライナーや伊勢志摩特急に梅田発着が設定されていた。
  5. そもそも奈良線だけで倒産していた可能性あり。
    • 史実で、生駒トンネルをぶち抜いて大赤字になった際、生駒山にある宝山寺の賽銭を資金として何とか経営を立て直していたらしい。なので、沿線の手助けがない迂回ルートでは倒産していたかもしれない。
近鉄奈良から伊勢中川まで延伸していたら
柳生
YAGYU
須川
SUGAWA
月ヶ瀬
TSUKIGASE
  1. 近鉄大阪線はせいぜい名張までの路線となっていた。
    • 名張から先は国鉄(→JR)名松線が連絡。名松線は名張まで建設され、文字通り名張-松阪間の路線となっている。
    • あるいは桜井か長谷寺までの開業に留まり。JR桜井駅まで当初の計画通り「桜松線」として建設されたかもしれない。
      • この場合近鉄吉野線は標準軌に改軌され、大阪・京都・橿原線と直通運転していた。大阪難波・大阪上本町・京都~吉野間に特急が運転されている。
    • 逆に伊賀線名張~伊賀神戸間を吸収し、伊賀神戸までは乗り入れていたかもしれない。
      • その場合は線路が接続されており、大阪~伊賀間の迂回ルートとして活用されていた。
  2. 名阪特急などの近鉄大阪線経由で運行している特急は全て近鉄奈良線経由になっている。
    • 大阪と伊勢方面を結ぶ快速急行・急行も近鉄奈良線経由になっている。
      • 上本町発着が難波発着になっている。
      • 一部の列車は2009年以降尼崎発着になっている。
    • 近鉄大阪線みたいに大回りすることないので所要時間は現実より短くなっている。
      • 名阪甲特急は名古屋-大阪難波間で2時間を切っていた。名古屋-鶴橋は最速1時間49分に短縮されていた。
    • 乙特急は近鉄奈良に停車。
    • 線路容量が限界に達したことから東大阪線が史実より早く開業していた。
      • 架線集電方式になった可能性もある。
        • 近鉄奈良線の事実上の複々線化の役割を果たしていた。
        • 学研奈良登美ヶ丘方面から難波方面に直通する列車や、逆に近鉄奈良方面から本町方面に直通する列車も設定されていた。
  3. 全ての乙特急は近鉄奈良駅に停車。
    • 名阪甲特急も停車していた可能性がある。
    • 2012年以降は名阪甲特急も全列車が停車し、2013年登場の「しまかぜ」も停車していた。
  4. ルートは近鉄奈良~柳生~月ヶ瀬~白樫~南上野(旧上野市街地南部に設置)~青山町といったあたりか。
    • 伊賀線も伊賀上野~南上野に短縮し、「上野線」とでもなっていた。
      • 伊賀上野から伊賀線に入っていた。少なくとも、伊賀線との接続は考慮されてた。
    • 逆に伊賀上野~名張が廃止されずに、「JR桜松線」と接続していた。
    • 月ヶ瀬付近で京都府をかすめるかも。
    • 柳生や月ヶ瀬・伊賀上野が大阪・京都から気軽に行ける観光地として発展していた。
      • 特に梅の季節になると近鉄が月ヶ瀬梅林を積極的に宣伝するようになる。
    • 南上野には乙特急も停車していた。
  5. 名古屋との結びつきが弱くなる。
    • 旧上野市も大阪のベッドタウンになっていた。
      • 逆に名張市は近鉄が宅地開発しなかったのであまり発展しなかった。
        • 奈良線通過区間の平地が少ないのと大阪線収益増加のために大阪線よりも行っていたかも?
  6. 京奈特急は減便されていた。
  7. 布施~生駒間は複々線になっていた。
  8. 急行「かすが」の廃止が早まった。
  9. 近鉄奈良駅周辺の併用軌道は史実よりかなり早く廃止されていた。
  10. 大和八木に近鉄百貨店は出店しなかった。奈良店も近鉄奈良駅に併設される形で出店していた。
近鉄奈良駅が地下化されていなかったら
  1. 奈良市内を走る近鉄電車が奈良の名物となっていた。
    • 2021年現在、30000系「ビスタカー」や阪神電車、京都市営地下鉄の車両も路面を走っている。
      • 特にダブルデッカーが路面を走る姿は全国でも唯一の光景として注目されていた。
      • 時間帯によれば「伊勢志摩ライナー」や「ひのとり」も走る。
  2. それでも架線電圧の600→1500V昇圧は行われていた。
  3. 近鉄奈良駅に10両編成が乗り入れることはなかった。
    • 10両編成は大和西大寺駅で増解結していた。
  4. 油阪駅の廃止はなかった。
    • 新大宮駅は現実と異なりさらに西側の奈良市役所近くにできていた。
  5. 近鉄奈良駅自体は駅の上に駅ビルが覆い被さるように建設されていた。
  6. 交通量の増加に伴い道路は拡幅されていた。
  7. 京阪京津線の上栄町~浜大津の路面区間は現実ほど注目されていない。
大和西大寺~近鉄奈良間が地下化されていたら

最近その計画が出てきたようです。

  1. 平城宮跡を行く近鉄電車は過去のものになっていた。
  2. 同時に大和西大寺駅が立体化され、ネックが解消されていた可能性もある。
  3. 西大寺車庫は移設されていたかも。
  4. 油阪駅が復活し、新大宮駅が西寄りに移設されていた可能性もある。

難波線[編集 | ソースを編集]

大阪線系統だったら
  1. 大阪難波駅は今より大きかった。
    • 逆に大阪上本町駅は今より狭かった。
    • 上本町-布施の複々線は線路別配線のまま。
  2. 当然阪神なんば線も大阪線と相互乗り入れ。
    • 阪神の快速急行は伊勢中川はおろか宇治山田、更には鳥羽まで進出していた。
      • もしこれが現実だったら私鉄最長の定期列車になっていたかも。
      • 無料の一般列車は史実の東武みたいに名張で系統分割される。
      • 阪神1000系はトイレ付車両になっていた。
        • トイレ付はあり得ない。なぜなら阪神車は名張以東には入らないから。
    • 2610系も阪神乗り入れ対応になっていた可能性が。
      • 5200系も。
      • 史実の東武みたいに名張で系統分割されるのは間違いないから、阪神乗り入れ対応にはならない。
    • 名張(または榛原)止まりになったでしょう。
    • 運用や使用料の問題から伊勢中川以遠に阪神車は乗り入れていなかったかも。
    • むしろ史実の東武みたいに一般列車は名張で系統分割されていたのは間違いない。名張以東の一般列車はワンマン運転の普通が中心のダイヤになる。
  3. 奈良線は冷遇されていた。
  4. 「アーバンライナー」は三宮発着となっていた。
    • さらに山陽姫路への直通が計画される。
  5. 大阪線でのホームドア設置が困難を極めていた。
  6. 乗車位置案内がかなり複雑化していた。
上本町駅地上ホームから延伸していたら
  1. 阪神三宮駅の様に上本町駅を無理やり通過構造に改造していた。
    • 阪神乗り入れに合わせて配線がより乗り入れに適した構造に改修される。
    • 戦災復興時に阪神直通線を高架で建設する案があったので、終戦直後に準備工事を行う→難波までそのまま高架で開業と言う流れになっていた。
  2. 近鉄百貨店の構造が昔の阪急三宮駅のようになっていた。
    • 震災の被害が神戸ほど大きくないので、耐震補強等を行った上で今でも営業している。
  3. 上本町からそのまま高架で建設された場合、難波駅は史実よりも南海寄りの場所に設置されていた。
    • 一方でこれが後年阪神なんば線を建設する際に禍根を残す事になる。すぐ地下に潜ろうにも、JR難波駅が邪魔になって設計が上手くいかなくなるだろうから。
  4. 上本町駅が高架化されなかった場合、上町筋の方が近鉄線をオーバークロスあるいはアンダークロスしていた。
全線複々線だったら
  1. 上本町の地上ホームの数が削減されていた。
  2. 難波の折り返し線の数が史実よりも多くなるはずなので、乗務員交代を桜川で行うような事態にはならなかったかもしれない。
    • 一方で阪神との相互乗り入れのダイヤ調整には史実よりやや手こずるようになっていた。
  3. 上本町~布施間の配線が若干異なっていた。
    • 史実の鶴橋の構造を考えると外側が奈良線、内側が大阪線になっていた可能性が高い。

けいはんな線[編集 | ソースを編集]

生駒以東が架線方式で電化されていたら
  • 旧東大阪線は史実通り第三軌条方式で開業したものとします。
  1. 東生駒駅が事実上の分岐駅になっていた。
    • 但し全列車が生駒駅まで乗り入れる形になっている。
  2. 阪神からの直通列車も少なからず存在していた。
    • 10両編成の場合は尼崎だけでなく生駒でも増解結を行い、6両が近鉄奈良、4両が学研奈良登美ヶ丘へ向かう運用にしていたかもしれない。
    • 間合い運用で阪神の車両が線内を往復するケースもしばしばある。
  3. 奈良線からの優等列車の乗り入れがあったとしても、けいはんな線内は全列車各停になっていただろう。
    • その列車には「区間急行」という種別が与えられ、停車駅は鶴橋以西の各駅・布施・石切以東の各駅となっていた。
  4. 第三軌条方式で建設された生駒以西の区間は現在でも「東大阪線」と呼ばれている。
  5. 学研奈良登美ヶ丘以東、高の原駅への延伸も現実よりも早く実現していた。
    • 高の原駅は京都方面に向かって京都線に合流する形で建設され、大阪難波~けいはんな線経由~京都の直通列車も設定される。
      • 大阪ミナミから京都への直通列車として重宝していた。
高の原まで延伸されていたら
  • その計画はあるそうです。
  1. 平城ニュータウンから大阪市内まで乗換なしで到達できるようになっていた。
    • 大阪人が奈良大学へ通学するのも便利になっていた。
  2. 高の原駅には生駒駅と同様、乗り換え改札が設置されていた。
    • あるいは京都線とは別駅となっていた。
  3. 急行運転が行われていたかも。
  4. ルートにもよるが、途中京都府内も通り、名実ともに「けいはんな線」となっていた。

大阪線[編集 | ソースを編集]

全通までに全線複線化されていたら
  1. 「青山峠の事故」はなかった。
  2. 現実の鳥羽線が戦前に開業していたかも

別の社名を名乗っていたら[編集 | ソースを編集]

現在の近畿日本鉄道の社名は1943年の関西急行鉄道と南海電気鉄道の合併により生まれたもので、戦後南海が離脱した後も社名はそのままになっています。もし近鉄が戦後別の社名を名乗っていたら…

全般[編集 | ソースを編集]

  1. 「近鉄」は近江鉄道のことを指すようになる。

関西急行鉄道を名乗っていた場合[編集 | ソースを編集]

  1. 略称は「関急」となる。
  2. 「近鉄○○」という駅名は「関急○○」となっていた。
  3. 近鉄百貨店」は「関急百貨店」となっていた。
  4. 「近畿日本ツーリスト」は「関急ツーリスト」となっていた。
  5. 現実以上に「近畿」より「関西」の方がよく使われるようになる。
    • 「近畿地方」は「関西地方」と呼ばれていた。
    • 近畿大学が別の名前になっていたかも。
  6. 1970年代に「関急電鉄」あるいは「関急鉄道」と社名変更していた。
  7. 大阪近鉄バファローズも「(大阪)関急バファローズ」に。
    • 「関急の投手は緩急(を投げ分けるの)が上手い」というだじゃれが出来ていた。
  8. 阪急電鉄と紛らわしいことこの上ない。
    • 阪急の正式名称は今も「京阪神急行電鉄」だっただろうか。
    • あまりにも紛らわしいので上記社名変更はせず、略称は「西急」(さいきゅう)を名乗っていた。
    • かつて東急が「東京急行」と称していたのと同じような感じで、「関急」ではなく「関西急行」と称していた。
  9. 近鉄バスも「関急バス」となっていた。

東京延伸が実現していたら[編集 | ソースを編集]

近鉄は過去に東京に延伸しようとしていたそうですが、結局実現しませんでした。もし東京延伸が実現していたら…。

  1. 東海道新幹線開業までは東京~大阪間で国鉄の特急「こだま」などと激しいデッドヒートを繰り広げていた。
    • ビスタカーは東京~大阪間の特急に投入されていた。
      • 長距離・長時間の運転となるため、リクライニングシートを備えたデラックスシート車とスナックコーナー付きラウンジ車が連結されていた。
      • 2010年代になって「しまかぜ」のような豪華列車が投入されていた。
        • 「しまかぜ」にも東京発着が設定されている。
        • 東海道本線や東海道新幹線と競合関係になっていた。
    • それ以外にも夜行列車が設定されていた。
      • 東海道新幹線開通後は東京~大阪(上本町)間の特急は廃止されるが、寝台特急で対抗している。
        • 1980年代後半以降は個室を中心とした車両に置き換えられている。
      • 私鉄の長距離夜行列車と言えば今でも近鉄超特急であり、東武の尾瀬夜行の知名度は現実ほど高くなかった。
      • JR東日本の「トランスイート四季島」やJR西日本の「トワイライトエクスプレス瑞風」のようなクルーズトレインも投入されていたかも。
        • その車両は阪神や山陽にも乗り入れている。
    • 東名まるとくきっぷで、高速バスとシェアの取り合いをして、新幹線の利用者も奪えてた。
      • さらに東阪間の航空路線の客も奪っていたかもしれない。特にLCCとは客の取り合いになっていた。
  2. 東京側は自ら路線を建設せず、小田急か京急を合併してそれに乗り入れていたかも。
    • 名古屋~豊橋間も愛電を買収していた可能性がある。時期によっては名鉄と合併していた。
    • 静岡鉄道や遠州鉄道も近鉄に買収されていたかもしれない。
      • 遠州鉄道を買収していた場合、遠近両用カードを発売していた。また浜名湖近鉄レストランは浜名湖遠近レストランと名乗っていた。
    • 掛川-豊橋間は国鉄二俣線の払い下げ、松田-沼津間は国鉄御殿場線の払い下げを利用していた可能性もある。
    • 愛電や小田急の吸収合併と国鉄御殿場線・二俣線の払い下げで東京進出した場合は、近鉄の軌間統一は1067mmで行われたかもしれない。
      • その場合は地下鉄千代田線と近鉄との相互直通運転も実施されていた。営団民営化後は特急の一部も北千住まで直通していた。
    • 小田急ではなく京急を合併していた場合、線形改良をして4扉の21m車を乗り入れさせていた。
      • この場合、都営浅草線は京成にしか乗り入れなかった。その代わり都営三田線が標準軌で建設され近鉄に乗り入れていた。
      • 京急を合併して標準軌で軌間統一した場合、旧京急線を線形改良するまで関東地区(品川~沼津)では3扉の18m車が引き続き使われていた。
    • 東海道ルートではなく伊那谷・甲府経由だったかも。この場合は東京方は京王を買収し、標準軌に改軌していた。井の頭線も買収していた場合、井の頭線は南大阪線のお古が走っている。
      • 井の頭線を近鉄が買収していなかったら、東急(または小田急)に編入されていた。
    • 小田急を合併していた場合、箱根登山線江ノ島電鉄も合併していた。
      • 近鉄沿線を代表する観光地に伊勢志摩とともに富士・箱根も入っていて、大阪や名古屋でも観光キャンペーンが行われていた。
        • 富士・箱根・伊豆では観光開発をめぐって西武・東急と三つ巴のデッドヒートが繰り広げられていた。
      • 江ノ電は近鉄の大型車両が走れるよう大改良されていたので、観光シーズンに大混雑して電車に乗るまでかなり時間がかかる、ということはなかった。
        • この場合路線が重複する江ノ電の藤沢~江ノ島沢と江ノ島線藤沢~片瀬江ノ島のいずれかが廃止されていた。
      • ネックとも言える渋沢~新松田間のショートカットなどの線形改良も行われていた。
      • 「ロマンスカー」は存在しなかったかも。
  3. 首都圏の通勤輸送があったため、近鉄の経営状態は現実よりも良かったかも。
    • 近鉄バファローズがオリックスブルーウェーブに合併されることもなかったかもしれない。
      • それに起因する球界再編問題やセ・パ交流戦開催もなかった。
    • 運賃も現実よりも安かっただろう。
    • でも途中区間(静岡区間など)が赤字となって、かえって経営が苦しくなっていた可能性も・・・
      • 静岡地区の普通列車には最古参の車両が最後の活躍をしていた。昭和時代は2200系や2250系が、21世紀に入ってからは旧ラインデリア車グループが余生を送っていた。
    • 2008年以降も通勤用の新型車両が各路線に投入されている。
      • むしろ2008年以降の通勤用新車投入は首都圏区間向けのみとなっていた。
  4. 近鉄百貨店が東京23区内に出店していた。
  5. 近鉄バファローズは東京でも主催試合を開催していた。
  6. 近鉄以外にも長距離の私鉄がいくつか実現していたかも。
    • 東武の仙台延伸も実現していた。
    • 山陽の岡山延伸も実現していた。場合によっては広島まで延びていた。
      • その場合山陽電鉄は大手私鉄になっていた。
    • 西武も秩父から軽井沢を経て長野まで延伸していた。
    • 京阪は江若鉄道を買収、敦賀・福井を経て金沢への延伸を果たしていた。
      • 敦賀-今庄の山越え区間は北陸トンネル開通で不要になった北陸本線旧線を払い下げ・電化のうえで使用していた。
    • 私鉄でも夜行列車の運転が盛んになっていた。
  7. 社名から「近畿」を外して「日本鉄道」になっていた。
    • 略称は「日鉄」あたり。
    • JR東日本の起源となる「日本鉄道」は「日本鉄道(初代)」などと区別されて呼ばれていた。
    • ついでに東武鉄道も「日本電鉄」に改称していた。
    • むしろ「東海道鉄道」だったかも。
  8. 本社が東京に移転してた可能性もある。
    • 案外本社は大阪に残るかもよ。近畿圏各線の管理を考えると。でも東京統括部は間違いなくできている。
    • 東京統括部は東京から浜松(もしくは静岡)までを管轄している。
    • 本社は大阪と東京の2本社制になっていたかもしれない。
    • 持株会社化による近鉄ホールディングスへの移行と同時に、鉄道事業は東西に分割のうえ分社化され、東側の鉄道事業会社は東京新宿に本社を置く「近鉄東日本」となり、西側の鉄道事業会社は従来と同じく大阪上本町に本社を置き、近畿日本鉄道の社名も引き継いでいた。
      • 東海道ルートなら浜松もしくは西鹿島あたりが、伊那谷・甲州街道ルートなら岡谷もしくは諏訪あたりが東西会社の境界になっていた。
      • 「近鉄東日本」は関東私鉄の仲間入りをし、Pitapaの他にPASMO陣営にも加盟していた。
        • ただPitapaでは他社線との直通では後払いが使えなかったので、関東では使用率が低迷していた。
        • 近畿日本鉄道管内からICOCAで乗り継ぎ、他社線で出れないという事態が多発していた。
          • 全国共通利用が早く行われていたかも。
          • そもそも会社間をまたいでICカードの利用は不可だった?
  9. これらに書かれていることが実現していた。
  10. 宮脇俊三氏「東京―大阪・国鉄のない旅」は無かった。
  11. 近畿車輛は関東にも工場を持っていたかもしれない。もし関東に工場を持たなかった場合は東急車輛にも一部の関東向けの車両の製造を発注していたかもしれない。

近鉄特急が阪神なんば線に乗り入れたら[編集 | ソースを編集]

今のところ、団体客向けの臨時列車のみ乗り入れていますが、もし、一般特急も乗り入れていたら…

  1. 名阪特急(アーバンライナーも含む)、阪伊特急(伊勢志摩ライナー、しまかぜも含む)、阪奈特急が乗り入れていた。
    • 2020年に登場する新型名阪特急の車両は阪神乗り入れを考慮した前面貫通型の構造となっていた。
    • 阪奈特急は南海サザン名鉄特急のような自由席+指定席の編成になっていたかも。
  2. 阪神沿線から志摩スペイン村へアクセスするのに便利になっていた。
  3. 山陽姫路への乗り入れも検討されるようになっていた。
    • 近鉄特急車両による山陽沿線から伊勢志摩への修学旅行列車も運行されていた。
    • こうなっていた。 
  4. 22600系はさらに増備されていた。
    • その分12200系の置き換えが早まっていた。
    • 2020年に80000系が投入されると12400・12410・12600系も置き換えの対象になっていた。
  5. 2025年に大阪・関西万博が開催されると万博会場へ直通する大阪メトロ中央線との乗換駅である阪神九条駅に特急が臨時停車していた。

近鉄が近畿地方のほぼ全ての私鉄を買収していたら[編集 | ソースを編集]

戦時中に種田虎雄主導で構想があった模様。それに伴い関東は五島慶太主導で東急化する話だったとか。

  1. まさに「近畿日本鉄道」の名は体を表していた。
  2. 有料特急が縦横無尽に走る。
  3. 和歌山県や滋賀県にも路線がある。
    • これらの県に近鉄百貨店があることを誰も不思議に思わない。
      • 梅田にも近鉄百貨店があった。
  4. 関西のプロ野球球団の歴史が大幅に変わる。
  5. 大阪メトロも近鉄傘下になったりして。
    • 市営モンロー主義が失敗したかも。
  6. 京阪神間では運賃は現実よりかなり高くなっていただろう。
    • 大阪~神戸・京都でも片道500円を超えていた。
    • 2023年の運賃大幅値上げが関西全域に及び、現実以上に苦情が続出していた。
    • 「私鉄王国関西」という言葉は存在しなかった。
      • 利用客はさらにJRに流れていた。
  7. 阪神なんば線は近鉄の路線として戦後の高度成長期のうちに開業している。
    • 丹波橋を介して現実の京阪本線と近鉄京都線の乗り入れも現在まで継続されている。
  8. 関西の民営バスの多くも近鉄系列になっていた。
  9. 関西テレビは近鉄系列になっていた。
    • 宝塚歌劇団も。
  10. 阪神タイガースは存在しなかったか、「近鉄タイガース」になっていた。
  11. 関東でも大東急が首都圏のほぼ全ての私鉄を買収していた。
  12. 2025年の万博に近鉄もパビリオンを出展していた。