もし3府72県のままだったら
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1871(明治4年)年7月の廃藩置県の直後には、日本の府県の数は3府302県もありました。
わずか3ヶ月後には大規模な合併(第1次府県統合)が行われ、府県は下記の3府72県(75府県)へと削減されました。
これは現行の「47都道府県」より約30県も多いもので(北海道と沖縄県を足すと77道府県)、今では聞いたこともないような県が数多く独立していました。
以後もさらに府県の数は紆余曲折を経て、1888年(明治21年)にようやく47都道府県の形へと至ります。
では、もし現在でも「3府72県」(75府県・77道府県)のままだったら、どうなっていたでしょうか?
一覧表[編集 | ソースを編集]
当時、全国にあった75の府県は次の通りです。
なお、北海道はまだ開拓地として特殊な扱いで、沖縄ではまだ琉球王国が存続していました。
地域 | 府県名 | 府県庁 | 領域(今の区分に対して) |
---|---|---|---|
(北海道) | 札幌 | 北海道のうち南西端を除く | |
東北 | 青森県 | 青森 | 青森県、岩手県北端(二戸地域)、北海道南西端 |
秋田県 | 秋田 | 秋田県 ※現在と同じ | |
盛岡県 | 盛岡 | 岩手県中部〜北部のみ | |
水沢県 | 一関 | 岩手県南部 | |
酒田県 | 酒田 | 山形県西部(庄内) | |
山形県 | 山形 | 山形県中部(最上・村山)のみ | |
仙台県 | 仙台 | 宮城県のうち南部を除く | |
置賜県 | 米沢 | 山形県南部(置賜) | |
磐前県 | 平 | 福島県東部(浜通り)、宮城県南部 | |
福島県 | 福島 | 福島県中部(中通り)のみ | |
若松県 | 若松 | 福島県西部(会津)、東蒲原郡 | |
関東 | 宇都宮県 | 宇都宮 | 栃木県北東部 |
栃木県 | 栃木 | 栃木県南西部、群馬県南東部(両毛) | |
群馬県 | 前橋 | 群馬県のうち南東部を除く | |
茨城県 | 水戸 | 茨城県中部〜北部のみ | |
新治県 | 土浦 | 茨城県南部、千葉県北東部 | |
印旛県 | 流山 | 千葉県北西部、茨城県南西部 | |
木更津県 | 木更津 | 千葉県南部(安房・上総) | |
埼玉県 | 浦和 | 埼玉県東部のみ | |
入間県 | 川越 | 埼玉県西部 | |
東京府 | 東京 | 東京23区のみ | |
神奈川県 | 横浜 | 神奈川県東部、多摩 | |
足柄県 | 小田原 | 神奈川県西部、伊豆 | |
中部 | 新潟県 | 新潟 | 新潟県北部(下越)のみ。東蒲原郡を除く |
柏崎県 | 柏崎 | 新潟県南部(上越・中越) | |
相川県 | 相川 | 佐渡 | |
新川県 | 魚津 | 富山県のうち北西部(射水郡)を除く | |
七尾県 | 七尾 | 石川県北部(能登)、射水群 | |
金沢県 | 金沢 | 石川県南部(加賀)のみ | |
足羽県 | 福井 | 福井県北部(嶺北) | |
敦賀県 | 敦賀 | 福井県南部(嶺南) | |
長野県 | 長野 | 長野県(北信・東信)のみ | |
筑摩県 | 松本 | 長野県(中信・南信)、岐阜県北部(飛騨) | |
山梨県 | 甲府 | 山梨県 ※現在と同じ | |
静岡県 | 静岡 | 静岡県中部(駿河)のみ | |
浜松県 | 浜松 | 静岡県西部(遠江) | |
額田県 | 岡崎 | 愛知県中部〜東部(三河) | |
名古屋県 | 名古屋 | 愛知県北西部(尾張)のみ | |
岐阜県 | 笠松 | 岐阜県南部(美濃)のみ | |
近畿 | 長浜県 | 彦根 | 滋賀県東北部(湖北・湖東・湖西) |
大津県 | 大津 | 滋賀県南西部(湖南)のみ | |
安濃津県 | 津 | 三重県北部(北勢・伊賀+津)のみ | |
度会県 | 山田 | 三重県南部(東紀州・志摩・南勢) | |
奈良県 | 奈良 | 奈良県 ※現在と同じ | |
京都府 | 京都 | 京都府南部のみ | |
豊岡県 | 豊岡 | 兵庫県北部、京都部北部 | |
大阪府 | 大阪 | 大阪府北部(摂津のうち大阪府)のみ | |
堺県 | 堺 | 大阪府南部〜東部(河内・和泉) | |
和歌山県 | 和歌山 | 和歌山県 ※現在と同じ | |
兵庫県 | 兵庫 | 兵庫県南東部(摂津のうち兵庫県)のみ | |
飾磨県 | 姫路 | 兵庫県南西部(播磨) | |
中国 | 鳥取県 | 鳥取 | 鳥取県 ※現在と同じ |
島根県 | 松江 | 島根県東部(出雲国・隠岐)のみ | |
浜田県 | 浜田 | 島根県西部(石見) | |
北条県 | 津山 | 岡山県北部(美作) | |
岡山県 | 岡山 | 岡山県東部(備前)のみ | |
深津県 | 笠岡 | 岡山県西部(備中)、広島県東端(福山) | |
広島県 | 広島 | 広島県のうち東端(福山)を除く | |
山口県 | 山口 | 山口県 ※現在と同じ | |
四国 | 香川県 | 高松 | 香川県 ※現在と同じ |
名東県 | 徳島 | 徳島県、淡路島 | |
高知県 | 高知 | 高知県 ※現在と同じ | |
松山県 | 松山 | 愛媛県東部のみ | |
宇和島県 | 宇和島 | 愛媛県西部 | |
九州 | 福岡県 | 福岡 | 福岡県中部(筑前)のみ |
小倉県 | 小倉 | 福岡県東部、大分県北部(豊前) | |
三潴県 | 久留米 | 福岡県南部(筑後) | |
伊万里県 | 伊万里 | 佐賀県、対馬 | |
長崎県 | 長崎 | 長崎県から対馬を除く | |
大分県 | 大分 | 大分県中部〜南部のみ | |
熊本県 | 熊本 | 熊本県北部のみ | |
八代県 | 八代 | 熊本県南部 | |
美々津県 | 美々津 | 宮崎県中部〜北部 | |
都城県 | 都城 | 宮崎県南部、鹿児島県東部(大隅) | |
鹿児島県 | 鹿児島 | 鹿児島西部(薩摩)のみ | |
(琉球王国) | 首里 | 沖縄県 |
全般[編集 | ソースを編集]
- もしかしたら地方の過疎化のスピードが遅くなっていたかもしれない。
- 内陸県は16。山形県、置賜県、福島県、若松県、宇都宮県、栃木県、群馬県、埼玉県、入間県、長野県、筑摩県、山梨県、長浜県、大津県、奈良県、北条県。
- 中国地方にも内陸県が存在した(北条県)。
- 関東地方には内陸県が5つもあった。
- 人口・経済規模の小さい県が多くなっていたため、現実とほぼ同じままであった秋田県や和歌山県、鳥取県、高知県などは、今よりも相対的に発展している県であった。
- 県庁所在地のままだった都市は、現実よりも繁栄していた。
- 一関、米沢、会津若松、いわき、栃木、川越、小田原、相川、柏崎、松本、魚津、七尾、敦賀、浜松、岡崎、彦根、山田、堺、豊岡、姫路、津山、笠岡、浜田、宇和島、小倉、久留米、伊万里、日向市、八代、都城など。
- 少なくとも施工時特例市(20万人)ぐらいはいた。
- 一関、米沢、会津若松、いわき、栃木、川越、小田原、相川、柏崎、松本、魚津、七尾、敦賀、浜松、岡崎、彦根、山田、堺、豊岡、姫路、津山、笠岡、浜田、宇和島、小倉、久留米、伊万里、日向市、八代、都城など。
- 今よりも小さい府県の都は、現実ほどは発展していなかった。
- 盛岡、山形、福島、宇都宮、水戸、浦和、新潟、長野、静岡、金沢、福井、名古屋、津、大津、大阪、神戸、松江、岡山、松山、福岡、熊本、鹿児島など。
- このうち名古屋、大阪、神戸は昭和まで(神戸は千葉市同様100万人見込みで移行だが現在も達せず)、と福岡と浦和は平成の大合併による特例(70万人以上)で政令指定都市。静岡・岡山・熊本は移行できず。
- とはいっても長野市や金沢市は実際の発展具合と大差ないかも。
- 県庁所在地にならない千葉市や岐阜市・宮崎市は全く発展せず。
- 習志野市や笠松市、清武町・大淀町・佐土原町などに吸収されている。
- 盛岡、山形、福島、宇都宮、水戸、浦和、新潟、長野、静岡、金沢、福井、名古屋、津、大津、大阪、神戸、松江、岡山、松山、福岡、熊本、鹿児島など。
- 国立大学の数ももっと増えていただろう。
- 地方国立大学の裾野が大きく広がり、「国立大学卒」の価値が低下した。
- そのかわり旧帝大が史実以上に神格化されていた。
- みんな地元に近い旧帝びいきで他の大都市にいくと通用しないのも史実通り。
- 旧国立一期校が帝大につぐブランドとなっていた。
- 場合によっては、現在でも国立の一期と二期の区分があったかも。
- 二期校は史実でもそうだが史実以上に、田舎の県の国立大が東京で通用しなくなっていた。
- 場合によっては、現在でも国立の一期と二期の区分があったかも。
- そのかわり旧帝大が史実以上に神格化されていた。
- 国立大学の供給が十分に多いため、公立・私立大学の新設は今よりも少なかった。
- 地方国立大学の裾野が大きく広がり、「国立大学卒」の価値が低下した。
- 県名を覚えるのが大変だ。
- 単独で維持できない県が増えて、道州制の議論が史実よりも早く進んでいたかも。
- 参議院の一票の格差は史実よりひどくなっていた。
- 参議院の合区と格差問題がひどくなり、21世紀には第二次政治改革法案が通っていたかも。
北海道[編集 | ソースを編集]
- 開拓使が北海道になるのは史実通り。
- ただし支庁ごとに県として独立させる計画があったかもしれない。
- 道南(渡島半島)には青森県の飛び地があった。
東北[編集 | ソースを編集]
関東[編集 | ソースを編集]
- 木更津県では印旛県と比べて都市化が遅れるが、1980年代に開通した東京湾アクアラインによって発展が進む。
- 多摩ニュータウンの開発だけが早く進むことはなく、港北ニュータウン・千葉ニュータウンも同時に開発が進む。
- 「3府」が維持されるなら、東京府は現存。東京市との合併・都制移行は行われていない。
- 東京府域が史実より発展・過密化している。
- 神奈川県域を指す「武相」の名称がもっと使われていたかもしれない。
- 「町田は神奈川」というネタが生まれることはなかった。
- 3府72県だと現在人口に換算すると、神奈川県が人口一位になるので、横浜市がさらに大都市になる。
中部[編集 | ソースを編集]
- 筑摩県の東部(信濃)と西部(飛騨)との間には日本の屋根である飛騨山脈・木曽山脈がそびえており、県内の東西移動がきわめて不便。現代に至るまで県内を東西に横断する鉄道や高速道路は建設されておらず、分断されたままである。
- 西部では高山市などを中心に「飛騨県」として独立しようという運動や、岐阜県や新川県へ移籍しようという声が絶えない。
- なお、史実として1868年から1871年までの3年間には「高山県」が存在した。当初は「飛騨県」だったが、わずか10日後に高山県に改称された。
- 西部では高山市などを中心に「飛騨県」として独立しようという運動や、岐阜県や新川県へ移籍しようという声が絶えない。
- 柏崎県では中央に位置する柏崎市が県都として発展し、東の長岡市、西の高田市よりも大きい町となる。
- 相川県(佐渡島)の最大都市は相川で、両津は二番手だった(現実では逆)。
- 新川県では県東部の小さい町であった魚津市が県都として発展する。県中部の大都市であった富山市や、西部の高岡市からは、県庁の移転議論が起こる。
- 北陸新幹線の駅は、現実の魚津IC付近にある。
- 富山市から高岡市へ富山県を出ずに移動することが困難になっていた。(小杉も新湊も七尾県だから)
- というか、高岡市(戸出・福岡除く)も七尾県になっていたのでは。
- 新潟県は「東北地方」として扱われる。若松県・酒田県と交流が盛んで、「南西東北3県」などと呼ばれる。
- 柏崎県は、新川県・七尾県・金沢県・足羽県・敦賀県とともに「北陸地方」として扱われる。北陸6県。
- 長野県・静岡県は、山梨県とともに「関東甲長駿」として関東地方の外縁と扱われる。
- 筑摩県・浜松県は「東海地方」として扱われ、「東海7県」などと呼ばれる。
- 残り5県は、岐阜・額田・名古屋・安濃津・渡会?
- 安濃津県は中部地方扱いされることもあり得る。
近畿[編集 | ソースを編集]
- 大津県は県全体として京都市のベッドタウンとしての性質が強くなる。
- 「敦賀県は中部・北陸なのか、近畿なのか」という議論が起こる。
- 敦賀県が近畿扱いされた場合は、北陸本線の直流電化区間は今庄まで伸びていた。
- 琵琶湖は2つの県に分断されていた(長浜県と大津県)。
- 長浜県は中部(東海)地方として扱われ、豊岡県は中国(山陰)地方として扱われていた。
中国・四国[編集 | ソースを編集]
- 四国なのに5つも県があることを不思議がられていた。
- 今の愛媛県の西部が『宇和島県』として独立していたため。
- 岡山県の岡山市と隣接する深津県の倉敷市との一体化が進み、倉敷市が岡山県へ移籍する越境合併の議論が起こる。
- 深津県は、東端に倉敷市、中央に県都の笠岡市、西に福山市が鼎立し、「一体感がない県」などと揶揄される。
- 倉敷=メルボルン、笠岡=キャンベラ、福山=シドニーになる。
- 深津絵里の出身地と間違えられていたかも。
- 深津県は、東端に倉敷市、中央に県都の笠岡市、西に福山市が鼎立し、「一体感がない県」などと揶揄される。
- 豊岡県は近畿でなく山陰地方として扱われる。
- 天橋立や「伊根の舟屋」は京都府ではなく豊岡県の名所。
- 3府72県当時の日本の府県人口だと広島県一位山口県二位の人口だったので、広島市がさらに大都市になってたかも。