もしあの鉄道路線が開業していなかったら/近畿

ナビゲーションに移動 検索に移動

JR[編集 | ソースを編集]

京阪電気鉄道[編集 | ソースを編集]

鴨東線[編集 | ソースを編集]

  1. 叡電が消えていた
    • もしくは地下鉄の北大路・国際会館辺りへ路線を伸ばし、出町柳は支線の駅になっていた。
      • 叡電も地下鉄との相互直通運転を実施していたかもしれない。
  2. 鴨川改修工事も実現していなければ、京阪本線の河畔区間まで残っていた。
    • 京都の風景の一つとして世界中に知られるようになっていたかも。
    • でも結局五条通の渋滞対策として地下化されるだろう。
  3. 京津線の京都市内区間も消えていなかったかも…。
  4. 逆に叡山電鉄の方が三条まで延長されていた。
  5. 「出町柳」の知名度は低いままだった。
    • 恐らく京都市外ではほとんど知られていないだろう。
      • アニメ「たまこまーけっと」の舞台も、出町枡形商店街ではなく別の商店街に、主人公宅のモデルの店も「出町ふたば」から別の店になっていたか?

中之島線[編集 | ソースを編集]

  1. 新塗装に変更されることはなかった。
    • 社章も変更されず。
    • 10000系で採用されたターコイズグリーンが通勤車両の新標準色になっていたかも。
      • 少なくとも13000系はこの塗色で登場していた。
  2. 新3000系は登場しなかった。
    • 当然旧3000系も改番されず。
    • 新3000系が登場していたとしても旧特急色だった。
    • 2018年頃に史実の新3000系にダブルデッカー1両を組み込んだような車両が登場し、旧3000系は8000系全編成と共にこの車両に置き換えられていた。
  3. 1900系の引退は数年遅かった。
  4. 京阪は天満橋から梅田方面に向けて新線を建設していた。
    • 阪神大阪梅田駅の改良工事に合わせて阪神への直通を検討していたかも。
      • あるいはうめきた再開発に合わせてこのエリアに乗り入れていた。
  5. 中之島西部の再開発のペースが遅れていた。
    • 場合によってはこの地区へのアクセスを向上するため、なにわ筋線が史実より早く具体化し、現実の京阪中之島線と同じ2008年頃には開業していた。
  6. 快速急行は別の形で誕生していた。
  7. 京橋花月はオープンしなかった。
  8. 朝日放送もほたるまちに移転しなかった。
    • ただ大淀にあった旧社屋は老朽化していたので、いずれはうめきたあたりに移転していたかも。
    • 京阪と朝日放送の関係が強まることはなかった。
  9. 村上ファンドによる阪神買収後、阪神と経営統合したのは阪急ではなく京阪だったかも。
    • 中之島線に費やした費用を阪神買収に回せた可能性もあるので。
    • 現に村上ファンド側も京阪との経営統合を考えていたらしい。
    • 阪神と京阪の経営統合が実現し、梅田方面の新線も建設されていなかった場合、阪神と京阪の相互直通運転を目的に中之島線の建設が計画されたかも。
      • その場合路線の西端は中之島駅ではなく西九条以西になっていた。
    • その場合、現実ほどカンテレによる阪神戦中継が増えることはなかった。
    • 2023年に阪神がリーグ優勝、日本一になった時京阪も記念ヘッドマークを付けるなど協賛していたかもしれない(阪急ほどイメージを差別化する必要がないので)。
  10. プレミアムカーは誕生しなかったかも。
    • 拝金主義に陥ることもなかった。クイズラリーとかでも会場が改札内に設置されていた。
      • 1日乗車券の値段も現実より安く、1000円以内に収まっていた。
    • 誕生したとしても指定料金は現実よりも安く300~400円だった。場合によってはトイレも付いていた。
  11. 2021年以降駅のゴミ箱を撤去したり回数券を廃止したりすることもなかっただろう。
    • 小駅の無人化も行われなかった。
      • 上下線別改札の駅において券売機が撤去されることもなかった。
    • 撮影会などの有料イベントも自社系列のクレカ限定になることはなかった。
    • 自動改札機が節電のため一部使用停止になることもなかった。
    • 駅トイレのリニューアルも現実以上に進んでいた。
    • 特急・快速急行のWi-fiがプレミアムカー以外廃止になることもなかった。
    • 回数券廃止に関しては同業他社も。
      • ただコロナ禍もあり、廃止のタイミングが遅れていた可能性もある。
    • 駅のエスカレーターが停止され、放置されることもなかった。
    • くずはモールに保存されている旧3000系の車内において着席が禁止になることはなかったかもしれない。
      • 5000系の先頭部が保存されるのは史実通りだが、こちらも座席昇降実演の時以外は車内に入れるようになっていた。これ以外に1両まるごと別の場所で保存されていたかもしれない。
  12. 京阪は京橋駅周辺の再開発に費用を投じていた。
  13. 現実よりも新車の導入ペースが早かっただろう。
    • 少なくとも2000台の車番を持つ卵型車体の車両は2020年までには全廃されていた。5000系に関しては史実通り。
    • 13000系の製造両数が現実よりさらに多かった。
    • 2010年代後半に入ると全閉モーター及びSiCインバーターを採用した新系列に移行していただろう。
    • 2025年の大阪・関西万博を前に8000系に代わる新特急車が計画されていた。
  14. 2021年に新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言において現実ほど減便されることはなかった。
    • 特急・準急2本・普通が20分サイクルになり3000・8000系が全て運休になるようなことはなかった。減便するにしても小幅だっただろう。
    • 2021年のダイヤ改正においても10分サイクルが維持されていた。
  15. 五条駅、四条駅、丸太町駅の駅名改称が遅れたかもしれない。
  16. 淀屋橋駅の縦列停車は今も終日行われている。
    • 今は中之島線に直通している普通は昼間に関しては淀屋橋発着になっている。
    • その代わり天満橋駅の行き止まりホームは昼間は使われなくなっている。
      • 天満橋駅の配線変更もなく、そのため京橋駅でほとんどの列車がポイントを渡ることもなかった。

阪急電鉄[編集 | ソースを編集]

神戸線[編集 | ソースを編集]

阪神急行電鉄の経緯を見れば分かるとおり、阪急神戸線の特許は阪神電気鉄道との駆け引きの結果、かなり際どい所で小林一三が収得した。そのため、もし灘循環電気軌道の免許が阪神側に下り、神戸線が開業しなかったら?

全般[編集 | ソースを編集]

  1. どちみち、某アニメのストーリーは大きく変わっていた。
  2. 阪急は大鉄(現:近鉄南大阪線)並みの中規模会社であり、阪神を凌ぐ存在とはならなかった。
    • 場合によっては現実と逆に、阪神の手で阪急が買収され、阪神が巨大な企業連合となっていた。
      • 京阪も戦時中に阪神によって買収される。戦後分離独立するのは史実と同じ。
        • 新京阪線が戦後阪神に帰属した場合、社名が「京阪神電気鉄道」に変更されていた。
          • 新京阪線ではなく京阪本線が戦後阪神に帰属するだろう。
  3. 社名は「阪神急行電鉄」とはならず、よって「阪急」の略称も生まれない。今日では「北摂電鉄」(北電)と呼ばれていた可能性も……

大阪梅田から西宮に至る区間だけが開業した場合[編集 | ソースを編集]

灘循環電気軌道と無関係な区間が開業したとする場合

  1. 経路は当初の申請どおり、梅田から伊丹・門戸厄神を通って香櫨園までとなる。
  2. 門戸厄神駅は宝塚からの支線と連絡する重要駅となる。
  3. 香櫨園駅が阪神との接続駅として重要な意義を持つ。
  4. 六甲山麓の住宅開発は行われなかった。
    • 西宮七園や六麓荘町なんていう高級住宅街は存在しない。
  5. 阪神との競合は拠点間に限られ、経由地が大きく異なるため沿線では行われない。
  6. 伊丹市の人口は現実よりも多い。
    • 一方で尼崎市北部の開発が現実ほど進まないかも。
  7. 路線名は「西宮線」。
    • 宝塚・門戸厄神間の支線は「西宝線」か「門戸線」とでも名付けられる。
    • 当然ながら甲陽線と伊丹線は存在しない。

全線が開業しなかった場合[編集 | ソースを編集]

全線の計画が頓挫した場合

  1. 尼崎市・西宮市・芦屋市神戸市東部共に開発は沿岸地域が中心となり、山手地域はほとんど手が付けられず、JR西日本の躍進する近年まで山林か農村となる。
  2. 阪神本線は輸送量の増大により、全線の複々線化が大正期の計画通り実行されている。
    • 阪急に経営が押されることはないため、阪神なんば線も昭和中期には実現していた。
    • 尼宝線も開通していた。
  3. 西宮球場はおろか、阪急ブレーブスも存在しなかった。あったとしても宝塚ないし豊中に本拠地が置かれていた。
  4. 宝塚から南に延びる路線の名が「西宮線」になっていた。もちろん終点は今津ではなく西宮の香櫨園。
  5. 伊丹市は、旧伊丹町を除いて近年まで農村地帯。昭和の大合併で宝塚市に飲み込まれていた。
  6. 関西学院大学や神戸女学院大学などはいまだ神戸市にキャンパスがあった。
  7. 恐らく阪急は大手私鉄にはなっていなかった。
    • 京阪は戦時統合で阪神あるいは関西急行電鉄と合併していた。
      • 果たして新京阪線はどうなっていただろうか?
    • 神戸電鉄は現実と異なり阪神系列となっていた。
    • 阪急と阪神の立場が現実とは逆になっていた。阪急はいずれ阪神に合併されていたかも。

甲陽線[編集 | ソースを編集]

夙川から甲陽園までを結ぶ、阪急支線の中では他線との直通がないなど特に盲腸色が強い甲陽線ウィキペディアの項目を見ての通り、同線は甲陽園と苦楽園の観光開発を巡る阪急と阪神の争いの一環で、阪神のトロリーバス計画に対抗するため急遽敷設されたものでした。

ではもし、阪急が阪神の施策に対抗せず、同線を開業させなかったら?

代わりに阪神のトロリーバスが開業した場合[編集 | ソースを編集]

阪神と阪急の両方とも開業しなかった場合[編集 | ソースを編集]

  1. 甲陽園は芦屋の六麓荘町同様、鉄道の便が無いため車保有者主体の住宅地となる。もちろん今ほどの発展はない。
  2. 甲陽線沿線にある学校の夙川学院や甲陽学院などは、別の場所に設けられ別の名前となっていた。
    • 甲陽学院は甲子園にあった時代から現校名。おそらく高校も香櫨園に移転していそうな気がする。
  3. これの舞台になった高校は存在しなかった可能性がある。
    • あったとしても生徒数は現実よりかなり少ない。もちろん隣接する小中学校も同じ。
      • そして文芸部がある棟以外に増設されないため1年5組とSOS団本部の間の距離が縮まる(ひょっとしたら同じ教室??)
  4. 夙川の桜も現実より注目度が落ちた。少なくとも鉄道ファンは余り来ない。
    • さくら夙川駅はJR夙川駅として開業したかもしれない。
  5. 阪急夙川駅が特急停車駅になることはなかった。

阪神電気鉄道[編集 | ソースを編集]

阪神本線[編集 | ソースを編集]

阪神電気鉄道は大阪・神戸という2都市間を初めて電車で結んだ私鉄です。阪神の計画時、同区間には既に官営の東海道本線が存在しており、並行路線となることから鉄道敷設法に基づく路線の敷設免許は下りる見込がなかったため、同社は路面電車に対する敷設許可を定めた軌道法に基づいて内務省から許可を得、現在の本線の敷設に至りました。

ではもし、阪神に内務省からの敷設許可が下りず、同社線が開業しなかったら?

  1. もちろん阪神に続く、京阪電気鉄道京浜電気鉄道箕面有馬電気軌道大阪電気軌道などといった路線も開業しない。
    • 全ての都市で東京近郊と同じく、近距離輸送の主体が国鉄となる。
      • 私鉄はあくまで国鉄を補う存在。出来るだけ国鉄と並行しないように敷設される。
    • 沿線開発や副業を鉄道事業者が積極的に行うという発想は、生まれなかったかもしれない。
      • (初めたのは阪神じゃないけど)駅にデパートを作るという発想がなかった。代わりに旅館が作られていたかもしれない。
    • 鉄道のサービス水準は平均的に見て、現在よりもかなり劣るものとなった。
    • 私鉄自体殆ど無く、戦時中に全路線が国有化されてしまったかもしれない。
      • 都市内の鉄軌道路線(路面電車・地下鉄など)も全路線が公営化されていただろう。
    • 大師電気鉄道は川崎市電に併合されていた。
    • 関西におけるプロ野球界の構図が全く異なったものになっていただろう。
      • 南海が現実の阪神的な立場になっていたかもしれない。
      • 甲子園球場が戦後解体されていたかもしれない。その場合、夏の高校野球は高校総体の一競技として活動。
      • いやいや甲子園球場自体ハナっから存在せず。
    • 京急の横浜以南は東急の路線になっていた。
  2. 関西の鉄道も全て1067mm軌間となっていた。
    • 1435mm期間や1372mm軌間は路面電車に限られるものとなった。
      • 地下鉄は1435mmかも知れない。
  3. 東海道本線は複々線はおろか、3複線になっていたかもしれない。
    • 関西本線や福知山線なども都市近郊区間は早期に電化された。
    • 大正初期に関西でも国鉄の電化が始められた。
  4. 戦後関西圏のマイカー普及率が現実より高くなっていた。
    • モータリゼーションの進展により一部の私鉄路線が廃止に追い込まれた。
  5. 京阪神大都市圏の衰退が現実より早まり、東京一極集中がさらに進んでいた。
  6. 戦後の高度成長期に人口が急増した際、阪神間に新たな鉄道が建設される。
    • JR東西線は2国か43の地下を通り、神戸駅(現在の街の中心は新開地)まで通っていた上、さらに松井山手駅から京都駅まで第二京阪(もっと早い時期に)に沿って新線が敷設され、京都市営地下鉄烏丸線とも乗り入れしている。
    • 神戸から奈良も京都国際会館も乗り換え無しで行ける。
    • 京阪間も大阪市高速電気軌道谷町線が大日から先京都方面に延伸されていた。
  7. 国鉄の分割民営化も行われなかったかもしれない。
  8. 関西私鉄王国が存在しないので新快速が存在しない。
  9. 近鉄の大阪側の終点は上本町であり、難波線は建設されなかった。

阪神なんば線(西九条-大阪難波)[編集 | ソースを編集]

もし阪神電気鉄道が○○だったら#阪神なんば線

近畿日本鉄道[編集 | ソースを編集]

けいはんな線[編集 | ソースを編集]

  1. 地下鉄中央線は深江橋から北上して放出・今福鶴見方面へ延伸されていた。
    • 今福鶴見からさらに北上して井高野まで行っていた可能性もある。その場合今里筋線は建設されなかった。
    • 深江橋~長田は建設されなかった。
  2. 近鉄奈良線の混雑が非常に激しくなっていた。
    • 阪神1000系は近鉄に合わせた20m車になっていた。
      • そもそも、けいはんな線は奈良線複々線化と並行検討の末建設されたので、けいはんな線が建設されないなら奈良線は複々線化されていたはず。よってそんな混雑にはならないだろう。
  3. 地下鉄中央線の4→6両編成への増結は現実よりも遅れ、コスモスクエア延伸と同時に行われていた。
    • 冷房車の導入も史実より遅れていた。
    • 20系は御堂筋線に投入されていた。
      • 「近鉄のカネで20系を改修する」と言う手段が使えないので、21系や24系の編成数が増えていた。
  4. 荒本に大阪府立中央図書館が開業することはなく、東大阪市役所の移転もなかった。
  5. 奈良・難波線と京都・橿原線以外の路線記号がすべて変わっていた。
  6. 場合によっては生駒以東の区間だけが架線方式で建設されていた可能性も。
    • 奈良線に直通する列車も生駒以西で急行運転する「区間急行」として運転されていた。

大阪線(大和八木-伊勢中川)[編集 | ソースを編集]

  1. もしかすると社名は「大阪電気軌道」のままかもしれない。
  2. 路線名は「大阪線」ではなく「八木線」。史実の八木西口駅が「大和八木駅」を名乗っていた。
  3. 伊賀(電気)鉄道が国有化され桜井まで延伸されていた(ルート自体は史実の近鉄大阪線とあまり変わらない)。
    • 名松線もその名の通り名張延伸を果たす。
    • 分割民営化後は桜井-名張-伊賀上野間はJR西日本、名張-松阪間はJR東海に属している。
  4. 伊勢電気鉄道国鉄伊勢線と引き換えに廃止されていた。
    • 当然こちらもJR(東海)のまま。
    • むしろ名鉄に買収され、名古屋進出も果たしていた。
    • 史実の関西本線貨物支線の四日市-海山道付近と近鉄名古屋線の海山道-津が「国鉄伊勢線→JR伊勢線」だったかもしれない。
      • この場合史実の伊勢鉄道はいかなる形でも開業していない。
  5. 参宮線は幹線に指定されている。
    • 伊勢線も(前述の名鉄による伊勢電買収がなければ)幹線に指定されている。
  6. 志摩電気鉄道は近鉄に吸収されず存在するが、その存廃はかなり厳しい。
    • もしかすると東急グループ入りしていたかもしれない(開業時に東急の前身の目蒲電鉄の幹部の視察を受け入れたそうなので)。
      • 志摩スペイン村も(存在していれば)東急グループだった。
    • 当然軌間は1067mmのままである。国鉄の気動車の乗り入れもあったかも(今でも続いているかは不明)。
      • 現在でも乗り入れが続いていれば、JR・志摩電どちらの所有でも電車特急が乗り入れていた(普通列車は直通無し)。
    • (東急傘下に入るかどうかに関わらず)東急の中古車両が改造されて走っている。
  7. 三重県内のJR線の電化・複線化が進んでいた。
    • 少なくとも紀勢本線多気以北、伊勢線、参宮線は電化されていた。関西本線全線と伊賀線(先述の桜井-名張-伊賀上野)もありそう。
    • ICカード(TOICAICOCA)の利用可能区域も拡がっていた。
    • 多気以南は流石にほぼ史実通りと思われる。
  8. 名張市は大阪のベッドタウンとして発展しなかった。
    • 一応関西本線・和歌山線・桜井線・伊賀線で繋がるが、全通した名松線を通じて松阪との関係の方が強くなっていたかもしれない。
  9. 三重県の近畿地方色が現実よりも薄くなっていた。
    • 三重県=東海地方、という認識が現実以上になっている。
  10. 奈良電は京阪に合併されていたかも。
    • 近鉄はますます奈良地区に力をいれるだろうから現実通りでは?
  11. 湯の山線内部線・八王子線は全て762mmのまま、同じ会社に属していた。
    • 発着駅もJR四日市駅のまま。
    • 上にある通り伊勢電が名鉄に買収されていたら名鉄グループ入りしていた。
  12. 快速みえは特急格上げされていた。
    • 大阪・京都方面からも関西本線か草津線を経由して伊勢方面への特急が走っていた。
    • より停車駅の多い快速も史実通り運行されているが、電化されている可能性が高いのでどちらも電車だっただろう。
  13. 三重交通も当然、近鉄グループではない。
    • 名鉄グループか(志摩電が東急傘下になれば)東急グループあたりが自然か。
関連項目

大阪市高速電気軌道[編集 | ソースを編集]

千日前線[編集 | ソースを編集]

  1. 阪神なんば線は1970年代までには実現していた。
    • この場合近鉄奈良線からの直通線は西九条ではなく野田経由となっていた。
    • 大阪難波のホームがもっと増えていた。
  2. 近鉄大阪線も上本町から大阪難波に延伸されていた。
    • よって布施~大阪難波間が複々線となっていた。
    • その後この線は桜川・ドーム前・九条経由で西九条まで延伸され、やはり阪神と相互直通運転していた。
      • 大阪難波~西九条はもちろん阪神の路線となっていた。
  3. 今里筋線今里~新深江~南巽間が延伸されていた。
    • あるいは今里~大池橋~南巽となっていた。
    • 新深江-南巽で駅勢圏が重なる城東貨物線(おおさか東線)の旅客化が遅くとも1997年3月までには実現しているため、今里筋線の南巽方面への延伸はなかった。
      • 衣摺加美北駅もおおさか東線の開業と同時に開業していた。
    • いや、今里筋線延伸は計画通りに今里-大池橋-杭全になっていたと思う(なぜならば北巽・南巽の西側は今里筋線予定ルートと駅勢圏が重なるため)。
  4. 四つ橋線難波駅は今も「難波元町」駅のまま。
  5. 南海の『北進』がもっと簡単になってたかな。

今里筋線[編集 | ソースを編集]

  1. なくてもあまり不便は感じなかった。
  2. 大阪市バスの35系統(守口車庫前~杭全)・86系統(上新庄駅前~布施駅前)は減便されなかった。
    • バスの方がかえって便利かもしれない。
  3. 地下鉄長堀鶴見緑地線は鶴町まで延伸される。
  4. 京阪中之島線や阪神なんば線の開業が数年早まっていた。
    • おおさか東線も現実よりも早く開業していた。
      • 2008年3月の時点で新大阪~久宝寺の全線が開業済みだった。
  5. なにわ筋線の建設も早期に決定される。
  6. 30000系は2~3年早く投入されていた。
  7. 大阪シティバスのBRT「いまざとライナー」もなかった。
  8. 大阪市交通局は現実よりも早く民営化されていたかもしれない。

堺筋線[編集 | ソースを編集]

  1. 阪急千里線は今も天神橋駅が起点。
    • 南海汐見橋駅のようなローカルターミナルとなっている。
    • 駅ビルが史実通り建て替えられていたら、高層マンションに駅が同居してる珍しい光景が見られた。
      • かつての姫路モノレール大将軍駅と何かと比較されていた。
    • その駅名から天神橋の近くにあると誤解されていた(実際の天神橋駅は天満橋駅の近くにある)。
  2. 日本橋の電気街は早くに衰退していた。
    • 北浜にあった三越の撤退も早かったかも。
  3. 南海の天下茶屋駅は今も優等列車は通過している。
    • 駅名を正しく読める人は現実よりも少なかった。
  4. 阪堺電気軌道の恵美須町~住吉間が21世紀に入って廃止されていた可能性もある。

四つ橋線[編集 | ソースを編集]

  1. なにわ筋線の開業が早まっていた。
    • むしろこちらが四つ橋筋の地下を通っていた。
      • その場合駅は南海難波・JR難波-四ツ橋-JR本町(四つ橋線本町駅に相当)-肥後橋-北新地(西梅田駅に相当)-北梅田になっていた。
    • 史実通りなにわ筋に建設されていた場合、南海からの連絡線は当初計画通り難波ではなく汐見橋経由になっていた。
  2. 御堂筋線の混雑が現実以上に激しくなり、梅田-なんばが複々線化されていた。

神戸市営地下鉄[編集 | ソースを編集]

海岸線[編集 | ソースを編集]

  1. JR和田岬線の存廃問題は起こらなかった。
    • むしろ地元の足として昼間も運行されるようになっていた。
  2. 神戸市バスの10系統(三宮~和田岬~板宿)は今も健在。
    • 「かもめライン」の愛称や特別塗装は今も使われている。
      • 但し車両はノンステップの新車に置き換えられている。
  3. 「交渉人 真下正義」でTTR東陽線を走っている車両は西神山手線の車両だったかも。

京都市営地下鉄[編集 | ソースを編集]

東西線[編集 | ソースを編集]

  1. 京津線の京津三条~御陵間は廃止されなかった。
    • むしろ三条通の渋滞対策として自社でこの区間を地下化していただろう。
      • 三条駅では京阪本線と同一ホームで乗り換え可能になっていただろう。
    • 大津線内各駅から京都市内に行くのに運賃が上がることもなく、今でも京阪線との通しの切符が発売されている。
      • 京阪からJRへの流出は現実ほどではなかった。
  2. 京都市バスは山科・醍醐地区から撤退しなかった。

その他[編集 | ソースを編集]

大阪モノレール[編集 | ソースを編集]

  1. 北摂地域の交通が不便になっていた。
    • 茨木~千里中央~大阪空港などは未だにバスが主役。
    • 北摂と北河内の間も不便なままだった。
  2. 大阪空港は未だにバスが唯一のアクセス手段となっていた。
    • 関西空港へのシフトが現実以上に進んでいる。
    • 大阪空港は橋下府政よりも前の時代には廃港になっていたかも。
  3. 万博公園は現実よりも発展していなかった。
    • ガンバ大阪のホームグランドもなかった。
    • 万博公園における野外ライブなどのイベントは行われていない。
    • エキスポランドの閉園は史実よりも早かった。
      • 跡地のエキスポシティはできていたのだろうか?
    • 京阪バスの守口市駅~万博公園、近鉄バスの布施~万博公園の路線バスは現在でも運行されている。
  4. 「大阪高速鉄道」という社名は阪神なんば線の建設主体が使っていたかもしれない。
  5. 阪急の南茨木駅に準急が、蛍池駅に急行が停車することはなかった。
    • 阪急蛍池駅には今も「大阪国際空港前」という副駅名がついている。
  6. 大日イオンはできなかった。
  7. 阪急京都線の「摂津市」駅は「摂津」駅を名乗っていた。
  8. 長堀鶴見緑地線の鶴見緑地-門真南は建設されなかったかもしれない。

北大阪急行電鉄[編集 | ソースを編集]

  1. この路線の代わりに千里線と箕面線を接続する構想が実現していた。
  2. 千里ニュータウンや万博への鉄道アクセスはほぼ全て阪急が独占していた。
    • 万博期間中のみ万国博西口-万国博中央口間に支線が出来ていた。
    • 千里中央より山田や南千里の方が重要視されていた。
  3. 御堂筋線自体新大阪が起点となっていたかもしれない。
    • 江坂が史実の様に発展したかどうか怪しい。
  4. 千里ニュータウンは現実ほど発展しなかった。
    • そもそも千里ニュータウン自体がなかった。
    • バブル期に入ってからやっと開発されるものの史実より規模は小さかった。