もし阪神・淡路大震災が発生しなかったら

ナビゲーションに移動 検索に移動

全般[編集 | ソースを編集]

  1. その前に、「埋立地で液状化」とか、「ビルが横倒し」とか、「高速の橋脚が折れた」と言ったものを知らないまま過ごしているだろうと思われる。
    • まじめに語ってるよ…
      • その真面目に乗っかると、結局のところ事前準備をどれだけしても、起こってしまった出来事の後から気付かされることがあるという教訓話になる。
    • 未だに高速道路の橋脚が地震で折れるのは外国での話と思われている。
      • 日本における地震による橋脚の倒壊は、未だに1964年の新潟地震での昭和大橋の落橋のイメージが強かった。
    • 液状化が知られるようになるのは東日本以降。
    • ビルの倒壊については、凌雲閣と百尺規制を忘れてはいけない。
      • 1964年の新潟地震の県営川岸町アパートも忘れてはいけない。
  2. 震度表記は1~7の7段階のままだった。
    • 東南海地震への対策が今のように進んでいなかった。
    • しかも観測方法は震度計での観測ではなく、気象庁の職員の感覚による観測のまま。
      • 東日本大震災発生後、ようやく9段階になる。
        • むしろMM震度階級に変更された可能性も。「MMは国際標準だからそれに合わせるべき」という理由で。
      • 緊急地震速報の導入は2010年台になっていた。場合によっては東日本大震災後かも。
      • 観測の結果、栗原市は激震指定を免れた。
        • 当初の最大震度は6だった。
  3. 女子高生のルーズソックス大流行は1年早くなっていた(史実は1996~1998年がルーズソックスの全盛期だった)。
    • ファッションの流行は基本的にはデザイナーが意図的に生み出すものだから、震災とは無関係だったのでは。
  4. 新潟の中越地震が史実以上の扱いを受けている。
    • 福岡県西方沖地震も。
    • 熊本地震も。
    • 芸予地震も。
    • 北海道南西沖地震も。
    • 直下型地震に対する認識が現実よりも甘く、大地震と言えばプレート境界型地震のことを指したままだった。
      • 首都直下地震について言及されるのがもっと遅れていた。
        • 首都直下地震はプレート境界型でもあるけど。
    • 2018年の大阪北部地震での被害がもっと大きくなっていた。
    • 上記の中越地震等もそうだが、2011年の東日本大震災の被害も更に大きくなっていた。
      • 首都圏でも建物の倒壊が相次いでいた。
        • 鉄道の高架などの倒壊なども多数発生していた。
          • 阪神大震災をきっかけに耐震強化や防災対策が本格的に意識された側面はあるが、無いなら無いで別のどこかの地震で同じような風潮が生まれてただろう。
    • 三陸はるか沖地震が全国的に記憶されていた。
  5. 神戸まつりは現在に至るまでずっと5月開催だった。
  6. 新長田駅近くの鉄人28号のモニュメントは作られなかった。
  7. 神戸ルミナリエは開催されなかった。
  8. 神戸市長田区のご当地グルメである「そばめし」や「ぼっかけ」がブレイクするのが少し遅れていたかもしれない。
    • 「いかなごのくぎ煮」の知名度も全国区にならなかったかもしれない(阪神・淡路大震災で支援してもらったお返しに贈ったのが普及のきっかけの1つだったので)。
  9. 小林一三の生家は現存している。
    • 史実通り宝塚ファミリーランドが閉園した場合、故郷の山梨県に移築されていたかもしれない。
  10. 毎年12月に行われている「今年の漢字」の発表は1995年の時点ではなかったかもしれない。
    • そもそも「今年の漢字」自体存在しなかったかもしれない。仮にあったとしても2001年以降かも。
    • 仮に史実通り存在したとしたら、地下鉄サリン事件の「毒」になっていたかもしれない。
  11. このアナウンサーは史実ほど有名にはならなかった。
  12. 羽生善治は王将を獲得して史実より前に将棋タイトル七冠独占を達成していたかも。
    • 対戦相手の谷川浩司が「自分が震災にあっていなければとられていたかもしれない」みたいな趣旨のことを言っていたので。
  13. 史実で阪神大震災が発生した日に淡路島で生まれた照強は注目されなかった。
  14. 関西学院大や神戸女学院大、甲南大の偏差値低下は史実ほどひどくならなかった。
    • ダイエーの経営難が史実ほどではなかったので、流通科学大学も。
      • 関関同立は厳しいが産近甲龍くらいのレベルにはなっていた。場合によっては「産近甲流」と呼ばれていた。
  15. 王子動物園にパンダが来ることはなかったかも。
    • 王子動物園にパンダが来たのは震災からの復興という意味もあったので。
  16. 神戸市の人口が福岡市に抜かれるのが現実よりも遅くなっていた。
    • 2010年代後半の時点でも抜かれていないかも。
    • 川崎市も。
  17. 1月17日が「防災とボランティアの日」と呼ばれることはなかった。
    • 代わりに10月23日か3月11日辺りが防災とボランティアの日になっていただろう。
      • 9月1日(関東大震災)も有力候補では?
  18. オウム関連事件の捜査が史実よりも前倒しになっていたかもしれない。
    • 上九一色村のサティアンは被災地域から外れているものの、全国的な震災の混乱が捜査に影響した可能性は排除できない。
    • 結果、地下鉄サリン事件は史実よりも前倒しになっていたか、計画する間がなく実行されずに済んだかのいずれかに転ぶ。
      • サリン事件が発生した場合、ワイドショーなどのオウム関連ニュースの取り上げ方は史実よりも大々的になっていた。
  19. 1995年のトップニュースはオウムによる地下鉄サリン事件になっていた・・・のか?
  20. 非政府組織のピースボートが、災害支援を取り組むこともなかった。
    • その場合、一般社団法人のピースボート災害支援センターも設立されなかった。
  21. 当然ながら宇田学の戯曲「ORANGE」もなかった。
  22. 当然ながら日本で発見された小惑星に「兵庫」、「神戸」と名付けられることもない。
  23. 失われた30年がなかった可能性が高かったことから、2019年における天皇の生前退位はなかったかもしれない。
    • 昭和→平成までと同じく天皇陛下崩御→改元となっていた。
    • 但し天皇陛下も高齢であることから、皇太子が摂政宮として執務を代行していた可能性が高い。
    • 「上皇」という言葉は歴史の教科書で出てくるくらいになっていた。
    • 阪神タイガースも平成のうちに日本一になれていた。
      • 史実通り2021年に東京オリンピックも開催出来ていた場合、夏季オリンピックも開催出来ていた。
  24. 広域火葬計画が東日本大震災、新型コロナまで史実より進められることもなかった。
  25. 宝塚映像が廃業することもなかった。
  26. 被災者生活再建支援法が公布・施行されることもなかった。
  27. もしかしたらここに書いてあるいくつかの人物ももう少し長く生きていたかもしれない。
  28. 21世紀になってから発生した凶悪な事件の多くは発生しなかったかもしれない。
  29. 1000人のチェロ・コンサートも日本で開催されなかった。
  30. 淡路島の日仏友好のモニュメントは無事完成していた。
  31. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつかの作品も史実より世に出なかったかもしれない。
  32. ここにも書いてある1990年代後半以降のいくつかの事件も史実より起きなかったかもしれない。

玩具[編集 | ソースを編集]

  1. ベイブレードも史実よりヒットしなかったかもしれない。
  2. たまごっちも史実よりヒットしなかったかもしれない。
  3. リボルテックも史実よりヒットしなかったかもしれない。

アニメ・漫画・その他書籍・雑誌[編集 | ソースを編集]

  1. 涼宮ハルヒもなかったかも??
    • 確かにあの作者は阪神大震災で人生が変わったといっていたな。
    • To Heartの保科委員長もないと思われる。
    • らき☆すた」や「けいおん!」も流行ってない。またけいおん!は紬の中の人が変わってた。
      • 仮にアニメ化されたとしても当然こうなっていた。
      • らき☆すたのこなたの中の人も別だったかも。また、放送内容のハルヒ言及・パロディー部分は全部別の何かに置き換わっていた。
        • ケロロやフルメタルパニックあたりのカラーが強まって、「ふもっふ」は古泉一樹ではなくらき☆すたの誰かの迷言に。
      • けいおんは京アニではなく、ひだまりスケッチと同じくシャフト制作になっていたかも。この場合でも史実ほどヒットしたかどうかは微妙なところか。
    • ハルヒがなかった場合、深夜アニメも含めたその後のテレビアニメの歴史は大きく変わっていただろう。
      • その場合、深夜アニメの数は史実ほど激増することはなく、深夜アニメの放送が盛んになることもなかった。逆にゴールデンタイム(特に民放キー局)でのアニメ放送は今でも盛んだった
        • その場合、史実で深夜枠で放送されたアニメのいくつかは全日帯で放送されていた。
    • 京都アニメーションも史実ほどメジャーな存在になっていなかっただろう。
    • 当然エンドレスエイト事件もなかっただろう。
      • この場合でも、自己言及的表現は00年代のネットも含めたトレンドだったから、タイムループもののどれかが同じことをやっていた気がする。
    • 作品を鑑賞した感想だが、阪神・淡路がないからと言って即ハルヒが生まれなかったというのは曲論だと思う。
      • 閉鎖空間や神人は確かに震災の影響を受けていると思う。だが、ハルヒその子の持つ本質的な欲求は、誰にでもあるものだからこそブレイクしたのではなかろうか?
        • そして誰にでもあるものだからこそ、震災とは関係なくハルヒはいずれは生まれたと思う。
          • 問題は、閉鎖空間・神人の設定が変わった後にできたストーリーでスニーカー大賞を受賞できたか。
            • 受賞、少なくとも入賞していればアニメ化にも結びついた可能性は高いが、賞を逃していれば上にあるようにアニメの歴史そのものが大きく変わっただろう。
    • (同じラノベであるが)「はたらく魔王さま!」の鈴木梨香が幼少期に阪神淡路大震災に被災した経験があったという設定が付けられる事もなかった。
  2. 「ズッコケ三人組」で稲穂県南部地震が設定されることはなかった。
  3. 当然ながら児童文学作品「地球が動いた日」もなかった。
    • そのため、アニメ映画にもならず、寿美菜子は声優にならなかった。
  4. 漫画「監察医 朝顔」も違うストーリーになっていた。(主人公の山田朝顔が、阪神・淡路大震災で母を亡くしたという設定なので。)
    • その場合、テレビドラマ「監察医 朝顔」での東日本大震災によって母が行方不明という設定もなかった。
  5. 地下鉄サリン事件もなかった場合「新世紀エヴァンゲリオン」も史実以上にヒットしなかったかもしれない
    • 当然ながら、新劇場版は制作されない。
    • パチンコやパチスロになることもなかった。
    • その場合、「魔法少女まどか☆マギカ」、「進撃の巨人」、「鬼滅の刃」、「呪術廻戦」、「SPY×FAMILY」、「チェンソーマン」、「リコリス・リコイル」もなかったかもしれない。
      • というかエヴァに影響された作品の多くは存在していないか、あったとしても設定が大きく変わっていただろう。
    • 「ロスト・ユニバース」もなかったので、ヤシガニ事件は起こらなかった。
      • そもそもエヴァ放送終了後以降、テレビアニメやアニメ映画がそこまで量産されることはなかった。
  6. 漫画家の木村紺も被災することもないので漫画「神戸在住」の作中でも触れられることもなかった。
    • その場合、違うストーリーになっていた。
  7. 漫画「あるいとう」の主人公、玉田くこの母を喪ったという設定が付けられる事もなかった。
    • その場合、違うストーリーになっていた。
  8. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつかのアニメ作品も史実以上にヒットしなかったかもしれない。
  9. 当然ながら貴志祐介の小説「十三番目の人格 ISOLA」もなかった。
  10. 当然ながら横山秀夫の小説「震度0」もなかった。
  11. 当然ながら柴田哲孝の小説「GEQ」もなかった。
  12. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつかの漫画作品も史実以上にヒットしなかったかもしれない。
  13. 声優雑誌も史実より多く発刊されなかったかもしれない。
    • その場合、編集長だった古林英明、本誌編集長だった渡邊隆史が角川書店へ移籍することもなくボイスアニメージュが一時的に休刊しなかったかもしれない。
  14. 月刊OUTも休刊しなかったかもしれない。
    • その場合、Magazine MEGUもなかった。
  15. もしかしたらここに書いてある1990年代後半以降のいくつかのアニメ作品も史実以上にヒットしていたかもしれない。
  16. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつかの漫画作品も史実以上にヒットしていたかもしれない。
  17. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつか雑誌も史実以上に休刊しなかったかもしれない。
  18. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつかの漫画作品ももう少し長く放送していたかもしれない。
  19. 「勇者シリーズ」ももう少し長く放送していたかもしれない。
  20. ガンダムシリーズがMBSに移管されることはなく、今でもテレビ朝日系で放送されていたかもしれない。
    • それでも「機動戦士ガンダムユニコーン RE:0096」の放送は史実通り。
    • それでもプロジェクトの「UC NexT 0100」の展開は史実通り。
  21. アニメーション制作会社のグルーパープロダクションも倒産しなかったかもしれない。
  22. アニメVも休刊しなかったかもしれない。
    • その場合、Lookerもなかった。
  23. 電撃G's文庫も休刊しなかったかもしれない。
  24. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつかの作品も史実よりアニメ化されなかったかもしれない。
  25. 古典文庫も休刊しなかったかもしれない。
    • その場合、吉田幸一の死後は別の人物が発行していたかもしれない。
  26. 芸文社のネオジオフリークも休刊しなかったかもしれない。
  27. アサヒグラフも休刊しなかったかもしれない。

ゲーム[編集 | ソースを編集]

  1. ゲーム「桃太郎電鉄」の「大地震カード」が「スーパー桃太郎電鉄DX」から廃止されることもなかった。
  2. 地下鉄サリン事件もなかった場合「ポケットモンスター赤・緑」も史実以上にヒットしなかったかもしれない
    • その場合、「デジタルモンスター」、「どうぶつの森」、「妖怪ウォッチ」などもなかったかもしれない。
      • そもそもコンピュータゲーム原作のアニメは史実より少なかった(ポケモン以前はゲーム原作アニメはヒット作品がほぼ皆無に等しい状態だった)。
    • その場合、コミックボンボン休刊することはなかった
      • ボンボンに追い撃ちをかけたのがポケモンである為。
    • それでもNINTENDO 64以降の任天堂の家庭用ゲーム機や「スーパーマリオ64」以降のマリオシリーズが作られるのは史実通り。
  3. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつかのゲーム作品も史実以上にヒットしなかったかもしれない。
  4. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつかのゲーム作品も史実以上にヒットしていたかもしれない。
  5. ゲーム会社のヘクトも倒産しなかったかもしれない。
  6. ゲームソフト開発会社のコンパイルも解散しなかったかもしれない。
  7. ゲーム会社のSNKも倒産しなかったかもしれない。
    • その場合、プレイモアは設立されず、SNKプレイモアは存在しない。
    • その前にアルゼに買収されることはなかったかもしれない。
  8. ゲーム会社のセガは21世紀以降も家庭用ゲーム機の製造を続けていたかもしれない。
    • その場合、他社へのゲームソフト供給を解禁することはなく、マリオ&ソニックシリーズもなかった。

ラジオ[編集 | ソースを編集]

  1. 当然ながらJFNC制作の防災ミニ番組「防災インデックス〜その時のために」もない。
  2. 当然ながらシェルタースタジオ117もない。

映画[編集 | ソースを編集]

  1. 映画「メモリーズ・コーナー」も制作されなかった。
  2. 映画「れいこいるか」も制作されなかった。
  3. 映画「すずめの戸締まり」のストーリーも変わっていた。
  4. 映画「男はつらいよ 寅次郎紅の花」も違うストーリーになっていた。
  5. 映画「22年目の告白 -私が殺人犯です-」も違うストーリーになっていた。
  6. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつかの映画作品も史実以上にヒットしなかったかもしれない。
  7. 記録映画会社の岩波映画製作所も倒産しなかったかもしれない。
  8. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつかの映画作品も史実以上にヒットしていたかもしれない。

スポーツ[編集 | ソースを編集]

  1. オリックスが優勝しても世間の反応が薄かった。
    • てか優勝できなかったと思う。あの時は皆「ファンのために」って思いながらやってたから。
      • ならヴィッセルのJ昇格もなかったかも。
        • むしろダイエーがメインスポンサーから撤退しなかったことでヴィッセルのその後の歴史も大きく変わっていたはず。
          • 「神戸讃歌」も誕生しなかった。
            • あったとしても、「俺達のこの街に お前が生まれたあの日 どんなことがあっても 忘れはしない」のような歌詞にはならなかっただろう。
          • ヴィッセル神戸の初優勝も早まったかも。
      • ダイエーの暗黒時代脱出が史実よりも早く、「生卵事件」も起こらなかったかも。
        • リーグ優勝や日本一も史実より1~2年早かった。
      • 優勝できなかった場合、イチロー人気だけが先行したままだったかも。
      • 1995年のプロ野球は渡米した野茂英雄が現実以上に話題となっていた。
      • 暗黒時代真っ只中の阪神がもっと悲惨だったかも。
        • むしろ親会社である阪神電鉄は震災被害で野球どころではなかったという側面もあるので、同年の成績は現実よりも良く最下位ではなかったかも。阪神電鉄の経営も史実よりは良かった可能性もあるため、暗黒時代も早く脱していた。
          • その場合1999年あたりに優勝を果たしていたかも。
      • 1995年のパ・リーグ優勝はロッテのものになっていたかも(ちなみに90年代のうちにAクラスに入ったのは95年が唯一)。
        • さらに、セ・リーグ勝者が史実通りヤクルトだった場合、鳥類同士の日本シリーズが20年早く実現していた。
        • その場合、2005年のリーグ優勝は10年ぶりという事になっていた。
      • 1996年もオリックスは優勝できず、この年のパ・リーグ優勝は日本ハム西武のものになっていた。
    • 2004年の球界再編で現実とは逆に近鉄がオリックスを吸収合併していたかも。
      • 近鉄の経営状態が史実よりも良かった可能性があるため。
    • 西武の黄金時代が現実より長続きしたかもしれない。
  2. 関西経済が現実よりも好調だったことが考えられるため、2008年の夏季五輪は北京ではなく大阪になっていたかも。
    • その代わり、2020年の夏季五輪は東京ではなくイスタンブールか北京になっていたかもしれない。
    • 日本全体のバブル崩壊からの立て直しも前倒しされていた。
    • 大阪で五輪が開催されたら、その後の万博は大阪ではなく福岡で開催されていた。
  3. 阪神甲子園球場のリニューアル工事はなかったか遅れただろう。
    • バブル崩壊前後まで計画があった、「甲子園ドーム」が実現していたかも?
  4. 神戸拳闘会も閉鎖されず、関西ボクシング界も史実と異なる様相を呈していた。
    • 長谷川穂積を始めとする神戸近辺のジムに所属したプロボクサーも何人かは神戸拳闘会に所属していた。
  5. プロゴルファーの古市忠夫が、プロゴルファーとして身を立てることもなく「東洋カメラ店」の経営ももう少し経営していた。
    • 日本プロゴルフ協会(PGA)主催のプロテストに史上2番目の年長で合格することもなく史上最年長でPGAのゴルフインストラクター資格を取得することもなかった。
    • そのため、平山譲が小説「ありがとう」を出さず、映画化されることもなかった。
  6. Jリーグブームはもう少し続いていたかもしれない。

政治・経済[編集 | ソースを編集]

  1. 無論、神戸の地盤沈下は無かった。
    • ただし復興事業による好況も無かった。
    • 2017年現在、神戸市の人口は福岡市に抜かれていない。
      • 川崎市にも抜かれなかった。
    • 神戸というより関西経済の地盤沈下が抑えられていた。
      • 現実ほど東京に一極集中することはなかった。
      • 大阪都構想はなく、日本維新の会は結党されなかった。
        • むしろ維新を結成するまでもなく圧倒的な賛成で都構想が実現していた。
          • それも維新の修正案のような不自然な区割りではなく、自然な区割りで大阪都主導で各区の特色を生かした開発が行われた。
  2. ダイエーが経営破たんする事はなく、ましてやイオンの傘下になる事はなかった。
    • 当然Kiss-FMは独立局のまま。
    • 逆にイオンがダイエーの傘下に入っている。
      • むしろジャスコの段階で買収されていた。
      • イオンとダイエーがショッピングモールの進出を巡って全国各地で競合していた。
        • ダイエーの「ショッパーズモール」が全国にできていた。
    • ドリーム観光は現在でもダイエーグループ内にあり、新歌舞伎座の難波から上本町への移転もなかった。
      • 横浜と奈良の両ドリームランドの閉園もなかった。
    • ヴィッセル神戸のメインスポンサーから撤退することもなかった。
    • その後も極端な経営悪化が無ければ、福岡ダイエーホークスのソフトバンクへの売却も無かったかもしれない。
    • 三宮の「ダイエー村」は健在。ただビルは老朽化により建て替えられているかも。
      • 現実のダイエー三宮駅前店は現在もプランタン。
        • プランタンは今もダイエーグループである。
          • 現実のイオン甲子園店もプランタンのままか、ダイエーに業態転換されてもイオンへの店舗譲渡はなく、2017年5月に食品売り場を除いて閉鎖されることもなかった。
          • プランタンなんばは閉店せず、大阪におけるビックカメラは別の場所に出店していた。
      • 2010年代に入って同じ場所で建て替えが行われていた。
    • マイカルが史実通り経営破綻していた場合、ダイエーがマイカルを吸収していた。
    • ダイエーのマークが現実のものに変わることはなく、今も半月マークが使われている。
    • 球団を手放すこともなかった。
    • ローソンは今もダイエー傘下だった。
      • 関西では今もコンビニと言えばローソン。セブンイレブンは現実ほど増えなかった。
    • 流通科学大学の偏差値も現実より高く、2022年現在産近甲龍と摂神追桃の間くらいにある。
    • トポス千林店の閉店もなかった。
      • 「トポス」という業態はダイエーのディスカウントストアとして今も存在していた。
      • 店舗の老朽化もあるので2010年代に建て替えられている。
    • 待った。ダイエーの破綻はバブル期の放漫経営のツケなので、大地震に襲われないにしても遅かれ早かれだった側面は否めんぞ。
      • 震災による阪神間の店舗閉鎖もないので、自力で経営再建出来ていたかも。
    • 星電社も。場合によってはジョーシンと並ぶ関西有数の家電チェーンとなり、兵庫県外にも積極的に店舗展開していた。
      • それだけでなく中川ムセンやニノミヤなど在阪家電量販店の衰退もなかったかも。
    • カネテツデリカフーズも。
  3. 平成不況真っ只中とはいえ、自衛隊の入隊希望者は、そんなに増えなかった。
    • むしろ平成不況は現実ほど深刻にならなかっただろう。
  4. 釜山港は発展しなかった(神戸港が壊滅した為、貨物が釜山に流れたため)。
    • それでも高雄・香港・シンガポールの港は大震災がなくてもそれなりに発展していたが。
      • 上海の港も。
  5. 兵庫県知事が「関東大震災で・・・」なんて不適切発言をする事はなかった。
    • 村山富市の「なにぶん、初めての経験でもございますし…」という発言も無く、村山内閣は史実よりは長く持ったかもしれない。
      • 社会党政権も史実よりも長続きし、社会民主党への党名変更もなかった。
        • 場合によっては社会党政権が定着し、自民党は解党あるいは分裂していたかも。この場合新進党→民主党も最終的に社会党に合流していた。公明党も社会党と協力体制にある。
          • その場合小泉政権も誕生せず、様々な規制緩和もなかった。郵政民営化も行われず。
            • 大学の設置基準緩和もなかったので、大学の数が必要以上に増えることもなく、21世紀になって閉校する大学も少なかった。
              • その結果大学進学率は21世紀になっても30%くらいで推移し、経済的に苦しい家庭の子は高卒で就職していた。
                • 奨学金を駆使してまで大学進学に拘る学生はほとんどいなかった。奨学金も給付型がメインで、日本学生支援機構が学生ローンと言われることもなかった。
          • 恐らく土井たか子はいずれ首相になれていただろう。その場合日本初の女性首相が誕生していた。
            • 彼女は神戸出身なので関西にとってはプラスになっていただろう。さらに震災からの復興にも尽力し、現実以上に神戸は早く復興できた。
              • 2008年大阪五輪招致にも積極的に取り組んだだろう。
        • その場合個人情報保護法は施行されていなかった可能性がある。
          • 長者番付の廃止もなかった。
          • 2022年7月の安倍元総理暗殺もなかった。
            • その場合、2020年代前半の出来事と言えば、新型コロナ、ウクライナ侵攻。
            • 当然ながら旧統一教会問題もなかった。
              • その場合、被害に遭った信者が立ち上がることもなかった。
                • 当然ながらその被害に遭った信者も社会問題になることもなかった。
            • それでも岸田文雄の新型コロナ、ウクライナ侵攻の対応は史実通り。
            • それでも、政治資金パーティー収入の裏金問題も史実通り。
        • 少数野党になっていたのは社会党ではなく自民党だったかもしれない。
        • 失われた30年も早くに終息していた。
          • 不寛容社会になることはなかったかもしれない。
        • 社会党は自民党と連立を組んでいたことや新党さきがけとの合流騒動で揺れていたので、どのみち衰退していたのでは。
          • 1997年に橋本龍太郎政権が誕生。その後は史実通りになっていた。
  6. 六甲ランドAOIAは1995年以降も営業を続けた。
    • しかし不況で客足が遠のき、21世紀初頭に閉鎖。
      • USJの開業による影響される。
  7. その後の日本経済の低迷は史実より緩和されていた。
    • 第2次ベビーブーム世代の就職がやや楽になっていた。
    • 橋本政権による「9兆円の負担増」はなかった。
      • 消費税の3→5%への増税も1997年の時点では行われず、早くとも2000年代半ばにずれこんでいた。場合によっては2014年まで消費税率は3%だった。
        • あるいは史実より10年遅れて2007年だったかもしれない。
    • もしかすると2000年代半ば~後半あたりに「第2次バブル景気」が起きていたかもしれない。
    • 日本のGDPが中国に抜かれることもなく、その中国の経済成長は史実より遅れていた。
    • つまり、2017年には日本が50年連続GDP世界第2位を維持達成していた。
    • ウクライナ侵攻もなかったかもしれない。
      • もしくは史実以上に早まっていた。
    • 少なくとも2008年のリーマンショックあるいは2011年の東日本大震災まではバブルの余韻を残していた。
  8. 「株式会社神戸市」とも呼ばれる神戸市の開発行政はその後も続いていた。
    • その後もさまざまなイベントを開催していた。
    • オリンピックに立候補していた可能性もある。
      • 震災後の日本経済が史実より好調だったため、2008年の夏季五輪は神戸になっていた可能性もある。
        • 現実通り2020年東京五輪が開催された場合、2025年の万博開催地が神戸だった可能性もある。
  9. 成人の日は移動祝日とはならず、今でも小正月である1月15日のまま。
    • あるいは1月の第3月曜日になっていた。
    • ハッピーマンデー制度そのものがなかったかも。
  10. 神戸阪急ビル東館が登録有形文化財になっていた。
    • あるいは阪急百貨店梅田店と同時期に高層ビルに建て替えられていた。
      • ビル建て替えと同時に阪急三宮駅を地下に移設し、神戸市営地下鉄西神・山手線との直通が実現していたかも。
        • むしろ阪神快急が板宿で地下鉄と直通したかも。
          • その場合近鉄電車が西神中央に乗り入れていた。
    • 阪急西宮ガーデンズができたことで売り場面積の縮小・最悪の場合は食品売り場を除き撤退もあり得る。
  11. 第3次ベビーブームも有り得る。
    • 少子高齢化がもう少し遅れていただろう。
    • 第2次ベビーブーム世代以降の結婚率が現実よりも高くなっていた。
  12. 三宮にあるそごう神戸店が阪急百貨店に移管されることはなかった。
    • そごう時代の売上が京阪百貨店守口店を下回ることもなかった。
    • というか、そごうの経営破綻はなかった。
      • 西武百貨店やセブン&アイホールディングスと経営統合されることもなかった。
        • 西武百貨店が関西から撤退することもなかった。
  13. 北浜にあった三越大阪店の閉店が遅れていた。
    • 阪神大震災で建物が損傷し、店舗面積を縮小したのが閉店の要因だったため。
    • 恐らく2011年の大阪ステーションシティオープンまで持ちこたえていた。
  14. コナミの本社が東京に移転することはなく、今も神戸に置かれていた。
    • トリドール(丸亀製麺の運営会社)も。
  15. 首都圏一極集中が忠実する程は進まなかった。
    • テレビ番組も東京ジャイアニズムが進行することはなかった。
      • 東京周辺の県が関西や中京圏よりも頻繁に取り上げられることもなかった。
    • 京阪神資本や西日本資本の東京進出や本社東京移転は史実ほど進まず、また東京資本や東日本資本の関西進出も史実ほど進まなかった。
      • ヨドバシカメラやビッグカメラ、ヤマダ電機は関西には出店しなかったか、出店が史実より10年以上遅れていた。
        • その場合、ヨドバシ梅田は存在せず、あの場所にはかつて噂があったように三越が進出していた。
      • 兵庫の地場家電量販店であった星電社がヤマダ電機に吸収合併されることもなかった。
      • 神戸において町の電気屋といえば未だに三菱電機三洋電機のどちらかの系列。
        • 三洋電機と松下電器の合併もなかったことからパナソニックの系列店は少ないままで、ましてや東芝や日立などの関東系は影すらもなかった。
          • 三洋電機が旧本社を手放すこともなかったので、守口市役所は旧庁舎の位置で建て替えていた。
  16. ケータイやネットの発達は史実より5年ほど早かっただろう。
    • スマホも2000年代初頭に誕生していた。
  17. Microsoft Windowsも史実以上に利用者数も少なかった。
  18. 機関の人と防災未来センターも設立されなかった。
    • HAT神戸の開発もなかったため、阪神の岩屋・春日野道両駅の利用客は現実よりも少なかった。
      • 両駅の改良工事も行われなかったか、史実より遅れて2010年代以降に行われていた。
  19. 被災宅地危険度判定も創設されなかった。
  20. 田中康夫が「神戸震災日記」を出さなかった。
  21. 神戸市で共産党は与党を離脱することなく、オール与党体制が続いた。
    • 震災後の神戸市長選挙でも現職を推薦していた。
  22. 貝原俊民が2001年に任期途中で兵庫県知事を辞職しなかった。
    • 2002年に任期満了で退任していた。
    • その場合、井戸敏三や斎藤元彦の兵庫県知事の任期が1年ずれていた。
  23. 当然ながらクラシックカーのパレードのポンテ・ペルレもなかった。
  24. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつかの企業も史実以上に合併しなかったかもしれない。
  25. 大阪高知特急フェリーも自己破産しなかったかもしれない。
  26. ここに書いてある1990年代以降のいくつかの企業も倒産しなかったかもしれない。
    • 21世紀に入ってからのパナソニックの凋落もなかった。
      • 門真や茨木の事業所を縮小、廃止することもなかった。
      • 三洋電機も新潟中越地震で被災した後自力再建できていたかもしれない。
  27. 2ちゃんねるも史実より普及されなかったかもしれない。
    • その場合、ニコニコ動画もなかった。
      • それでもYouTubeの設立は史実通り。
        • その場合、YouTuberも史実より早く誕生していた。
      • ここに書いてあるいくつかの事は現実のものになっていた。
    • その場合、犯罪予告を書き込んで逮捕される人もほとんどいなかったことから、2000年の西鉄バスジャック事件や2008年の秋葉原事件は起きなかったかもしれない。

玩具・フィギュアメーカー[編集 | ソースを編集]

  1. ツクダオリジナルも倒産しなかったかもしれない。
    • その場合、株式会社パルボックスへの商号変更もなかった。
  2. ブルマァクの新社が設立して、事業を再開しなかったかもしれない。
  3. 鉄道模型メーカーの乗工社も破産しなかったかもしれない。

出版社[編集 | ソースを編集]

  1. みのり書房も解散しなかったかもしれない。
  2. 出版社のビブロス、碧天舎も経営破綻しなかったかもしれない。
  3. 勁文社も経営破綻しなかったかもしれない。
  4. 出版社のスパイスも倒産、廃業しなかったかもしれない。
  5. ソニー・マガジンズもコミック事業から撤退しなかったかもしれない。

メディア・芸能[編集 | ソースを編集]

  1. 藤原紀香はデビューしなかった。
    • もちろん陣内智則との結婚もなかった。
      • その場合陣内は松村未央と結婚しなかったかも。
      • 20代のうちに一般男性と結婚し、場合によっては芸能界を引退していた。
    • 既にデビューしてたけど・・・
      • 全国区になることはなかった。
      • 関西ローカルの番組では大活躍するものの、東京での知名度は低いままだった。
  2. 佐藤江梨子はデビューしていなかった。
    • ごく普通に大学進学してOLになった後、普通の主婦になっていた。
  3. 外国語FMは存在せず、コミュニティFMの開局ラッシュもなかった。
    • 21世紀に入ってもせいぜいInterFMくらいしか開局していないか。
      • つまりMeganetは存在せず、InterFMがあったとしても独立局になっている、ということか。
    • 日本のコミュニティFMの数は史実より少なかった。
  4. J-Friendsは結成されず、KinKiだけでカウコンをしていた。
    • そもそもカウコン自体存在したかどうか怪しい。
      • そうなるとフジテレビの年越し番組はいったい何をやっていたのやら?
        • 当時TBSでやってたサザンに対抗して浜崎あゆみのカウントダウン生中継だったかも。
  5. NHKはCO2削減のため、午前0時終了に戻っていた。
    • 民放も石油高騰で24時間放送をやめていた(午前2時前後休止・5時再開)。
      • よって、鳩の休日は1分が健在。ただしデジタルリマスター版に。
        • 日テレニュース24は当然NNN24もしくは日テレケーブルニュースのまま。
      • TBSも「バクと少女」で開始・終了。
        • ニュースバードは存在しない。
      • 地方局の広島テレビなどもオープニング、クロージングは健在。
    • 4時台や5時台の早朝生番組競争の始まりも遅くなってた。実際震災当時生放送やってたのはABC(ローカル)とMBS(東京発)だけで、NHKが5時台の定時放送を開始したのも震災の3か月後。
  6. ABC土曜午後の番組「わいわいサタデー」もしばらく放送が続いていた?
  7. ラジオ関西の本社移転はなかったor史実(1996年8月)より遅れていた。
    • それでもアニラジは積極的に放送。
  8. 連続テレビ小説「甘辛しゃん」や「わかば」の筋が激変していた。
  9. 江口洋介と森高千里は結婚しなかったかも。
    • この2人が出会ったのが震災のチャリティイベントだったので。
    • 森高の結婚による活動休止もなかったか時期が異なっていた。
    • この2人の芸能人生も現実と大きく変わっていたかもしれない。
  10. 竹内良太は声優にならなかった(この震災を経験し、父親がいない事に不満を持つようになった事がきっかけなので)。
    • ここに書かれていることが現実化していた。
  11. MBSラジオのローカル路線強化もなかったか遅れていた。
  12. 北川景子・戸田恵梨香・有村架純などの芸能人生にも影響を与えていただろう。
    • 北川は地元の有名大学を卒業後、大手企業に就職していたと思われる。戸田と有村は地元の高校卒業→地元企業に就職→25歳前後で結婚…だったろう。
      • 当然北川景子はDAIGOと、戸田恵梨香は松坂桃李とは結婚していない。
        • むしろDAIGO姉のえいきえいき(BL百合作家)と同性婚し百合漫画を書いていたかも。
      • むしろ40歳まで独身でバリキャリになっていた。日本経済が好調なので億り人になっており、同性婚していた。
    • 男優では森山未來も。
  13. テレビドラマ「異人館通りの聖夜」も制作されなかった。
  14. 当然ながら災害・防災情報番組の「ネットワーク1・17」もなかった。
  15. 当然ながら関西テレビの「この瞬間に祈る」もない。
  16. 民放キー局のゴールデンタイムでのアニメ放送が今でも盛んだった。
    • テレビアニメが全体的にテレビ東京や独立局に偏ることはなかった。
    • 地方のアニメ事情が史実より改善されていた。
    • その場合、史実で深夜枠で放送されたアニメのいくつかは全日帯で放送されていた。
    • フジテレビの「世界名作劇場」ももう少し長く続いていたかもしれない。
  17. 在阪メディアの自主制作比率は現実ほど高まらなかった。
    • テレビにおいてゴールデンタイムの全国番組がローカル番組で潰されることもなかった。
      • 例えば水曜午後7時台は「東大王」が放送され「水野真紀の魔法のレストラン」は存在しなかった。
      • 「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」がテレビ大阪でも同時ネットされていた。
    • 在阪テレビ局が在京局の完全子会社になっていたかもしれない。
      • さすがにそれはなさそう。
  18. 在阪準キー局制作の全国ネット枠が削減されることもなかった。
  19. ドキュメンタリー番組「with…若き女性美術作家の生涯」も制作されなかった。
  20. NHKのテレビドラマ「その街のこども」も制作されなかった。
  21. NHKドラマ館の「終のすみか」も違うストーリーになっていた。
  22. Kiss FM KOBEのJFN加盟もなかったかもしれない。
  23. 地下鉄サリン事件もなかった場合、特撮ドラマ「超力戦隊オーレンジャー」は放送終了まで当初のハードかつシリアスな路線のままだった。
  24. ここに書いてあるいくつかの芸能人も引退しなかったかもしれない。
  25. 声優グランプリの声優道、雷鳥社の声優になる!マガジン、Girls-StyleのStyle of the PRINCEなどもなかったかもしれない。
  26. 前述の通り、寿美菜子は声優にならなかった。
    • 当然ながらスフィアのメンバーとして活動しないので顔ぶれも異なっていた。
  27. 星野貴紀も声優、俳優にならなかった(大阪府の芝居の学校に進学していた仲の良かった友人が、この大震災で亡くしているので)。
  28. ここに書いてある1990年代以降のいくつかの番組も史実以上にヒットしなかったかもしれない。
  29. ここに書いてある1990年代以降のいくつかの番組も史実以上にヒットしていたかもしれない。
  30. ここに書いてある1990年代以降のいくつかのテレビ番組ももう少し長く放送していたかもしれない。
  31. 「メタルヒーローシリーズ」ももう少し長く放送していたかもしれない。
    • その場合、「燃えろ!ロボコン」や「平成仮面ライダーシリーズ」の放送開始が遅れていたかもしれない。
  32. ミューラスやグッドスマイルカンパニーもなかったかもしれない。
    • その場合、ねんどろいどやfigmaもなかった。

交通[編集 | ソースを編集]

  1. 阪神間の阪急・JR・阪神は未だにスピード競争をやっている。
    • 阪急特急は岡本・夙川を通過。
    • 夙川は2003年頃に停車しただろう。
    • JR新快速は芦屋一部通過の方針を貫く(現実では2003年12月改正で全部停車)。
    • 阪神特急の梅田~三宮間の停車駅は現在も西宮・芦屋・御影。
      • 近鉄直通快速急行も現実よりは速かった。三宮~大阪難波間の停車駅は魚崎・西宮・甲子園・尼崎・西九条のみになっていたと思われる。
      • 結局福知山線脱線事故でJRはスピード規制を辞める。
        • 震災復旧が早かったことでJRがさらに力を付けることはなかったので事故自体なかったのでは?
    • 村上ファンドによる株の買い占め後、阪神の経営統合の相手は阪急ではなかったかもしれない。
      • 震災後定期券の相互利用など阪神と阪急による協力が進んだため。
      • 京阪か近鉄と統合していた可能性がある。
        • 京阪と統合していた場合、中之島線は当初から阪神に接続する形で建設され、相互直通も行われていた。
  2. 新潟県中越地震では、小千谷市では現実と違い地震対策が皆無で被害者が倍増。
    • とき325号、脱線と同時に高架橋の崩落(鉄板巻きが無い為)に巻き込まれ死者多数。新幹線の安全神話が完全に崩壊。
      • 「ときタン」なる愛称は生まれず、それどころか「325号」は永久欠番に。
        • JR東日本はその後10年間ぐらいは車両基地公開を自粛していた。
      • 甚大なダメージを負った上越新幹線は長期運休。東京新潟間は完全にバス輸送に主導権を奪われる。
        • 東京-鶴岡・酒田間は山形新幹線経由に誘導させるものの、羽田-庄内間の空路に完敗していた。
        • 年末年始の「ムーライトえちご」は1往復で乗客を捌ききれず臨時の91・92号を設定した。
        • ただし練馬から先の一般道の渋滞の問題がある以上、計画止まりだった首都高練馬線が建設する運びになっていた。
        • 北陸新幹線開業以降は上越新幹線の本数が大幅に減らされる。
          • 新潟県の東京指向が現実よりも弱くなり、逆に名古屋・大阪指向が強まっていた。その結果急行「きたぐに」は車両置き換えで存続していた。
          • 越後湯沢以南は被害がほとんどなかったため史実と変わらなかったが、北陸新幹線金沢開業後は越後湯沢発着の「たにがわ」は朝晩だけになっていた。
        • 磐越西線経由での東京-新潟間の代行輸送も実施され、快速「あがの」が郡山まで臨時延長運転されたほか、キハ48形を使用した郡山-新潟の臨時快速も運行された。
  3. 「神戸空港」は出来なかった。
    • しかし、調子に乗って結局神戸空港が出来た。
      • 2010年代に入ってインバウンドなどで発着能力が限界に近づいた関空を補完するために建設されていた。
  4. 阪神電車の9000系は誕生しなかった。
    • 2009年の阪神なんば線開業に際しては1000系が史実より多く製造されていた。
    • 阪神5500系は従来の青胴車色で登場していた。
      • 9300系や8000系リニューアル車もジャイアンツカラーにならず、赤胴車色のままだった。
    • ステンレスカーは導入されない。
    • 1000系と5700系は、近鉄電車をベースとしたアルミカーになっていた。
      • あるいは5500系・9300系をベースにアルミ車体に変更されていた。
    • 昭和30~40年代に登場した5151・5261・5311形は5500系で1996~2000年頃に置き換えられていた。そのため5550系は登場しなかった。
      • その分5131・5331形の5143-5144-5337-5338の編成が史実より長く残留し、5700系の製造数が1本多くなった。
    • 廃車による編成組み替えも無く、編成内で顔が違う8523Fや、編成内の車番が合わない編成(8213Fなど)も誕生しなかった。
  5. 阪神なんば線は数年早く開業していた。
    • 後のリーマンショックがなければ開業時にもっと盛り上がっていた。
    • 阪神なんば線は全通直前に新型インフルも大流行したから運が悪かった。
      • 近鉄特急の阪神・山陽直通も実現済み。
        • 18400系は早い時期に廃車にならず、第2次更新(デッキ仕切りの設置や18404~18408Fの前扉移設も含む)と阪神山陽乗り入れ改造を受けて、阪神・山陽直通用車両に活路を見出していた。
    • 元町付近のトンネル補強をしていないので、近鉄の20メートル車も元町以遠に行けた。
      • 阪神も、なんば線開通を機に20メートル車を採用していた。
    • 2022年12月のダイヤ改正で近鉄直通快速急行が減便されることはなかった。
  6. 阪神梅田~山陽姫路間の直通特急は21世紀に入ってから運行開始した。
    • 場合によっては阪神なんば線経由阪神三宮~近鉄奈良間直通電車の運転開始の方が早く実現したかも。
  7. 九州新幹線開業は東北新幹線新青森開業より早く08年に博多~鹿児島中央が全通していた。
    • 開業が東日本大震災の翌日だったから運が悪かった。
  8. 邪推に過ぎないが、阪急電鉄5000・6000・7000・7300各系列の屋根肩アイボリー塗装はされていなかったんじゃないかと思う。
    • 阪急は平成7年以降も新造車両を積極的に投入して車両の老朽置き換えを進めた結果、2300系や3000系は20世紀中に引退し、8000・8300系が現実より多く製造された。さらに京都線特急車9300系も史実より早い2000年頃には投入されていた。
      • その結果6300系は史実より早く京都線特急から撤退し、1960年代製造の5000系のリニューアルもなかった。
        • 6300系に関しては地方私鉄への譲渡が行われていたかも。
          • 地方私鉄においては有料特急車として使用されていた。
      • 9300系は現実と異なり2扉車となっていた。
        • 下記のように10両固定編成となり、2020年頃には指定席車両も連結されていた。
      • 3300系は2010年頃には消えている。5300系も2020年には風前の灯に。
    • アルナ工機が路面電車以外の車両製造から撤退することはなかった。
      • 武庫川車両工業が解散することもなかった。
        • 阪急・阪神の経営統合後はアルナ工機と合併していたかも。その結果阪神にアルナ製の車両が入っていた。
    • 阪急がサラ金事業に手を出すほど追い込まれることもなかった。
      • 書店事業「ブックファースト」もなく、現実よりも鉄道事業の比率が高まっていた。
      • 8300系をケイマン諸島のペーパーカンパニーに所有権を移転したりすることもなかった。
  9. 新幹線が新神戸に全列車停車するのは史実とは異なり、2008年の品川・新横浜と同時に行われている。それまではのぞみの半数の他、一部のひかりレールスターも新神戸を通過していた。
    • 500系は当初計画通り360km/h運転が実現していた。
      • 0系の食堂車は予定通り3月ダイヤ改正まで営業。
        • 100系グランドひかりの食堂車みたいにさよなら企画もできたかも。1995年は山陽新幹線博多開業20周年=新幹線食堂車営業開始20周年なのでそれと連動した企画をしていた。
  10. 山手幹線はいまだに全通していない。
  11. 加古川線は電化されなかった。
    • 震災で不通となった東海道・山陽本線の迂回ルートとして同線が機能したため。
    • 最悪の場合、西脇市~谷川間は廃止されていた。
    • その場合和田岬線も非電化だった。
      • キハ35系が老朽化で廃車になった後はキハ40系列がドア増設及び座席の一部撤去を行って転用されていた。あるいは加古川線と共通の新型気動車が導入されていた。
      • 下記のように鷹取工場が廃止されなかったため。
    • 神戸市中心部-粟生では神戸電鉄を利用するのが今でもデフォとなっていた。加古川線粟生以北や北条鉄道線沿線と神戸との移動でも、粟生で神戸電鉄に乗り換えて移動する者も多かった。
  12. 223系2000番台は予定通り大和路線に入っていた。
    • 大阪環状線用207系も登場している。
      • 大阪環状線のオール3扉化構想は出なかった。
        • 阪和線の103系置き換えも4ドア車(207系や321系など)で実施されていた。
      • 恐らくJR東西線開業分増備後の98年頃に増備されていた。
    • 新快速への223系1000番台の投入は現実よりも遅れていたかもしれない(223系が新快速に投入されたのは震災後に利用客がJRに集中して輸送力が不足したための補充用)。
      • 恐らく1997年3月のJR東西線開通と同時だった。
    • 製造数も史実より少なく、代わりに大和路線用の1500番台も導入されていた。
      • 恐らく1997年3月のJR東西線の開通と同時に登場していた。
  13. 大阪市内での阪和線の高架化が早まった。
    • 当初の計画通り阪神高速との二重高架になっていた。
    • しかも複々線。
  14. 阪急伊丹駅は、リニューアルが遅れた。
    • というより建て替えられず、震災前の高架駅を耐震強化して使っていただろう。
    • 伊丹駅以北の延伸計画が具体化していたかもしれない。
  15. 神戸市営地下鉄1000形のVVVF改造は行われず、2010年前後から新型車両への置き換えが始まっている。
    • 開業30周年の2007年3月から新型車へ置き換えられた。
    • その車両は将来の阪急乗り入れにも対応していたかも。
    • もちろん現実の6000形とは異なる。
      • 3000形3次車となっていた。
  16. WEST21の導入が実現していた。
    • その分、223系1000番台は登場せず、新快速の輸送力増強に回すこともなかった。
  17. 鷹取工場が21世紀になっても稼働していた。
  18. 神戸市営地下鉄西神・山手線における快速運転は1995年以降も継続されていた。
    • 三宮~名谷間に待避線を増設したり停車駅の見直しが行われていた。
  19. リニア中央新幹線は2020年の時点で品川~名古屋間が開業できる目処がついていた。
    • 名古屋~新大阪は2025年頃に開業予定。
    • 北陸新幹線も大阪・関西万博が行われる2025年を目処に新大阪まで全通することになっていた。
  20. 新快速への乗客転移がないので阪急8200系などの折り畳み式座席車両が増備されていた。
  21. ここでの復旧工事の経験がないため、それ以後の災害での復旧までの期間が長くなっていた。
  22. 水害対策として車両基地を高架化するケースが現実よりも多くなっていた。
  23. 関西どころか日本国内の公共交通には女性専用車両は一切導入されなかった。当然終日実施もない。JR西日本の特急の女性専用席もない。
    • 女性専用○○は日本には今もなかった。女性専用といえば今も女子校のみ。
      • その分、座れる通勤電車が史実より早く1997年から爆発的に増えていた。阪急の有料座席が実現していた。
        • 京阪特急のプレミアムカーも7→8両への増結と同時に導入されていた。
        • 新快速のグリーン車あるいは指定席車も早期に実現していた。
        • マリンライナーと同様、ダブルデッカーのグリーン車が実現していたかも。
      • もしくは女性専用○○は近鉄の鮮魚車両と同類とみなされた。
  24. 京阪7200系の導入が少し早まっていた。
    • 1995年3月に営業運転を開始していた。
    • 製造数も史実より多くなっていただろう。2200系/2600系0番台などの廃車が早まっていた。
  25. おおさか東線は恐らく久宝寺~新大阪の全区間が2008年に一斉開業していた。
  26. なにわ筋線も2019年3月に開業済み。
    • その場合南海の乗り入れは難波経由ではなく当初の計画通り汐見橋経由だった可能性もある。
      • 汐見橋線は汐見橋-津守が地下に移設され、汐見橋、芦原橋(芦原町駅を大阪環状線芦原橋駅付近に移設のうえ改称)、中開(木津川駅を移設のうえ改称)は地下駅となっていた。
  27. 梅田貨物駅の移転も史実より早まり、大阪駅地下ホーム(うめきた駅)の開業も2010年代のうちに実現していた。
    • 大和路線と関空快速も2019年3月からなにわ筋線へ乗り入れていた。
  28. 阪急は終日10両運転をしていた。1000系、1300系は10両固定編成で出ていた。
    • 阪神の8両運転開始も現実より早く、なんば線直通の快速急行は開業当初から三宮(現神戸三宮)駅まで8両が乗り入れていた。
      • 大阪梅田・尼崎・甲子園・神戸三宮駅などの改良工事も早まっていた。
    • 京阪も10両運転が実現し、中之島線は10両対応になっていた。10両編成の列車は主に中之島線に発着していた。
      • 中之島線は早期に西九条まで延伸され、場合によっては阪神乗り入れも実現していただろう。
    • 京阪・阪急とも有料指定席も10両運転開始と同時に導入されていただろう。
  29. 首都圏への人口流出が史実ほどではなかったため、大阪メトロ御堂筋線は2022年現在も地下鉄利用客日本一を保っていた。
    • 9→10両編成への増結も史実より1~2年早まっていた。
    • 北大阪急行の千里中央~箕面萱野延伸も10年程早まっていた。
    • 御堂筋線だけだなく谷町線や中央線も6→8両編成に増結されていた。
      • 谷町線は1976年を最後に増結していないから(中央線は1985年に増結)。
      • 谷町線末端部の利便性向上も現実よりも早く行われていた。
  30. 御堂筋線の利用者数を抜いた営団→東京メトロの4路線のうち日比谷線千代田線は21世紀になってから半蔵門線曳舟延伸に伴う東武区準→急行の半蔵門線直通(03年)、つくばエクスプレス開業(05年)、上野東京ライン開業に伴う常磐快速の品川延長(15年)で忠実よりも利用者が減少していた。
  31. 神戸電鉄は今も準大手私鉄のままだった。
  32. JRのダイヤ改正は1995年3月に行われ、「サンダーバード」も同時(史実より1ヶ月早い)に営業開始していた。
  33. 1995年4月の泉北高速鉄道和泉中央延伸が現実より盛り上がっていた。

音楽[編集 | ソースを編集]

  1. 嘉門達夫は「怒りのグルーヴ」をリリースしなかった。
    • 「怒りのグルーヴ」の原曲は震災前からあった(1993年発売『NIPPONの楽しみ』収録)。「『震災篇』は存在しなかった」というのが正確。
  2. SMAPが1995年1月20日放送の「ミュージックステーション」で「がんばりましょう」を歌うことはなかった。
  3. 松任谷由実の曲「命の花」がシングルとして発売されていた。
  4. 平松愛理が「美し都〜がんばろやWe love KOBE〜」をリリースしなかった。
  5. 1995年1月に来日公演を行ったKISSがバンド側の意向で炎の演出を控えたり、チャリティー・ダイヤルを設立することもなかった。
  6. 平松愛理の「南町から」もなかった。
  7. 楽曲「満月の夕」もなかった。
  8. 浜田省吾の「我が心のマリア/恋は魔法さ」もリリースされなかった。
  9. 天野正道の吹奏楽曲「おほなゐ 〜1995.1.17 阪神淡路大震災へのオマージュ〜」もなかった。
  10. GLAYのベストアルバム「REVIEW-BEST OF GLAY」、宇多田ヒカルのアルバム「First Love」も史実よりヒットしなかったかもしれない。
    • その場合、オリコン史上最大の売上は今でも「およげ!たいやきくん」だった。(シングルは今でも1位だが。)
  11. 当然ながら音楽ユニットのWITH YOUもない。
  12. 楽曲「しあわせ運べるように」もなかった。
  13. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつかの歌も史実以上にヒットしなかったかもしれない。
  14. ここに書いてある1990年代後半以降のいくつかの歌も史実以上にヒットしていたかもしれない。

関連項目[編集 | ソースを編集]