川越市

ナビゲーションに移動 検索に移動
越生

坂戸 川島 上尾
鶴ヶ島 川  越


日高
狭山 ふじみ野 富士見
飯 能   三芳 志木
入間 所 沢

戸田
青梅   清瀬 和光

主な地域・施設[編集 | ソースを編集]

川越市の噂[編集 | ソースを編集]

川越市役所
  1. 1922年(大正11年)12月1日に埼玉県初の市として市制。旧浦和市より12年早い。
    • 大阪府3番目の市として大阪府で唯一大正時代に市制した岸和田市(人口は後発の市にどんどん抜かれ11位に転落したが)の方が1か月早く市制。
  2. 川口市と間違えられる。
    • 越谷と間違えられる。
      • 間違われた事ない(川越市民)。
      • 川口や越谷より川越ははるかに知名度は上
      • 川口はともかく、越谷とかもはや知ってる人の方が珍しいだろ(特に県外)。
        • 最近、越谷に例の没個性的な巨大SCができて以前よりは有名になりつつあるけどな。
        • 車のナンバーに採用してよかったのか…?
  3. 川越には、昔、競馬場があったらしいです。
    • 田面澤と市立川越のあたりにあった。
    • 1600mの結構本格的な競馬場だったらしいが…
    • 競馬場があった時代には駅があったとか。本川越と南大塚の間は駅間長いし一駅ほしいところ。
  4. 以前web上の「埼玉最萌トーナメント」で優勝を飾ったことがある。しかし住民からすれば何に萌えたのかさっぱり分からない。
  5. 植木地区は明治半ばまで比企地区だった。
  6. 埼玉で唯一まともな街
    • にちゃんねるの人気ランキングで1位に輝いたことがある。
    • 昔の文化を大切にしながら、現代の文化も取り入れることができる。
      • これができるのは県内では間違いなく川越だけ。
    • 有名なブランドだけでなく、原宿のような小さな店でも気軽に入ってこれる街は埼玉では川越くらい。
    • 大宮や浦和などと違い、他の市と仲がいい。所沢とも市民の間では何もない。
    • 周りにDQNな市や町があるにも関わらず治安がいいのは特筆に価する。
      • そういえば市内中心部に交番が一つも無い気がするんだが気のせいじゃないよな?
        • 一応本川越駅前、川越駅東口にあって20年代入ってからだがU-place前にもできた。
    • 中立でいられるのは、他市に酷いことをされている(上のほうに書かれている)にも関わらず一歩引いた大人な対応ができるためだろう。
    • 周辺の市と仲は悪くないが「川越は川越!吸収するorされるに関わらず、どことも合併などありえない!」と言う方向に、市民の川越への愛情と所属意識が働いている。
    • 「唯一まとも」というのは納得。確かにそんな感じがするbyさいたま市民
    • 県内の30万人以上の都市ってどこも文化がまるで感じられないけど、川越(とさいたま市の岩槻区だけ)は例外。  
  7. 朝ドラの舞台になるから観光客が増えると思われるが、川越城の本丸御殿は現在改修中。タイミング悪いなぁ…
  8. 市の方針で、ラブホテルはあるが店舗型風俗はまったく無い。人口30万都市なら普通はありそうなものだが。
    • 店舗型風俗の許可管轄は警察だから埼玉県警の意向であって市の意思は関係ない。ちなみにモグリの風俗はいくつかは出来たが川越警察が情け容赦なく摘発するので関係者がビビッてほとんど出店はなくなった。おッパブですらしらみ潰しにやられるし客引きのにいさんも県条例違反でガンガン身柄をもっていかれる。そのくらい「城下町川越」のイメージは大事なのだ。
      • 川越警察署の周辺にゎシルクロード・サンパール・カサブランカ・ベル5・アルファ・テンセゾン等多くのラブホテルがあり××には不自由しない
    • 行政の意向が警察にも反映されるのは、石原都知事による歌舞伎町掃討作戦を見ればわかる。条例の援護射撃あってこそだけど。
  9. 戦国時代の三大奇襲の一つ、川越夜戦の舞台、、だが資料館でもほとんど触れられていないし、現地にも史跡の説明板は1つだけ(多分)。
    • 東明寺の門前にあるアレね。
    • 桶狭間、厳島の戦いと並び三大奇襲だが、今一つ知名度が低い気がする。
  10. ぶっちゃけ田舎?
    • 川越市民をマジ切れさせるのに一番手っ取り早いセリフである。
    • 川越駅東口に集結する(!)路線バスの数を見ると、そんなセリフは言えなくなります。
    • 西口にバス停あったっけ?
    • JRが単線だもんな…現実を見ないと
    • 実際田舎である。
    • …といわれつつあるものの、西川越のあたりは最近開発が進んでるよ。一面田んぼだったのに大型小売店ができたし、家が徐々に田んぼを潰してって…
  11. なんだかんだ言って朝ドラが無事終了。最低視聴率を更新。
    • でも未果子ちゃんのファンになりますた。
    • 観光客は増えたからOK
    • ところがどっこい最低視聴率はその次が記録
  12. なんというか、首都圏のベッドタウンとは違う、地方都市っぽい街なんだよな。
  13. 某痛いRPGでは度々登場する都市。
    • ソードアートオンラインの主人公が住んでいる町。
  14. なんだかんだで埼玉…というか関東有数の国際観光都市。池袋から電車で30分とあって、外国人の観光客が行く度に増えてる気がする。
    • 東京行くとき川越の人間は、東武の急行だな。
  15. 東京寄りの東上線沿線、特に和光市・朝霞市民は川越以北を「川越から先」と一括りで表現する。
  16. 痛いRPGを作る妹高橋邦子で有名。
    • あれはどう見ても自演
      • その考え!人格が悪魔に支配されている!
  17. 川越の児童相談所の隣にはステーキのどんが建っている。明らかに親子連れをターゲットにしているw
  18. アンガールズの田中が「東京都」だと騙されて住んでいた街。住所も実際に「東京都川越市」と書いていたらしい。カシコ芸人のはずなのになぜ気づかないか。
  19. 祝・HOME'S「2015年 買って住みたい街」ランキング第4位。
  20. 実は埼玉県で最初に電気が通ったのは川越市らしい。
  21. 最寄り駅の関係で藤間の一部や熊野町、清水町の住民は隣のふじみ野市に同化している節がある。
    • そのふじみ野市との市境は入り組んでいる。道の真ん中だけ川越市で両端の家はふじみ野市という地域もある。某アニメで飛び地として出てきた。
  22. 2022年12月1日、100周年を迎える。
  23. 国道16号国道254号は元々は川越市街を通っていた。ともに1970年代にバイパスが開通し市街地を避けた。
  24. 西濃運輸で川越市にあるのは240川越西支店。西濃運輸の237川越支店は日高市にあるが位置関係が逆。
  25. 九里四里うまい薩摩芋をPR。九里四里で足して13里、江戸の日本橋から13里(39km)ということで。
  26. 池袋から東武東上線の急行で30分とは思えないほど田舎。
  27. 三重県のコレとは無関係。
  28. 信号機はコイト電工が多く、次いで京三製作所、日本信号の順。信号電材は少なめ。
    • 市街地にはコイトのデザイン陶器が多く、京三製作所と日本信号の割合はほぼ同数となっている。

地域別[編集 | ソースを編集]

川越[編集 | ソースを編集]

クレアモール
  1. 「サンロード」を知らない奴は新世代
    • その前は川越駅前まで新富町商店街だった
    • さらにその前は西町商店街だった
    • 西町商店街+新富町商店街+サンロード→クレアモール
    • サンロード時代は未だにある坂戸のサンロードとかぶって紛らわしかった。懐かしいな、オイ。
    • 「大正浪漫夢通り」の昔の呼び名は「銀座商店街」でアーケード式の商店街だった
      • アーケード時代は寂れていたが大正時代を売り出したところ大当たり。
    • サンロードには、「丸広通り」という別称があった。
      • この別称は、丸広のあたりが今みたいに繁華街化する前の名残ともとれる。
  2. 「どん」・「かれいど」を知らない奴は平成生まれ
    • スタンプ10個でポークカレーが無料
    • 「かれいど」の裏にあった「東京ラーメン」と厨房が繋がっていた。
    • 故にラーメンセットなんてのもあった。
      • かれいどでセットを頼むとラーメン店に向かって「セット1丁!みそです!!」 ラーメン屋でセットを頼むとかれいどに向かって「セット1丁!ポークで!!」と叫ぶ。カレーのほうが圧倒的に早いので、カレーを比較的ゆっくり食べないと待ち時間が出てしまうのだ。
  3. 連雀町に川越水族館がある。
    • もちろんそれが名ばかりの水族館であることは、市民なら誰でも知っている。
    • 2011年10月31日に閉店(閉館)しました。
  4. 川越市民の娯楽施設『ホームラン劇場』(現シアターホームラン)がついに閉鎖するらしい。
    • 2006年2月19日に55年の歴史に幕を閉じました。
    • ワカバウォークにやられたのかな?
      • ワーナーマイカルシネマズ大井から始まったのでは?
      • 隣の三井病院に吸収されるみたいだよ。(病院増床のため?)
      • そして南古谷にユナイテッドシネマが進出。
        • このユナイテッド・シネマ、ホームラン劇場の旧経営陣も誘致に尽力し、メモリアルプレートが設置されるなど、実質的にその歴史を受け継ぐ存在となっている。
    • スカラ座はまだあるんだがな。。。
  5. 最近古着屋などが増えてきており埼玉のオシャレスポットを目指しているらしい。しかしパッとしない。
    • 最近はセレクトショップも増えてきた。
    • ブランド物はアトレマルヒロでどうぞ
    • クレアモールにZARAを発見したときは一瞬目を疑った。川越にあるんだ…
  6. 川越市の駅前は昔スケートリンクだった。
    • 今でもあると思いましたが??
    • 今でもありますよ。
    • 2016年になくなった。
  7. 西口のラブホ『セイント2』は安い。
  8. 大型広告ビジョンが作られたが微妙な位置にあるせいで誰も見ようとしない。
    • 川越にはホームラン劇場亡き後ロードショー館が存在しないのに新作映画のCMやられても(笑)
  9. 実は古着屋が数多く点在している。クレアモールから脇にそれたところに多い。
  10. 一番街にある埼玉りそな銀行川越支店は景観上の見地から看板の色が他店舗と違って深緑色(他店舗の看板は明るい緑)。
    • 前身のあさひ銀行時代は京都と川越以外の他店では赤い看板だったが、川越支店だけ臙脂色だった。
    • ところであの建物はなんであんな感じなんだろ。パッと見は、東京御茶ノ水のニコライ堂みたいな感じで、銀行っぽさを全く感じさせない作り。
    • 川越支店は埼玉りそなの中では比較的くらいの高い支店として扱われているようである。ディスクロージャー誌はじめりそなHD関連の資料に、やたらと色んな所で川越支店の行員が出てくる。
  11. 市内の某所に昔の丸ノ内線の電車がある。でも、ボロボロ。見てて痛い。
    可哀想な車両
    • この電車の写真を撮っていたら所有者らしきオッサンに「いらないからやるよ」と言われた。いらない。
      • 某廃墟写真集に「21世紀の乗り物」というタイトルで写真が載ったことがある。
    • その昔、初雁公園(初雁球場の駐車場の所)に蒸気機関車が展示してあったの憶えてる?
    • 数年前に塗り替えられたものの最近は色あせが激しい。ちなみに車両番号は444号。
  12. 西口に西部地域振興ふれあい拠点施設とかゆうすごい施設ができるらしい。
  13. 実はアトレという名前を最初に使ったのは川越。
    • JR束の野郎がパクりやがった……
    • 川越のアトレは実はまるひろ系列。正式な店名は「丸広百貨店アトレ店」。
    • JRの方はルミネ。
  14. 川越のデパートといえば「まるひろ」。
    • しかしマクドナルド出店ゎ埼玉県で一番早かった かな?
  15. 日清紡跡地である駅前の広大な土地は宅地に。
    • 日清紡ホールディングスの思想とは言えど、せめてラゾーナみたいなのを作ってくれれば…といってもクレアモールがシャッター街になることへの配慮か。
  16. 丸広百貨店わんぱくランド令和元年9月1日をもって閉園。かんらんしゃがなくなる。
  17. 東武東上線沿線(埼玉県側)唯一の献血ルームがある。

西川越[編集 | ソースを編集]

  1. 川越水上公園にはスケートリンクがあった。
    • いまはフットサルコート。スケートリンクの面影が強く残ってる。
  2. かつてこの辺は田面沢(たのもざわ)と称した。
    • 自分のパソコンではもちろん変換できなかった。
    • 大正時代、田面沢駅が東上線に存在したが、地元住民ですらその事実はあまり知られていない。
    • 現在でもJAの支所にその名を残す。
  3. アンサイクロペディアでは西川越駅は川越駅と一緒にされているが、川越3駅からは2kmほど離れている。
  4. 北環状線はいつできるのやら。
    • 道路上の住民が長いこと立ち退かなかったが、数年前(2012年頃?)ようやく立ち退いた。2017年現在も建設中。かれこれ10年はやっている。
      • 2019年、ついに開通。
    • 同時に、川越西郵便局の周りも長いこと大型ショッピングモールができる言われて、できたのはTOP(マミーマート)のみ。
      • そして、ビバホームもできていた。

大東[編集 | ソースを編集]

  1. 狭山市と跨る工業団地で有名。
    • できた当時は日本一だったんだとか。
  2. 合成地名。「田」+「日」。
    • 大田も合成地名。「塚」(南大塚、大塚新田)+「豊本」(豊田本、豊田新田)。
      • 大阪府大東市とは関係がない。
        • 大東文化大学とも関係がない。そっちがあるのは東松山市。
      • 「豊田本」(とよだほん)って随分間抜けだなと思ったら、何の事はない「豊田本村」の村だけとったからこんなことになった。
  3. 南大塚といったほうが分かりやすいかもしれない。
  4. 実は南大塚の駅前にマルヒロができる噂が大昔にあったが、町内会とか商店街が猛反対したとか。

霞ヶ関・的場[編集 | ソースを編集]

  1. 「かすみがせき」という地名がある。東京の霞が関とは全く関係ない。
    • 川越は地名が霞関、駅名は霞関。東京は地名が霞関、駅名が霞関。
      • 関←→霞関の定期とか、買ってる人いるかな?
        • 池袋で乗換1回だから十分可能性はありそう。場所にもよるけど有楽町線開通後なら桜田門経由で行ってしまうのでは(ネタ狙いで買う人はいても)。
    • 冬によくある景色で入間川から立ち上る霞にちなんでいます。東京が後です。
    • 国際商科大学(現東京国際大学)がある。
      • いろいろな試験の会場になる。
      • 「霞が関にある東京国際大学」と言うとものすごい大学に聞こえる。
    • 霞ヶ関駅利用者のため下り電車の先頭車両は混む。
    • 東武東上線は川越市から先は一年中、間引き運転。
    • 上記のため東武東上線の最混雑区間は霞ヶ関から川越市とも言われている。
    • 東京の霞ケ関駅より歴史はかなり古い。
    • ほかにも新宿、銀座、新富町もある。新宿は「あらじゅく」と読む。
    • 大手町もあるよ
    • 池袋病院なんてのも。
    • 田町もある。山村の辺りがそう。
    • 五反もある。六軒町あたりの旧称。
    • 東京、川越のどちらの霞ヶ関駅とも、東武鉄道の車両が入線する。
    • さすが小江戸川越。東京のパクリ地名が多い(パクリではないとわかっていますが)。
      • それ言ったら、全国の城下町は「東京のパクリ地名」のオンパレードだぞ(大手町、一番町、鍛治町など)。
    • 新富町、南大塚、(石田)本郷、(下)赤坂、熊野町もある。だが都内の熊野町は板橋区にあるから江戸ではない。
  2. 東京都にも霞ヶ関があるが、歴史は川越のほうが古い。
    • 東武の本線が東京の霞ヶ関を通り、東上線が埼玉の霞ヶ関を通る。
  3. 霞ヶ関カンツリー倶楽部があり、ここで2020年のオリンピックのゴルフ種目が行われる予定。
    • 内心、ここを東京の霞ヶ関と勘違いしたんじゃないかと思っている。
    • 川越線の複線化やらなんやらがこれを機に行われないかと思ってはいるが、もう遅いか…
    • 一方川越カントリークラブは東松山市にあるという。

小江戸川越[編集 | ソースを編集]

川越の街並み(時の鐘)
  1. 昔はかなり立派な肩書きを持っていた街。
    • 寛政の改革時の老中首座だった川越侍従松平定信の居住地?
      • 定信は白河、川越にいたのは家光時代の老中松平信綱。他にも老中クラスが色々いたらしい。
      • 春日の局を忘れちゃいけない。
        • 春日局ね。
      • 川越は江戸防衛の要地だったため老中クラスの譜代大名が多数入城。
      • 景観を乱さない為にまたは、お神輿など為に電柱は地中に埋められている。(右写真)
        • 山車のために信号機があさっての方向を向いていたりするのに驚いた。
    • 埼玉県の西半分、元「川越県」の県庁所在地。
      • その後「川越県」は「入間県」へ改称され、「群馬県」と合併して「熊谷県」に。そのとき県庁所在地を熊谷に奪われた。
      • さらにそのあと、「熊谷県」が分裂し、旧「入間県」は「埼玉県」へ編入。そして県庁所在地は「浦和」に・・・。
    • 実は県内で一番最初に市になった。
      • 1922年市制施行。浦和より12年も早い!
      • 埼玉県内で唯一の中核市だったりする(川口市は特例市)。
      • 昔は埼玉で一番の商業都市で県下で国立銀行が置かれた唯一の都市。
        • その国立銀行は埼玉りそな銀行川越支店として現存している。
    • 実は小江戸と江戸時代から呼ばれていたのは川越だけ。
    • 「小江戸」と言いつつ、江戸時代以前は本家江戸を上回る都市だったらしい。
      • 大江戸。
        • むしろ「古江戸」ではw
  2. 「蔵作り」が県内でも有名だと思っている。
    • 思った事ない(川越市民)。
    • 思ったこと無いが、調べたら日本三大蔵の町だった。
  3. 女子高生のバイトは「蔵作り本舗」
  4. 芋料理で有名 いもプリン、芋アイス、芋御膳、芋ビール。
    • 菓子屋横丁には巨大な麩菓子が売られている。
      • 持って歩いてる修学旅行生を生暖かい目で見るのが市民のたしなみ。
    • いも料理専門店「いも膳」は他県の人を連れていくと珍しがられる。でもきっとその本心は…。
  5. 小江戸。西武新宿線特急の名前にもなっている。
    • いつのまにか他の所でも小江戸を名乗るところが増えてきた。
    • そして都市名は快速急行の名前となっていた。2008年まで。
  6. 駄菓子屋横丁は、明らかに増殖している。
    • 菓子屋横丁。
    • 田中屋がつぶれた?いやいやまさかそんなわけ・・・
    • 水曜どうでしょう』の「対決列島」で横浜中華街などを差し置いて菓子屋横丁が関東大会の会場となった。
  7. ただでさえ狭い道に2車線の道路を通してさらに狭くなった歩道を、同じくらいの幅をとる人力車を走らせるのはどう考えても間違ってる。せっかくいい町並みなのにそれを生かしきれてないと思う。
    • 北環状道路とかゆう道路ができたら一番街は歩行者天国になるらしい。
      • 東武バスの路線考えたら望み薄だろう、それ。
      • 流石に歩行者天国化は諦めたのか、今は一方通行にさせようとしているらしいが、反対派が一定数居る模様。表向きの理由としては一方通行化を推し進めると周辺道路の渋滞に拍車がかかることにあるらしい。
        • こういうのは大なり小なりエゴが絡むからねえ。本音は「不便になるから嫌だ」ってだけな反対者もいると思う。
    • ただいまその人力車が急増中。時の鐘近くにある某陶舗の店先には、ご丁寧に人力車が常時待機できるスペースがとってある。そこにはただでさえ立派な蔵や朝ドラにも出てきたトロッコの軌道があるのに、どうやって作り出したのだろうか!?
  8. 蔵作り通りのお店は、大火事からの復興の際、唯一焼け残った旧大澤家住宅を参考にし、壁の色が黒で統一されている。郵便局やヤマト運輸まで建物は黒基調、和テイスト!
  9. 菓子屋横丁というか「駄」菓子屋横丁というかで市民か否か判ったりする。
    • 現在は再開発で無くなったが、日暮里駅東口には「日暮里駄菓子屋横丁」があったので荒川区民は高確率で間違える。
  10. 小江戸というが、ぶっちゃけ江戸の雰囲気ある建物は少ない。どっちかというと明治、大正、昭和の物が多く、何も知らない余所者的には少々期待はずれだったりする。
    • とは言うものの、東京と比べて親切な人の多さは半端無く、少なくともその辺りの観光都市とは街全体の気合の入りようが違うのがすごく嬉しかったり。
      • 埼玉県内でしかも東京の通勤圏内なので、知らないと単なるベッドタウンにしか思っていない人も少なくないので、そんなところにこれだけの雰囲気をもった街があることに驚く余所者も結構いる。
  11. 仙波東照宮は日本三大東照宮の一つらしいがぶっちゃけ久能山や日光とは比べ物にならないくらいちゃちい。とにかくちゃちい。
  12. あまり知られていないが、関東では鎌倉日光に次いで文化財の数が多い。

川越市民の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 福原の人間を判別するには地名を発音させればすぐに分かる。非福原系は「」に音を強調 させるが、福原人は均等に発音する。
  2. 「川越に行く」と中心部に行く時この表現を使うのは辺境系市民の言い草。
    • 大宮でもそうだよ。もともと町が違った時の名残かと。
  3. 遠方で埼玉県民の多くが出身地を尋ねられると「埼玉です」「東京です」と答えるが、川越市民は「川越です」と答える。プライドが高いんだな。
    • 辺境系市民にその傾向が強い。
      • 坂戸市民や鶴ヶ島市民は「川越の近く」と答える。(by坂戸市民)
    • 「埼玉の川越です。」派が一番多い。
    • やたらと同郷意識が強い。高校では川越市出身者だけでつるむ傾向がある。
    • さらにかつては大宮市や浦和市(現さいたま市)を後発扱いで格下視していた。完全に負けているのに。
      • 「完全に負けている」ってさいたま市を過大評価しすぎ。まぁ、旧浦和は県庁があるので格上かもしれないけど、旧大宮って大宮「駅」だけだろ。
        • 「商都」と言いつつ大宮が賑やかなのは駅構内だけで、商店街は川越の方が明らかに賑やか。交通の便は大宮の方が「圧倒的に」優れているのに。
          • 大宮も西口は華やかだろ?まあ、東口はアレだが。
            • 商店街に限っていえば、東口の方が広がりはあるでしょ。西口は駅の前だけ。
          • 川越はクレアモールの道幅が狭い分、人が多く見えるだけ。実際商圏人口では大宮111万、川越63万で、吸引人口でも大宮54万、川越29万と大差をつけられている。
    • 川越とさいたま(大宮・浦和)の関係は京都東京の関係に似ている。歴史の長さを誇って、後発であるさいたまを見下している所とか。
    • 北海道での函館市vs札幌市、福島県での若松vs郡山、岐阜県での大垣市vs岐阜市も。
  4. この地域で生産されたDQNは池袋で暴れまわる。カラーギャングも殆どが川越からやってきた埼玉都民。
    • 証拠でもあんのかコラ。
    • 某漫画で植え付けられたイメージを言ってるだけ。
    • 川越市民に失礼だな。
  5. 篠原涼子のだんなの実家がある。
    • 篠原涼子が神明町あたりのスーパーで普通に買い物をしていたのを見た人がいる。
    • 去年、市村正親、篠原涼子夫妻が川越にマンションを買った。
    • 市村家の過去についてはお年寄りのあいだでは有名。
    • 祖母の実家が市村家の親戚。20年前の祖父の葬式のときには市村正親さんから花が届けられたよ。
  6. 川越市長の舟橋功一氏はワルで有名。
    • 26階建てのマンション建設を差し止めたのに、その隣に26階建て市役所建設計画を打ち出した。
  7. 川越とその周辺都市の住民の関係は古の中華思想そのもの。
  8. 川越の子供たちは「いっせーのーせっ!」を「いっせーのー『むっ!』」という。
    • それは、50年以上前(もっとか?)
      • うちの学校の先生は「せーの!」を「せーのはい!」っていう…w
        • タイミングの合わせ方の難しさは異常
  9. 川越の子供たちには、年に一回地域の家々を回ってインチキな呪文を門前で唱えて、その家から幾らかのお金をもらう変な習慣がある。
    • やったことない。
      • 南古谷の子供たちは夢中でやってたよ。
        • 山田じゃやってないぞそんなの……。まさかハロウィンとかじゃないだろうな?
    • 夏祈祷とか言ってけっこうイイ上がりになる・・・
  10. 数年前まで川越の子供たちは、川越祭に出店されてた「見世物小屋」を本当に楽しみにしていた。
    • なんでなくなったんだよお。あと隣の射的のAVにドキドキしたのもいい思い出。
    • ソフマップが長崎屋だったころ、川越まつりの二日間限定でお化け屋敷が造られた。
  11. 以前は土日に合わせて「川越まつり」が開催されておらず、山車を所有する町内の子供達は、まつり当日に出欠簿を取る為だけに登校し、出欠の確認後山車を引くために直ぐに帰宅した。
    • 山車の無い町内の子供達は、山車のある町内の子供達が羨ましかった。
    • さらに外側の地区の子供達は学校が終わると速攻帰って速攻遊びに出かけた。
    • 旭町3丁目なんかも、山車造っちゃった。
  12. 福原中、高階西以南在住主婦のビバホーム(大井)依存率は異常
    • あの辺りは住所こそ川越だけど、実質ふじみ野市民になってる人間が多い。最寄が上福岡駅で川越まで電車で出かけたりとかね。

川越市の交通[編集 | ソースを編集]

  1. 本来であれば県内で一番最初に新幹線の駅ができるはずだった。
    • 住民が反対したんだってね。
    • 川越市内には新幹線通ってないだろ
    • だから、本来なら川越を通って新幹線の線路が敷かれるはずだったんですよ。反対があったので大宮に駅を作り、線路もそっちに延ばしたと。
    • 鉄道がないところは大概そういうことをいうが、ほとんどの場合ガセネタである。
    • そもそも既存線の増線である新幹線をわざわざ川越迂回にする必要性が無い。
      • 実際には新幹線ではなく東北本線を敷く予定だったとか何とか。しかし新技術である鉄道の導入には反対運動が起こりうんたらかんたらって言うのを聞いた。
        • 新河岸川の舟運事業で利権あった方々が輸送の代替となる鉄道敷設を反対したと聞いた。
    • 当時の県内の都市の重要性(経済・物流)を比較考慮すれば、川越に既存線を設置するのが普通。反対されて隅っこに設置された結果、今の荒川以東は形成されただけ。
      • 川越街道より中山道を優先するのは普通だろ・・・
        • 当時人口5000しかない大宮とその6倍の30000の川越、どっちを優先すべきか考えてみよう。
        • 「東北」本線なのに、埼玉県内の国道4号(日光・奥州街道)沿線が全く相手にされていなくてワロタ
      • 東北本線の計画ルートは、始めは東京(上野)・前橋間鉄道(現:高崎線など)の途中である熊谷より分岐し、桐生、足利など、当時の日本の基幹産業である養蚕の盛んな所を経由するものであった(高崎線も元はそれが建設理由)。
        • それをアメリカ技術士の提案で、東北北海道の開発を優先して距離を短く出来る大宮分岐に変更したのが真相。
        • これを普通に見れば、川越が口を挟む余地などないわけだが。上にもある通り、高崎線は中山道に沿って敷いただけでしょうし。また現在の東海道線は初めは中山道線の予定であり、高崎線はその一部と言う性格もあったこともお忘れなく。
    • 京浜東北を川越まで延ばす噂がありますね。荒川橋梁を新設できれば、乗り入れはそこまで難しいことではないので現実的。更には西大宮駅ができるらしいので可能性の高い話。ただ現在は市民の声が弱いので、もっとアプローチがないと巨額な金額は出し辛いと聞きました。署名でも集めればいいのかな?w
      • いくらこういう所でも噂にすらなってない話を流布するのはやめましょうね。
    • 東北線云々の話は川越市の公刊書に載ってる
    • 隣町の上福岡に、ナゼか新幹線を模したトイレがあるのはこれが原因。・・・ではないな。
  2. 東京都心からトーホグへ行くのに川越市経由は遠回りなのは明らか。国道4号沿いのルートが最短。
  3. 神奈川県湘北地域・東京都多摩地域から高速使わずにトーホグへ行く場合は、国道16号で川越市を通り、上尾市の原市→埼玉r3(宇都宮線沿いの県道)→国4が定番だが。
  4. 最近、川越ナンバーが出来た。なんのために?
    • 湘南なんかよりよっぽどましで実用的。
    • 川越と所沢はライバル関係にある。県西部管轄の国や県の出先機関で川越になく所沢にあるのは自動車検査登録事務所と福祉保健総合センター(保健所の上位機関)だけ。川越市民は永らく所沢ナンバーを使う屈辱を味わってきた。
      • 自動車検査登録事務所が所沢にあるのは川越が「要らない」って言ったから。迷惑施設なんだよな、あれは。ただナンバーだけは欲しかったから川越の作戦勝ち
    • 川越西警察署が川越西郵便局とそっくりだか(火曜サスペンス劇場)
  5. 市中心部の道路がことごとく片側1車線で渋滞だらけ。「まるひろ渋滞」は週末の風物詩となっている。
    • 城下町の道の何たるかを理解していれば自明。
    • 太田道灌の七曲りの術中にはまってしまった市民。
    • 古い時代の道路を昭和期のまだ車がそんなに多くない時代に、拡幅で対処したんだろうが、現代ではそれが有り得ないくらい時代遅れな造りとして残ってるという感じがする。他にも奈良とかのように古い街はこういうのが多い。
  6. 駅は11個
    • 川越駅(東武・JR)と、 東武は川越以外に新河岸・川越市・霞ヶ関・鶴ヶ島(鶴ヶ島は一応川越市内)の4駅 JRは川越以外に、南古谷・西川越・的場・笠幡の4駅 西武は、本川越と南大塚の2駅 があります。
      • 鶴ヶ島は川越市境ではあるが一応鶴ヶ島市内の駅である。
      • 市境というわけではないが、竹野や広谷新町など、若葉駅を最寄りとする地域もある。
  7. JR川越線(埼京線)、東武東上線(副都心線)、西武新宿線の3つがある。
    • それらの鉄道の終点である。
      • JR川越線の終点は、高麗川です。現在の運行形態は大宮~川越、川越~高麗川で分かれていますが。
    • JRと違い、同じ路線は使わない。2つが機能しなくなっても都内から1本で帰ることが可能。
    • 川越・川越市・本川越の位置関係が微妙で、乗換が非常に面倒くさい。
      • 川越~本川越間は、西武バスが、ワンコイン(100円)バス(本53・54系統他)を運行。
    • そして安比奈線は忘れ去られる。
      • ついに2016年に廃止されるとか。
    • 西武新宿線は本川越が終点なのは言うまでもない。八高線は大宮ー高麗川だが実質川越で分断されている。東上線は池袋ー寄居だが川越市どまりがある。
      • 八高線じゃなくて川越線な。
    • 乗り入れている車両は更に多く、路線のあるJR・東武・西武の他にも東京メトロ東急横浜高速(いずれも東武線乗り入れ)・りんかい線相鉄(いずれもJR川越線乗り入れ)と8社の車両が川越市内を走っている。
    • JR川越駅・東武川越市駅の両方から乗り換え無しで新木場駅武蔵小杉駅に行くことができる。
  8. 県道15号線はいっつも混む。
    • その一部区間は昔は16号線だった。残る区間は秩父街道。
  9. 川越駅・川越市駅・本川越駅と中心部の駅が微妙に離れており、乗り換えに不便。
    • 最近やっと本川越駅西口ができ、本川越〜川越市がかなり近くなった。
  10. 川越駅の西口は立派になったが、東口の工事がさっぱり終わらない。
  11. 国道16号春日部・上尾方面から国道254号寄居・東松山方面へ、その逆とも県道15号を通らなければならない。

川越市の学校[編集 | ソースを編集]

  1. 旧市街地と僻地の中学にはカーストが存在する。
  2. 近隣の名もない町の住民が、「住んでいるところ、どこ?」と聞かれたときに答えるところ
    • 例:「川越のほうに住んでます」という by坂戸市民
      • 坂戸は菅野美穂効果で知名度上がったじゃない。
      • 坂戸市民だけじゃなく、鶴ヶ島市民も。
    • 例外の体験があるが、だいたいそういうと通じやすい。例外→「どこから来たの?」「上福岡です」「遠いね、九州から来たんだ」「いや川越の南の市です」「いやあ九州からわざわざここまでとは」「だから埼玉県の・・・」「新幹線?時間係ったでしょう」「えーと電車で1時間ぐらい・・・。」
  3. 川越高校の文化祭といえばウォーターボーイズだが、真に凄いのは「門」である
    • 川高(カワタカ)と呼ばれる。埼玉県南部では川高は川口高校のこと。
    • 昔からあるのは埼玉県立川越高校だが、最近川越商業高校が川越市立川越高校に改称して非常に紛らわしい。
      • 紛らわしいから「川高」と「市立川越(いちりつかわごえ)」で区別している(川越市民)
      • ちなみに川越工業高校は「川工(かわこう)」。これも川口にある川口工業高校と略称が同じで紛らわしい。(川越市民)
      • あぁ~プールゎないけど水泳部がある(夏休みなど夜間最寄の一中のプールに入ったりする ぅ)
    • 県立川越高校の文化祭で演じられる水泳部のシンクロは、映画やドラマの「ウォーターボーイズ」で有名になったので、行列がやたらと長くなった。
      • 川高は学校行事やイベントに命を賭ける生徒が多く、見ていておもしろい。反面レベルの割りには有名大学合格率が低い。そのへんを割り切った生徒は予備校にひたすら通う。
        • そりゃ現役合格率は低い。浦高も同様。ちなみに川高は去年東工大の合格者を14人も出しました。男子校だから理系に強いのか。
    • 「シンクロ部」だと勘違いされがち。普通の「水泳部」。
      • 実は男子シンクロ元祖ではない福島高校が先らしい。
      • 熊谷高校は「くまたか」と呼ばれているらしいが、川越高校とともに応援団では「かわこう」「くまこう」と言われている。
      • 熊谷高校と熊谷工業高校があるため両方「くまこう」になるため熊谷高校のほうを「くまたか」という熊谷住民。
        • 川越も同様だが浦和では区別しない。
        • 春日部も区分しない。川越、川口、熊谷は工業高校が古くからあるのに対して、浦和と春日部は工業高校が比較的新しいので、うらこう、かすこうといえば普通科の高校を指す事が当然だったから。
      • 水泳部・遊泳班という名で、部室でマージャンばかりしていた連中がその端緒である、そのあとは おふろ、おふろ (だって冬は日が差さないで寒いんだもん)
  4. 高校が川越だと言えるのは、川越・川越市・本川越の3駅を使っている学校だけ。
    • 中学同様、ここにもカースト主張者が…だって田んぼの中だろうが住宅地だろうが、みんな川越だって言ってるよ。ほかになんと言えばいいんだい。
      • 旧市街にずっと住んでる人に言わせたら新河岸川や川越駅の向こうは川越じゃない。たとえば西川越のあたりは田面澤と呼ばれる。
        • つまり、「山の手(山手線より内側)でないと東京でない」というのと同レベルの特権的縄張り意識の現れである。これを人は「井の中の蛙」と言う。なお、その山の手住民からみたら「田舎モノの五十歩百歩」でしかないことは言うまでもない。
        • 川越中華思想か東京中華思想かの違い。どっちも地方の個性を認められてないことには変わりない。
    • 川島村や上福岡、荒川の近くの3つの男子校もその3つの駅を使ってるけどな。
  5. 川越市にある私立女子高は川女にバカにされがち。
    • 川女といえばそれなりのステータスだが、川高boysからは「芋女」といわれている。
      • 言いません。川女のジャージは確かに紫色だけど・・・
    • ちなみに小宮悦子(アナウンサー)が川越女子の出身である。
    • しかし、星野学園中学校・星野高等学校(旧星野女子高)は川女より実績いいかも。
    • 星野は名門お嬢様学校ってイメージだが…。
  6. 川越市にある私立男子校は田んぼの中にある。
    • 川越東、城北埼玉、城西川越。どれも市境にある。
      • しかも、いずれもMARCH以上の合格は当たり前の偏差値の高い学校
      • 城北埼玉は数年前に文系生徒の半分以上を早慶上智に合格させたことがあるが、最近は……
    • 川越市内某私立高校関係者が、「我が高校周辺は「埼玉のチベット」と言われるほどで…」と言っていたような…。
    • 川越東、城北埼玉、城西川越、3校とも川越駅、川越市、本川越からバスが出ている。よって朝の各駅周辺には学ラン男子が溢れかえる。
    • 通称はそれぞれ、川越東(かわとうorかわとん)、城北埼玉(じょうたまorじょったま)、城西川越(じょうさいorじょうかわorじょっかわ)。
      • じょったま>じょうかわ>かわとん この序列は変わってない? byかわとんOB(15年前卒)
        • 栄東>(壁)>ぶんり特進>じょったま>じょうかわ>かわ㌧ こうかな・・・最近は春日部共栄も東大や早慶に合格者出してるから、川越偏狭神話が崩壊しつつある希ガス
    • 春と夏に甲子園に行った秀明中学校・高等学校は全く話題にもなってない・・・。
  7. 富士見市にもない富士見中学校が存在する。
    • 富士見という知名に由来。
  8. 福原中学校は「トリビアの種」で使われた。
    • その話は知らない。何に使われたのか教えてください。出身者(消したい過去orz (´ё`))
      • トリビアの種「心理学者が考える、バレンタインデーに女子からチョコをもらえる確率を高める方法」(だったような…)で、結果を心理学者が解説しててその内容を実演するのに使われた(卒業生)。
  9. 尚美学園大学が2006年サッカー天皇杯に出場。因みに「なおみ」学園ではない。
    • 女子大だと思っている方、共学ですから念のため。
      • しかし音楽短大時代は女子校。
        • 短大時代も共学。
    • 著名人の講師や客員教授が多い。
      • 色々な意味で意外な人ばかりである。
        • サッカー元日本代表監督 加茂周氏。小室哲哉氏(上福岡キャンパス)、TRF SAM氏(川越キャンパス)
          • 2つのキャンパスが存在する。音楽と芸術の上福岡キャンパスと政治学の川越キャンパス。
    • 読みは「しょうび」学園である。
  10. 小学校の学区が複雑に入り乱れている。
    • 川越小と川越第一小がほぼ隣り合って存在する
      • しかし、学区はここを頂点として全く異なる
    • 川越第一小学校はあるが、川越第二小学校以降は存在しない(市内34も小学校があるのに・・・)
      • 昔は第6だか7だかまであったんだそうだ。今は改称した。
      • 第2が川越小、第3が中央小。あとは知らん
      • 第4は仙波小らしいです。
      • 第5が泉小と聞きました。
      • 第6が月越小らしい
    • 大阪府枚方市にも川越小学校がある
    • 仙波から分かれた、武蔵野、新宿、大塚の3校のうち、武蔵野小と、大塚小は目と鼻の先で、対抗意識の関係か、対抗試合(高学年)がある。
      • 大東東小と大東西小にも対抗試合があるよ。
  11. 東洋大学があり、理系の学部がある。
    • 最寄り駅は鶴ヶ島
    • 野球部とラグビー部のグランドもあり、練習試合がよく開かれる。
    • 東洋大近く?に東洋大の元・寮があり、その周辺を山の神が走っていた。

川越のうた[編集 | ソースを編集]

  1. Over the River (スネオヘアー)
    • スネオヘアーこと渡辺健二は大学時代、川越に住んでいた。
      • このPVには「スネオヘアーと雰囲気が似ているから」と言う理由でふかわりょうが出ている。
  2. 川越音頭
    • 川越の各町の盆踊りなどで使われる。
    • 某痛いRPGに登場する同名曲はもちろん全くの別物である。
  3. 川越サンバ
    • 小学校の運動会の全校ダンスなどで踊らされたりする。名前の通りサンバ調で、サンバホイッスル(笛)なども使われ陽気。
    • 特徴的……というか変な覚え方があり、印象に残る。
  4. 川越ランデヴー(U-Zhaan)
    • 歌詞にも出てくる「斉藤牛蒡店」のきんぴらはオススメ。一度食べてみるべし。
  5. 月がきれい(東山奈央)
    • 川越が舞台の同名のアニメのED主題歌。単なるタイアップ曲かと思いきや歌詞に「菓子屋横丁」の文字が。

vs所沢市[編集 | ソースを編集]

  1. 埼玉県西南部の中心争いでライバル関係。
  2. 大正市制の川越市と戦後市制の所沢市は永遠のライバル。
  3. 1979年、ライオンズ九州福岡市)から所沢市へ移転してから所沢市の知名度が全国区になった。
  4. 1981年、埼玉県西南部の陸運局誘致で当時国道がなかった所沢市と争い川越市は破れた。
    • これが25年後の2006年の川越ナンバー導入の経緯となった。