ざんねんな内閣総理大臣事典/昭和時代戦前

ナビゲーションに移動 検索に移動

昭和時代戦前[編集 | ソースを編集]

田中義一[編集 | ソースを編集]

  1. 昭和天皇にメチャクチャ怒られたことでメンタルを壊し首相を辞任し、その後まもなく持病の心臓病の悪化で亡くなった人物。
    • 昭和天皇が激怒した理由は「関東軍が張作霖爆殺事件に関与した疑いがあったにもかかわらず、田中内閣が調査に乗り出したのが遅かったため」。
      • ちなみに昭和天皇は「自分が田中を厳しく叱ったことが内閣総辞職どころか田中の死に繋がった」と後悔しており、それ以降は政治に不満があっても一切口を挟まないように決めたという。
      • 個人的には怒る理由としては真っ当だと思うがな。中国のみならず諸外国から総バッシングされる可能性もあったわけだし。
        • 怒ること自体はしょうがないんだけど、昭和天皇は冗談抜きで神様的な存在なので普通の偉い人の感覚で怒っちゃいけなかったんだよ。自分が下手に発言すると本当に人が死にかねないというのを身を持って体感するはめになったということ。
    • 幣原喜重郎の協調外交を転換し、積極外交に方針を変えた首相である。
  2. 政治家としては評価が低いが、人柄は良かったらしい。
  3. タモリこと森田一義氏の名前は田中義一が由来。
  4. 同姓の田中角栄元首相に比べて知名度が低い。
    • 但し下層階級から叩き上げたという点では角栄と義一は共通している。角栄のニックネームが「今太閤」なのに対し義一のニックネームも「おらが宰相」。義一の口癖が「おらが」だったことに由来。
  5. 評価できる点があるとすれば、高橋是清を大蔵大臣として入閣させたので経済は安定していたこと…くらい。

濱口雄幸[編集 | ソースを編集]

  1. 高知出身の政治家。第27代内閣総理大臣。
    • 誠実な人柄から「ライオン宰相」として親しまれ国民からの人気が高く、主な功績としてはロンドン海軍軍縮条約を結んだことがあげられる。
  2. だが経済面での評価は非常に低い。
    • 大蔵大臣の井上準之助が金解禁と緊縮財政を実行し、世界恐慌下の日本経済をドン底に突き落とした戦犯と言われている。
  3. 1930年に東京駅で銃撃され、重傷を負った。
    • その時は懸命な治療のおかげで一命を取り留めたものの、政敵の鳩山一郎(鳩山由紀夫氏の祖父)によって無理やり国会に出席させられ、容体が急速に悪化し、銃撃事件の半年ほど後に亡くなってしまった。

犬養毅[編集 | ソースを編集]

  1. 平和主義者だったと思われがちだが、野党時代は軍部とグルになって与党(浜口雄幸内閣)を攻撃したことがある。
    • 鳩山一郎と共に統帥権干犯問題に火を付けた人物である。
      • 軍部が統帥権の利用価値に気付き、政治家からの批判を全て「統帥権の干犯」として押しのけるようになってしまい、結果として軍部の暴走を手伝ってしまった…。
    • しかも犬養は元々軍縮賛成派だったにもかかわらず、浜口のロンドン海軍軍縮条約調印に反対するだけのために軍縮反対派に寝返ったのである。
  2. 首相に就任した後は軍縮賛成派に戻ったのだが、それが軍部の怒りを買って暗殺された。五・一五事件である。
    • しかも国民が同情したのは犬養ではなく軍部だった…。
      • 犬養を暗殺した犯人たち(海軍の青年将校)に対しては軽い刑が科されただけ。これが原因となり4年後により重大な二・二六事件が発生することに…。
        • 515の犯人たちを死刑に処していれば226も大東亜戦争も無かったんじゃね?という意見もある。
    • これにより政党政治が終わってしまった。以降、挙国一致内閣が続き、軍部が強大な権力を握る時代に突入してしまう…。
      • これ以降の首相は殆どが武官であり、敗戦までの文官の首相は広田・近衛・平沼の3人だけとなっている。
  3. 毒舌が多かったために敵が多かった。
  4. シチューや油っこいパンが大好物だったが、妻が洋食嫌いだったために、家では食べさせてもらえなかった。
    • 理由は「家がバター臭くなるから」。

斎藤実[編集 | ソースを編集]

  1. アメリカ留学の際に「細身の体格」がコンプレックスとなり、太って体力をつけるためにビールをがぶ飲みしている。
    • 海軍軍人だった斎藤は体格を良くするためにビールを毎日大量に飲んだ。
      • 作戦は見事成功しました。
    • また、西郷従道(当時の海軍大臣)と共にヨーロッパに行った際、当時外交官だった原敬に借金をしている。
      • 参謀本部から支給された旅費を酒代に使ってしまったため、お金を借りないとアメリカに帰れない状況だったため。
  2. シーメンス事件(ドイツの造船会社が日本海軍に賄賂を渡していた汚職事件)で当時首相だった山本権兵衛と海軍大臣だった斎藤が責任を問われ失脚に追い込まれた。
    • しかしそれでも何度でも復活した。
  3. 国際派の首相として期待されていたが、結局は満州国を承認し国際連盟を脱退したことで日本の孤立化を深めてしまった。そのため斎藤内閣の評価は低い。
    • ちなみに犬養毅が暗殺された後、犬養と同じ立憲政友会の鈴木喜三郎が首相になる予定だったが、陸軍が反対したため斎藤が首相になった。
  4. 軍部の中では比較的良識派だったのだが、最期は二・二六事件で暗殺された。(当時の首相は岡田啓介)
    • 首相退任後も昭和天皇からの信頼は厚く、内大臣に任命された。
    • ちなみに斎藤同様226で暗殺された高橋是清とは親友。斎藤、高橋共にアメリカ留学経験があり、英語力も非常に高かった。

岡田啓介[編集 | ソースを編集]

  1. 福井出身の海軍軍人。第31代首相。
  2. 在任中に二・二六事件が起こる。
    • 岡田本人は間一髪で助かったものの、秘書官の松尾伝蔵が殺害されてしまった。
      • 斎藤前首相、高橋蔵相も殺害されてしまった。
    • 結局、責任をとって辞任してしまった。
    • なお515の時と違って、226事件を起こした陸軍の青年将校たちに対しては厳しい刑が科された。(17人に死刑判決が下された)

廣田弘毅[編集 | ソースを編集]

  • 「広田弘毅」とも書く。
  1. A級戦犯として死刑になった7人の内の一人。その中で唯一の文官である。
    • 東条英機をはじめとする他6人は全て武官(軍人)であり、逮捕される直前に自決した近衛文麿や病死した松岡洋右に代わって「どうしても連合国が文官を一人死刑にしたかった」という理由で死刑判決を受けた悲劇の人物…。
      • 実際、連合国側の中にも「広田の死刑判決は不当である」と抗議した者も多かった。
    • 広田に同情する意見が多いのは、「落日燃ゆ」という小説で悲劇のヒーローとして描かれていたことも大きい。
  2. ただ、(死刑の是非は置いておいて)広田がやったことは実際かなり酷かったのも事実ではある。
    • 首相として就任した後、軍部の言いなりとなって軍部大臣現役武官制を復活させ、結果的に軍部の暴走を助長してしまった。
    • 外交官としては有能だったらしく首相になる前は協調外交を心掛けていたが、首相になってからは軍部(特に陸軍)の操り人形になってしまい、日中戦争にも協力してしまった。
      • かつて広田を尊敬していた部下も、広田が軍部に迎合するようになってからはかつての上司だった広田を見限っている。
  3. 平和主義者だったと思われているが、実は右翼団体「玄洋社」の社員だった。
  4. 実は昭和天皇からは近衛文麿と並んでメチャクチャ嫌われていた。そもそも昭和天皇は当時の右翼系の人間のことは例外なく嫌悪していた。
  5. 東大出身者で死刑執行された数少ない人物である。
    • 他にもオウム真理教の豊田亨などがいるが…。
  6. 数少ない庶民階級出身の首相だったことから、昭和天皇から「大丈夫なのか?」と心配された。
    • 昭和天皇からは「絶対に名門を崩すな」(≒華族制度、貴族院を尊重しなさい)と念を押されていた。
    • 他の首相は実家が地元の名士だったという人が多いので…。

林銑十郎[編集 | ソースを編集]

  1. 石川出身の政治家、陸軍軍人。
    • 阿部信行、森喜朗は同郷である。
  2. 決断力には欠けていたが他人の意見に耳を傾ける性格だったことから皇道派の石原莞爾に推されて第33代首相になった。
  3. しかしその性格が災いして首相になってからは急に統制派になり、予算を通したらすぐに衆議院を解散させてしまった。
    • 軍部に協力的な昭和会や国民同盟の勢力を伸ばすことを目指していたが、マスコミからは食い逃げ解散だと批判され、国民からも失望され、結局は政友会や民政党に負けてしまった。
      • 最終的には内閣総辞職…。
  4. 当時としては歴代最短政権であり特に実績も無かったことから何もせんじゅうろう内閣と言われてしまった。
  5. 敗戦より前に亡くなったため、皮肉にも戦犯にならずに済んだ。

近衛文麿[編集 | ソースを編集]

  1. 後述の東条英機と並んで「史上最低の首相の一人」に数えられることが多い人物。
    • 戦後生まれの人間だと「むしろ東条よりもイメージが悪い」って言う人も多いかも…?
  2. 血統の良さだけで持ち上げられた人物だったため、リーダーシップはまるで無かった。軍部の暴走を抑えつけることができず、日中戦争を泥沼化させてしまった…。
    • しかし(海軍の影響もあっただろうが)本心は平和路線を追求していたらしく、強硬派の松岡洋右をクビにしたりもしている。
      • たしかに日中戦争の責任者であったことは非難されるべきだが、それでも近衛本人はアメリカとは戦いたくなかったようだ。だから多少は同情の余地もある。ちなみに近衛内閣が崩壊したのは当時陸軍大臣だった強硬派の東条英機がゴネたため。
  3. 難局に遭遇するとすぐに投げ出す「弱い人物」と言われることが多い。
    • そのため昭和天皇からは東条英機以上に嫌われていた。
    • ちなみにその性質は孫の細川護熙氏にも引き継がれている。
  4. 日本の歴代宰相の中で最も若くして亡くなった人物。かつ死因が自殺である唯一の人物である。
    • 理由は「戦犯に指名されたことが恥ずかしかったから」。しかしそれでも「戦陣訓」を出しておきながら自分はそれに従わなかった東条英機よりはまだ「男らしかった」と言えるかもしれない…。
  5. きわめて裕福な家庭で育ったと誤解されがちだが、実は父親の近衛篤麿は多額の借金を背負っていたため、文麿は子供時代は貧乏な生活をしていたのだとか…。
  6. 西園寺公望が近衛を自分の後継者として育てようとしたのだが、西園寺が親欧米派だったのに対し、近衛はアジア主義者かつ社会主義に関心を持っていたため、上手くいかなかった。
    • 実際、晩年の西園寺は近衛を首相に指名したことを非常に後悔している…。
    • 近衛が京大に進学したのも当時京大教授だったマルクス経済学者・河上肇を慕っていたから。首相になってからの近衛のブレーンには後にゾルゲ事件で逮捕され死刑となった尾崎秀実がいた。そのためか昭和戦前期の首相では珍しく左翼・革新系の人から人気がある。
  7. 大東亜戦争開戦時の首相と言えば東条英機が有名だが、食料品の配給制度の導入や日独伊三国同盟の締結、大政翼賛会の創設などの戦時体制の確立は近衛内閣で行われている。
    • だからこそ近衛がアメリカと戦争をしたがっていたと誤解されがち…。
  8. 逮捕寸前で自決したため戦犯指定を免れたが、もし仮に東条同様自決に失敗していたら、確実に終身刑以上の判決になっていた。
    • 一応近衛は和平工作も少しはやっていたので、もしかしたら死刑は免れていたかもしれない。しかしやはり日中戦争の責任は重いので、良くて終身刑。
      • ただ広田弘毅が近衛や松岡の代わりに死刑になったことを考えると、やはり死刑になっていた可能性も低くは無かったと思う。
  9. アメリカとの関係が最悪のタイミングで首相を投げ出したため、「都合が悪くなるとすぐ逃げる人物」と後世からの評価は非常に低い。
    • ただこれは近衛本人だけでなく第三次近衛内閣の幹部だった東条のせいでもあるため同情する意見も多い。次に首相となる東条が自分で自分の首を絞めた結果(自業自得)とも言える。
      • 近衛「俺にはアメリカと戦争する自信が無い。自信がある奴がやってくれ!」
  10. 次の首相(東条英機)を決めるための重臣会議を、病気を理由に欠席している。前の首相だったにもかかわらず、である。
    • しかもこの会議、当時91歳の清浦奎吾ですら出席していたので、「その近衛の病気というのは老体の清浦より悪いのか?」と批判されている。

平沼騏一郎[編集 | ソースを編集]

  1. 右翼団体「国本社」を創設するほどの極右主義者。
    • 平沼と正反対のリベラル派・親英米派の西園寺公望とは犬猿の仲だった。
  2. 一応大東亜戦争が始まってからは同じく首相経験者であった岡田啓介や若槻礼次郎などと協力して東条内閣を倒そうとしている。そのため和平工作に尽力したと評価する声もある。
    • しかしその割には降伏反対も唱えており優柔不断で立場が一貫しておらず、昭和天皇からは厳しく批判されている。
  3. A級戦犯として終身刑になった。
    • 刑務所では深夜に大声で泣き出したり、「西園寺公望こそが国を誤った元凶だ!」などと叫ぶなど奇行が目立った。
      • 精神衰弱を理由に仮釈放され、その後すぐに亡くなった。
  4. 実は司法省の官僚としてはかなり有能だったらしく、犯罪者の指紋登録を考えたのは騏一郎である。
    • 総理大臣就任前に検事総長、大審院院長(現在の最高裁判所長官)、司法大臣(現在の法務大臣)のポストを経験した。
  5. 今となっては騏一郎よりも養子の平沼赳夫(血縁上は騏一郎の兄の曾孫)の方が有名。
    • 赳夫も尊敬する政治家・目標とする政治家として養父・騏一郎の名前を挙げていた。

阿部信行[編集 | ソースを編集]

  1. 平沼騏一郎が退陣した後に「他に相応しい人間がいない」という消極的な理由で首相に選ばれた人物。
  2. 陸軍の中では良識派であり日中戦争の決着や協調外交を目指そうとしたが、反感を買って半年にも満たずに内閣総辞職。
  3. 一度はA級戦犯として連合国に逮捕されたものの、目立った罪状を見つけることができず、証拠不十分として釈放された人物。連合国から見ても影が薄い人物だったようだ…。
  4. 一応学生時代は成績優秀だったらしく、陸軍大学校卒業時には明治天皇から「恩賜の軍刀」を頂いている。政治家にさえならなければ後世の評価は多少はマシだったかも?
  5. 朝鮮半島では何故か安倍晋三元首相の祖父であると誤解されている(それも一般人だけでなく歴史学者にも…)が、血縁関係は全く無い。
    • ちなみに安倍元首相の父方の祖父は安倍寛、母方の祖父は岸信介元首相である。

米内光政[編集 | ソースを編集]

  1. しばしば山本五十六と並んで「海軍の平和主義者の一人」に数えられることが多いが、正直美化されすぎ。日中戦争を悪化させた責任や首相としての無能ぶりはあまり語られない…。
    • 百歩譲って大東亜戦争(太平洋戦争)についてはほぼ陸軍が悪いとしても、日中戦争に関しては海軍にも陸軍と同じくらい責任がある。
    • 首相にはならなかったが山本も米内同様美化されすぎている。米内と山本の最大の功績である日独伊三国同盟反対も米内や山本以上に2人の親友である井上成美(最後の海軍大将として有名)が最も強硬に反対していたというのが事実。しかも井上は海軍兵学校長として陸軍が掲げる英語教育廃止論を退け「自国語しか話せない海軍士官などは、世界中どこへ行ったって通用せぬ」として海軍兵学校での英語教育を最後まで止めなかった。井上は盟友の米内や山本と異なり「帝国海軍きっての知性」と呼ばれた。
  2. 成績はあまり宜しくなく、学生時代はお世辞にも優等生とは言えなかったらしい。
  3. 米内の人物像や功績を後世に伝えることを目的とした米内光政会という秘密結社があったが、長い間活動を休止していた。
  4. 戦争回避を目的として作られた内閣だが、陸軍の抵抗に遭い、僅か半年しか保たなかった。
    • 陸軍が陸軍大臣の畑俊六を辞めさせたため、米内内閣そのものが総辞職に追い込まれてしまった。(当時は1人でも閣僚が辞めると首相も辞めなくてはいけないというルールだったため)
      • さらに広田弘毅が復活させた軍部大臣現役武官制を陸軍に利用されてしまったのも痛かった。
    • なお昭和天皇は「米内内閣があのまま続いていれば戦争にはならなかった」と仰っていた。
      • 「じゃあ昭和天皇が米内を辞めさせなければ良かったじゃん」とは言ってはいけない。
  5. 小磯内閣では小磯首相の能力不足を理由に海軍大臣兼サポート役として入閣している。
    • しかし戦況の悪化を止めることはできなかった。
  6. GHQのマッカーサーから手紙が来て「貴方の経歴は全て調べた。貴方を戦犯に指定することは絶対に無い。今度、一緒に東条をいじめようぜ。」と書かれており、後で出席した東京裁判では東条英機に対して不利な証言をしまくった。
    • もっともその殆どが事実ではあったのだが…。

東條英機[編集 | ソースを編集]

  • 「東条英機」と書くこともある。
  1. しばしば「太平洋戦争(大東亜戦争)の直前で運悪く貧乏くじを引いて総理大臣になった人」と同情されることが多いが、その不幸の原因を作った最大の元凶がこの人であるということはあまり知られていない…。
    • 前任の近衛文麿内閣で陸軍大臣だったのが東条英機。対米戦争に反対していたと誤解されがちだが、事実はその真逆で、むしろ開戦を煽りまくった人。
      • しかも太平洋戦争の遠因にもなった日中戦争を強力に促進したのも東条英機。
      • そもそも首相になる直前まで強硬派のリーダー格だった人間が首相になってから急に平和主義者になるはずなどないと思うのだが…。
    • そもそも東条自身が好戦主義者だったため、「たまたまタイミングは悪かった」は当てはまらないと思う…。
  2. 「ヒトラーと違って独裁者ではない」という意見もあるが、その割には総理大臣だけでなく沢山の大臣を兼務。強力な権力を握っていた。
    • また、身内には甘い一方で、少しでも自分に対して批判的な人間に対しては容赦なかった。
      • 憲兵を使いまくって恐怖政治を行った。
        • 東條を批判した中野正剛は逮捕され、保釈直後に自殺した。松前重義は逓信省局長で勅任官であるにもかかわらず東條によって陸軍二等兵として召集令状がきて、南方に送られた。
        • 中野正剛の逮捕では側近から「証拠も無いのに逮捕できない」と難色を示されたが、強引に逮捕した形となった。
  3. 日本とアメリカの国力の差が非常に大きかったのは事実。にもかかわらず「根性さえあればアメリカも怖くない」と豪語するほどの重度の精神論者。
    • 東条が重度の精神論者だったことを示すエピソード。「根性さえあれば1+4=80にもなり得る!」と発言し、「致命的に算数ができない首相」と揶揄された。
      • これは「東条英機の算術」とも呼ばれ、戦時下の松下電器産業の社内スローガン「2+2=80」のモデルにもなった。
  4. 「極東国際軍事裁判(東京裁判)で昭和天皇を守ったヒーロー」と言われることがあるが実際には東条は全く関係なく、東条がいなくても昭和天皇はアメリカの強い意向で無罪が確定していた。
    • それどころか東京裁判で「我々日本人は誰もが天皇の命令に従わなければならない」という超弩級の失言もかましている…。
      • 田中隆吉が東条を説得し、アメリカが東条の失言を撤回させたため事なきを得たが、この東条の失言によって昭和天皇を訴追したがっていたソビエト連邦や中華民国が態度を強めたのは事実であり、最悪の事態だと昭和天皇が死刑になってしまう可能性すらあった。
  5. 本籍地は岩手県盛岡市で本来ならば「岩手県出身の内閣総理大臣の5人目」と認められるべきなのだが、英機本人は東京都千代田区生まれなので、原敬や米内光政などと異なり岩手県では地元出身の首相とは認められていない…。
    • ちなみに英機の父親の東条英教が盛岡育ちである。
  6. 左翼どころか右翼ですらこの人を高く評価する人はほとんどいないという事実…。
    • 故・石原慎太郎氏ですら東条を酷評していた…。
    • 全方位からとにかく評価が低い人物である。
  7. 「昭和天皇からの信頼が厚かった」と言われているが、それは他の陸軍の面子がお粗末な報告しかしなかったのに対し、東条は細かいところまでちゃんと報告してくれるのでその点は見直したってだけ。
  8. 「東条は開戦回避のために努力した」と言う人がいるが、そんな記録は全く存在しない。海軍の山本五十六や米内光政などは残っているが。
  9. 「ボンボンの近衛文麿と違って東条英機は立派な人物!」と擁護する人が多いが、そういう人は「英機も陸軍中将の息子なのでボンボンである」ということに気付いていない…。
    • しばしばアドルフ・ヒトラーと比較されるが、ヒトラーは貧しい家庭で育ち最終学歴も中卒だったため、おぼっちゃまだった東条英機とは対照的である。
  10. 大東亜戦争の日本側の最高責任者であったにもかかわらず、米軍に逮捕される直前まで(自分が逮捕される可能性があることすら気付いておらず)「これからは戦後の平和な世の中に貢献したい」などと呑気なことを言っていたのだとか。
  11. 「東条英機が開戦を回避できなかったために皇居に向かって号泣した」という話が有名だが、孫娘の東条由布子氏(故人)による作り話である。
    • ちなみに由布子氏は結婚して一旦別の姓に変わったにもかかわらず、大好きなおじいちゃんの名誉を回復させるためにわざわざ東条姓に戻したらしいw
      • ただこれに関しては由布子氏が戦後、学校で壮絶ないじめを受けたというのもあるので、多少は同情の余地がある…、かも?
        • 「東条くんのお爺ちゃんは泥棒よりも悪いことをしました!」と当時の担任教師が言ったらしい。
  12. 政治家ではなく官僚としては有能だったらしく「カミソリ東条」のあだ名があるが、具体的にどんな功績があったのかを語れる人間はほとんどいない…。
  13. 「同盟国であるナチス・ドイツの手からユダヤ人を守ったヒーロー」と誤解されることが多い。それは杉原千畝氏だろ定期。
    • 陸軍では極寒の満洲でユダヤ人難民を救った樋口季一郎がいるが、見るに見かねての決断だった。ドイツは「樋口を処罰しろ」と猛抗議したが、当時樋口の上官だった東條がその処分を不問にしただけ、東條はユダヤ難民救出には関与していない。
    • とはいえナチスのユダヤ人虐殺に加担しなかったのも事実ではある。この点は普通に偉いと思う。
  14. 当時東大と並ぶエリート大学と言われた陸軍大学校を卒業しているが、実は留年を繰り返していたことはあまり知られていない…。
    • 部下の石原莞爾から「東條上等兵」と陰口を叩かれた
  15. 長州閥が大嫌い。
    • 理由は父親が長州閥の連中のせいで出世できなかったため。
  16. 史実では東京裁判で死刑判決を喰らったが、もし仮に東京裁判が無かったとしても上記の恐怖政治を行った罪などを問われて死刑になっていた可能性が非常に高い…。
    • 時々「東京裁判は連合国による復讐劇」だの「茶番劇」だの言って「東条英機は英雄だ!」と擁護する人間がいるが、そもそも東条は日本人から見ても「国賊」と呼ばれても仕方ない人物であり、「東条が始めた戦争で惨敗し餓死者が沢山出た日本で、日本人の代わりに連合国が東条を処刑してくれた」という考え方すらある。
  17. 歴代首相の中には「あいつはお粗末だった」と言われる人間が何人もいるが、実際に国を潰すレベルの大失態を犯してしまったのは東条英機だけ。
    • 「あの鳩山由紀夫氏や菅直人氏ですら、(少なくとも結果論で言えば)日本を焼け野原にした東条英機よりはマシだった」と言われる始末…。
  18. 悪名高い「戦陣訓」を出した張本人。
    • にもかかわらず英機本人は米軍にあっさりと逮捕されてしまった(笑)
  19. 靖国神社には一般の兵士の方々だけでなく東条英機など戦争指導者も一緒に祀られているが、果たして自称右翼さんたちは「不幸にも亡くなってしまった一般の兵士の方々が東条英機のことをあまり快く思っていない」ということを知っているのだろうか…。
    • だから歴代天皇は靖国神社に参拝しないのである。
  20. 「東条英機は昭和天皇の忠臣だった」という人がいるが、そもそも天皇陛下は開戦に反対していたし、その天皇陛下の反対を押し切って開戦したのが東条英機である。どこが忠臣なのだろうか。
    • 東条英機を忠臣と言っている人たちは、果たして昭和天皇が本気で戦争をしたがっていたと思っているのだろうか…?
    • むしろ東条(だけでなく陸軍全体の話だが)の方が昭和天皇を操り人形のように利用したようにすら思える…。
  21. 意外にも部下に対しては優しかったらしく、自分の失敗を部下に責任転嫁することはしなかった。一応これは誉められる点かも。
    • しかし非常に細かい点まで部下に聞く癖があり、やはり上司にしたら面倒くさい人ではあったと思う。
  22. よく「東条英機は家族想いの人間だった」とか「東条英機は人格者だった」などと擁護する人がいるが、残念ながらそんなのは政治家としての評価には一切関係ない。
    • そもそも東条は身内には甘かったがライバルに対しては陰湿ないじめを平気で行っていたため、お世辞にも人格者だったとは言い難い…。
    • ちなみに東条英機の家族や遺族には戦争責任は一切無い。念のため。
    • 社会的に極悪人とされている人間でも1つくらいは良い点があるのは常識。あのアドルフ・ヒトラーですら芸術を愛する人という面があったのだから。
  23. サイパンの戦いで降伏した責任を取って首相を辞任したことになっているが、実際には海軍などによる激しい倒閣運動に勝てなかったために「辞めさせられた」だけ。
    • ちなみに東条内閣の商工大臣だった岸信介も東条首相を裏切っている。だから戦犯指名リストから除外されたのである。
    • 指導者として余りにも無能だったにもかかわらず恐怖政治を行い権力にしがみついたため、海軍どころか陸軍内でも東条首相暗殺計画があった。もし東条が首相を辞めていなければ敗戦より前に暗殺されていた可能性すらあった。
  24. 終戦後ピストル自殺しようとして銃口を胸に当てたが、手元が狂って一命を取り留めてしまった。
    • 「自殺するならなぜ銃口を頭に当てなかった!」「生き恥さらした」と今も言われ続けている。
      • 公家の近衛文麿ですら自決を成功させていたため、「貴様はそれでも軍人か!?」と大バッシングを受けた。
    • そもそも本当に自決する気があったのかどうかすら怪しい。狂言説もある。
      • ちなみに敗戦の責任を取って自決した高級軍人は30人以上いた。また、女性でも(後を追って)切腹する人がいたのだとか…。
      • 開戦時の参謀総長の杉山元は自決し、妻もその後を追った。
    • そして「昭和天皇を守るためにあえて生き残った」と擁護する者もいるが、それは自決に失敗したからという結果論であり、もし仮に自決に成功していたら天皇を守れないという矛盾点に気付いていない…。
  25. しばしば一部の自称左翼さんが言うような「残忍な独裁者」や「狂人」のイメージとは程遠い人物である。誤解が多いという意味で「ざんねん」な人物でもある…。
    • 東条英機の評価が低いのはむしろ「視野が狭く大局観やリーダーシップに欠けていたこと」「独裁者としての能力すら中途半端だったこと」などが理由。少なくともヒトラーやスターリンなどと比べてかなり小物。せいぜいムッソリーニと並ぶかどうかレベル。
  26. 金銭面ではクリーンな人物であり金権政治の類は一切やっていなかった(これは事実だが、だからといって良い政治家だったと擁護するわけではない)のだが、東京裁判では連合国によって汚職の罪をなすりつけられてしまった。
  27. 日本がポツダム宣言を受け入れて降伏した際に「国民がこんなに意気地なしだったとは思わなかった。たった2発の原爆で降伏してしまった。」などという、あまりにも無責任すぎるメモを残している。
    • 「本土決戦になってでも最後まで戦うべき」と本気で思っていた…。困った人物である。
  28. 東条信者の中には「東条だけが悪かったわけではない」という人もいるが、そういう人は国政を任されることはどういうことなのか、とか総理大臣の地位や権限、責任をよく分かっていない場合が多い…。
    • また東条信者の多くは「東条大将は愛国者だったし私欲も無かった。現代の政治家よりよっぽど立派!」と口を揃えて言うが、そういう人たちはそもそも政治家の評価は結果が全てであるということを理解しているのだろうか…?
      • そもそも東條はエセ愛国者。あの時代で真の愛国者といえるのは東條と対決し最後は割腹自決に追い込まれた中野正剛のような人のことを指す。中野は事実上東條に殺されたようなものだ。
  29. 開戦前、総力戦研究所が日本がアメリカと戦った場合のシュミレーションを行い、出した結論が「日本は負ける」というのだった。だが、結論を聞いた陸軍大臣の東条は衝撃を受けたからか、研究員に「口外してはならない」と釘を刺した。
  30. 名前が無駄にカッコ良いため、それがかえって英機のイメージダウンにつながってしまっている印象が強い。
    • 西城秀樹氏のモデルだというデマもある。
  31. 何よりざんねんなのは、こんな人物を未だに美化している輩が一定数存在するということである…。
    • いわゆるネット右翼がその代表格。
      • 特に5ch、Yahoo!知恵袋、YouTubeのコメント欄、ガールズちゃんねるなどに沢山生息している。
  32. 一応書いておくが、開戦に至った経緯は複雑であり、全てを東条のせいにすることはできない。
    • …が、それを考慮しても東条がやったことは普通に酷い
      • 「他の人が首相になっていたとしても開戦は避けられなかっただろう」という意見が多いが、東条が傷口を広げたのも事実なので…。
  33. 本来ならば部下にやらせれば良いことを含め、何でも自分でやらなければ気が済まない人だったらしい。
    • 国民が贅沢をしていないことを確認するためにゴミ箱を漁った話はあまりにも有名。

小磯國昭[編集 | ソースを編集]

  • 「小磯国昭」と書くこともある。
  1. 「東条英機以外なら誰でも良いんじゃね?」という消去法的な理由で選ばれた、太平洋戦争末期の日本の首相になった人物。
    • サイパンの戦いでアメリカに負けた責任を問われ辞めさせられた東条英機に代わって首相に選ばれた人物。日本の戦況が悪化した最悪のタイミングで就任した首相である。
      • 本当に貧乏くじを引いたのは東条ではなく小磯だと思う。
    • アンサイクロペディアにも小磯の項目があるが、項目名が「東條じゃなきゃ良いんだろ」になっていた。
  2. 流石に小磯だけでは力不足だったためか海軍の米内光政と協力して組閣し、実質的には2人首相という状態だった。
    • そもそも元々「東条よりはマシ」程度の認識しか無かったため、大して期待されてはいなかったし能力値もお世辞にも高いとは言えなかった。
  3. 東条英機の知名度の高さに比べてあまりにも知られていなさすぎる影が薄い首相の一人。
  4. 最後はA級戦犯に指名され終身刑となった。東条英機などと異なり死刑にならなかったのだけは救いだが。
  5. 自分が首相に就いた時、戦況が悪化していることを知らず、「日本はこんなに負けているのか」と驚いたという。
  6. 指導力不足で決断が遅く、「木炭自動車」と揶揄された。
  7. 陸海軍の指揮系統を一本化しようとしたが、海軍の反対で断念。作戦会議に出席し発言しても、身内だった陸軍から「口出しするな」と言われる始末だった。

鈴木貫太郎[編集 | ソースを編集]

  1. ポツダム宣言を受諾し終戦へと導いた救国の名宰相と言われている。しかし…。
  2. ポツダム宣言を一度は黙殺しているためアメリカは激怒。原爆投下を防ぐことができなかった。
    • ソビエトが参戦するのも防げなかった。
    • 流石に懲りたのか最終的には受諾。ナチスドイツと異なり本土決戦は回避できた。
  3. 本当は政治家になりたくなかったらしい。
    • 首相になった時には既に77歳であり、ほぼ隠居したも同然であった。
  4. 二・二六事件では死亡こそしなかったものの重傷を負った。

関連項目[編集 | ソースを編集]